Title: ブラック=アナキズム
Subtitle: Black Anarchism
Author: Ashanti Alston
Date: 2003
Source: https://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/blackanarchism.html(2023年2月17日検索)
Notes: 本論文は、前段で Institute of Anarchist Studies の運営委員の一人、チャック=モースが述べているように、2003年10月24日にニューヨーク市のハンター=カレッジでアルストンが行った講演の書き起こしを編集したものである。原文は Institute of Anarchist Studies のBlack Anarchismで読むことができる。(訳者)(Anarchy In Japanより)

多くの古典的アナキストは、アナキズムを、世界に対して明らかにしさえすればよい基本的真実の一群として見なしていた。一旦その思想の持つ圧倒的な論理に触れると民衆はアナキストになる、と信じていたわけである。これが、古典的アナキストが弁証法的傾向を持っていた理由の一つである。

幸運なことに、今も存続するアナキズム運動実践はそれ以上に豊かなものである。上記のようなやり方で「転向」した民衆などまずいない。自分の生活体験に基づいて感じたことや疑問に思ったことが、アナキズムの考えに通じることに気づくにつれて、人々は少しずつアナキズムを容認するようになる、というのが普通だ。

19世紀後期と20世紀初頭から私たちが継承したアナキズムの枠組みと非アナキストの反体制活動家とが出会ってきた長い歴史、ここに正にアナキズムの伝統が持つ豊かさがあるのだ。アナキズムはそうした出会いを通じて成長し、以前ならば大して重要ではないと思われていた社会的矛盾とも、今では正面から対決している。例えば、一世紀前、家父長制に対する闘争は大部分のアナキストにとって比較的軽微な問題だった。しかし、今では、支配に対する闘争の不可欠な部分として広く受け入れられている。

白人優越論と闘い、文化的多様性と文化交換というポジティブなヴィジョンを公言できるようになることがアナキズムの発展にどのような意味を持っているのか、このことを北米のアナキストが真面目に探求し始めたのはここ10年か15年のことである。同志たちは、そうした課題の歴史的対象(the historical referents)・それを包含するために自分達の運動はどのように変化すべきなのか・真に反人種差別主義のアナキズムはどのようなものになるのか、を特定しようと懸命に活動している。

IASの運営委員の一人、アシャンティ=アルストン(Ashanti Alston)は以下の記事でこうした疑問の幾つかを探求している。アルストンは、以前はブラックパンサー党と黒人解放軍のメンバーであり、アナキズムとの出会いについて記事の中で述べている(それは、黒人解放軍に関わる諸活動で投獄させられている間に始まったのだった)。彼は、昔のアナキズムのヴィジョンが持つ限界の幾つか・黒人に対してアナキズムが持っている現代的関連性・新しい革命運動を構築するために必要な諸原理の幾つかに言及している。

この記事は、2003年10月24日にニューヨーク市のハンター=カレッジでアルストンが行った講演の書き起こしを編集したものである。このイベントは、Institute for Anarchist Studies が主催し、ニューヨーク市立大学の学生解放行動運動が協賛していた。

チャック=モース


ブラックパンサー党は非常にヒエラルキー的だったのですが、私はこの組織での経験から多くを学びました。特に、パンサー党は、他の人々の闘争から学ぶことの必要性を私に痛感させたのです。私は、自分がそのことを行ってきたと思っていますし、それが、今日、私がアナキストである理由の一つです。結局、古い戦略が上手く行かなければ、自分自身が柔軟でいることができるかどうか、そしてもう一度前に進むことができるかどうかを見るために、物事を行う他の方法を探さねばなりません。パンサー党で、私たちはナショナリストやマルクス-レーニン主義者などのような人たちから多くのことを汲み上げましたが、社会変革に対する彼等のアプローチは重大な諸問題を含んでいました。私は、革命を起こすことについて考える別な方法があるかどうかを見るために、アナキズムを深く研究したのです。

私がアナキズムを学んだのは、国中の様々な刑務所にいるときに送られてきた手紙や文献からです。当初、私は受け取った資料を読みたくありませんでした--アナキズムは単に混乱と好き勝手にやることだと思っていました。長い間、私はアナキズムを単に無視していただけだったのです。しかし、ある時--隔離されていたときですが--私は何も読むものがなく、退屈の余り読んで、最後には熱心に読んでいたのです(当時、私がアナキズムについて聞かされていた全てのことにも関わらず)。実際、私は、民衆の闘争・民衆の文化・民衆の組織形成に関する分析--それは私にとって頷けるものだったのです--を見つけて非常に驚いたのでした。

こうした分析が、それまでははっきりと分からなかったパンサー党での経験に関わる大切なことを私に理解させる手助けをしてくれました。例えば、私は、ヒューイ=P=ニュートン・ボビー=シール・エルドリッジ=クリーヴァーのような人々に対する自分の愛情、そして、自分が彼等を根拠においていたという事実には問題がある、ということを実感しました。結局のところ、誰かを自分の指導者として定めることができるようにし、自分のために全ての意志決定を行ってもらうようにしたとき、その指導者は自分について何と言うのでしょうか?アナキズムが私に分かるようにしてくれたことは、個人としての自分を尊重すべきであり、自分の考えを自分で実行するために他人はそれほど重要ではない、ということでした。ヒューイ=P=ニュートンやエルドリッジ=クリーヴァーを世界最悪の革命家だと考えたとしても、私は自分自身を、彼等と同様に、最悪の革命家だと見なさねばならないのです。若くても、私は頭脳を持っています。私は考えることができるのです。私は意志決定を行うことができるのです。

私はこうしたこと全てを獄中にいるときに考え、自分自身が次のように言っていることに気がついたのでした。「おい、俺達は、遅かれ早かれ諸問題を創り出し、分裂を生み出すようなやり方で実際にやってきたんじゃないか。」ブラックバンサー党の歴史は、現在と同じぐらい素晴らしいのですが、こうした骨組みを持っていました。階級組織の中で最も取るに足らない人は労働者だと仮定され、トップにいる人が頭脳を持っているとされていました。しかし、刑務所の中で、私が学んだのは、意志決定の幾つかは自分で決めることができたし、私の周りにいた人たちだって自分で意志決定できたはずだ、ということです。ブラックパンサー党の指導者たちが行ったことの全てを私は充分評価しますが、自分達は別なやり方で物事を行うことができ、だからこそ、自分達自身の潜在的可能性をもっと十全に引き出し、真の自己決定に向けてさらに前進することができる、と私は考え始めていました。当初は簡単ではなかったのですが、私はアナキズムの資料にこだわり、それが私に洞察を与え始めて以来、手放せなくなったことが分かりました。私は、文献を送ってくれたデトロイトとカナダの人たちに手紙を書き、もっと送ってくれるように頼んだのです。

しかし、私が受け取った資料の中で黒人やラティーノを扱ったものはありませんでした。メキシコ革命についてちらほらと論議がされていたかもしれませんが、ここ米国にいる私たちについては何も扱っていなかったのです。アナキズムの創始者になった人たち--バクーニンやクロポトキンなど--については圧倒的に強調されていたのですが、こうした欧州の人物たちは、欧州の闘争を扱っていたのであって、私の心に本当に訴えかけてはきませんでした。

私は、このことが自分にどのように当てはまるのか理解しようとしました。私は再度黒人の歴史を調べ初め、さらにアフリカの歴史・他の有色の人々の歴史と闘争を調べ始めました。そして、古代から現代まで、非欧州社会でのアナキズム実践について多くの実例を見つけました。これは私にとって非常に重要でした。欧州人だけではなく、万人が反権威主義的やり方で機能できるのだ、ということを知る必要があったのです。

私は、自分が見つけたアフリカの情況に勇気づけられました。私たちが部族と呼んでいる古代の諸形態だけでなく、ジンバブエ・アンゴラ・モザンビーク・ギニアビサウで生じた近代の諸闘争に勇気づけられたのです。そうした闘争は前衛主義組織に主導されていたのですが、民衆は現場において急進的で民主主義的なコミュニティを構築していたのです。こうした植民地状況に於いて、初めて、アフリカ諸国民はアンゴラ人が「民衆権力」と呼んでいたものを創り出していました。この民衆権力は、非常に反権威主義的形態をとっていました。民衆は自分の生活を管理していただけでなく、外国の権力が自分達をどのように弾圧しようとも、それと戦いながら、自分達を変化させていたのです。しかし、こうした解放闘争全てで、民衆が解放に近づくやいなや、新しい抑圧構造が押しつけられたのでした。指導部は、抑圧者が追放されると、政府・常備軍の提起・民衆統制という考えにとりつかれてしまったのです。いわゆる勝利なるものが達成されると、民衆--抑圧者と長年にわたり戦っていた人々です--は武装解除され、真の民衆権力を手にする代わりに、新しい政党が国政を担当すべく導入されました。従って、アンゴラ・ギニアビサウ・モザンビーク・ジンバブエでは真の革命や真の解放はなかったのです。単に、外国の暴君が、地元の暴君に代わっただけだったのです。

さて、私は、ここ米国で黒人解放のために戦い、上記のような情況はどのようにすれば避けることができるのだろうか?、と思い巡らしています。アナキズムの主張は、この疑問に応える一つの道を示してくれました。現在の闘争のように、人々が継続的にプロセスに参加する意志決定構造・物事を行う構造を導入する、というのです。単に、最も「啓蒙された」人々が、他の人たちのために意志決定をするというのではありませんでした。人々は、自分自身で、自分の発言をはっきりと述べ、自分自身の意志決定を行う構造を創り出さねばなりません。他のイデオロギーからはこのようなことは理解できませんでした。アナキズムから学んだのです。

私は、実際に、アナキズム的意志決定構造は可能なのだということを分かり始めてもいました。例えば、2000年8月の共和党全国大会に反対する抗議行動では、通常ならば排除されているグループ--有色の人々・女性・同性愛者--がその結集行動のあらゆる側面に能動的に参加していたのを見ました。小集団が他の集団のために意志決定を行うことを許しはしませんでした。そして、人々はそれぞれ異なっているにも関わらず、そのことは良いことであり、有益なのだと思われていたのです。人々が同じ考えを持とうとせずに、自分達の時として対立する利害関係を解決しようとする試みを真に受け入れる情況にいることは、パンサー党での経験を経た私には新鮮でした。これが、アナキズムをどのように応用できるのか、に関する考えを私に与えてくれたのです。

同時に、私は考えました。この大会に対する抗議行動での様々な集団にアナキズムが応用できるのならば、黒人活動家としての私は、黒人コミュニティにこうしたことを応用できるのではないだろうか?

民族として我々は誰なのか、に関する考えの中には、自分達の闘争を疎外するものもあります。例えば、黒人コミュニティは一枚岩の集団だと見なされているものですが、実際には、多くの様々な利害関係を持った諸コミュニティからなるコミュニティです。黒人であることは、人種カテゴリーというよりも、反対勢力もしくは、諸情況を別な視点から見る規準だと思います。黒人文化は常に反抗的であり、ここ世界最悪の人種差別国家での抑圧に創造的に抵抗するやり方を見つけることなのです。だから、私が黒人アナキズムについて語るとき、それは、私の肌の色と結びついているのではなく、一個の人間として、反抗できる人間として、行き詰まったときに別の視点から見ることのできる人間として、つまり、別なやり方で生活できる人間としての私に結びついているのです。

私にとってアナキズムで重要なことは、古く陳腐なアプローチに固執すべきではなく、物事を見る・感じる・組織する新しい方法を常に見つけようとすべきだ、という主張です。私の場合、アナキズムを私が最初に適用したのは、1990年代初頭に、ブラックパンサー党の機関誌を再度出版しようとコレクティブを作ったときでした。当時、私は自分自身をアナキストだと公言し、断言する用意は未だできていませんでした。なぜなら、仲間達が何というか、どのように私を見るようになるかを分かっていたからです。私がアナキストだと述べたとき、仲間達は誰をそこに見るでしょうか?奇妙な髪型や何かをした白人のアナキストを見るでしょう。そして、「そんなのと付き合って一体全体何をしようと言うんだい?」と言うでしょう。

このコレクティブには一つの分断がありました。一方では、昔ながらの同志たちが今更分かり切ったことを一からやり直そうとしていました。他方では、私を含めた数人がいて、次のように述べていました。『パンサー党での経験から何を学べるかを見て、学んだことを土台にし、それを改善しよう。同じように物事を行うことなんて出来やしないさ。』私たちは、反セクシストの観点--パンサー党内部にある昔からの問題--が持つ重要性を強調していました。しかし、別な人たちは次のようでした。『俺はそんなフェミニストのことなんて聞きたくもないね。』そして、私たちは次のように言ったのです。『君が聞きたくないのなら別に構わないけれど、若い人たちには聞いて欲しいんだ。そうすれば、私たちが克服できなかった内部対立があった、ということを若い人たちが知るだろうから。』私たちはこの号を出版しようとしたのですが、喧嘩になってしまい、議論をするのは難しくなって、結局分裂してしまいました。この時点で、私はコレクティブを離れ、アナキストや反権威主義グループと共に活動し始めました。それまで、こうしたダイナミックスを本当に扱っていたのは彼等だけでした。

私がアナキズムから学んだ最も重要な教訓の一つは、自分達が既に実行している急進的なことを探し求め、それらを助長しようとしなければならない、ということです。これが、アナキズムは黒人コミュニティにおいて多くの潜在的可能性を持っている、と私が考えている理由です。私たちが既に実行している多くのことは、アナキズム的であり、国家・警察・政治家とは無関係です。お互いの世話をし、お互いの子供達の面倒を見、お互いに店に行き、自分達のコミュニティを守る方法を見つけています。教会さえもが、特定の範囲については、非常にコミューン的なやり方で物事を今も行っています。常々文献を配布して、『これが概要だ、これを読めば、君はすぐに私たちの組織に従うようになり、革命に参加するだろう』などと言わずとも、急進的になる方法がある、ということを学んだのです。例えば、参加はアナキズムにとって非常に重要なテーマです。同様に、黒人コミュニティにとっても非常に重要です。ジャズを考えてみましょう。ジャズは既存の急進主義実践を最も上手く例証しているものの一つです。なぜなら、個人と集団との参加型連結を前提としており、集団的場面の中にあっても、音楽それ自体の楽しさと喜びに基づいて、自分が誰なのかという表現を可能にしているからです。私たちは、多様な観点全てを、音楽を作るために、革命を起こすために、団結させることができるのです。

どのようにすればあらゆる自由の行為を育成できるのでしょうか?仕事場の人たちと共にでしょうか、それとも街角でぶらぶらしている人たちと共にでしょうか?どのようにすれば一緒に計画し、活動できるのでしょうか?私たちは、前衛に基づかずに行われている世界中の様々な闘争から学ばねばなりません。ボリビアにも実例が幾つかあります。サパティスタもあります。社会センターを構築したセネガルのグループもあります。生きようとしている人々を本当に見なければならないのであって、必ずしも最も進歩的な思想を創り出そうとしなくてもよいのです。私たちは、抽象的なことを重視するのを止め、現場で起こっていることに焦点を当てねばなりません。

どのようにすれば、こうした様々な糸全てを一つにまとめ上げることができるのでしょうか?ラスタファリを引き入れるにはどうすれば良いのでしょうか?政府が原住民族の土地を露天掘りしていることに対して今も戦っている西海岸の人々をどのようにすれば引き入れることができるのでしょうか?どのようにすれば、こうした人々を、万人のための米国ヴィジョンを創造し始めるように団結させることができるのでしょうか?

必要なのは、反抗的思考と反抗的リスクです。これが現在とても大切だと私は考えてします。私たちが前進する手助けとなる多くの潜在的可能性をアナキズムが持っている、と私が考える理由の一つがこれです。アナキズムは、この伝統の創始者達に教条的に固執するように要求するのではなく、民主主義的参加・創造性・幸福を増大させるものならば何に対してもオープンでいるように私たちに求めているのです。

10月3日~5日にデトロイトで Anarchist People of Color 会議が行われました。130人の人々が全国から集まりました。私たち自身がそこにいて、米国中から来た有色の人たちが標準の外で思考するやり方を見つけようとしているのを見るのは素晴らしいことでした。私たちは、自分達のコミュニティで『ちょっと待って。そんな風に組織を作る必要なんてないんじゃないか。ちょっと待って。君のヴィジョンはどんなのだい?私のヴィジョンを聞きたいかい?』と述べる声になることができることが分かりました。様々なコミュニティの中でこうした声が必要なのです。有色人種のコミュニティだけでなく、出来合いの計画が進むことを止めることが必要であり、人々がこの世界を何とかする方法を集団的に解決できると信じることが必要なのです。解決策だろうと考えていたことがあっても、それを脇に置き、将来に関する様々なヴィジョンを探求するために共に戦う機会を私たちは持っているのだと思います。私たちはそれに取りかかることができるのです。答えは一つだけではありません。実行しながら解決しなければならないのです。

闘争したいと思っていても、この帝国から私たちが受け継いできた諸問題のために非常に難しくなるでしょう。例えば、共和党全国大会に対する抗議行動で非常に辛い感情的な軋轢を目にしました。しかし、そのプロセスにおいて泣き崩れながらも、人々は頑張りました。本当に厳しい軋轢を乗り越えようという意志がない限り、これまで私たちを分断してきた内部ダイナミックスの幾つかは切り抜けられないでしょう。私が、答えなどないのです、と述べたもう一つの理由がこれなのです。私たちはこれを経験しなければならないのです。

米国における私たちの闘争は、世界にいる全ての人々とに影響を与えています。底辺にいる人々が重要な役割を演じようとしているのであり、底辺にいる人々と私たちがどのように関係を持つか、これが非常に重要になってきています。私たちの多くは、最も困難な難題のいくつかを避けることができるほど充分な特権を持っています。私たちは、この特権の幾つかを放棄し、新しい運動を構築しなければならないでしょう。ここに潜在的可能性があります。私たちはなおも勝利できるのです。勝利するというのがどういう意味なのか再定義しなければなりませんが、これまでよりももっと豊潤な自由のヴィジョンを押し進める機会を手にしているのです。私たちは厭わずに挑戦しなければならないのです。

ブラックパンサー党員として、そして、都市ゲリラとして地下に潜っていた一人として、私は自分の人生を危険にさらしてきました。私は自分の仲間が死ぬのを見、自分の成人生活の大部分を刑務所で過ごしてきました。しかし、私は今でも、勝利できると信じています。闘争は非常に困難であり、あなたが一線を越えると、投獄され、重傷を負い、殺され、仲間が重体になったり死んだりするのを見る危険にさらされます。そんなのは可愛らしい光景などではありません。でも、あなたが、堅固に身を固めた抑圧者と戦うときに生じることなのです。私たちは闘争しています。奴らにとって苦しい闘争になるでしょうが、この闘争は、同時に、私たちにとっても苦しいものになるでしょう。

だからこそ、辛い時代を通じてお互いを愛し、お互いを支援する方法を見つけなければならないのです。これは私たちが勝利できるということを信じる以上のことです。私たちが別な道を取ることなどできない、と感じたときに備えてしかるべき構造を持たねばならないのです。現行システムは失墜しなければなりません。それは、私たちを日常的に傷つけています。諦めてはなりません。目的を達成しなければなりません。私たちは新しいやり方を見つけねばならないのです。

アナキズムは、それが何かを意味しているとすれば、思考・生活・人間関係においていかなるものであれ取り入れることにオープンであるということです。十全に生き、勝利するために。ある意味、私にとってこの二つは同じことを意味しています。十全に生きるということが、勝利するということなのです。もちろん、私たちは抑圧者と衝突するでしょうし、衝突するはずです。私たちは上手く衝突する方法を見つけねばなりません。底辺にいる人々こそが、この衝突によって最も影響を受ける人々だということを思い出さねばなりません。この闘争がどのように進むべきかについて、彼等は別な見解を持っているかも知れません。顔を付き合わせて話し合うことで、この問題を解決する方法を見つけることができなければ、昔の亡霊が再び現れ、以前と同じ昔ながらの情況に戻ってしまうことでしょう。

皆さん全員が、このことを行うことができるのです。皆さんはヴィジョンを持っています。皆さんは創造力を持っています。それを誰にも封鎖させてはなりません。