タイトル: 蜂起の論理
著者名: Alfredo M. Bonanno
トピック: イタリア, 蜂起主義
発行日: 1984年
ソース: https://note.com/bakuto_morikawa/n/ncadb675d1529(2023年12月21日)
備考: 訳者註:ボナーノは先週、2023年12月6日に86歳で逝去されました。お悔やみ申し上げます。

蜂起という言葉を聞くと、私達は過去の激動の瞬間を思い浮かべたり、未来に起こる同様の衝突を想像したりする。自発的蜂起は、搾取されている場所で民衆の我慢が限界を超えた時に起こる。街頭での衝突・警察に対する攻撃・資本主義の象徴(銀行・宝石店・スーパーマーケットなど)の破壊といった一定の出来事が生じる。こうした民衆暴力の瞬間はアナキストの不意を突き、昨日までの無関心が今日の憤怒に変わるのだと驚愕する。

数年前のブリクストン [1] を見てみよう。アナキストは暴動の主唱者ではなかったし、なれるはずもなかった。この出来事はアナキストを驚かせた。民衆が反乱を起こした理由は一見して単純に見えたが、長い間水面下で孵化していたのである。アナキストの参加は単にこの情況に適応しただけであり、蜂起の論理で行動したのではなく、蜂起のゲストだった。レンガを投げることは、意識的革命家が蜂起に参加する最良の方法ではない。

私達が蜂起の論理を適用するという言い方で意味しているのは、物事を逆に進めるということである。社会的緊張がある領域を特定し、それが爆発した時に参加するだけに留まらず、反乱を刺激しようとし、さらには反乱組織の結成を提案して参加しようとするのである。

できるだけ明確にしよう。

私達がどのような組織を意味しているかと言えば、提携的・社会的・大衆的な性質を持つもの--委員会・支援グループ・反弾圧同盟・居住権協会・反核グループ・反選挙棄権者同盟など--であって、特定のアナキスト集団ではない。社会闘争に参加するためにアナキスト集団に属していなければならない理由などあろうか?

アナキストがこうした構造内でどのような活動をするのかによって、この種の組織への民衆参加が無限に広がる可能性がある。山猫スト・大量解雇・NATO基地建設計画・スクゥオットといった特定の闘争について最も意欲的な一握りの同志達と民衆が始め、当初はできるだけ明確かつ直接的に情況に関する情報を広めねばならないだろう。リーフレット・ジャーナル・ポスター・討論会・会議・市民集会なども活用し、上記したグループの萌芽が形成される。この段階で活動に対して何らかの反応があれば、会合場所と連絡先を決める。闘争が進展し、参加者数が増え、活動への弾圧が強まるに連れて、組織の活動はもっと効果的になるだろう。

結果は分からない。アナキストの能動的存在が意味するのは、統制ではなく、むしろ刺激である。アナキストは他者と同じ権利を持ち、意思決定に特別な重みを持つわけではない。アナキストの提案が、全体の感覚レベルと調和し、かつ同時にそれを前進させようとするものであれば、妥当だと見なされる。

気弱な提案や及び腰の提案は闘争前進の妨げとして、ニーズと反乱を裏切るものとして拒否される。余りにも先進的で現時点のレベルを超えている提案は、不可能で危険で逆効果だと見なされる。何が起こるか誰も分らない事態に巻き込まれることを恐れ、民衆は身を引くだろう。

従って、この構造の中で活動するアナキストは、現実に触れ、実行可能かつ理解可能な活動を提案しなければならない。こうした当初の刺激の働きによって、大衆反乱(訳注:原文の「mess rebellion」は転記ミス。初出PDFでは「mass rebellion」)の拡大が展開できるようになるかもしれない。これが私達の意味する蜂起の方法と論理である。これは、労働組合主義とサンジカリズム(アナルコサンジカリズムも含む)の論理とは全く違う。こうした構造は全て、攻撃の論理ではなく、防衛の論理から始まる。これらは量的成長(組合員の増加)に向かい、過去の利益を擁護する傾向がある。労働組合の場合は、ある部門の利益を保護しようとする。

逆に、私達が提起しているのは基本的な提携構造である。闘争が持つ一つの目的に対処し、民衆の叛乱感情を刺激するよう編成され、可能な限り意識的な蜂起に結実させるのである。

この方法を使えば、この構造内でアナキストが指導部や権力集団に変化できなくなる。実際、既に述べたように、アナキストは闘争の諸条件に従わねばならない。彼等は独自のアナキスト集団で量的成長をするために活動しているのではない。単なる防衛的行動を提案するのではなく、ますます先進的な行動を取るよう余儀なくされている。一方で、こうした行動が蜂起を導き、それが予測できないレベルに達する可能性がある。他方、効果を発揮できないかもしれない。いずれにしても、元々の提携構造は必然的に不要になり、アナキストはそれまで行っていたことに戻っていく。

[1] 訳註:1981年の暴動だと思われる