#title アナキスト総同盟組織綱領(案) #author Delo Truda #LISTtitle アナキスト総同盟組織綱領(案) #date 1926 #source https://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/opgua-intro.html(2023年4月19日検索) #lang ja #pubdate 2023-04-19T04:56:24 #authors Delo Truda #topics 無政府共産主義 #notes このパンフレットは、1926年6月20日に、アルシーノフ・マフノ・イダ=メット・ヴァレフスキー・リンスキーといったパリに亡命中のロシア人アナキストのグループによって「デロ=トルーダ(労働者の大義)」誌に発表された。発表当時からマラテスタを筆頭に多くのアナキストから批判されてきたが、綱領主義アナキズム基本文献であるにも関わらず、テキスト全体の邦訳は今だにされておらず、テキストの検証をせずに批判だけをもって論じられていることが多い。このパンフレットの序文・その背景・綱領主義全般については、[[http://a.sanpal.co.jp/anarchism/][アナキズム誌]]第二号で日和佐隆氏が解説しているため、参照していただきたい。
本邦訳は、英訳からの重訳であり、英文の原文は[[http://www.nestormakhno.info/english/newplatform/introduction.htm][ネストル=マフノ アーカイヴ]]で読むことができる。これまでの英訳は仏語のテキストからの翻訳だったが、この英訳は露語から直接翻訳されており、翻訳に際しては仏語のテキストと露語のテキストを比較したものだという。(訳者)(Anarchy In Japanより) ** 序文  アナキスト諸君!  アナキズム思想が影響力を持ち、紛れもなく建設的な性格を持っているにも関わらず、社会革命に関するアナキズムの立場が明快で完全なものであるにも関わらず、無政府共産主義を求めた闘争においてアナキストが勇敢な行為を見せ、数多くの犠牲を払ったにも関わらず、次のことが明々白々となっている。すなわち、これら全てにも関わらず、アナキズム運動は常に脆弱で、労働者階級闘争史において、ほとんどの場合、決定的要素としてではなく、むしろ些末な現象として特徴付けられているのである。  アナキズム思想の建設的内容と議論の余地のないほどの妥当性と、アナキズム運動の無惨な状態とのコントラストは、数多くの要因で説明できようが、主たる要因は、アナキズムの世界に組織的諸原則と組織的諸関係とが欠落していることにある。  万国において、アナキズム運動を示しているのは様々な地元組織だが、組織毎の理論と戦術は矛盾し、自分達の活動において将来の計画も継続性も持っていない。こうした組織は、しばらくすると潰れ、ほとんどもしくは全くその跡形も残さないものだ。  革命的アナキズムのこうした情況は、全体として見るならば、慢性的組織全般解体病としか表現し得ないであろう。この解体病が、黄熱病のようにアナキズム運動という生命体を蝕み、数十年にわたり苦しめている。  だが、疑いもなく、この解体病の根元は、理論が持つ多くの欠点、特に、アナキズムの個人性原則を歪めて解釈し、いかなる説明責任もないかのようにあまりにも頻繁に誤解されている点にある。個人的快楽のための自己表現を熱愛している人々は、アナキズム運動の混沌たる状態に頑迷に固執し、それを防衛するために、アナキズムの不変の諸原則とその伝道者たちを引き合いに出す。  しかし、不変の諸原則と伝道者たちが示しているのは、正反対のことである。  分散は破滅を意味する。団結は生と発展を保証する。社会闘争に関するこの法則は、諸階級と諸政党にも等しく当てはまる。  アナキズムは、美しい空想でも抽象的哲学概念でもなく、労働者大衆の社会運動である。この理由からだけでも、一つの組織にその諸力を結集しなければならず、社会的階級闘争の現実と戦術で必要とあらば、常に扇動し続けなければならないのだ。  クロポトキンは次のように述べていた。「我々は確信している。ロシアにおけるアナキズム党の形成は、全般的革命活動に不利となるどころか、極めて望ましく有効である。」(バクーニン著「パリコミューン」(ロシア語版)の序文、1892年)  バクーニンも総アナキスト組織の考えに反対したことはない。逆に、第一インターナショナル内部でのその活動と共に、組織に関する彼の情熱は、まさしくそうした様式の組織を積極的に擁護していた人として彼を見なすだけの権利を我々に与えているのだ。  大雑把にいって、アナキズムの活動的闘士のほとんど全てが、消散してしまうような活動に反対し、共通の目的と共通の戦略によって団結したアナキズム運動を夢見ていた。  全体組織の必要性が最も強烈に感じられたのは1917年のロシア革命中だった。何故なら、アナキズム運動が最大の分裂と崩壊を示したのはこの革命の過程においてだったからである。全体組織がないために、多くのアナキズム闘士はボルシェヴィキ集団へ離脱していった。今日、多くの闘士が、自分の莫大な能力を行使できなくなる受動性の状態に置かれてしまっている理由も、全体組織の欠如なのである。  アナキズム運動への参加者の大部分を引き付け、アナキズムに向かう共通の戦略的・政治的方向性を確立し、そのことで、運動全体の指針としての役目を果たす組織が必要不可欠なのである。  もうとっくに、アナキズムが非組織という沼地から浮上し、理論と戦略の上で最も重要な諸問題について延々と続く動揺に終止符を打ち、その明確に分かる目的と集団的組織的実践に向かって断固として進む時期なのだ。  だが、こうした組織が必要不可欠だと単に述べるだけでは不充分である。それを創り出す手段を確立することも必要なのである。  我々は、「総合」の手段を使って組織を創り出すという考えを理論的にも実践的にも根拠のないものだとして拒否する。「統合」とはすなわち、様々なアナキズム諸派の支持者を一つにまとめる、というものだ。諸要素の寄せ集め(その理論と実践という点で)を包含するこのような組織は、アナキズム運動に影響するあらゆる問題について多種多様な見解を持つ人々の機械的集合以外の何者でもなく、現実に直面すると必ずや崩壊してしまうであろう。  アナルコサンジカリズムのアプローチもアナキズムの組織的難しさを解決しない。アナルコサンジカリズムは、アナキズムを優先事項にはできず、労働者の世界に侵入し、その中へと踏み込んでいくという考えに主として関心を持っているものである。しかし、そこに足がかりを得たとしても、全般的アナキスト組織がなければ、労働者の世界で何も達成できはしない。  全般的組織問題の解決を導くことができる唯一のアプローチは、我々の見解では、特定の理論的・戦略的・組織的立場を基に、すなわち、程度の差こそあれ概ね完成された同質のプログラムを基に、アナキズムの活動的闘士を募ることである。  こうしたプログラムを起草することが、ここ数十年間の社会闘争がアナキストに要求している主要課題の一つである。そして、亡命ロシア人アナキスト集団はその活動の大部分をこの課題に捧げるつもりである。  以下に公刊する「組織綱領」は、こうしたプログラムの概略であり、骨格である。これは、アナキスト勢力を、闘争可能な一つの能動的革命的アナキスト集団--アナキスト総同盟--へと結集する第一段階としての役目を果たさねばならない。  我々は、この綱領について様々な欠陥があることについて何ら思い違いをするものではない。新しく実際的であると同時に批判的な出発はいかなるものでもそうだが、疑いもなく、この綱領には穴がある。ある種の肝心な立場が綱領から除外されているとか、他の立場が適切に展開されていないとか、さらには、ある部分が余りにも詳しく書かれ過ぎていたり、くどすぎたりする、といった点があるかも知れない。これらは全てあり得ることだ。だが、そんなことは問題ではない。重要なことは、全般的組織のための土台が構築されねばならず、この綱領によって、必要な範囲まで、この目的が達成されている、ということである。全般的集団--アナキスト総同盟--の課題は、アナキスト運動全体に対する完全なプログラムへとこの綱領を転化すべく、綱領をさらに精緻化し、改善することなのだ。  我々は、もう一つの点についても割り切っている。  我々は、いわゆる個人主義や「支離滅裂な」アナキズムからの多くの代表者が、口から泡を吹きながら、こんなものはアナキズム諸原則に違反していると我々を非難し、我々を攻撃するだろうと予想している。だが、こうした個人主義分子や支離滅裂な分子が「アナキズム諸原則」と言うことで意味しているのは、横柄な態度・混乱・無責任である。これは、我々の運動にほとんど治療不可能な損傷だけを負わせてきた。これは、我々のエネルギーと情熱全てをもって闘わねばならないことである。このために、我々は、この方面からのいかなる攻撃も穏やかに受け流すことができる。  我々の希望は、他の人々--アナキズムに誠実であり続けている人々・アナキズム運動の悲劇を生き延びてきた労働者たち・解決方法を探し求めて骨を折っている労働者たち--にある。  そして、我々はアナキスト青年に大きな望みを持っているのだ。若い同志たちは、ロシア革命の嵐の中で生まれ、最初からあらゆる範囲の建設的諸問題全てに飲み込まれており、アナキズムの積極的な組織諸原則の実行を間違いなく主張するだろう。  我々は、アナキスト闘士個々人、そして、世界各国に散らばっているあらゆるロシア人アナキスト組織に呼びかける。全般的組織綱領に基づき、一つの革命集団へと団結しよう。  この綱領が、革命の標語になることを、ロシアのアナキズム運動闘士皆の集合点になることを、アナキスト総同盟の誕生を示すことを! **組織的アナキズム運動万歳!
アナキスト総同盟万歳!
世界の労働者の社会革命万歳!** 亡命ロシア人アナキスト集団
書記、ピヨトール=アルシーノフ
1926年6月20日
** 総論1(General Part) *** 1.階級闘争、その役割と価値 人類は一つではない。 人類は階級でできている: その階級とは、奴隷と主人である。  これまでのあらゆる社会と同様に、現代のブルジョア資本主義社会は一体化していない。二つの異なる陣営に分かれており、それぞれの社会的立場と社会的役割も全く違う。それは、プロレタリア階級(最も広い意味での)とブルジョア階級である。  プロレタリア階級の宿命は、数世紀にわたり、厳しい肉体労働の重荷を背負うことであった。だが、その果実は、自分自身が手にするのではなく、もう一つの特権的階級に譲渡されている。この特権階級は、財産・権威・精神文化(科学・教育・芸術)の産物を享受する--これがブルジョア階級である。  労働者大衆の社会的奴隷化と搾取とが、近代社会が立脚する基盤を形成した。それなくして近代社会は存在し得ない。  この事実は、数世紀にわたる階級闘争を勃興させた。時にはあからさまで嵐のような形で、時には人知れず停滞した形で、それでも常に、既存社会を労働者のニーズ・要求物・正義の観念を満足させるような社会に変革する方向に根本的に向かっていた。  社会的表現では、人間の歴史全体は、自身の権利・自由・より良い生活を求めて労働者大衆が行った絶え間ない闘争の連鎖である。人間社会の歴史を通じて常に、階級闘争は社会の形態と構造を決定する主要要因であった。  いかなる国であれ、その社会-政治システムは、主として階級闘争の産物である。社会の構造は、階級闘争がどの段階に到達しているのかを示している。階級闘争の潮流と敵対し合う諸階級の相対的強さとに僅かばかりの変化があれば、それは、すぐさま、階級社会の骨組みと構造に変化を引き起こす。  これが、階級社会の生活において階級闘争が持つ一般的・不変的意味なのだ。 *** 2.暴力的社会革命の必要性  近代社会の根元には、暴力を使った大衆の奴隷化と搾取という原理がある。社会のあらゆる領域--経済・政治・社会関係--が、階級暴力に依存している。その公式的機関が、国家の諸機構・警察・軍隊・裁判所である。この社会にある全ては、個々の工場から国家の全政治システムまで、資本の要塞に過ぎない。労働者はその中で永久に監視される。そして、特殊部隊が、現在の社会の基盤を脅かしたり、その平穏を妨げたりしかねないあらゆる労働者の運動を破壊すべく、常に警戒している。  同時に、現在の社会が持つ構造は、自動的に、労働者大衆を無知と精神的停滞状態にあり続けるようにする。教育と啓蒙を強制的に阻害することで、大衆は管理されやすくなる。  現代社会の進歩--資本の技術的発展と政治システムの完成--は、支配階級の力を強め、支配階級に対する闘争を次第に困難にし、そのことで、労働者が自己の解放を達成する重大な局面を遅らせている。  現代社会の分析が示していることは、資本主義社会を自由労働者社会へと変換することを達成するためには、徹底的な暴力的社会革命以外に道はない、ということである。 *** 3.アナキズムと無政府共産主義  階級闘争は、長年にわたる労働者階級の自由の希求から生じた暴力の中で生まれ、抑圧された人々の中にアナキズムの思想を生じさせた。アナキズムは、階級と国家に基づく社会システムを完全に否定し、このシステムを自由で国家なき労働者自治社会によって置き換えるという思想である。  従って、アナキズムは、科学者や哲学者の抽象的思索から発達したのではない。資本に対して労働者が行った直接闘争から、労働者のニーズと要求から、労働者の心理・自由と平等を求めた労働者の願望・労働者大衆の生活と闘争の最も英雄的な段階に特に強烈になる大志から発達したのだ。  アナキズムの著名な思索者--バクーニンやクロポトキンなど--は、アナキズム思想を発明したのではなく、大衆の中にそれを発見し、単に、自分の考えと知識の力を通じて、その発展と宣伝を手助けしただけである。  アナキズムは個人的な創造物ではないし、個人的な実験研究の対象でもない。  同様に、アナキズムは一般的な人道主義的熱望の産物などでもない。人類は「一つ」ではない。現在のように、アナキズムを人類全体の属性にしようと試みたり、アナキズムは一様に人道主義的な特徴を持っていると考えようとしたりしたところで、それは歴史的・社会的欺瞞であり、必ずや、現行秩序の正当化と新しい搾取をもたらすであろう。  アナキズムが広く人道主義的だというのは、労働者大衆の理想が万人の生活を改善し、現在や将来の人類の運命が、奴隷化されている労働者の運命と深く関係している、という意味に過ぎない。労働者大衆が勝利していると判明すれば、全人類は生まれ変わるであろう。労働者大衆が負けていれば、暴力・搾取・奴隷・抑圧が以前同様に世界に蔓延するであろう。  アナキズムの理想の始まり・展開・実現は、労働者大衆の生活と闘争にその起源を持ち、労働者大衆の全般的運命と分かち難く結び付いている。  アナキズムの目的は、今日のブルジョア資本主義社会を、労働者が自分の労働・自由・自立・社会的政治的平等の果実を手にできるように保証する社会へと転換することである。この社会が無政府共産主義である。無政府共産主義において、社会連帯だけでなく、自由な個性という考えも十全に表明される。これら二つは、完全に調和して共に密接に発展するであろう。  無政府共産主義は、あらゆる社会財産を創り出しているのは労働者--肉体労働者と精神労働者--だけであり、その結果、労働者だけが経済と公的生活全体を管理する資格を持っている、と確信している。だからこそ、無政府共産主義は、労働しない階級の存在の正当化や黙認をしないのである。  こうした階級が無政府共産主義と共に存続し、共存するとすれば、無政府共産主義は、そうした人々に対していかなる責任も負わないことを認めるであろう。労働しない階級が生産的になることを決め、他の人々と対等に無政府共産主義社会システムの中で生活したいと望んで初めて、そこでの立場を得ることになろう--つまり、他の人々と同じ、社会の自由なメンバーであり、この社会の同じ権利を享受し、同じ一般的責任を持つという立場を得ることになろう。  無政府共産主義は、個人に対するものであれ、労働者大衆に対するものであれ、あらゆる搾取と暴力の根絶を求める。この目的に対して、無政府共産主義は、国の経済社会生活を調和的全体へと融合し、個々の等価性を万人に保証し、最大の福祉を万人が手にできるような経済的社会的基盤を創り出す。この基盤は共有であり、生産手段と生産用具(産業・交通・土地・原料など)の万人の社会化、そして、労働者階級の平等と自主管理に基づいた全国規模の経済機構の構築という形態をとる。  この労働者自主管理社会の範囲内で、無政府共産主義は、すべての個人の(「抽象的な」個性でも、「神秘的個性」でも、「観念としての個性」でもない)等価と同権という原則を規定するのである。  この全ての個人の等価と同権の原則から、そして、個々人が提供する労働の価値は測定したり規定したりすることができないという事実から、無政府共産主義の根本的な経済的・社会的・司法的原則は次のようになる:「個々人からは能力に応じて、個々人へは必要に応じて」 *** 4.民主主義の否定  民主主義は、様々な形態を持つブルジョア資本主義社会の一つである。  民主主義の基本は、現代社会の二つの対立する階級--労働者と資本家--の保持であり、資本主義的私有財産を基盤とする協調の保持である。議会と国家の代議制政府とは、この協調の現れである。  形式的には、民主主義は、法の下での普遍的平等と言論・出版・結社の自由を宣言している。  現実には、こうした自由は全て非常に相対的な性質を持っている。支配階級、つまりブルジョア階級の利益に反しない限り、こうした自由は許容されるのである。  民主主義は、資本主義的私有財産の原則を手つかずのまま保持する。そのようにすることで、ブルジョア階級が国の全経済・報道・教育・科学・芸術を統制する権利を保存している。このことで、実際には、ブルジョア階級を国の絶対的主人にしているのである。ブルジョア階級は、国の経済問題の領域を独占しているが故に、政治的領域における完全かつ無制限の権力を自由に確立できる。事実、民主主義において、議会と代議制政府は、ブルジョアの執行機関に過ぎないのだ。  その結果、民主主義はブルジョア独裁の一種に過ぎず、その虚偽の政治的自由と民主的保証は、その正体を覆い隠すように創られた煙幕なのである。 *** 5.国家と権威の否定  ブルジョアのイデオローグによる国家の定義は次のようなものである。現代社会の中で民衆の複雑な社会政治関係・市民的関係・社会的関係を規定し、この社会の法と秩序を保護する機関。アナキストはこの定義に完全に同意するが、次のことを付け加える。この社会が基盤としている法と秩序は、取るに足らない少数者による莫大な数の人々の奴隷化を隠蔽しており、近代国家はこの奴隷化を維持する役目を果たしている。  国家は、労働者に対するブルジョア階級の組織的暴力であり、かつ、その執行機関システムである。  左翼社会主義者も、特にボルシェヴィキも、ブルジョア権力とブルジョア国家を資本の道具として見なしている。しかし、彼等が信じているのは、社会主義政党の手中で、国家権力は、プロレタリア階級解放を求めた闘争において強力な武器になり得る、ということである。だから、彼等は、社会主義権力とプロレタリア国家を支持している。彼等の中には、議会という平和的手段によって権威者の立場に到達したいと思っている者(社会民主党)もいれば、革命的手段で権力を掌握したいと思っている者(共産党、社会革命党左派)もいる。  アナキズムは、これらどちらの立場も根本的に間違っており、労働者の解放に有害であると考える。  国家権力は、常に、大衆の搾取と奴隷化と一体になる。国家権力は搾取から生じたり、搾取のために創り出されたりする。暴力と搾取がなければ、国家権力は全ての存在理由を失ってしまう。  国家と権威は、大衆から発意を強奪し、自立的活動の精神を殺し、卑屈な服従精神・支配者とボスへの期待と信頼を養う。従って、労働者の解放は、資本主義システムに反対する労働者大衆とその階級組織による直接的革命闘争というプロセスを通じてのみ可能なのだ。  議会という方法を使った現行システムの枠組み内で、社会民主主義政党が権威を奪取したところで、労働者の解放はわずかばかりも進まない。その理由は単純である。本物の権力、従って、本物の権威は、国の経済と政治を完全に統制しているブルジョア階級にあり続けるからだ。社会主義当局の役割は、この場合、改良に、この同じブルジョアシステムを改善することに、限定される(ラムゼイ=マクドナルドや、資本主義システム下で国家権力を獲得したドイツ・スェーデン・ベルギーの社会民主政党の例を見れば分かるだろう)。  社会革命による権力奪取といわゆるプロレタリア国家組織も、労働者の真の解放を推進できはしない。国家は、革命を防衛する目的で当初創られたが、必然的に、国家自身の特別なニーズを蓄積し、国家自体が目的となり、国家が依存する特権的社会カーストを発生させ、国家のニーズと特権的カーストのニーズに大衆を強制的に隷属させ、そのことで、資本主義権威と資本主義国家の基盤--暴力による大衆の奴隷化と搾取--を保持するのである(ボルシェヴィキの「労働者・農民」国家がその一例である)。 ** 総論2(General Part) *** 6.大衆とアナキスト:社会闘争と社会革命におけるそれぞれの役割  社会革命の主要勢力は、都市の労働者階級と農民であり、労働するインテリゲンチャもある程度までその勢力の一部となる。 註 都会と田舎のプロレタリア階級同様、労働するインテリゲンチャも抑圧され搾取された階級ではあるが、労働するインテリゲンチャは、ブルジョア階級が労働インテリ階級の一部に授与している経済的特権のおかげで、労働者と農民よりも比較的多く階層化されている。このために、社会革命の初期には、インテリゲンチャの中でも余り裕福ではない階層が、革命に積極的に参加することになろう。  社会革命と社会主義構築における大衆の役割は、国家主義諸政党が予測していたものとは全く異なる。ボルシェヴィズムとそれに類する傾向は、労働者大衆は破壊的な革命本能しか持っておらず、創造的で建設的な革命活動を行うことができない、という方針を取っている--これが、建設的革命活動は、政府を創り出す人々や党を中心とした委員会の手中に置かれるべきだとされる理由である。逆に、アナキストは、労働者大衆こそが、創造的で建設的な潜在的可能性を莫大に持っており、その可能性の発現を妨げている障害物を一蹴しようと切望する。  事実、アナキストは、国家を、大衆のあらゆる権利を侵害し、社会生活と経済生活における大衆のあらゆる機能を剥奪しているが故に、主要な障害物だと見なしている。国家は死滅せねばならない。だが、将来の社会のとある日に死滅するわけではない。労働者が、その勝利の一日目に破壊しなければならず、どのようなものであれ別な装いを着て復旧させてはならないのである。国家の立場は、連合の原則で団結した生産者と消費者から成る自主管理労働者組織というシステムによって乗っ取られることになろう。このシステムは、国家権力機構とあらゆる政治政党の独裁双方を排除する。  1917年のロシア革命は、労働者と農民のソヴィエトと仕事場委員会から成るシステムを創り出すことで、社会解放プロセスに対するこのアプローチを実証している。その悲しむべき誤謬は、国家権力機構を初期の段階で一掃した--最初は臨時政府の権威を、次にはボルシェヴィキの権威を--ことにあるのではない。ボルシェヴィキは、労働者と農民の信頼につけ込み、ブルジョア国家を時代情況に即して再編し、その国家の助けを借りて、無国家社会の構築に向けた第一段階を示したソヴィエトと仕事場委員会という自由なシステムを窒息させることで、革命的大衆の創造的活動を全滅させた。  アナキストの活動は、二段階に分けられる。革命前の期間と革命中の期間である。それぞれの期間で、アナキストが組織的勢力として自身の役割を実行できるのは、闘争の目標と目標実現を導く方法を明確に理解したときのみである。  革命前の期間、アナキスト総同盟の基本課題は、労働者と農民に社会革命の準備をさせることである。  形式的(ブルジョア)民主主義と国家権力を拒否し、労働者の完全解放を宣言することで、アナキズムは、最大の強調点を階級闘争の厳密な諸原則に置き、革命的階級意識と非妥協的な革命的階級態度を大衆の中に覚醒させ、育成する。  大衆のアナキズム教育は、非妥協的階級態度・反民主主義制度・反国家主義の精神で、そして、無政府共産主義の理想の精神で行われねばならない。だが、教育だけでは不充分である。一定程度の大衆アナキズム組織も必要である。これが達成されれば、次の二つの方針に沿って我々は活動しなければならない。一つは、アナキズム理論に基づいた革命的労働者・革命的農民勢力の選抜と集団形成による活動である(明白なアナキスト組織)。もう一つは、生産と消費に基づいた革命的労働者・革命的農民の集団形成のレベルでの活動である(革命的労働者と革命的農民の生産組織、自由労働者と自由農民の協同組合など)。  労働者階級と農民階級は、生産と消費に基づいて組織され、革命的アナキズムのイデオロギーを鼓舞されることで、社会革命の特質の中で最も重要なものになるであろう。現時点で、アナキストの意識とアナキスト組織が彼等の中に導入されればされるほど、革命の際に、彼等は、アナキズムの目的・アナキストの断固たる態度・アナキストの創造性を行動で示すようになるであろう。  ロシアの労働者階級に関する限り、ボルシェヴィキ独裁の八年間は、自立活動を求めた大衆の自然な欲求を抑制し、あらゆる権威が持つ真の性質を紛れもなく証明しているが、この八年間を振り返れば、労働者階級が、大衆アナキスト運動とアナルコサンジカリスト運動を形成する莫大な潜在力をそれ自体の中に隠し持っていることは明らかである。この階級がメンシェヴィズムへと退化しないように、組織されたアナキスト闘士は、即座に、あらゆる利用可能な資源を使って、その欲求と潜在力を育むことに取り組まねばならない。  故に、アナキストは、直ちに、貧農を組織することに尽力を尽くさねばならない。貧農は、当局に抑圧されているが、解放を求めており、莫大な革命的潜在力を隠し持っているのである。  革命期間におけるアナキストの役割は、アナキズムのスローガンと思想を説くだけにとどまらない。  生は、あれやこれやの思想を説くための場だというだけでなく、同時に闘争の場でもある。そこでは、社会に影響を与えることを目差した様々な勢力がイデオロギー的優位を獲得すべく画策している。他の見解以上に、アナキズムは社会革命で主導的思想にならねばならない。社会革命が労働者の完全解放を確立するのは、ひとえにアナキズムのおかげだからだ。  アナキズム思想が革命において主導的立場となるということは、同時に、アナキストとアナキズム理論が出来事の中で大きな影響力を持つ役割を果たす、という意味も含んでいる。だが、この影響力を国家主義諸政党の政治的指導体制と混同してはならない。それは、結局の所、国家権力にしかならない。  アナキズムは政治的権力を掌握すること、独裁を創り出すことを目的としてはいない。アナキズムの大志は、大衆が、社会革命と社会主義の建設という本物の道を選ぶ手助けをすることである。だが、大衆が社会革命への道に乗り出すだけでは不充分である。同時に、革命がその方針と目的に忠実であり続ける--自由労働者の社会の名において資本主義社会を転覆し続ける--ように保証しなければならない。1917年のロシア革命の経験が示しているように、これは簡単な課題ではない。その理由は、主として、多くの政党が社会革命とは反対の方向に運動を導こうとするからである。  大衆は、社会的激変の中でアナキズムの諸傾向とスローガンによって心の奥深くで鼓舞される。だが、こうした傾向とスローガンは全く調整されておらず、その結果、一貫性がなく、指導的思想になるだけの魅力もない。社会革命がアナキズムの方向性と方針を持ち続けねばならないというのであれば、指導的思想になることは絶対不可欠である。こうした思想の推進力が出現できるのは、この明確な目的のために大衆が確立した特定集団にだけだ。組織されたアナキスト分子と組織されたアナキズム運動がこの集団を構成することになろう。  革命中には、この集団すなわちアナキスト総同盟が、大きな理論的・実践的責任を有することになろう。  アナキスト総同盟は、社会革命の全面で発意を示し、完全な献身を証明しなければならないだろう。それには、革命の方向性と性質、内戦と革命防衛、革命の建設的課題、生産・消費の新しいシステム、農業問題などが含まれることになろう。  これらの課題とその他多くの問題全てについて、大衆は、アナキストに、明確で正確な解答を求めるだろう。そして、ひとたび、アナキストがアナキズム革命とアナキズムの社会構造に関する構想を公に示すと、アナキストは、こうした問題全てに対して的確な答えを示し、アナキズムの全般的概念に諸問題の解決策を結びつけ、それを効果的に実現すべく自身の資源を全て捧げねばならないだろう。  それ故に、アナキスト総同盟とアナキズム運動だけが、社会革命における指導的思想力としての役割を上手く果たすことができるのである。 *** 7.過渡期  社会主義政党は、「過渡期」という言葉を使って、民衆生活の特定段階を示し、その本質的特徴は旧秩序との断絶と新しい経済・政治システムの導入だとしている。しかし、そこには、全労働者の完全解放という意味は含まれていない。  この点において、社会主義政党の最小政綱(minimum program)--例えば、日和見主義社会党の民主主義政綱や共産党の「プロレタリア独裁」政綱--は、この過渡期の政綱である。  こうした最小政綱の本質的特徴は、労働者の理想--その独立・自由・平等--の完全実現を、短期的には実現不可能だと見なし、その結果、資本主義システムが持つ一連の諸制度全てを保持する。つまり、国家強制の原則・生産手段と生産用具の私有・賃金奴隷など、個々の政党の政綱が持つ目標に応じて多くの制度を保持するのである。  アナキストは、常に、主義としてこうした政綱に敵対してきた。大衆の搾取と強制という原則を保持する伝統的システムの構築は、必ずや、奴隷制に戻ることになる、という見解を取ってきた。  政治的最小政綱の代わりに、アナキストが支持してきたのは社会革命だけであった。社会革命こそが、資本家階級から政治的・経済的特権を剥ぎ取り、生産手段と生産器具、その他社会的・経済的生活のあらゆる職務を労働者の手中に置くであろう。  これこそが、アナキストが今に至るまで断固として堅持してきた立場なのだ。  社会革命は、結局、アナキズム社会になるのではなく、古い資本主義システムの要素と残骸を保持したシステムになるはずだ、ということに従った過渡期の考えは、本質的に反アナキズムである。それ自体で、こうした古いシステムの要素を強化し、発展させ、それ故に出来事を逆転させる脅威を含んでいる。  このことの明確な一例が、ロシアにおいてボルシェヴィキが確立した「プロレタリア独裁」体制である。ボルシェヴィキによれば、この体制は完成した共産主義へ向かう過渡的段階に過ぎないという。だが、実際には、階級社会の復元をもたらした。その社会の底辺には、それ以前同様に、産業労働者と極貧農民がいるのである。  アナキズム社会建設の主たる焦点は、革命の第一日目から万人のニーズの満足を求める無限の自由を万人に保証することではなく、その社会の社会基盤の獲得、ならびに、民衆間の諸関係の諸原則を確立することにある。資源の多寡という問題は、原則の問題ではなく、技術的な問題である。  新社会構築の根底にある原則、いわゆる新社会が依って立つ教え、ほんの僅かでも制限されてはならない指針は、諸関係の平等、労働者の自由と独立性である。この原則は、大衆の最重要基本要件を要約している。この要件のためだけでも、大衆は社会革命を引き起こすことであろう。  社会革命は労働者の敗北に終わるかも知れないし、労働者の勝利を導くかも知れない。前者の場合、我々は、別な闘争、資本主義システムに対する新たな攻撃を準備すべく、最初からやり直さねばならない。後者の場合、労働者は、独力で何とかやっていくために必要な手段--土地・生産・社会的機能--を奪取しながら、自由社会の建設に取りかかるだろう。  この瞬間こそが、アナキズム社会の建設の手始めとなるだろう。一旦これが始まれば、アナキズム社会は、絶え間なく発展し、力を結集し、常に改良されていくであろう。  従って、生産と社会的機能の奪取は、国家主義時代と非国家主義時代との分岐点となるであろう。  闘争する大衆の集合点・社会革命時代の曙になるために、アナキズムは、その基本的諸原則を隠したり、過渡的システム・過渡期という日和見主義的諸傾向や旧秩序の痕跡を取り入れようとその政綱を順応させたりしてはならない。逆に、アナキズムはその諸原則を発展させ、できる限りその諸原則を精緻化しなければならないのである。 *** 8.アナキズムとサンジカリズム  無政府共産主義をサンジカリズムと対比したり、サンジカリズムを無政府共産主義と対比したりする傾向は、全く人為的でいかなる基盤も意味もない、と我々は考える。  共産主義思想とサンジカリズム思想は、二つの異なる水準にある。共産主義、すなわち平等な労働者の自由社会は、アナキズムの闘争目標であり、その一方で、サンジカリズム、すなわち、職業に基づいた産業労働者の革命運動は、革命的階級闘争の様々な形態の一つに過ぎない。  生産に基づいた産業労働者を団結する上で、革命的サンジカリズムは、全ての労働組合運動がそうであるように、特定のイデオロギーを持っていない。現状の複雑な社会的・政治的問題全てを包含する世界観を持っていないのである。革命的サンジカリズムは、常に、様々な政治集団が持つ多様なイデオロギーを、特に、その集団の中で最も集中的に作用しているイデオロギーを反映する。  革命的サンジカリズムに関する我々の立場は、既に述べたとおりである。革命の第二日目に革命的サンジカリスト組織がどのような役割を果たすのか(つまり、その組織は新しい生産システム全体の組織者になるのか、それとも、労働者評議会や仕事場委員会にその役割を委ねるのか?)を前もって解決しようとは思わないが、我々の見解では、アナキストは、労働者の革命運動の様々な形態の一つとしての革命的サンジカリズムに参加しなければならないのである。  現段階での問題は、アナキストが革命的サンジカリズムの一翼を担うべきか否かではなく、むしろ、どのようにして、何の目的でその一翼を担うのか、である。  我々は、アナキストが革命的サンジカリズム運動に個々の労働者・伝道者として参加していたこれまでの全期間を、産業労働者運動とアマチュア的関係を持った期間だと考えている。  アナルコサンジカリズムは、アナキズム型労組を創り出すことで革命的サンジカリズム左派の中にアナキズム思想を確固として確立しようという試みであり、この点では一歩前進してはいるものの、そのアマチュア的方法は今だに改善されてはない。この理由は、サンジカリズム運動を「アナキズム化」する動きと、運動外部にあるアナキズム勢力組織とが結び付いていないからである。こうした結び付きが確立されて初めて、革命的サンジカリズムを「アナキズム化」して、日和見主義へのスライドを防ぐことが可能になる。  我々は、革命的サンジカリズムを、特定の社会的・政治的イデオロギーとは無関係の、単なる労働者の労働組合運動でしかなく、従って、独力では社会問題を解決することはできない、と考えている。だから当然、我々の意見では、革命的サンジカリズム運動の集団におけるアナキストの課題は、アナキズム思想を運動内部に生み出し、アナキズムの方向に運動を導き、その結果、運動を社会革命の活動部隊に転化することなのである。サンジカリズムは、適切な時期にアナキズム理論という支柱を与えられなければ、何らかの国家主義政党のイデオロギーに頼らざるを得なくなる。このことを念頭に置くことが大切である。  この顕著な例がフランスのサンジカリズムである。フランスのサンジカリズムは、以前は、アナキズムのスローガンとアナキズムの戦術のために際立っていたのだが、共産党員、そして何にもまして、日和見主義の右派社会党員の支配下に落ちてしまった。  しかし、革命的労働運動集団内でのアナキストの課題を達成するためには、その集団でのアナキストの活動が、サンジカリスト組合外のアナキスト組織の活動と密接に連結し調整されていなければならない。別な言い方をすれば、我々は、組織的勢力として革命的労働運動に参入しなければならないのだ。組織的勢力として、サンジカリスト組合内部での活動についてアナキスト全般組織に報告義務を持ち、全般組織から指導を受けるのである。  我々は、アナルコサンジカリスト組合の確立に固執せずに、あらゆる形態の(世界産業労働者・ロシア労働組合など)革命的サンジカリズム全体に理論的影響力を行使しようとしなければならない。だが、これを確立できるのは、厳格に組織されたアナキスト集団として、活動に着手することによってのみである。組織的繋がりもなく、共通の理論的基盤もないちっぽけなアマチュア集団として活動したところで、できはしないのだ。  仕事場にいるアナキスト集団は、アナルコサンジカリスト組合を創り出そうと活動し、サンジカリズムとサンジカリズムの理論的方向性の中にアナキズム思想を普及するべく革命的サンジカリズム内部で運動し、自分達が属している全般的アナキスト組織から自身の活動の指導を受ける--これが、アナキストと、革命的サンジカリズムとそれに関連した革命的サンジカリズム運動との関係の意義(そして、その関係が取るべき形態)なのである。 ** 建設的側面(Constructive Part) *** 社会革命第一日目の問題  労働運動とその闘争の本質的目的は、革命を通じて、次の原則に基づいた自由で平等な無政府共産主義社会を樹立することである:その原則とは「各人からは能力に応じて、各人へは必要に応じて」である。  しかし、そうした社会の完成は、独りでにもたらされるのではなく、徹底的社会変革の力で初めて生じる。その実現には、多かれ少なかれ長期にわたる社会革命プロセスが必要となる。これは、勝利を得た労働者の組織的勢力が特定の進路に沿って方向付けるプロセスなのである。  我々の課題は、今ここでその進路を示し、社会革命第一日目から労働者が直面することとなる明白な実際問題を明らかにすることである。社会革命の正なる運命は、こうした問題を適切に解決するかどうかにかかっているのだ。  言うまでもなく、新社会建設が可能になるのは、労働者が現在のブルジョア資本主義システムとその代表者を打ち負かした後だけである。新しい経済と新しい社会関係の開始は、奴隷制の習慣を守っている国家が粉砕されて初めて、産業労働者と農民が革命を手段として国の産業・農業経済を掌握するような時期になって初めて、可能になるのだ。  その結果、社会革命のまず第一の課題は、資本主義社会の国家機構を破壊すること、ブルジョア階級を裸にする--もっと一般的に言えば、ブルジョア階級権力が持つ社会的特権の要素全てを剥ぎ取る--こと、そして、叛逆的労働者の意志を社会革命の基調をなす諸原則に明言されるものとして普遍的に確立することである。革命が持つこのような破壊的・攻撃的側面は、建設的課題への道を切り開くに過ぎない。建設的課題こそが社会革命の真の意味であり、本質なのである。  それら建設的課題は以下の通りである: 国の(産業)生産の問題に対してアナキズムの解決策を見つけること 同様に、農業問題を解決すること 消費(食物供給)の問題を解決すること *** 生産  国の産業は、何世代にもわたる労働者の努力の結果であり、様々な産業部門が相互に密接に結び付いている。このことを念頭に置きながら、我々は、生産全体を生産者の一つの大きな仕事場であり、誰か特定の人にではなく全体としての労働者に完全に属するものだ、と見なす。  国の生産機構は一つの全体であり、全労働者階級に属する。このことが新しい生産システムの性格と形態を決定する。同時に、この生産機構は統一体となり、生産者が製造した製品は万人のものである、という意味で、共有のものとなる。こうした製品は、それがどのようなタイプのものであれ、労働者に対する一般的必需品の蓄えである。そこから、新しい生産システムに参加する人全てが、他者と対等の立場で、自分が必要とする全てのものを受け取るのである。  新しい生産システムは、完全に、あらゆる形態の賃金奴隷と搾取なしに行われ、その代わり、労働者間の同志的協働の原則を確立するだろう。  近代資本主義社会で中間的機能(商業など)を果たしている中間的階級は、ブルジョア階級同様、新しい生産システムにおいて、他の人々と全く対等の立場でその役目を果たさねばならない。さもなくば、こうした階級は、労働社会の外に身を置くことになる。  ボスも企業家も、経営者も経営者国家(ボルシェヴィキ国家に今日見られるような)もなくなる。新しい生産システムでは、組織が持つ諸機能は、労働者大衆が特設した特別に創られた諸機関--労働者評議会・労働者委員会・工場の労働者管理--に委譲される。こうした諸機関は、自治体レベル・地方レベル・国レベルでお互いに連絡を取り合いながら、生産管理・生産運営のための自治体諸機関、地方諸機関、ひいては全体(連合)諸機関を作り上げる。大衆によって任命され、大衆による継続的な監視・管理の対象となることで、こうした諸機関は常に更新されることになり、そのことで、本物の大衆自主管理という考えを達成するであろう。  生産手段と製品が万人に属する統合生産・同志的協働と全生産者の権利の平等という原則による賃金奴隷の置換・大衆によって選ばれた労働者運営機関による生産管理。これらが無政府共産主義実現への道程に沿った最初の実際的ステップなのだ。 *** 消費  消費の問題は、革命中に二重の課題として生じるだろう。一つは、食物供給源確立の原則である。もう一つは、食物供給分配の原則である。  食物供給分配に関する限り、この問題に対する解決策は、主として、利用可能な物品の量、便宜の原則(the principle of expediency)などによって決まる。  従って、従来の社会秩序全体を再構築しようとする上で、社会革命は、万人の基本的ニーズに目を向ける義務を負う。唯一の例外は、仕事をしない人、反革命に基づいて新しい生産システムにおける自分の役目を果たすことを拒否する人である。だが、大まかに言って、上記した類の人々を除いて、社会革命が行われた地域の万人の全ニーズは、革命の一般的食糧供給備蓄の中から満たされることになろう。物資の量が不足している場合、子供・弱者・労働者の家族に対して優先的に、必要に応じて、割り当てられることになろう。  もっと難しい問題は、革命の一般的食糧供給備蓄を準備することであろう。  疑いもなく、革命の初期には、住民が必要とする基本的必需品の幾つかが欠乏することに町は悩まされるだろう。同時に、農民は町で供給の足りない農産物を豊富に手にすることになろう。  アナキストにとって、町の労働者と田舎の労働者との相互関係は疑う余地のないものである。アナキストは、社会革命は労働者と農民の協同活動を通じてのみ達成できる、と信じている。従って、革命における消費の問題の解決は、これら二つの労働者階級間の密接な革命的協働を通じてのみ可能となるであろう。  この協働を確立するために、生産管理を担ってきた都会の労働者階級は、田舎の労働者階級の基本的ニーズを即座に考慮し、土地の集団耕作に必要な手段と器具だけでなく、日常の消費物資を田舎の労働者階級に提供するよう努めねばならない。都会の労働者が農民のニーズを満たそうとする連帯の意志表示は、同様の反応を引き出し、逆に農民は地方で生産された産物、特に食料品を町に集団で供給するであろう。  全般的な労働者-農民協同組合は、町と田舎の食料必要量と経済的ニーズを満たすための主要機関となる。その後に、もっと広くもっと定期的な範囲の課題--とりわけ、労働者と農民の経済生活・社会生活を支援し発展させるために必要なあらゆるものの供給--を扱う責任を持つようとなると、こうした協同組合は、町と田舎に対する永続的物資供給機関へと転換することになろう。  食物供給の問題に対するこの解決策は、都会のプロレタリア階級が永続的食糧備蓄を確立できるようにしてくれるであろう。これは、新しい生産システムの運命に有利で決定的な影響を持つことになる。 *** 土地  農業問題を解決する上で、我々は、農業労働者--他者の労働を搾取しない人々--と田舎の賃労働者を、主要な革命的創造的勢力として考える。彼等の使命は、土地の新しい再分割を貫徹し、土地が共産主義の方針に沿って使用・耕作されるようにすることである。  産業同様に、土地は、数世代にわたる労働者が耕し育んできており、こうした労働者の努力の産物である。同時に、土地は労働者全体に属し、特定の人の所有物ではない。労働者の共有物・不可分の財産である以上、土地は売買の対象にはなり得ない。人から人へと貸し借りすることもできず、他者の労働を搾取する手段にもなり得ないのだ。  土地は、同時に、一種の公的仕事場でもある。そこでは、労働者の生命を維持する手段が作り出される。だが、これは、特定の歴史情況の産物として、あらゆる労働者(農民)が一人で働き、他の生産者とは別個に自分の生産物を売ることが習慣となっている類の仕事場である。工業においては、集団的(共産主義的)労働様式が実質的に必要であり、唯一の実行可能な様式であるが、現在の農業では、これは唯一実行可能な方法ではない。農民の大多数は、個別の方法を使って土地を耕している。  その結果、土地と土地を耕す手段とは農民の手中にあり、売買や貸し借りの可能性は全くなく、土地をどのように使用すべきか・何を耕作すべきか(コミューンや家族のレベルで)といった問題は、工業でもそうだが、完全に決定的にすぐさま解決されはしないだろう。まず手始めに、こうした方法両方を用いることになるだろう。  究極の土地保有・土地使用パターンは、革命的農民階級それ自体が決定することになろう。この問題にはいかなる外的圧力もあり得ない。  だが、共産主義社会(社会革命はこの名において行われる)だけが、労働者を奴隷と搾取から解放でき、十全な自由と平等を労働者に与えることができる、と我々が考えている以上;農民が人口の圧倒的多数を占めており(ロシアではほぼ85%)、その結果、農民が採用した農業システムは革命の運命を決定する上で重要な要因となる以上;そして最後に、農業の民間事業は、工業の民間事業と同様、商売を、私有財産の蓄積を、資本の復活を導く以上、農業問題が集産的方針に沿って解決されるよう保証すべく、できる限りあらゆることを行うことが我々の現時点での責任なのである。  この目的のために、我々は、今、共産主義的土地保有と共産主義的土壌耕作のために、集中的プロパガンダを行い始めねばならない。  アナキズムの見解を持つ明確な農民組合を創ることは、この取り組みをする上で大きな手助けとなるだろう。  この点において、技術の進歩は、農業の発展を促す上で、そして、同様に、町における共産主義の達成、とりわけ工業における共産主義の達成にも莫大な重要性を持っている。もし、労働者が農民を扱う上で、別々な集団として活動するのではなく、むしろ、あらゆる生産分野を包含する巨大な共産主義集団として活動すれば、もし、労働者が田舎の本質的ニーズを考慮し、日常的必需品だけでなく、土地の集団的耕作の道具と機械をも全ての村落に提供すれば、このことで、農民は間違いなく農業における共産主義に心を傾けていくであろう。 *** 革命の防衛  革命の防衛も「第一日目」の問題の一つである。本質的に、最も強力に革命を防衛することは、革命が直面する様々な挑戦--生産と消費の問題、そして、土地問題--を上手く解決してくれる。こうした問題が正しく解決されれば、反革命勢力は、労働者の自由社会を変えることも揺るがすこともできないであろう。だが、それにも関わらず、労働者は、その物理的存在を防衛するために、革命の敵に対する辛い闘争に直面しなければならない。  社会革命は、特権者と現代社会の非労働者階級のまさなる存在とを脅かし、こうした階級の死に物狂いの抵抗を必ずや喚起する。これは、卑劣な内戦の形態を取るであろう。  ロシアの経験が示しているように、こうした内戦は数ヶ月の問題ではなく、むしろ数年かかることになろう。  革命の始まりで労働者が取る最初のステップが上手くいったとしても、支配階級はなおもかなり長い間莫大な抵抗能力を保持し続け、数年間にわたり、革命に対する攻撃を爆発させ、自分達から奪われた権力と特権を奪い返そうとする。  充分な装備を持つ大規模な軍隊・軍隊を支援する軍事戦略家・軍隊に金銭援助する資本--これら全てが勝利を得た労働者に立ち向かってくるだろう。  労働者が革命の利益を保持しようとするならば、反動の猛攻撃に対して、その任に堪える戦闘部隊を実戦配備するために、革命防衛の機関を設立しなければならない。革命の初期には、この戦闘部隊は武装した全労働者と全農民で構成されることになる。だが、この一時的な軍隊が実行可能になるのは、内戦がその頂点に達しておらず、敵対する両サイドが正規軍組織を確立していない、本当の初期段階だけである。  社会革命における最も重要な時点は、権威者が転覆された時点ではなく、その後に、旧政権勢力が労働者に対して全般的攻撃を爆発させた時、達成された利益を保護しなければならない時である。  この攻撃の性質・使用される兵器・内戦の経過が、労働者に明確な革命軍事機関を創り出すよう命じるであろう。こうした部隊の性質とその根底にある原則は、前もって規定されていなければならない。大衆を統制する国家主義的権威主義的方法を拒否することで、我々は、必然的に、労働者の軍事力を組織する上での国家主義的やり方を拒絶する。つまり、我々は強制的兵役に基づく軍隊という原則を拒否するのである。アナキズムの基本的信条に従い、志願兵の原則こそが労働者軍事機関の基盤とならねばならない。ロシア革命中の労働者・農民の革命的パルチザンの派遣は、こうした構造の実例として引き合いに出すことができよう。  しかし、革命的志願兵とパルチザン活動は、狭い意味で解釈されてはならない。つまり、それぞれの部隊が自身の発意で行動しながら、全体的作戦計画の形での調整抜きに、地元の敵に対して労働者・農民勢力が行う闘争として解釈されてはならないのである。これらが十全に発達する場合には、革命におけるパルチザン活動と戦術とは、共通の軍事的革命的戦略に導かれていなければならない。  いかなる戦争もそうだが、あらゆる軍事活動に欠かせない二つの原則が守られて初めて、労働者が内戦を上手く闘うことができるのである。その原則とは、作戦計画の一貫性と共通指揮の一貫性である。革命の最も重要な時期は、ブルジョア階級が革命に対して組織的勢力として攻め寄って来るときであり、この時期に、労働者はこうした軍事戦術原則に頼らねばならなくなる。  従って、軍事戦術の必要性と反革命の戦術を鑑みれば、武装革命諸勢力は、必然的に、共通指揮と共通作戦計画を持った共通革命軍にならねばならない。  この軍隊は、以下の基本的諸原則に基づくことになる: **軍隊の階級的性質** ;
**志願兵役** (革命の防衛に関していかなる強制も許されない);
**革命的自制力** (志願兵役と革命的自制力は、あらゆる点で相補的であり、いかなる国家の軍隊よりも革命軍を心理的に強くする働きを持つ);
**労働者大衆・農民大衆への革命軍の完全服従** (大衆は国中の労働者・農民の全般的諸団体に代表され、この諸団体は革命時に大衆が創り出し、国の経済・社会生活を監督する課題を与えられる)  言い換えれば、革命防衛の機関は、内戦の隠れた戦線(ブルジョア階級による陰謀、反乱の準備など)と明白な軍事戦線双方で反革命と闘う役割を担い、労働者と農民の最高生産組織の完全な管理下におかれるのである。革命防衛機関は、労働者・農民に対して釈明義務を負い、労働者・農民の政治的指示下におかれることになろう。  註: **革命軍は必然的に、明確なアナキズム諸原則に従って構造化されねばならないが、これを原則の核心だと見なしてはならない。これは、革命における軍事戦略の結果に過ぎない。内戦の過程によって労働者が必然的に取らねばならなくなる戦術的基準でしかないのだ。だが、この基準は今現在であっても焦点にしなければならない。今現在でも徹底的に研究されねばならず、そのことで革命の保護と防衛に致命的遅れを取らないようにしなければならないのである。なぜなら、内戦時に、遅れをとることは社会革命全体の成果にとって致命傷になりかねないからだ。** ** 組織論(Organizational Part) *** アナキスト組織の諸原則  上で提示した全般的な建設的立場は、革命的アナキスト諸勢力の組織綱領をハッキリと示している。  この綱領は、特定の理論的・戦術的見解を中心に構築される。これは、組織的アナキズム運動の闘士全員が結集しなければならない最低限のことである。  綱領の課題は、アナキズム運動の健全な諸要素全てを活動的で継続的に運営される一つの組織、アナキスト総同盟へと結集することである。アナキズムの活動的闘士は皆、自分の手腕をこの組織の創造へと向けねばならない。  アナキスト総同盟の基本的な組織諸原則は以下の通りである。 **** 1.理論の統一  理論は、特定の目標に向けて特定の道筋に沿って、個々人と個々の組織との活動を導く力である。当然、これは、総同盟に参加した全ての人・全ての組織が共有しなければならない。アナキスト総同盟の活動は、大まかな部分であれ、詳細な部分であれ、同盟が公言する理論的諸原則と完全に一致していなければならない。 **** 2.戦術の統一、もしくは集団的活動方法  同盟内部の個々人やグループが用いる戦術上の様々な方法も同様に統一され、同盟全体の理論・戦術と一貫しているだけでなく、戦術それぞれも互いに厳密に一貫していなければならない。  運動内部で全般的(共通の)戦術的指針を共有することは、組織と運動全体の存在にとって非常に重要である。相互に対立する様々な戦術の存在のために生じる混乱を運動から取り除き、特定の目標に至る共通の方向性に運動の全勢力を集中させるのである。 **** 3.集団的責任  個人の責任において行われる実践は、アナキズム運動集団の中では、厳格に糾弾され、拒絶されねばならない。  革命的・社会的・政治的生活の領域は、現実に、大いに集団的である。こうした領域における公的な革命的活動が、単独の闘士の個人的責任に基づくことなどあり得ない。  全般的アナキズム運動の執行機関--アナキスト同盟--は、無責任な個人主義戦術に決定的に反対の立場をとり、集団的責任の原則をその集団に導入する。同盟全体が、個々の同盟メンバーの革命的・政治的活動に対する責任を持つ。同様に、そのメンバー個々人は、同盟全体の革命的・政治的活動に責任を持つのである。 **** 4.連合主義  アナキズムは、常に、大衆の社会生活に関わる部分と政治的活動領域との双方において、中央集権型組織を拒否してきた。中央集権システムは、個々人の批判・発意・独立の精神を窒息させることに依存し、「中央」に対する大衆の盲目的服従に依存している。このシステムによる自然で必然的な結果は、一般的な生活と様々な集団での生活双方における奴隷性と機械化である。  中央集権主義とは逆に、アナキズムは常に連合主義の原則を擁護し、防衛してきた。この原則は、個々人や組織の独立性を、共通の大義に対するその発意・貢献と組み合わせる。  個々人の権利の独立性と十全性という考えを、社会的要件と本能のために行うことと組み合わせることで、連合主義は個々人の持つ能力全てを健全に表明できるようにする。  だが、アナキスト集団において、連合主義の原則が歪められていることが余りにも多い。自分のエゴを表明し、組織に対する義務を無視する権利を主として意味していると受け取られていることが非常に多いのだ。  この歪みは、過去、我々の運動の中に莫大な無秩序を引き起こしてきた。今や、きっぱりとこれに終止符を打つときである。  連合主義とは、共通の目標を達成するために、集団的活動に対して個々人と組織全体とが自由合意することを意味する。  従って、こうした合意とそれに基づく連合的同盟とは、いかなるものであれ、必須条件が満たされて初めて、現実のものに(紙の上だけではなく)なり得る。その条件とは、合意と同盟の関係者全てが、共に達した決定事項を担い、それを順守する義務を十全に引き受ける、ということである。  いかなる社会的計画においても、それが構築される連合主義的基盤の大きさがどれほどであろうと、責任のない権利などあり得ない。丁度、使用される人々を抜きにして意志決定を行うことなどできないのと同じである。労働者とその社会革命に関して義務だけを自身に課すなど、アナキスト組織ではなおさら受け入れられはしない。  その結果、連合主義型のアナキスト組織は、組織の全メンバーの独立性・見解の自由・私的発意・個人的自由の権利を認めながら、特定の組織的義務を個々のメンバーに一任する。こうした義務を正当に行い、共に決定した事項を実行するよう求めるのである。  このようにして初めて、連合主義の原則は本領を発揮し、アナキスト組織は適切に機能し、自身が設定した目標に向けて動くのである。  アナキスト総同盟の考えは、アナキズム運動の諸勢力全ての活動を調整するという問題を引き起こす。  同盟に加入した個々の組織は、有機的組織体全体の一部の生細胞を意味する。それぞれの細胞は、その活動を促し、理論的・実践的誘導を行う事務局を個々に持つことになろう。  同盟の加盟組織全ての活動を調整するために、特別な機関が同盟実行委員会という形で確立されることになる。この委員会に割り当てられる機能は以下のものとなろう:同盟の決定事項を委任されたとおりに遂行すること、同盟の理論的・戦術的方針全体に従って個々の組織の活動と理論的発展を監督すること、運動の全般的状態を監察すること、他の組織とだけでなく同盟の全組織間の機能的組織的結び付きを維持すること。  実行委員会の権利・責任・現実的課題は、総同盟大会で規定される。  アナキスト総同盟は特定の充分定義された目標を持つ。社会革命成功のためには、何にもまして、労働者と農民の中から、それに参加する最も重要かつ最も革命的な分子を選ばねばならない。  階級社会の即時の破壊を求める社会革命を促す組織(同時に、反権威主義組織)として、アナキスト総同盟は、現行社会の二つの基本的階級--労働者と農民--に等しく依拠し、これら二つの階級の解放に向けた探求を公平に手助けする。  都会の労働者による革命的労働者組織に関して言えば、アナキスト総同盟は、その先駆者・理論的助言者になるべく最大限の努力をしなければならない。  アナキスト総同盟は、農民大衆に関わる際にも同じ課題を自身に課す。都会の労働者階級による革命的労働組合と同じ役割を果たしながら、基盤をなすために、革命的農民経済組織のネットワークを、そしてさらに、反権威主義の諸原則に基づいて構築される具体的な農民組合を作り上げるべく努力しなければならない。  労働者大衆から生まれたが故に、アナキスト総同盟は、労働者の生活の全側面に参加し、常にそして至る所で、組織・忍耐・戦闘性・攻撃に出る意志という精神をもたらさねばならない。  このようにして初めて、同盟は、その役割を全うし、労働者の社会革命におけるその理論的・歴史的使命を貫徹し、解放のプロセスにおいて最先端を切り開く組織になることができるであろう。