わたしはバグである。わたしたちはバグである。
バグとしてのわたしたちは、社会システムが「正常」に動くのを阻害する。それの脆弱な点を露わにし、攪乱し破壊する力を持っている。だから、社会システムはその一見理路整然した「秩序」を守るため、〈バグ抜き〉を図る。わたしたちの存在を認めることを回避し、あるときは積極的に排除し、自らの維持に努める。あるいは、alloシスヘテロ家父長制や資本主義に都合の良いようにわたしたちのPRIDE/尊厳を簒奪し、さも資本主義的家父長制のフィーチャーの一つであるかのように扱ってみたりする。わたしたちは〈修正〉の対象となり、見せかけだけの〈アップデート〉がなされた世界で、死体の形骸としてのみ残ることになる。そうやって、この抑圧的なシステムは維持されている。
神話によれば、世界は単純で整然とした操作の連続で創造され、楽園と「自由」を騙る系譜の中で、格子状の傷を、わたしたちの身体に、精神に、社会体制に、刻んできた。n歳迄に1人の「異性」と婚姻し、子を産み育てるよう、わたしたちは教えあい続けてきた。賃金労働に参与し、資本家たちの懐を肥やしながら、自らも資本家になる夢を抱くのが「社会人」であると教えあい続けてきた。「美」しくあれと教わった。「正」しくあれと教わった。「普通」であれと教わった。だが、システム様には不都合なことに、わたしたちはバグであった。その系譜に——幸運ながら——属することはできなかった。わたしたちのバグった身体は、生命は、尊厳は、代わりにこの時計仕掛けの〈普通らしさ〉を破壊しかねぬ脅威となり、その代償として、銃口と糖衣の毒薬を向けられることとなった。このシステムは、そうやって「普通/正常」でないわたしたちから、わたしたちをわたしたちにするすべてを奪おうとしながら、虐殺と生存を図り続けてきた。
バグであるわたしたちの取りうる行動は、二つしかない。甘んじてこのシステムの抑圧を受け入れるか、それともこのシステムを破壊する脅威であり続けるか。確かに、すべてをあきらめ、わたしでなくなることも選択肢だろう。だが、わたしは、わたしとして、生きたい。あなたにも、死んでほしくない。わたしたちとして、ともに在りたい。ならば、このまま脅威であり続けるしか、道はないのだ。ならば、脅威であれ。攪乱せよ。破壊せよ、生き残るために全てを壊せ。〈修正〉も見せかけだけの〈アップデート〉も拒み、このシステムをその根源より打ち破れ。打ち破るしかないのだ。わたしたちは、このバグった身体とバグった精神を以て、手の届く瑕よりシステムを抉じ開け、見せかけだけの調った系図を捻じ曲げていくしかないのだ。これは単なる理想論的なマニフェストではない。生存のための戦略だ。
わたしたちは脅威である。このシステムを、その全てを、壊しうる剣を持っている。ときにその剣は小さなものにしか思えないかもしれないが、そう思うときほど切先はむしろ鋭い。そもそも、銃を向けられるのは、わたしたちを恐れているからに過ぎない。だから、「お前は弱い」と叫ばれる瞬間こそ、わたしたちに恐ろしい力があるときなのだ。張り巡らされた防御網が予期していなかった空隙から、独善的な防御機構が予想していなかった方法で、このシステムの矛盾に都合の悪い刃を突きつけている瞬間なのだ。そして、なによりも、わたしたちのバグは蓄積し、相乗する。わたしもあなたも、本来は孤立しているわけではない。恣意的に引かれた規範の境界を踏みにじり、ともに生存という反撃を始めさえすれば、わたしが日々生き続けることで積み重ねたユニークなバグと、あなたが日々生き続けることで積み重ねてきたユニークなバグは絡み合い、混じり合う。組み合わさったそれは何千倍もの力で、あらゆる方面から、あらゆる瞬間に、どんな個人が計画できるそれよりも独創的で破壊的な形で、このシステムを攻撃するのだ。
わたしたちは「異常」である。「逸脱者」である。「脅威」である。だから、これからも苦しまされ続けるだろう。傷つけられ続けるだろう。システムは、それが存在し続ける限り、われわれを〈修正〉しようと腐心し続けるだろう。だが、それはわたしたちのもつ可能性に対する恐れの発露でしかない。わたしたちがわたしたちであり続けることのもつ、希望と未来の証拠でしかない。だから、不安がるべきなのはわたしたちではなく、システムの維持に努める者らや、システムの恩恵を享受し続けたがる者らだ。譲歩や妥協の必要などない。わたしたちはバグである。バグで良い。〈修正〉されるな。〈修正〉を許すな。蓄積し、〈連帯〉せよ。攪乱せよ、破壊せよ。この抑圧的なシステムが崩壊する日まで、そしてその次の日まで、バグであれ。ともに生き残れ。長い闘争ののちには、だれにも奪えない虹をわたしたちの手で架ける日が訪れる。