タイトル: チェコスロヴァキア・アナキスト連盟の2009年の活動
発行日: 2010年
ソース: https://web.archive.org/web/20120107145140/http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/733/(2023年6月19日検索)
備考: (原文:英語)
http://www.csaf.cz/english.php?file=144
(翻訳/I)

      反資本主義

      反軍事主義

      反ファシズム

      記憶

      アナキスト黒十字

      スクウォッティング

      連帯

      出版

      国際的な活動

      国内の活動

 チェコスロヴァキア・アナキスト連盟(Czechoslovak Anarchist Federation(CSAF))は1995年に設立された。CSAFはアナキスト連盟インターナショナル(International of Anarchist Federations(IAF/IFA))のメンバーである。CSAFを構成しているのは、自らをアナキストだとみなすグループと個人である。われわれは働く人々、学生たち、失業している人々そして年金受給者であり、アナキストの原則に同意している。それはとりわけ連邦主義、自治(自律)、草の根の活動を意味し、あらゆる種類の階級制度(ヒエラルキー)や不平等をなくすことを意味する。CAFSは領土および生産の自治(自律)、連邦主義、連帯そして社会正義に基づいた、リバタリアン的で自治的(自律的)な社会を作るために努力している。

反資本主義

 11月21日、CSAFはパルドゥビツェ(Pardubice)という都市(ボヘミアの東部)で、警察権力の増大に反対するデモを組織した。この問題に関心をもつ80人以上の人々が参加した。デモの後では、「弾圧に抗する音楽」というギグも開かれた。

 CSAFが参加を呼びかけた伝統的な反資本主義のデモは、アナキスト・メーデー集会である。集会はプラハの射撃島(Shooting Island)、チェコ語ではStrelecky Ostrov(19世紀以来の伝統的なメーデー集会の場所)、で開かれた。メーデーの起源が思い出される場所である。その後で、アナキストの行進がプラハの街路を通り抜けた。メーデーの行動に続いて、反ファシスト行動(Antifascist Action(AFA))が組織する人種差別反対フェスティバルが開かれた。

 チェコ労働組合連合(Czech Labour Union Confederation(CMKOS))はヨーロッパ労働組合連合(European Labour Union Confederation)とともに、定められようとしている労働法規と、経済危機の結果の両方をめぐって、5月16日にデモを準備した。過去何年間もちょうどそうしてきたように、CSAFは組合員たちの抗議行動に加わった。それは明らかに、資本主義制度に統合された労働組合を支持するためではなく、労働者階級の人々との連帯を表現するためであり、そしてさらに、現在の不公平な制度への不満を表現するためだった。新たに設立された自律労働同盟(Autonomous Labour Union(SOS))を紹介するリーフレットが、何千部も配布された。

 1989年11月17日から20周年となる記念日には、公式の記念デモがあり、参加したCSAFのあるメンバーたちは、その日を思い起こし、1989年11月以後に達成された進歩を批判した。CSAFは1989年の出来事と、それに続く20年間に関する声明を発表し、そしてまた、最初の現代的なアナキスト組織――チェコスロバキア・アナキスト協会(CZECHOSLOVAK ANARCHIST ASSOCIATION)の設立[1989年10月]のことを思い起こした。89年の抗議行動には、アナキストたちさえも参加した。人々はその当時、ボルシェヴィキの政権は内側でも外側でも支持されていないと感じた。彼らは多くのスローガンと要求をもって街路に出た。しかし20年たって、要求したことがどれほど現実と違っているか見てみよう。多くの人々は20年前に、資本主義やNATO(北大西洋条約機構)を、あるいはどこにでも監視カメラがあることを要求しなかっただろう。

 12月10日、木曜日、BNVコンサルティング(プラハの公共交通機関で従業員たちの解雇を立案している会社)のクリスマス・パーティーが混乱させられた。会社は解雇された人々を嘲笑している。労働組合の組合員たちと、そしてまたCSAF/プラハのアナキストたちは、すばやく人々を呼び集めてクリスマス・パーティーの会場を訪れた。60人以上の招かれざる客、おもに交通会社の組合員たちとアナキストたちがパーティーに来た。1 時間続いた抗議行動の間に、招待客は10人来ただけだった。彼らは毒舌、口笛、シュピレヒコール、スローガンそして垂れ幕とともに、明確な態度で歓迎された。アナキストたちの一人、すでに解雇された交通会社の従業員は、うまくレストランの中に煙爆弾を投げ入れた。

反軍事主義

 1月23日から2月7日までの期間、CSAFは他のアナキストたちと協力して、反NATOのインフォ・ツアーを組織した。講演、議論そして映画「なぜわれわれは戦うか」の上映が、チェコの10以上の町で、そしてまたスロヴァキアの首都でもおこなわれた。

反ファシズム

 CSAFは反ファシスト行動(AFA)が組織する行動を完全に支持し、それに参加する。たとえば、オトロコヴィツェ(Otrokovice)という町でのように。

 CSAF-EAST[東部](連盟の地域グループ)はスヴィタヴィ(Svitavy)という町で、人種的な動機による殺人の被害者たちを記憶するデモを組織した。地元の少数民族であるロマ(Romani)の人々も含めて、80人以上の人々が参加した。

 12月5日、土曜日に、国の東部でのもう一つの行動が、今度はパルドゥビツェという都市でおこなわれた。ネオナチが行動を組織し、記憶のための行動であるかのように装ったが、それは実際には、むしろ人種差別のイデオロギーと、ロマの人々に対する虐殺の宣伝だった。この事実に、地元の反ファシストたちはじっとしてはおらず、CSAF-EASTと「人種差別に反対する若者たち(YOUTH AGAINST RACISM)」の要請にこたえて、土曜日にネオナチに対抗することを決めた。ファシストの行進のルートとなっていた、主要な道路をまたぐ橋の上から、反ナチの横断幕が吊り下げられた。CSAFの声明は地元の新聞に発表されている。

記憶

 チェコの歴史のなかで最も大きな鉱山事故が起きてから、1月3日で75年となった。国の北部のアナキストたちは、これまでの年月のなかで、このとても悲しい記念日を人々に思い出させてきたのだった。この年、CSAF-NORTH[北部]のメンバーたちと他のアナキストたちは、悲劇の被害者を追悼し記憶する行動をおこなった。

 CSAFのメンバーたちは、殺害された[2008年1月18日に、プシーブラム(Pribram)という町でネオナチにナイフで刺され、2日後に亡くなった]反ファシスト・スキンヘッドのヤン・クツェラ(Jan Kucera)を記念する一連の行動に参加した。

 12月6日には、われわれはギリシャのアナキスト、アレクシス・グリゴロプロス(Alexis Grigoropoulos)への発砲を思い起こした。ギリシャ大使館の前でいくつかのろうそくに火がともされ、型板にペンキが吹き付けられた。

 国際女性デー[3月8日]の行動は、モスト(Most)という都市でおこなわれた。アナキストたちは人々にこの日の由来を思い出させたいと望んだ。彼らは家父長制と資本主義を批判するリーフレットを配布した。

アナキスト黒十字

 起訴されたアナキストたちへの助力と救援を主導しているのは、CSAFのアナキスト黒十字(Anarchist Black Cross(ABC))である。2009年におけるABCの活動は、とくに国外で迫害されているアナキストたちの件について、人々に知らせることが中心となった。11月の終わりに、ABC-CSAFについての新しいリーフレットが印刷された。

 9月9日と10月16日には、何人かのアナキストたちが、投獄されたセルビアのアナキストたちへの支持を表明するため、プラハのセルビア大使館の前に集合した。われわれの目的はこの件を注視し、人々に知らせ、そしてさらに拘束されたアナキストたちとの連帯を表明することである。11月にCSAFは、ブラジルのガウチャ・アナキスト連盟(Federacao Anarquista Gaucha(FAG))のアナキストたちとの連帯を宣言した。FAGは国家の抑圧的な機構からの迫害に直面している。

スクウォッティング

 チェコの反権威主義の運動への、2009年における最も大きな挑戦は、11年以上にわたって存在していたプラハのミラダ(Milada)・スクウォットの、暴力的な強制排除だった。ミラダへの攻撃の直後、300人以上の人々がスクウォットを守るために集まった。その後何日間も連帯行動がおこなわれ、CSAFも他の人々と同じくそれに従事した。不動産の所有者は、ミラダに居住することを不可能にするため、警察の協力のもとに、ネオナチを雇っている警備会社に家[ミラダ]を破壊させた。

 CSAFのメンバーたちはまた、「社会的不適切週間(Week of social inadequacy)」にも参加した。それはプラハの空いた家屋の示威的な占拠とともに始まった。行動は警察の暴力的な介入と、逮捕者への迅速な裁判によって終わった。「社会的不適切週間」はカーニバルで終わり、それには数千人の人々が参加した。

 オランダのスクウォッターたちの呼びかけにより、CSAFはオランダ大使館の前で抗議行動を組織した。スクウォッティング活動を犯罪化しようとしているオランダの政府当局に、抗議することが目的だった。

連帯

 1月におこなわれようとしていたイスラエル軍によるガザ地区への攻撃に関して、連盟は連帯と抗議を表明した。CSAFはパレスチナの人々への抑圧に厳しく抗議し、平和のなかで生きたいと望むパレスチナとイスラエルの人々への連帯を表明した。CSAFはパレスチナの人々と連帯するための小さな行動を、プラハのイスラエル大使館の前でおこなった。またチェコ東部でも、イスラエルの国家テロリズムに反対する行動がおこなわれた。

 われわれはまた、韓国の会社である双竜自動車(SSangyong Motors)の従業員たち、ペルーのアマゾン地域の住民たち[6月5日にバグア(Bagua)で虐殺事件が起きた]、そしてベルリンのアナルコ・サンディカリストである自由労働者同盟/ベルリン(Freie Arbeiterinnen- und Arbeiter-Union(FAU)/BERLINE)との連帯を表明した。

出版

 CSAFは2009年に、何千部ものリーフレットや小冊子を発行した。決定的に重要な活動となったのは、A3サイズの新聞の発行である。

 CSAFの雑誌『下から(FROM BELLOW)』[チェコ語の誌名はZDOLA]の発行は、現在のところ2号で止まっている。3号は準備中であり、アナキストの観点からみた選挙に関するもの(おそらくチェコ共和国の国会議員選挙があるため)となるだろう。

 アナキスト評論誌『存在(EXISTENCE)』[チェコ語の誌名も同じ]を発行するための作業は、すでに12月からはじめられている。同誌は過去にすでに存在していたが、2002年以降は発行されていなかった。『存在』は他の雑誌がおこなっていないような、アナキスト運動の状況の評論を目指すことになるだろう。

 CSAFはウェブ・ページcsaf.cz(英語のセクションがあり、われわれの活動のいくつかについての情報を英語で読むことができる)を、最も重要なものとみなしている。ウェブ・ページは毎日更新される。理論、翻訳、アナキスト運動についての実際の情報を、家にいても国外でも、われわれのウェブ・サイトで得ることができる。われわれはまた、国外のウェブ・サイトでも、われわれの活動について知らせようと努めている。

国際的な活動

 アナキスト運動はつねに国際的なものになっているから、CSAFはほかの国々のアナキストたちや反権威主義者たちと連絡をとりつづけようと努めている。CSAFはアナキスト連盟インターナショナル(IAF/IFA)のメンバーである。CSAFのメンバーたちは、冬に[フランスの]ストラスブールでおこなわれたインターナショナルの会議の一つに参加した。5月の会議はプラハで開かれた。

 CSAFのメンバーたちはまた、2009年の間に国外でおこなわれた抗議行動に参加した。

国内の活動

 連盟のメンバーたちはこの年に2回、定期大会を開いた。大会では活動に関する議論、講演そしてワークショップがおこなわれた。CSAFはまた、いわゆる“不定期の”集会(会議)を4回開き、理論的な議論やワークショップ、そしてレクもおこなった。

2010年1月10日