シンディ=ミルスタイン

都市の奪還:抗議行動から民衆権力へ

2006

「直接行動は財を得る(Direct action gets the goods)。」ほぼ一世紀前に世界産業労働者は宣言していた。シアトル以降の短期間に、これは真実だと確かに証明されてきた。実際、ここ北米の新しい直接行動運動が得た「財」には、国際貿易・金融機関のほとんど知られていない働きを明らかにし、アナキズムと反資本主義を身近な言葉にしながら、グローバリゼーションの範囲と性質に関する疑念を創り出すことが含まれていた。それだけでは不充分であるかのように、私達は、21世紀のメトロポリスの街路で、自分達が心に描く良い社会--真に民主的な社会--の雛形を作るやり方で自分達の抵抗する力を証明している。

だが、民主主義とは本当にこのようなことことなのだろうか?

「街路を奪還する」衝動は理解できる。産業資本主義が初めて19世紀初頭に出現し始めたとき、その陰謀は比較的目に見えるものだった。囲い込み運動を例に挙げてみよう。何世紀にもわたり共有で使用され、村落に食物を提供してきた牧草地が、急成長する繊維産業に必要な羊毛のための羊を放牧するために整然と柵で仕切られ--囲い込まれ--た。共同生活は私有化のために勢いよく脇に押しのけられ、人々は過酷な工場とゴミゴミした都市へ無理矢理追いやられた。

高度資本主義は、飽くことなく成長を求める上で国民国家さえもの足枷を押しのけながら、遙かに包括的に、だが、一般には目に見えないやり方で生を囲い込んでいる。柵が消費者文化に置き換わっているのだ。私達は、ほとんど完全に商品化された世界で育っている。只で手に入るものは何もない。自分を市場経済から引き剥がそうという無益な試みすらも有料なのである。この商品化は、自分が食べるもの・着るもの・楽しみのために行うことだけでなく、私達の言語や人間関係、そして生物学と精神にすらも浸透している。私達は、コミュニティと公的空間だけではなく、自身の生活に対する管理をも失っている。資本主義の支配力の外で自身を定義する能力も失い、従って、純然たる意味そのものが消滅し始めている。

「誰の街路だ?我々のだ!」は、商品化されていない公的領域が持つ最低限のことすらも私達から取り上げられてきたという感覚に対する正当な感情的反応である。しかし、究極的には、駕籠の中で半狂乱に叫んでいるに過ぎない。私達は、資本主義と国家統制によってあまりにも制限され、徹底的に傷つけられているため、パンくずが栄養満点の食事のように見えてしまっている。

直接行動の最中に一時的に街路を封鎖することは、民主的プロセスを実践する瞬間的空間を確かに提供しており、権能の感覚を提供しさえしてくれる。だが、こうした出来事は、足下にある舗道のように、権力のための権力を何も変えはしない。連続的な抗議様式が民衆権力や水平権力を求めた闘争に拡大して初めて、この象徴的コンクリートに亀裂を創り出し、そのことで、資本主義・国民国家といった支配システムに挑戦する道を切り開くのである。

だからといって、米国などで行われている直接行動運動を中傷しているのではない。全く逆である。命令と服従からなる数多くの制度を批判することは長年の懸案であり、必要なことだというだけでなく、この運動は静かに、しかし決定的に、より自由な社会の概略を示している。この予示的政治こそが、実際、今日の直接行動が持つ強さとヴィジョンなのだ。手段それ自体が目的でもあると理解されている。私達は、ある程度遠い未来になるまで良い社会との接触を避けるのではなく、今ここで自由社会の空間を切り開こうとしている。それが、現行社会秩序の下でどれほど一時的で歪んでいたとしても。そして、手段と目的の調和は、政治に対する倫理的アプローチを示す。今自分がどのように行動しているかは、他者にもどのように行動し始めて欲しいか、でもある。私達は、善という概念を、それを求めて闘っているときにさえも、形作ろうとしているのである。

これは、直接行動で意志決定を行う際の親和グループとスポークスカウンシルの構造にそれとなく見て取れる。どちらの構造も直接民主主義において自分達を訓練する際に大いに必要とされる場を提供する。ここで、最良の場合には、挑発的に議題を設定でき、諸問題について皆で注意深く討議し、皆のニーズと願望を考慮に入れるよう努めた決定に到達できる。具体的議論が投票用紙のチェックボックスに置き換わる。顔を付き合わせた参加がいわゆる代議制に引き渡した自分達の生に置き換わる。ニュアンスを含み、道理にかなった解決策が二つの(もしくは三つの)小さな悪弊思考に置き換わる。デモの最中に使われる民主的プロセスは、それが具体的連帯を提供する時であっても権力を分散させる。例えば、親和グループは意志決定における真の役割をより多くのより多様な人々に与え、スポークスカウンシルは難解な調整を--地球規模レベルであっても--可能にする。1960年代の活動家が述べていたように、これは、破壊の力ではなく、創造の力なのである。

この新しい運動の美しさは、運動が持つ理念を重く受け止めようとしていることだと述べることができよう。そのようにしながら、こうした直接民主主義実践の要求を永続的に、多分無意識に創り出している。しかし、一時的な「街頭民主主義」の根底に絶えず付きまとっている疑問は扱われないままである。どのようにして、参加型で相互主義的で倫理的な方法において、全体としての社会に影響を与える決定を行うべく全ての人が協力できるのだろうか?言い換えれば、私達一人ひとり--対抗文化やこうした抗議運動だけでなく--がどのようにして自分達の生活とコミュニティを現実に変換し、究極的にそれらを管理することができるのだろうか?

これは、本質的に、権力問題--誰が権力を持ち、どのように行使し、何の目的に向かうのか--である。程度は様々だが、私達は皆、現行諸制度と現行諸体制に関する対処法を知っている。私達は、自分達が反対していることを概ね説明できる。資本主義に反対だろうが国民国家に反対だろうがグローバリゼーション全体に反対だろうがその一部に反対だろうが、これこそがまさに私達が抗議している理由である。しかし、私達が大きく明言できずにいるのは、解放的諸制度や諸体制に関する何らかの意見である。私達は、特に一貫した空想的なやり方で、自分達が賛同していることを表現できないものだ。権力を水平で公正で、願わくば自由社会の本質的部分となるようにするやり方を予示するときでさえ、私達は、直接民主主義プロセスが自分達の鼻先で示している再構築ヴィジョンを無視しているのである。

意図と目的にも関わらず、私達の運動は追い込まれたままになっている。その一方で、私達の運動は支配と搾取を明らかにし、それらと対決している。こうした広く知られたアジテーションが及ぼす政治的圧力は、現在の政治構造に影響を与え、そのやり方が持つ最悪の越権行為のいくつかを修正させることさえできるかも知れない。声が非常に多くなり、大きくなれば、首脳陣は耳を傾け、ある程度まで対応せざるをえない。しかし、大部分の人々は、意志決定プロセスそれ自体から締め出されたままであり、その結果、自身の生活に及ぼす具体的な権力を全く持たない。この自治能力がなくては、街頭行動は、たとえ大部分の全般的に報われない行動よりも遙かに急進的だったとしても、対抗文化版の利益集団ロビー活動に他ならない。

この運動が忘れているのは運動自体の構造に内在する展望である。権力は対抗されねばならないというだけでなく、解放的で平等主義的形態に刷新されねばならない。これには運動の直接民主主義プロセスを真面目に--抗議行動を組織する一戦術というだけでなく、私達が社会を、特に政治的領域を組織するまさにその方法として--捉えることが必要になる。そうすれば、問題は次のようになる。私達の運動が持つ戦術・構造・価値観を、最も草の根レベルの公的政策立案に変化させ始めるにはどのようにすればよいのだろうか?

デモにおける意志決定の最も根元的なレベルは親和グループである。ここで、私達は友人として集まったり、共通のアイデンティティがあるために集まったり、その双方のために集まったりする。私達は何か特定のことを共有している。実際、この共通のアイデンティティは自分達のグループの名前を選ぶ際に反映されることが多い。お互いに常に同意しないかも知れないが、まさに特定の理由で--単なる地理的なこととは無関係なことが多い--集まることを意識的に選んだが故に、一定量の均質性を持っている。共通のアイデンティティという感覚は、共通性のある場から開始するため、コンセンサス意志決定プロセスがスムーズに機能できるようになる。親和グループでは、ほぼその名が示すとおり、統一性が多様性よりも優先されねばならず、さもなくば、想定される親和性は完全に崩壊してしまう。

このことを、社会における最も根元的意志決定レベルだと想定されること--町内や町--と比較してみよう。ここでは、地理がもっと大きな役割を果たす。歴史・経済・文化・宗教などの理由から、私達は幅広い範囲の個々人や様々なアイデンティティと隣り合わせで暮らしている。こうした人々は本質的に私達の友人ではない。にもかかわらず、私達が出会う多様性こそが生き生きとした都市生活それ自体なのである。多くの場合、私達を団結させてきた偶発的事件や様々な個人的決定が充分な異質性を創り出す。これは、まさしく、誰もが特定の理由で集まることを選んだからではないためである。差異のある場から開始するというこの文脈において、意志決定メカニズムは意見の相違をもっと考慮できるようにしなければならない。つまり、多様性は統一性という概念の中に明らかに保持されねばならないのだ。こうした場合、多数決意志決定プロセスの方が遙かに理にかない始める。

そして、ここでも規模の問題がある。百人や千人と友人になることなど想像しにくい。また、それほど多くの人々と一つの問題だけについてアイデンティティを保つことも想像しにくい。しかし、コミュニティの感覚を共有し、私達それぞれを繁栄させてくれる公益に向けた努力を共有することはできる。同様に、より多くの人々が自分達の町内や町を作り直すために顔を付き合わせて集まると、観点だけでなく論点も増殖し、議論になっている特定主題に応じて協力関係も明らかに変わっていく。つまり、自分達が行う全てのことについて個人とコミュニティ双方のバランスを取ることを期待して多くのアイデンティティと利益を共有するために、最大限顔を付き合わせたレベルで人間として出会うことのできる場--つまり、能動的市民集会--が必要なのだ。

同様に、親和グループと市民レベルでは信頼と説明責任は異なる働きをする。友人に対しては自分自身をもっと多くさらけ出すものだ。そして、こうした好意と愛情を持った慣習的繋がりが自分達をもっと親密に結びつけたり、少なくとも、物事を上手く解決する推進力をさらに与えてくれる。この根底には平均以上の高い信頼レベルがあり、そのことがお互いに対する説明責任を持つようにさせている。

コミュニティ規模では、逆のことが真実である場合の方が多い。説明責任がお互いを信頼させるようにするのである。上手く行けば、私達は連帯と尊敬の絆を共有する。しかし、お互いを充分知ることができない以上、こうした絆が道理にかなうのは、自分達が最初にそうした絆を決定し、記録し、将来に誰もが参照できるように書き留め、必要ならば再検証しさえすることだけである。つまり、決定権が透明で精査によって常に変更可能であるが故に、自身が形成する説明責任を持つ民主的構造が信頼の基盤を提供するのである。

時間と空間の問題もある。親和グループは、その成り立ち上、一般に一時的である--数ヶ月続くかも知れないし、数年間続くかも知れないが、それほど長くは続かないものである。団結をもたらした特定理由が差し迫った緊急事項でなくなったり、友人関係が行き詰まったりすると、こうしたグループは途中で挫折してしまうことが多い。グループの生涯においてさえ、直接行動と直接行動の合間に、意志決定を行う固定した場所や面子もいないことが多く、規則も、何をどのように誰が決めるのかの記録もない場合が多い。それ以上に、親和グループは全ての人に開かれているわけではなく、特定のアイデンティティや愛着を共有している人々にしか開かれていない。このように、親和グループは明らかに街路を封鎖することを選ぶことはできるものの、小規模グループが自分達で物事を進める際には、その政治的信念がいかなるものであろうと、究極的に少しばかり権威主義的な部分がある。

一般に、町で何を行うのかを決めること--例えば、移動手段の組織方法・街生活の振興方法・緑地の提供方法--は、真に参加的で非ヒエラルキー型にしようとするなら、関係者全員にに対して開かれていなければならない。これは、意志決定から紛争解決まで全てのことに対する継続的で開放的な直接民主主義諸制度を意味する。私達は、何時何処で市民集会が開催されるかを知ることができなければならない。定期的に会議を持ち、恣意的ではない手続きを使わねばならない。どの決定がなされたのかについて記録を取らねばならない。しかし、もっと重要なことは、そのようにすることを選んだ場合、私達皆が、自分のコミュニティやコミュニティを越えたことに影響する事柄について議論し・討議し・決定する権力を持つことができなければならないのである。

実際、多くの決定は、一つの都市を越えてより広い影響を与える。例えば、街路の変貌は、多分、地方・大陸・地球規模でさえもの調整を必要とすることになろう。急進主義者は、「コミューン群からなるコミューン」すなわち連邦としてこうした相互主義的自治を以前から理解してきた。直接行動の最中に使われるスポークスカウンシルは、グローバリゼーションに対するこうした代替的観点を示唆している。スポークスカウンシル会議の最中、様々な親和グループから委任されて来る代理人が、調整・資源やスキルの共有・連帯の構築などのために集まり、究極的な決定者である草の根レベルに常に戻っていく。民衆集会が意志決定の基本ユニットだとするなら、コミュニティ連邦は偏狭さを超越し、望ましいところでは相互依存を創り出す方法として機能し得るだろう。例えば、グローバル資本主義と国際調整機関では貿易はトップダウンで利潤志向的だが、諸連邦は、例えば生産に関する政策を草の根に残しつつ、生態調和的で人道的なやり方で地方間の分配を調整できる。

予示的政策をこのようにもっと包括的に理解することは、資本主義と国民国家に潜在的に置き換わり得る諸制度を必ずや創り出すであろう。こうした直接民主主義諸制度は、デモの最中に私達が使っている制度と両立し、またそこから確かに成長しうる。しかし、社会レベルに達すると、それらが鏡像になることはまずあり得ない。だからといって、運動を補強している原則と理念(自由・協働・権力分散・連帯・多様性・顔を付き合わせた参加など)を放棄するという意味ではない。デモの文脈で実践されている直接民主主義の限界を認識することに過ぎないのである。

自由社会のヴィジョンは、それが真に民主的なものになるのであれば、当然、私達皆によって実現されねばならない--まず最初に、この運動において、後にはコミュニティと連邦において。それでも、多分、私達は発見するだろう。新しく定義された市民権の理解が親和グループの代わりに必要である。多様性を保持しようとする多数決意志決定方法は、単純なコンセンサス追求モデルよりも望ましい。権利と義務を明言する文書協定は無言の抗議行動文化を書き込むために重要である。制度化された意志決定空間は、決定を行う自由が機動隊の隊列と共に消え失せないよう保証するために重要である。

今や、私達の運動が持つ対抗的特徴をさらに押し進め、それに再建的ヴィションを注入する時である。つまり、今や、良い社会を具体化する諸制度へ運動構造を翻訳し始める時なのだ。端的に言えば、自分が居場所だと呼んでいる所で直接民主主義を培養するのである。これには、当初は超法規的制度だったとしても、市民集会・町民会・町内集会・市民調停委員会といった自分達の生活を決定すべく集まることのできる公開討論の場を生き返らせたり、それらを新しく開始したりするという大変な仕事が含まれるであろう。そして、また、このことは、資本主義の新しい段階としてではなく、相互利益のために調整される連邦化した直接民主主義コミュニティによる置き換えとしてのグローバリゼーションの奪還を意味することになろう。

今や、抗議行動から政治へ、街路封鎖から公的空間開放へ、権力の座にいる少数者に断片を要求することから自分達の手に断固として権力を握りしめることへと動くときなのだ。究極的に、これは、「誰の街路だ?」という疑問を乗り越えることを意味する。私達は問わねばならない。「誰の都市だ?」と。その時に初めて、私達は都市を自分達のものとして作り替えることができるであろう。

最終更新日:2006年2月6日


https://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/milstein-reclaim.html(2023年4月19日検索)
原文は、Reclaim the Cities: From Protest to Popular Powerで読むことができる。シンディはInstitute for Social Ecologyの講師の一人だった。現在は、Institute for Anarchist Studiesの役員メンバーであり、米国ヴァーモント州モンペリエにあるBlack Sheep Booksのコレクティヴメンバーでもある。訳出した原文は2006年2月6日付けのものだが、2010年にAK Pressより出版された「Anarchism and Its Aspirations」にさらに改訂されたものが収録されている。(訳者) (Anarchy In Japanより)