タイトル: 『あなたもアナーキスト?意外な答えが待っている』
著者名: David Graeber
発行日: 2009
ソース: https://note.com/conyak/n/n38e5d5533020(2023年4月21日検索)
備考: 今のコンテクスト(歴史的文脈)を翻訳するCONYAK・こんにやくです。今回は「アナーキスト」とは何かについて考えたいと思います。
ジョージ・フロイドさんが白人警察官によって殺害されてから一ヶ月が経とうとしているなか、今でもアメリカにおける抗議行動は続いており、ワシントン州シアトルのキャピトル・ヒルでは警察が撤退し、抗議者による自治区Capitol Hill Occupied Protest(通称CHOP、またはCapitol Hill Autonomous Zone - CHAZ)が出現したりhttps://newyork.cbslocal.com/2020/06/24/protesters-occupy-city-hall/、デモは様々な形をとりアメリカ中に広がっています。
そんな中、トランプ大統領はツイッターでこのような抗議者は「アンティファ団体」に所属すると言い放ち、さらに彼らを「醜いアナーキスト」などと呼、弾圧を呼びかけています。
「アナーキスト」「アンティファ」「極左」など、様々な呼称が飛び交う昨今ですが、それらは一体何を指すのでしょうか?
今回は「アナーキスト」とは何かについて、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス大学人類学教授であり『アナーキスト人類学のための断章』や『意味のないクソ仕事』などの著書で知られるデイヴィッド・グレーバーさんによる簡単な入門書を翻訳しました。(CONYAK・こんにやくより)

もしかしたら、皆さんはもうアナーキストがどういう人で、どんな事を信じているかご存知かもしれませんが、おそらくあなたが知っていることはナンセンスです。ほとんどの人が「アナーキスト」と聞くと、暴力、混沌、破壊の支持者で、秩序や組織などに反対する人、もしくは、単純に何でもかんでもぶっとばしたいニヒリストを想像するかもしれません。でも、実際は真逆。アナーキストとは、ただ単純に「人は本質的に何者にも強制される事なく、合理的に行動する事ができる」と心底信じている人たちを指します。非常に、単純明快。とてもシンプルな考えですが、お金持ちと権力者にとっては常に危険な思想だと思われてきました。

最も本質的なところで、アナーキストの信念は二つの基本的な前提に基づいています。第一に、人は一般的な状況下において、許される範囲内で合理的かつまともに行動することができ、誰にも命令されずに自分で自分達や共同体をうまく組織する事ができる、という事です。第二に、権力は誰をも腐敗させる力がある、という事です。何より、アナキズムとは個々が普段から実践している良識に基づいた行動を継続し、その原則が導く結末へと邁進する勇気を持つことです。実は気づいていないだけで、アナーキストであるために一番大切な事をあなたはすで実践しているかもしれません。奇妙に思えるかもしれませんが、実は既にアナーキストだという事かもしれません。

まずは、日常の生活からいくつか例を挙げてみましょう。

混み合っているバス停で、警察がいないにも関わらず、他人を肘で押しのけたりせず、ちゃんと列に並んでバスを待ちますか?

もし「はい」と答えたのであれば、あなたはアナーキストのように行動していると言えるでしょう!アナーキストの最も基本的な原則は自己組織化です。つまり、誰かに通報される事に怯えているから行動するのではなく、互いを理解し合い、尊厳と敬意を持って接する事ができるという事です。

誰しも自分は理性を持って行動できると思っています。法律や警察が必要だと思っているならば、それは他人が理性に沿った行動できると思っていないからです。でも、他の人だって、あなたのことを同じように考えているかもしれません。私たちが軍隊、警察、刑務所、政府などを必要だと思わせる反社会的な行動は、そもそも軍隊、警察、刑務所、政府などによって形成された社会的不公平や不平等によって引き起こされている、とアナーキストは主張します。人は自分の声や意見がどうでもいいように扱われ続けると、他人に対する信頼を失い、怒りや暴力性が増していきます。そうなるにつれ、権力者はそういった暴力性などを理由に人々の意見を無視していきます。ひどい悪循環ですね。逆に、自分の声や意見が他の人と同じくらい大切だという事がわかると、お互いに対する理解は深まります。話をまとめると、つまりこうです:基本的に、人を愚かで無責任な行動に走らせるのは権力による影響や権力そのものによるものだとアナーキストは信じているわけです。

あなたは、スポーツチームやクラブ活動など、一人のリーダーによる強制ではなく、みんなの相談や合意に基づいて物事が決定されるような、自発的なグループに参加していますか?

もし「はい」と答えたなら、あなたは既にアナーキスト的な原則に基づいたグループに参加しているという事です!アナーキストの基礎的な原則の一つに自由連合(voluntary association)があります。これは単純に、毎日の生活において民主的な原則を適応する、ということです。ただ、アナーキストが他と少し違うのは、これと同じような組織の作り方を、社会全体に適応できると信じている事。つまり、官僚制度や軍、大企業などによくある、軍事的な縦社会は必要なく、組織の人たちみんなが自由な合意に基づいて物事を運営することが可能だと思っています。中には可能だと信じる人もいますが、ほとんどはそんなことは不可能だと思うかもしれません。もし命令や罰を伴う脅しでなく、相談や意見のすり合わせで他の人と合意に達したり、自主的に他人と取り決め事をしたり、相手の状況やニーズを理解した上で妥協できるのであれば、あなたは気づいていなくとも既にアナーキストのように行動していると言えるでしょう。

アナキズムとは単に、自由に行動でき、そして相手も同じように自由に行動できるときの、お互いの振る舞い方を指します。すなわち、お互いが自由に振る舞うからこそ、相手に対する責任が伴う、という理解です。ここでもう一つの大切な点があります。人は対等な相手には理性的で思いやりのある行動をすることができます。しかし誰かより上に立ち権力を持ってしまうと、公平性には期待できないのが人間の本質です。誰かに権力を与えてしまうと、その人が何らかの形で権力を乱用してしまうことがほとんどです。

政治家なんてどうせ一般市民の事を考えない
自己中心的で傲慢なブタだと思いますか?
私たちの経済システムは不平等で馬鹿げていると思いませんか?

もし「はい」と答えたなら、少なくとも大枠ではアナーキスト的な現代社会の批判に賛同しているという事です。権力は人を腐敗させる力があり、一生を通して権力を獲得しようとしている人には特に利権を譲渡してはいけないとアナーキストは信じています。今の経済システムは、良識を持った振る舞いよりも、自己中心的で悪徳な手段のほうが有利になるよう作られているとアナーキストは思っています。それはおそらく多くの人が感じている事でしょう。ただそのほとんどは、それがどうしようもない事だと諦めがついています。もしくは良い社会を維持するための必要悪であると考えているのかもしれません。少なくとも、権力者に従順な人たちは必ずそう断言します。

でも、もしそうじゃないとしたらどうでしょう?

そもそも、社会がそういったシステムを必要としているという証拠でもあるのでしょうか?実際に検証してみると、国家や資本主義を廃止した後の予想は大体はずれます。人は何千年も政府に支配されずに生きてきました。現在も政府の手の届かない場所で生きている人は世界中にたくさんいます。相互殺戮に発展したりはしません。ほとんどが、私たちと同様に生活をしているだけです。もちろん、テクノロジーが入り乱れた都市社会においては、少々複雑になりますが、そのテクノロジーを問題解決に活かせます。未だに私たちは、テクノロジーをどういう風に使えば人間の生活のために活かせるか考え抜いていません。例えば、押し売りや弁護士、刑務所の看守、金融アナリスト、PR専門家、官僚、そして政治家などの、無駄で有害な職種を無くし、才能ある科学者達を宇宙の武器開発や株式相場の仕事ではなく、炭鉱業やトイレ掃除などの、危険だったり誰もやりたがらない仕事の機械化の促進にあてる。そして、残っている労働を他のみんなに再分配したらどうなるでしょうか?一日に5時間仕事をすれば済むかもしれません。いや、もしかしたら4時間?3時間?2時間?こういう問いを真剣に考察する人がいない限り、答えはわかりません。アナーキストはこういう問題に真摯に向き合うべきだと思っているのです。

あなたは、自分の子供に教えること
(もしくは、親に教わったこと)を
本気で信じていますか?

「誰が喧嘩を始めたかは関係ない。」「他人がまちがったことをしているからといって自分もそうしていいわけじゃない。」「自分が散らかしたら、自分が片付ける。」「自分がしてもらいたい様に人にしてやりなさい。」「相手が自分と違うからといっていじめちゃだめ。」大人が子供の道徳性を養うとき、自分に嘘をついていないかどうか真剣に問う必要があります。もしくは、自己の矛盾を真摯に受け止める必要があります。これらの道義を突き詰めるとアナキズムに帰結します。

「他人が間違ったことをしているからといって、自分もそうしていいわけじゃない。」という教えを例に考えてみましょう。これを本気で思っているなら、ほとんど全ての戦争や刑事司法制度は正当化できなくなります。「分かち合いなさい」というのも同じです。大人はよく子供に、他人と分かち合うことの大切さを教え、他人に対する思いやりがどれだけ大切か、助け合いの重要性を教えます。そう子供に説いても、大人は世へ出ると、人は基本的に利己的で競争的だという思い込みが勝ってしまいます。でも、アナーキストだったら「私たちが子供に教えることは正しい」と指摘するでしょう。歴史的に人類が成し遂げてきた快挙や、生活を豊かにしてきたほぼ全ての発見や発明は、共同作業と助け合いで成し遂げられてきました。今でも、私たちのほとんどは、自分よりも友人や家族のためにお金を使います。もちろん、中には競争心を剥き出しにする人は出てくるでしょう。しかし、社会的に助け合いや共同の心を中心におかない理由はないです。生活の必需品のために人々を争わせるなんてもってのほかです。一般の人々がお互いと争い、恐れ合うことは権力者の有利に働きます。だから、アナーキストは自由な連合(free association)と相互扶助(mutual aid)を基盤とした社会を目指しているのです。子供というのは、そのほとんどが、はじめはアナーキスト的な倫理観を持ち育ちますが、大人になるにつれ、世の中は実はそういう風に機能しない、と次第に気づいてしまいます。だから、多くの子供は思春期になると、反抗的になったり、疎外されたり、自殺したりします。最後に大人になると世の中に失望し、ついに物事に諦めがついてしまいます。唯一の慰めといえば、自分で子供を育て、世の中は平等であると子供に嘘をつくことかもしれません。でも、もし私たちが本当に、正義に基づく世の中を作り始めることができたらどうでしょう?それは、子供達への最高の贈り物になるのではないでしょうか?

あなたは、人は基本的には汚く、邪心を持っていると思っていますか?
もしくは、ある特定の種類の人
(女性や、有色人種、裕福でも高学歴でもない普通の人々)は劣等で
より優れた人々によって支配された方がいいと思いますか?

もし「はい」と答えたなら、やっぱりあなたはアナーキストではないようですね。ですが、「いいえ」と答えたなら、九割位はアナーキスト的な原則を信じていると言っていいですし、多分自分もそれに沿った生き方をしているはずです。他の人を尊重し、思いやりがあるようなことをしているならば、アナキズムを実行しています。一人の人間に決定権を渡すのではなく、違う人々の意見を聞き、合理的な妥協をしながら問題解決に尽くせば、あなたはすでにアナキズムを実行しています。誰かに何かを強制するのではなくて、その人の理性や正義感に訴えた説得を試みているならば、あなたはすでにアナキズムを実行しています。友達と何かを分かち合ったり、皿洗いの当番を変わったりなど、公平性を意識するときも同じです。

これを聞いて、「小さな集団が仲良くする手段としてはいいかもしれないけど、大きな都市や国を管理するのは別問題だ」と異論を唱えるかもしれません。それも一理あります。確かに、たとえ社会を分権化し、小さいコミュニティにできるだけ多くの権限を譲渡しても、鉄道を走らせたり、医学研究の方向性を定めたりなど、様々な分野での整合性を取らなければなりません。でも、何かが複雑だからといって、民主的にできないというわけでもありません。ただ複雑なだけです。実際、アナーキスト達は複雑な社会がどのようにして自身を管理すればいいのか、あらゆるアイディアを持っています。ですが、このような入門書でそれらを全て説明するわけにもいきませんので、二つだけ書いておきます:一つ目は、多くの人々が、本当に民主的で健全な社会がどのように機能するかというモデルを創造することに多くの時間を費やしてきた。そして二つ目で、同じく重要なポイントは、どんなアナーキストでも完璧な設計図を持っているとは主張していない、ということです。どうせ、既存のモデルを社会に無理やり当てはめようとしても無駄です。実際は、本当に民主主義的な社会を作ろうとした時に生じる問題の半分も想定できていないのが真実でしょう。しかし、基本的な原則をもとに、人類の知恵を持ってすれば解決できると信じています。その基本的な原則、つまり、単純に人間としての最低限の良識を守ればいいのです。