タイトル: 語彙集シリーズ 白人優位主義
著者名: Joel Olson
発行日: 2012
ソース: https://web.archive.org/web/20130625020107/http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/(2023年2月18日検索)
備考: シリーズの最後です。全てを読むと、全てのテーマが関連し合っていることが分かりますね。
原文は以下:
http://www.revolutionbythebook.akpress.org/wp-content/uploads/2012/03/lex_whitesup_master.pdf (ONLINEアナキズムより)

生物学的に言って、人種のようなものはない。科学者は懸命に試みてきたが、人種の適切な定義に一度も到達できなかった。しかし、人種が持つ社会的・政治的効果は非常に現実的である。人種は一ドル札のようなものだ--自然の事実ではなく人間の創造物であり、人々が価値があると述べて初めて価値を持つ。金銭同様、人々は人種に「価値」を与える。それが社会で何らかの機能を果たすからである。米国においてその機能とは、階級闘争を抑圧することである。

米国で、人種システム(現在では「白人優位主義」と呼ばれる)は、金持ちの土地と権力を保持するために、1600年代後半に出現した。ヴァージニア州の金持ち農園主は、原住民部族・奴隷・年季奉公の使用人が団結し、自分達を打倒したら、どうなるだろうかと恐れた。そして、一連の法律を使って、アフリカ人とアメリカ先住民の全ての子孫には与えなかったある種の権利と特権を英国系貧民に認めた:奴隷状態から免れる権利・通行証なしに自由に転居する権利・財産を取得する権利・武装する権利・言論と集会の自由を享受する権利・転職の権利・投票の権利である。金持ちの側からすれば、自分達の財産を尊重し、原住民の土地を奪取できるようにし、奴隷制を実行したのである。この協定を受け入れることで、英国系貧民(現在は「白人」と呼ばれている)は、自分達の階級利権に反し、自分達の「人種的」利権に仕え、その結果、金持ちの権力を強めたのだった。

こうした支配階級と労働者階級の一部との「階級横断的」同盟が米国の白人優位主義の起源である。これは今日も続いている。このシステムでは、階級横断的同盟のメンバーが白人だと定義され、このシステムから排除された人々は「非白人」の状態へと追いやられる。また、自分達の労働を搾取する経済システムでの優遇措置を受け入れることで、白人集団もしくは「人種」の労働者階級メンバーは、歴史的に、自分達の利権を、残りの労働者階級の利権とではなく、エリートの利権と結び付けてきた。それ以来、この悪魔の取引が自由と民主主義の土台を崩してきたのである。

この白人同盟は他の民族を巻き込んで成長し、その結果、奇妙な民主主義形態が出来上がった:白人民主主義である。「白人民主主義」においては、全ての白人が(貧者が金持ちに従属し、女性が男性に従属している時であっても)平等だと考えられた。同時に、白人一人ひとりが有色人一人ひとりよりも優れていると見なされた。これは、民主的だとされる社会の中で、白人が利害関係を持ち、特別な待遇を期待できるシステムだった。白人にとっては民主主義だったが、他の人々にとっては暴政だったのだ。

白人民主主義において、白人は自由・平等・民主主義・勤勉・平等の機会を称えていた。同時に、より高い賃金・最高の仕事の優先的獲得・非公式的な雇用保険(最初に雇われ、最後に解雇される)・公民権の完全享受・子供達を最高の学校に入学させる権利・一番魅力的な町内に住む権利・警察から寛大な対応を受ける権利も求めていた。他の面では完全な公民権を否定されていた白人女性でさえも、白人民主主義の利益を享受していた。例えば、法的代理人の権利・ある種の職業(教師・看護・事務作業)への優先的就職・より良い住宅(屋内トイレ・暖房・電気・時間を節約してくれる家電製品を含む)の容易な入手・子供達が奴隷状態に置かれないという極めて重要な保証である。

こうした「公的・心理的賃金」(W=E=B=デュボイスが名付けた)と引き換えに、白人は奴隷制・隔離・集団虐殺・保留地といった人種弾圧の実施に同意した。その結果が、労働者階級白人「と」有色人の弾圧だった。労働者階級が分断されたためである。悲劇的な皮肉なのだが、大抵の場合、多くの貧困白人はこうした利益を活用できなかったにもかかわらず、こうした利益を強く防衛したのであった。

白人民主主義は、奴隷制度と法的隔離政策が終わった後でさえも、存在し続けている。社会指標--卒業率・持ち家率・世帯の平均財産額・投獄率・平均余命率・幼児死亡率・癌罹患率・失業率・世帯の平均負債率--のどれを見ても、同じことが分かるだろう。それぞれのカテゴリーで、白人は他の人種集団よりもはるかに良い状態なのだ。集団として、白人は、他のどの集団よりも、富を多く持ち、負債が少なく、多くの教育を受け、投獄が少なく、多くの健康管理を受け、疾患が少なく、より安全で、犯罪が少なく、警察からの待遇が良く、警察による蛮行を受けることが少ない。これは、白人がより良い労働倫理を持っているからだとささやく者もいる。しかし、米国の歴史を見れば、400年以上前に生まれた白人民主主義は生き続けていることが分かる。

従って、白色人種は欧州の人々を示してはいない。白色人種とは一つの社会システムであり、白人ではないと定義された人々を従属させるだけでなく、資本主義支配を維持し、白人の(比較的小さな)特権システムを使って十全な民主主義を阻害するよう作用する。つまり、階級横断的同盟は、米国における真の民主的社会を創造する最も重大な障害物の一つなのだ。

だからといって、白人優位主義が「最悪の」抑圧形態だというわけではない。全ての抑圧は同じぐらい道徳的に悪い。また、白人優位主義が消えたからといって、他の全ての抑圧形態が不思議なことに溶けて無くなってしまうというわけでもない。単に、米国の歴史を通じて自由運動を組織する上で最も重大な障害物の一つが白人民主主義であり、現在でも主要な障害物の一つであり続けていると述べているだけである。

グローバル経済(そしてグローバルな景気後退)において、企業エリートは、白人労働者が歴史的に享受してきた特権を白人労働者に支払いたいとは思っていない。逆に、全ての人に同じ低賃金を支払い、同じ悲惨な条件下で仕事をさせたいと思っている。

一般的に言って、白人は通常の労働者同様に自分達を扱おうというこの企図に対して二つの方法で対応している。一つは、「多文化主義」を通じてである。このアプローチは大学や大企業でよく見られ、全ての文化的アイデンティティの平等を認めようとする。このアプローチに問題はないものの、難点は、多文化主義が白人を他の文化の中の一つの文化と見なしていることにある。このようにすることで、白人が不公正な権力形態として機能していることを隠してしまう。従って、多文化主義は白人民主主義を攻撃できないのである。白人民主主義を永続的なままにしてしまうのだ。

もう一つの方法は、肌の色に目をつぶること、つまり、人種を「乗り越える」べきだという信念である。ただ、このアプローチも白人民主主義を永続させる。なぜなら、人種は生物学的に存在しないという理由で、社会的にも存在しないかのように装い、結局のところ、白人が得ている利益も存在しないかのように装うことになるからだ。ここでも、このアプローチは白人民主主義を廃絶せず、再生しているのである。

肌の色を無視することには右翼のやり方と左翼のやり方がある。右翼のやり方では、多くの白人が次のように誠実に主張する。自分達は人種差別主義ではなく、自分達白人の利益を永続させるために出来る限り全ての手段を支持するのだ、と。その手段には、福祉の切り捨て・刑務所システムの強化・原住民の主権の弱体化・「ドラッグに対する戦争」の擁護・「不法移民」への反対が含まれる。左翼の場合、多くの白人の主張は次のようなものだ。人種は「対立を生む」問題であり、それよりも「万人が」共有している問題に焦点を当てるべきだ、と。この主張は包括的なものに聞こえるが、実際には白人民主主義を維持している。なぜなら、どの問題が万人のもので、どの問題が「あまりにも狭い」のかを白人に決めさせているからだ。これも、白人が望ましい待遇を期待し、主張するための別なやり方に過ぎない。

多文化主義にせよ、肌の色の無視(右翼や左翼の)にせよ、白人優位主義に対する解決策ではない。唯一の現実的選択肢は、白人が白人民主主義を拒絶し、他の人々の側に付くことである。刑務所・融資差別・反移民法・警察の蛮行・福祉への攻撃(アフリカ系米国人に対する見え透いた攻撃である場合が多い)・その他の人種差別形態と戦うことは、階級横断的同盟を弱体化させる重要な方法である。また、原住民の主権・積極的差別是正措置・高校や大学で四面楚歌状態の民族学プログラム・組織や運動で有色の人々が討議する権利を防衛する闘争も同様だ。こうした闘争全て--有色の人々は日常的に行っているが、白人は行ったとしても時折しかない--は、白人の利害関係と優遇の期待とを弱体化させようとする。こうした闘争は、新しい社会に向けた道を示しているのだ。

このことは米国史の中に見ることができる。階級横断的同盟を廃絶するための闘争が「全ての」人の急進的可能性を開花させたのだ。1840年代のフェミニズムと1860年代の一日8時間労働運動は、奴隷制度廃止論から出現した。「ラディカル=リコンストラクション」(1868年~1876年)は、政治権力と経済権力を奴隷から解放された男女に与えようとした際、南部で社会主義を確立しそうになっていた。1960年代の公民権闘争は、法的隔離政策を転覆しただけでなく、女性の権利運動・言論の自由の運動・学生運動・クィア運動・平和運動・チカーノ運動・プエルトリコ人運動・北米インディアン運動も開始させたのだった。白人民主主義の大黒柱が揺れると、全てが可能になる。白人優位主義への攻撃は、抑圧全般に対する闘争レベルを引き上げる。

今日でさえ白人優位主義は、つり橋のトロルのように、自由社会への道に立ちはだかっている。行わねばならない課題は、トロルを追い払うことであり、トロルがいないふりをするとか、多文化テーブルに招待するとかいったことではない。もちろん、現在白人だと定義されている人々には自由社会で何の役割もないとか、何の影響力もないとか言っているわけではない。白人と定義されている人々は、優遇された集団としてではなく、他の人々と同じ個人として参加すればよいと言っているだけのことである。

米国の政治運動は、白人民主主義の表現との闘争を、自分達の戦術の本質的部分にしなければならない。有色の人々の自由を拡大することは、常に、白人の自由を拡大することでもある。白人の利害関係を廃絶することは、「対立」でも「狭い」ものでも「逆の人種差別」でもない。自由社会への鍵なのだ。