タイトル: 新型コロナウイルスの省察
サブタイトル: 私達を殺しているのはウイルスではなく、資本主義だ
発行日: 2020年
ソース: https://note.com/bakuto_morikawa/n/n9dbc21afa911(2023年6月7日検索)

ここ数週間、活動家が何十年も闘ってきた平常の事業活動が、新型コロナウイルスのパンデミックを受けて停止している。多くの人がこの時期にこうした危機が起こると予期していたが、予測できなかったのは、この動乱の形態と規模である。政府・企業・医療だけでなく、活動家と草の根組織も含め、誰もが、諺で言うズボンを降ろしたところを見られた(不意打ちを食らった)状態になっている。この短期間に、私達は、生活の・日常ルーチンの大きな変化を経験した。すぐに適応して、直ちに相互扶助イニシアティヴを全国で立ち上げる取り組みをできた者もいれば、回復・熟考・再編成に時間が必要な者もいた。

新型コロナウイルスは深刻であり、できるだけ蔓延を防ぐために、繰り返し石鹸で手を洗い、マスクを着け、物理的距離を保ち続けなければならない。このことに異論はないだろう。しかし、このウイルスだけが原因で、現在の緊急事態・社会の部分的崩壊・多数の犠牲者が生じたと述べるのは間違っている。私達の社会はパンデミックのずっと前から病んでいたのだ。付言すれば、現在政府が実施している対策など、ウイルスと闘い、民衆を守るためには役に立たないのだから、不要である。

誰もが同意できることが一つある。この危機は現行システムの欠点・弱点・矛盾をあからさまに露呈しているため、もはや知らぬ存ぜぬではいられないのだ。

資本主義は上手くいかない:少なくとも99%にとっては。資本主義は自然に反しており、搾取的で、国家による権威主義支配があって初めて存在する。このシステムは、全てが順調に進むことに依拠しており、定期的に故障しがちだ。生産が1カ月停止しただけで事業は閉鎖に追い込まれ、労働者は余剰となり、民衆は家を失い、株式市場は暴落する。職場は民間の専制国家として運営され、生産の全側面が利潤追求のために上から統制される。雇用主は利益を上げ続けるよう労働者に命じる不当な権力を持ち、それが今、パンデミックの蔓延を加速させている。このようなシステムは決して避けられないものではない。今こそ、より良い代案を議論し、推進する時なのだ。

誰もが無料で受診できる公的医療は譲れない:ただ、それが実際に機能するには相応の資金が必要である。多くの国には未だに国民皆保険制度がない。パンデミック蔓延を抑制する上で致命的だと判明している事実だ。非常に多くの政府が、実際の医療提供よりも利潤抽出を優先する医療崩壊型モデルを維持しようとしたり、公的医療費をギリギリまで削減して資金不足・職員不足の病院とクリニックが当たり前になるようにしたりしている。これは憂慮すべきことだが、多分、驚くに当たらないことなのだろう。次のように述べても差し支えあるまい。多くの国で、新型コロナウイルスによる死者の大多数は、政府による全国医療制度の組織的解体と民営化によって引き起こされた、避けられた死だと判明するだろう。今こそ、医療を普遍的人権とし、相応の資金提供をされた公共財とすべく戦う時なのだ。

住宅は基本的人権である:有資格者の特権でも、金持ちの投資対象でも、Airbnbが合法性に疑問のあるその場限りのホテルにするための商品でもない。金持ちが所有する未使用の空き家を政府が保護する一方で、貧者の多くが不適格な宿泊施設に住んでいたり、全く家がなかったりするなど茶番である。物理的距離を取る政策を強要せざるを得なくなった政府は証明している。路上生活者に住宅を提供できるのだ。住宅供給はいつでもできたのだ。ここで疑問が生じる。パンデミックが終わった後、それまでホームレスだった人々が再び路上に追い出されることを許せば、当局の偽善と冷酷さについて何が暴露されるのだろうか?さらに、今回の危機で賃貸住宅システムが機能していないことが紛れもなく明らかになった。家主は、物的サービスを与えず、もっと安定した生活環境で暮らすだけの収入のない人々を搾取し、歪んだ住宅市場から無節操に利益を得ている。その多くが、借家人が家賃を払えない兆候を見せると大喜びで借家人を街頭に放り出そうとする。蔓延収束時に政府が禁止事項を解除すると、立ち退きが相次ぐのだろうか?今こそ、現在の賃貸・住宅市場の在り方を解体すべく活動する時なのだ。

このシステムは二流市民を作り出している:そして、次に、都合が良いと見なせば、二流市民を躊躇いなく処分する。現代社会は既に、障害者・非定型発達者・メンタルヘルスに悩んでいる人々を、平等で価値ある成員ではなく、重荷として扱っている。こうした人達は、長い闘争の末に現在の僅かな権利を手に入れた。しかし、たった一度のパンデミックで、英国政府は介護法と精神保健法を改正する法案を可決し、病人・障害者・精神的不調者・高齢者、その介護者をも重大な危険にさらしている。この政府は、その能力主義と社会的ダーウィニズムの世界観を私達に受け入れさせようとしている。今こそ、ひるまず堂々と、誰も取り残さないよう強く求める時なのだ。

国境と市民権の排他性が困窮と苦悩を引き起こしている:民衆が戦争・貧困・自然災害からの救済を求めると罰せられてしまう。資本主義と帝国主義は密接に関係している。帝国主義の結果、膨大かつ極度に搾取される「グローバルサウス」が生まれた。難民・亡命希望者・不法移民の多くは、西側諸国が引き起こした戦争や極度の弾圧といった情況から逃げようとしているのに、同じ西側諸国が、非人間的な入国管理法令を課し、こうした人々を収監できるようにしているのである。新型コロナウイルス以前であっても、レスボス島のモーリアのような難民キャンプは実質的にこの世の地獄だった。現在、難民キャンプは死の収容所と化しているが、EUは何の代案も示そうとしない。その結果多くの人々が死ぬことを全く喜んで受け入れているようだ。ここ英国では、幸運にも収容所に収容されていない不安定な移民資格者であっても、パンデミックから身を守るための適切な援助や支援がないまま今も闘い続けている。今こそ、以前にもまして、兄弟姉妹として団結し、市民権というインチキ専制政治からの自由を求める時なのだ。

刑務所は非人道的だ:私達は可能な限り刑務所を段階的に廃止しようとしなければならない。現代社会の犯罪の多くが資本主義の結果であり、資本主義が創り出す酷い条件の結果である--お金が不足していないのに、盗みを働く動機などあるだろうか?社会はそれに見合った犯罪がある。支配・社会的排除・メンタルヘルス危機といった諸関係は、資本主義の諸条件から生じる。だから、数多くの犯罪を目の当たりにしているのだ。今、新型コロナウイルスは国家によって投獄された人々に多大な危険をもたらしている。彼等の大多数に必要なのは罰ではなく、リハビリテーション・コミュニティ・個人的サポートなのだ。こうした人々の多くは特に感染リスクが高く、閉ざされた空間の中でウイルスは急速に広がりかねない。その対応として、「リスクの低い」受刑者を釈放しているが、これは、実刑判決は恣意的だと証明しているのである。今こそ、あからさまな監獄制度に反対するキャンペーンを強化し、その恥ずべき秘密を暴露し、もっと人道的で実行可能な代案を推進する時なのだ。

自宅は万人の安らぎの場ではない:非常に多くの人にとって、自宅は暴力・虐待・ネグレクトの場である。堕胎とリプロダクティヴ゠フリーダムは、権利から恥ずべき(多くの場合は非合法の)行為へと変えられた。同様に、ドメスティック゠バイオレンスやレイプの現実を隠したり軽視したりすることもフェミニズムの諸問題を組織的に脇に追いやっている証だ。資本主義は本質的に家父長制システムである。「一家の大黒柱」は、システムに服従する代わりに、自分の「世帯」に「命じる」--彼が望むなら、虐待する--権利を与えられている。それを教唆・幇助しているのが「伝統」であり、かなりの場合で宗教だ。DV相談支援サービスは、若者支援センター同様、緊縮財政時代に壊滅し、この問題に対する国家の明らかな無関心を浮き彫りにした。今、誰もがステイホームを求められている。全ての人にとってホームが同じだとでも言うのだろうか。性的健康の問題はほとんど考慮されてこなかったようだ。この間、自宅で中絶を行う権利をめぐって政府は幾度も失敗し、180度方針を転換してきた。今こそ、DV・児童虐待・リプロダクティヴ゠フリーダムについてもっと声を大にして叫び、自分の体に対する自律性・安らぎの場になり得るホームを誰もが得られるよう、さらに強く要求する時なのだ。

普遍的ベーシックインカム(UBI)の考えには現実的メリットがある:UBIによって、以前にもまして、民衆が金融不安の時代に対処できるようになるというだけではない。エッセンシャル゠ワーカー以外の労働者はステイホームでき、危機の間、やむを得ず働き続けて危険に身をさらさず、身を守ることができるようになる。無給の休暇を取得でき、仕事の替わりに、危機の最中にだけ必要となるあらゆること(大部分が無給で任意の仕事)に時間を割けるようになる。今こそ、UBIのアイディアを洗練し、真面目に検討する好機なのだ。

賃金という考え全体が詐欺である:能力主義社会に関わるあらゆる概念もそうだ。賃金は仕事の難しさや重要性を反映していない。この事実は、現在、かなり大きく注目されている。優先順位が高いと見なされている仕事は全て、最も賃金が低く、軽んじられ、見下されているからだ。今こそ、賃金奴隷に関する議論を、経済的不平等がどれほど有害で不当な社会的構成概念なのかに関する議論を復活させる時なのだ。

お金はある:企業と経済を救済するために巨額の金が突然現れたことで証明されている。サッチャー以来、公共サービスは徐々になくなり、民衆は賃金の低迷と給付の減少を余儀なくされた。何もかも、政府に充分な金がないからだと言われていた。今、この嘘が暴かれている。金の問題などなかったのだ。今こそ、社会の中で経済的に何を優先すべきなのか私達の意見を言う時なのだ。

環境破壊は止められる:資本主義の過剰生産に歯止めがかかれば。航空機や工業関連の生産が短期間止まるだけで、世界的な二酸化炭素排出量を大幅に削減できた。今こそ、このことを強く訴え、飛行機旅行と不要な工業生産を制限するよう要求する時なのだ。

権威主義とナショナリズムへの転落は容易い:これは目の前で起こっている。パンデミックに打ち勝つという名目で、政府は、移動とプライバシーの自由を恐ろしいほど制限する法案を可決できるようになっている。多くの国で警察の権限は拡大し、外出する人を尋問・拘留する権利を持つようになった。民衆を監視する国家の権力も、国家が使う監視ツールも、大幅に増えている。さらに、多くの国家の対応は、ナショナリストのレトリックとレイシズムに基づき、国境をさらに強化したり、中国人をスケープゴートにしたりしている。目先の緊急事態のために、現在可決されている法案が長期的に示し得ることから目を逸らすわけにはいかないのだ。私達は9・11以後の「一時的」安全保障措置が廃止されるのを今も待っている。今こそ、断固として警告を発し、法案が無批判に施行されないようにする時なのだ。

現在経験しているのは、単なる健康危機ではない。資本主義の危機であり、政府の危機である。資本主義は長期にわたり衰退の一途を辿っている。このパンデミックが、資本主義の棺桶に釘を打つ道具をもたらしてくれることを願う。これまで、国家の失敗と不備、そして国家が本当に尽力していることが劇的に露見している。私達は崖っぷちに立っている。今どのように行動するかによって、これからの数十年が大きく変わるだろう。

抵抗しなければ、本当に酷い危険に陥る:

  • 富の不平等がさらに大きくなり、慣行となる

  • 貧者と弱者の使い捨てが常態化し、定着してしまう

  • 福祉国家は完全に崩壊し、全てが私有化され商品化される

  • 国境がさらに強化され、取り締まりが強くなり、私達は壁で囲まれた国に住み、外の人間は死んでも構わないと見なすようになる

  • 権威主義と国家による抑圧的監視が普通の生活の一部として認められ、自分達のプライバシーと自由を進んで手放すようになる

  • 資本主義の最後の延命措置が、気候正義を求めた戦いを大幅に後退させ、究極的に惨事をもたらす

  • 現在の地球上の生命が滅亡する

一方で、これは歴史上の重大局面の一つであり、反撃できれば、大きな進歩を作り出せる。政府はこれまで渋々ながら多くの譲歩を行わざるを得なかった。家賃支払い猶予・立ち退きの凍結・ホームレスへの住宅提供・収入のない人への資金援助や疾病手当金・受刑者の釈放などがその一例だ。こうした譲歩は新しい規範になっているだけでなく、もっと平等主義で人道的で機能的な社会の創造を求めるための足掛かりになっていることを忘れないようにしよう。

同様に、数多くの相互扶助グループが世界各地で現れている。過去十年の自然災害に対する相互扶助イニシアティヴに刺激され、そこから学んだのである。こうしたグループは、民衆が自分達で組織を作り、お互いに助け合うことは可能であり、現実に実行していると示している。そして、中央政府にしろ、地方自治体にしろ、国家が提供したがらないものや提供できないものを提供し始めている。つまり、国という装置は冗長で、邪魔な場合が多いと極めて決定的に証明しているのだ。今創られている経験と関係を生かして、自治の精神を育んでいこう。そうすれば、自治の精神は現在の緊急事態を超越して、もっと豊潤で幅広く永続的なものに成長し、物事を自力で行えると民衆に気付かせてくれるのだ。

この新しく奇妙な現状においてどのように闘い続けるのか、これが今も私達が自問し続けている大きな問題である。私達は、抗議行動を街頭で行い、実際の物理的領域で行動することに慣れている。実際に会議をし、組織を作り、コミュニティを作ることに慣れている。この「ソーシャルディスタンス」の時代に、誰もが本質的に「柔らかな」自宅軟禁状態で集会が禁じられている時代に、どのように継続すれば良いのだろうか?幸い、今はデジタル時代だ。インターネットを介してコミュニケーションを取り、多くの物理的現実世界の事柄をヴァーチャルなもので置き換えられる。しかし、これは多くの人にとってまだ全く目新しく、様々な疑問について多くの実験と模索が行われている。効果的なデジタル゠アクティヴィズムとはどのようなものか。孤立した中で効果的な繋がりを維持するにはどうすればよいのか。こうした問題への答えを見つけ、活動を継続し、再び街頭に出られる時に備える作業が必須だ。今はヴァーチャルな世界で、将来的には再び現実世界で、私達の活動に参加してほしいと願う。今こそ、次の段階に進む時だからだ。