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反資本主義者の抵抗運動

反資本主義者の抵抗運動反グローバリゼイションにおけるアナキスト運動論のために

2001

      日本の反グローバリゼイション行動——ACAの闘争

      反グローバリゼイションという運動

      南と北の闘争の遭遇へ

      反グローバリゼイション運動の現代性

      分裂を包摂して

      論争を呼ぶ直接行動派の闘争

      ブラック・ブロックとは何か

      反資本主義者とアナキスト

      結語に変えて

日本の反グローバリゼイション行動——ACAの闘争

 2001年10月18日、首相官邸前でACA[1] を名乗る行動グループが、小泉首相のAPEC首脳会議参加に対する緊急の抗議行動を10数名で敢行した。9・11事件以降のアメリカ国家による「報復」戦争という国家テロの遂行体制を固めるための会議に反対しての行動であったが、厳戒体制を敷いていた機動隊によって排除された。しかしACAは倦むことなく、その日の夜には東京・渋谷で、APEC「反テロ」会議を東アジアにおけるグローバル資本主義体制を補完するものとして弾劾する情宣を行い、デモを敢行した。ACAは「グローバリゼーションを解体するまで闘うぞ!」等々のシュプレヒコールをあげて戦闘的にデモを貫徹しただけでなく、渋谷の街に展開するマクドナルド、スターバックスなどの多国籍企業の店鋪に対して直接抗議のコールをぶつけた。

 またACAは11月17日に、カナダ・オタワで開かれるG20/IMF/世銀の会議に対する現地の抗議行動に連帯して、最終的に機動隊によって暴力的に排除されながらも、東京にあるIMFアジア大平洋事務所に対して抗議行動を行っている。

 日本においては、IMF/世銀などの機関を目的意識的に直接の抗議対象とする行動はおそらくこれまでにあまりなかったと思われる。その意味ではACAなどの最近になって現れたある組織群[2] の登場は、反グローバリゼイション運動の世界的な高揚に対応するものと言えるかもしれない。ウェブサイト上のテキストやビラ、機関紙などを読めば分かることだが、これらの組織は資本主義のグローバル化に明確に異議を唱え、これに反対する主張掲げているところに共通点がある。

 ではなぜこれらの組織は改めてグローバル資本主義反対・新自由主義反対を唱えて結集しているのだろうか。筆者自身が参加しているACAに限って言及するが、しかしそれはあくまで筆者個人の見解であり、ACA内の共通した認識ではありえないことを予め断っておく。ACAは個人共闘の行動体であって、統一した綱領や規約などを持たないからである。

 ACAは反グローバリゼイション闘争のための結集軸である。それは様々な思想・立場を持つ人々の共闘の枠であり、協働/一致できる指標はその名が端的に示すとおり反資本主義・反グローバリゼイションである。例えば筆者のようなアナキスト的な立場に関心を持っている人間も、その一致点を認めることができれば参加することは可能であり、またアナキストでなくともそれは同様である。ACAウェブサイトの「個人共闘(野合)」という表現は、分裂してしまわないための一致点だけを意識した緩い集合としての状態を指し示しているわけだ。

 直載に言って、日本においては従来の左翼の運動はじり貧の状態にある。既成左翼はもとより、新左翼と呼ばれてきた既存のあらゆる左翼組織にしても従来の戦線の防衛に追われ、権力−資本の側の攻勢に対して守勢一方にあるというのが大雑把な現状の叙述としては可能だろう。あるいはかつて「過激派」と呼ばれた党派でも生き残りをかけて大衆運動や労働戦線へのシフトに重きを置きはじめている。

 そうした状況にあって、広義には社会主義者とも言える雑多な傾向を持つ人々が、社会変革のための運動の底上げを望んで行動に結集しているのだ。現状においては組織の恒常的な存立や拡大とは関係ないところにACAはあるが、筆者は先のことについては分からないし、これ以上は言及できない。

 その共同行動枠としてのACAがなぜ、反グローバリゼイションを唱え、あまつさえデモの最中にグローバル資本の象徴的な店鋪に対して直接抗議の声をぶつけたりするのだろうか。

 後者の疑問に対しては、筆者は有り体に言って応える術を持っていない。そのことによって直接的な変革は当然期待するものでもなく、やりたいからやっているとしか言い様がないからだ。理屈をこねる気はない。ただ、共感・反感・無視のいずれの反応があるにしても、あわよくば道行く人たちにアピールできさえすればいいと個人的には思っている。デモという、その参加者以外の人々にとってははた迷惑な行為に「行動によるプロパガンダ」の意味を認めても、それ以上の意味を求めるつもりはあまりないというのが正直なところである。「マクドナルドは森林を焼き払うなー」「スターバックスはモノカルチャーを強制するなー」などとシュプレヒコールを叩き付けるヘンテコ?なデモが面白いからやってるんだ!という気持ちさえ実はある。他のACA参加者に怒られるかもしれないけれども。

 前者の疑問、なぜ反グローバリゼイションなのかということについては、ACAとしての立場から離れ、より一般的、ではなくて、アナキスト的な立場から、不十分ながら以降に展開してその参考としたい。繰り言になるがACAについては筆者個人は断定できない。

反グローバリゼイションという運動

 反グローバル化の闘いは今や市場自由化に対する現代の抵抗運動である。それは、多国籍資本が世界を恣にすることに対する社会的な異議申し立てであり、実力行使による政治への直接参加[3] を通じた変革の希求でもある。この社会運動は1990年代後半以降欧米で急速に拡大してきたものであり、そしたまたアジアやラテンアメリカの諸地域における資本のグローバル化に抵抗する闘争の当事者によって逆に再発見されつつある。

 資本主義のレッセフェール[4] に抵抗する闘いそのものは、言うまでもなく今にはじまったものではない。それは常に、アナキストが追求する無政府共産主義や直接民主主義、ボルシェヴィキの中央集権的な共産主義、自主管理・評議会などのオルタナティブ路線の社会主義、社会民主主義者などによる改良主義、等々の対置となって現れてきた。あるいは、NGOの「持続可能な発展」「公正な商取引」などの修正資本主義的な要求なども存在してきた。

 反グローバリゼイションが社会運動として新しいとすれば、それは市場原理主義に反対するあらゆる勢力の野合的な相乗り運動のままでありながら、可視的な動きとしてはドメスティックな範疇に止まらないという点に尽きよう。運動の標的にブレトンウッズ機関のIMF(国際通貨基金)/世銀銀行[5] 、あるいはOECD(経済協力開発機構)、WTO(世界貿易機関)、WEF(世界経済協議会議)などの多国間機関や、先進諸国首脳会議があげられるのは、それらが市場原理主義を拡大・補完するための機能を発揮してきたからである。反グローバリゼイション運動に結集する諸勢力は、市場原理主義が強化され、大資本の多国籍化が拡大することによってもらたられる地域・階級間格差の加速度的な増大に反対して、多国間機関・先進諸国首脳の会議などに直接的な抗議行動をぶつけている。会議開催地での闘いに止まらず、これに連帯する闘いが世界各地で同時的に行われるのも特長的である。

 前世紀末にソ連などスターリニストの中央集権的・官僚主義的な政治体制が崩壊して以降、「歴史は終わった」[6] として資本主義を支える「自由民主主義」というブルジョア政治体制の唯一正当性が新自由主義者によって喧伝されてきたが、その間、資本主義のオルタナティブであった「社会主義/共産主義」体制の崩壊の前に混迷し、出口がないように見られた市場原理主義に抵抗する社会運動が、自らグローバルに闘わなければならないという認識のもとに新たに立ち現れてきたのである。

 反グローバリゼイションの闘いには様々な運動体が結集している。そこには金融危機に見舞われている途上国の債務帳消しを求めるNGOや、投機的な金融取引への課税を要求するATTACなどの社会運動組織から、既存のエコロジスト組織、消費者団体、労働組合までが合流し、さらにアナキストやボルシェヴィキなどのラディカルな諸個人・諸グループが加わっている。あるいは従来の党派では一括りにするには曖昧で、かつ急進的な反資本主義者を自称する比較的若い世代に属する人々の一群も参加している。

 反グローバリゼイション運動はこれらの多様な運動体の寄せ集めとして構成されているのであり、本質的に看過しえなのは、個々の運動体が追求する目的は相違したままという点だ。さしあたっては、分裂含みの現場共闘という呼び方以外に相応しいものはない。

南と北の闘争の遭遇へ

 市場自由化を至上命題とするアメリカ合衆国型のグローバル資本主義に対して、いわゆる途上国の民衆は常に抵抗してきた。そのなかにあって、メヒコ・チアパス州のEZLNの闘い[7] に代表される、「もうたくさんだ!」という新自由主義を明確に拒絶する意志は、世界の民衆の圧倒的な共感を呼んだ。そしてそれが先験的なメルクマールの一つとなって、先進諸国における反資本主義運動にヒントを与えたであろう[8] 。しかしその地域性にかかわらず、各々の闘争は、経験の共有化としてグローバル化したかたちで捉えられるようになっただけであって、市場原理主義の野放しに対する異議申し立てという意味においては、根底においてもともと無関係ではありえない。無論、変革の最終的な目標が革命なのか改良なのかという違いは別に論じられねばならない。

 つまり次のようにも言えるだろう。欧米の反グローバリゼイション運動がその本質において新奇で特別優れているわけではなく、むしろそれは資本のレッセフェールに対するありうべき様々な反応の寄せ集めに過ぎない。そして途上国と呼ばれる諸地域において連綿と闘われてきた資本主義に抵抗する社会運動の方でもまた、それら北側の民衆の反応に組みし、連帯して闘いつつあるのだ、と。

 2001年11月の反WTO闘争では、WTO会議が逃げ込んだ会議開催地ドーハはともかくとして、その開催地への到達の困難性ゆえに、かえって世界中で各人が各人の持ち場で反対闘争に決起するという結果をもたらした。欧米諸都市での反対行動は言わずもがな、フィリピン・マニラ[9] などのアジア諸地域での、あるいはラテンアメリカでの激烈な闘争もまた闘い取られたのである。参加者の数で言えば、30万人とも言われた9月のジェノヴァサミットの規模を上回ることはなかっただろうが、多寡による運動の浮き沈みを評価することは意味をなさない。むしろ諸地域の闘争が現地居住者によって各々闘い取られることの意義を積極的に評価すべきだろう。同時性は、何も空間の即時的な共有だけに求められるわけではないからである。

反グローバリゼイション運動の現代性

 その目的が革命なのか資本主義の修正なのかはともかくとして、運動の諸相に新しさを見るとするならば、それは置かれた状況を越えて全世界の抗議者たちが共通するキーワードないしスローガンを採用し、また手段としてのインターネットの活用を通じて可撓的な連帯を獲得しているという点にある。そしてその優れて現代的なネットワークの形成こそが戦術的にも戦略的にももはや不可欠なものとなっている。

 こうした運動の在り方のカレントは、1999年11月の「シアトルの闘い」(反WTO行動、N30)を画期としている。今日、反グローバリゼイション運動をアピールするということにおいて欠かせない存在となっているインディメディア[10] は、マスメディアに対抗してシアトル行動を報道する環境を構築するために、草の根の自律メディア活動家らによって設立されたからである。そしてこのメディアは現在も反グローバリゼイションの運動に関する情報を公開するためにフル回転しており、他のウェブ上の情報資源群とともに運動を支える大きな役割を果たしている。

 インディメディアが運営するウェブサイトは、インターネット上の情報集積場として機能している。現場の活動家を含む誰もがセンターのウェブサイトにアクセスしてテクスト、写真、ムービーなどで構成されるディジタルの情報を投稿できるようになっており、そこにはマスメディアではフォローされない情報で溢れかえっている。

 インディメディアにはただ一つの投降規定がある。それは情報資源の著作権をコピーレフトのもとに置くことである。コピーレフトとは、情報は公開され共有されるべきであるとする思想のもとに考え出された逆説的なコピーライト(アンチコピーライト)の一形態であり、簡単に言えば著作権フリーを意味する[11] 。誰もがインディメディアにポストされた情報資源を気兼ねなく利用できるのである。ポストされた情報が瞬時に全世界に公開され、共有される可能性が大きく開けたことのインパクトははかりしれないだろう。

 インターネットを媒介にする点では情報格差の問題があるが、情報資源の共有化によるナレッジ・ベースの解放と民主化が社会運動に与える影響は無視しえない。現にマスメディアの情報コントロールとは無縁の、このメディアアクティビズムと社会運動との遭遇は運動の在り方にまで影響を及ぼしている。

 インディメディアのウェブサイトでは、運動内外の議論も頻繁に行われており、議論は現場に還元され、現場からも再帰的にこれらの自律メディアに還元される構造にある。インターネットを媒介とする自律的情報運動がもたらした変革は、一部の運動体ないし行動体の組織化にも見られる。行動のスケジューリングに際しては、ウェブに出せる範囲の情報が公開されてコアメンバにも広く参加が呼びかけられ、多くの人々が結集するというその形態こそがまさにネットワークと言える。行動ごとに結集して、散る。その形態は決して固定化したものではなく、不定形で動的である。また、信頼のおける仲間だけに向けられていたメッセージが瞬時に広く公開されるということは、組織の分散的な性格も強める。強力なヘゲモニーがなくとも、様々にズレを含みながらも多くの運動体がそれぞれ行動の組織化をはかることが可能な時代を我々は今迎えているのである。

 またそもそもインディメディアに限らず、抗議行動に参加する活動家がネット上のリソースを利用する態度はきわめて重要である。シアトル行動においても、ウェブサイト・メーリングリスト・チャット・掲示板(会議室)などを利用した情報の提供と交換が頻繁に行われた。こうした情報集積を前提とする行動の機動的な組織化は、ロサンゼルス・タイムスをして「チャットルーム革命」と言わしめたほどだったのである[12]

分裂を包摂して

 多国間機関などの会議に対する街頭での抗議行動という反グローバリゼイション運動の様式が定着したのは、1997年6月のアムステルダムEUサミット反対デモ、12月のOECDバリ本部に対するNGOによるMAI(多国間投資協定)反対デモ以来であろう。この当時はグローバリゼイションに反対する闘争として大きく取り上げられることはなかったが、民衆の国際的な闘争という意味では先駆的であった。1998年6月のバーミンガムG7サミット、1999年6月のケルンG7サミットに結集した人々の、引き続く経験と対外的なインパクトはさらに拡大した。債務帳消しを求めるNGOを中心とした連合体であるJubilee2000は、3万5千人を動員してサミット会場を取り囲み、G7から700億ドルの債務削減の公約を勝ち取っている[13]

 これらの先験的な大衆闘争の結果を踏まえて、従来の市民運動を構成するNGO諸団体、消費者団体、環境団体、労働組合、農民組織から、資本主義そのものを打倒しようとするアナキストやボルシェヴィキとその系列の労組群、そして反資本主義者と自認して活動する人々が直接的な抗議行動の意義を看取し、先進国首脳会議、ブレトンウッズ機関の会議に対する抗議行動に急速に結集しはじめた。その最初の結節点がシアトル抗議行動だったのである。

 しかし、一定の譲歩を各国政府や国際機関から引き出すことを目的とするNGOの間ですら対応は別れる[14] 。シアトルにおいてはWTOに影響力を行使することを直接の戦略とするNGOネットワークが結集したが、この内部でさえも、戦術として抗議行動にも参加するのか、あるいはロビー活動に重きをおくのかというスタンスの違いが存在した。そしてWTOの修正に意義を認めずその解体を求めたNGOや、労働組合、農民団体、左翼、アナキスト、反資本主義者はもとより抗議の示威行動そのものを手段として採用した。しかし街頭闘争を戦術として採用する陣営においては、破壊活動を含む激しい抗議行動の是非をめぐる分裂がある。特に、近年その存在がクローズアップされてきた反資本主義者と呼ばれる人々の一部の「過激」な抗議スタイルが物議をかもしおり、革命的左翼を自称する人々の間ですらその評価をめぐって相反する立場が見られる[15]

 とはいえ、シアトルの闘いは街頭からの圧力によって実質的にWTOの諸種の会議を中止に追い込み、ついには閣僚会議も開催させずに終わらせたのである。この意義は社会変革を望む人々に承認されるだろう。翌年のプラハIMF/世銀年次総会を実質的に流会に追い込んだ闘いもまた、直接的な抗議行動がなければ到底実現されるものではなかった。闘う側の路線対立・分裂を含みながらも、数々の国際会議を中止・延期に追い込んできた抗議者たちの総体としての実力があったからこそ、2001年9月のジェノヴァサミットにおけるG8首脳の態度に大幅な譲歩が認められたと捉えるべきだろう。

論争を呼ぶ直接行動派の闘争

 シアトルの闘いにおいて、アナキスト・反資本主義者を自称する一群の人々が直接行動によるプロパガンダを行い、闘争参加者の他の潮流から多くの非難を浴びたことは記憶に新しい。ブラック・ブロックなどの直接行動派の反資本主義者はマクドナルドやスターバックスなどの多国籍企業の店鋪や、あるいは銀行などを襲撃し、ショーウィンドウを破壊するという激烈な行動に出たが、マスコミはこれに飛びついて喧伝し「シアトル暴動」として演出した。そのことも手伝ってか、これらの直接行動が治安当局の無用な弾圧を招いたとする批判などが出されたのであった。

 同様の状況は反グローバリゼイションの幾多の闘争に常に見られる。「ヨーロッパ2001 レジスタンスの夏」と呼ばれたEUサミット反対闘争においても、直接行動派の反資本主義者に対して、「黒いファシスト」という浅薄なものから「無用に弾圧を招いている」という戦術に関連するものまで、多くの批判が様々な運動体から出されている。ジェノヴァサミット反対闘争において犠牲者[16] が出た後に、ATTACフランスの幹部による「ブラックブロックは警察に内通した挑発グループ」という情報を無原則に垂れ流すプロパガンダが行われ、ウェブで公開されているATTAC内部のニュースレターなどでも運動総体からの放逐を目的とするかのような性急なキャンペーンが行われており[17] 、またATTACを支持する第四インター派のトロツキストは戦術批判をしている[18] 。さらにアナキスト内部においても戦術批判が出されている[19]

 しかしシアトルにおいては、警察力も含めすべての暴力の原因が直接行動派に押し付けられる事態を憂慮したACMEコレクティブが、無原則的な非暴力主義を批判してブラック・ブロックについて噂される神話を拒絶するコミュニケを発している[20] 。ACMEコレクティブはブロックに結集した個人が形成した幾つかの集団のことである。

 このコミュニケの詳細については本誌で今後紹介・検討される機会があると思うが[21] 、ここではさしあたってコミュニケのなかの次の指摘を見ておこう。コミュニケ中で言及された「ブラック・ブロックに関する10個の神話」の一部である。

 「4.『ブラックブロックが11月30日の状況をエスカレートさせ、無抵抗で非暴力的な抗議参加者達が催涙ガスをあびる結果となった。』このことに回答するためには次のことを指摘するだけで良いだろう。催涙ガス・ペッパースプレー・ゴム弾での射撃は、全く持って、(我々が知る限り)ブラックブロックが器物破損行動を行う前にはじめられたのだ。さらに言えば、我々は、それが器物破損行為を行おうと行うまいと、いかなる形態の抗議行動であれ、抗議行動と警察の抑圧とに因果関係を確立しようという傾向には抵抗しなければならない。警察は、富を手にした少数の利権を保護する責任を持っているのであり、暴力行為の非難がこうした利権を保護している人々に向けられることなどありえないのだ。
  5.逆に、「ブラックブロックは、警察の抑圧に対する反応として行動していた」という噂もある。これは噂の中ではブラックブロックに対して好意的なものではあるが、それでも誤りである。自分達が純粋な反作用的力だと曲解されるのはご免である。ブラックブロックの行動論理を理解できない人もいるだろうが、いかなる場合であれ、それは前もって計画が練られた積極的論理なのだ。
  6.「ブラックブロックは怒れる青年たちだ。」その根底にあるムカつくような年齢差別主義と性差別主義をうっちゃっておいても、これは誤りである。器物破壊行為は、単なるマッチョな民衆煽動でもなければ、男性ホルモンが誘導した怒りの発散などでもない。代償行為でも反射的怒りでもないのだ。器物破壊行為は、大企業利権に対する直接行動を、戦略的にも本質的にも、狙っているのである。」

ブラック・ブロックとは何か

 ブラック・ブロックが最初に登場したのは、戦争政策に反対する88年のペンタゴン行動だった。街頭での破壊活動に及んだのは湾岸戦争に反対する行動においてであり、このスタイルが以降継続しているわけである。その抄史についてはウェブサイト「Black Blocs for Dummies」[22] でまめられている。そこでは、1980年代にドイツに登場したアウトノミアの運動に影響を受けたとされている。

 そもそもブラック・ブロックはスタティックな組織ですらない。それはアナキストとそのアフィニティ(近親者)による現場共闘集合であり、行動ごとに結集して解散する、一時的な自律ゾーンを動的に形成する行動体である。ブロックの行動には、行動ごとに様々な個人・グループが結集する。それはブロック参加者の声明が常に一参加者として発せられ、ブロックの総意としては書かれていないことによく示されている[23]

 あるいはまた、ブラック・ブロックは常に同じように行動しているわけではない。でっち上げで死刑判決を受けている元ブラックパンサーの活動家ムミア・アブ・ジャマルの救援闘争には「平和的」に参加するブロックメンバも存在する。2001年4月のケベック反FTAA闘争においては、数カ月前から「非暴力直接行動」の訓練を行って闘争に臨み、またデモの場は平和主義者たちとは別個に形成し、FTAA会議場を取り巻く「恥の壁」(鉄柵)を襲撃して一部を破壊した。また街路を占拠して一時的な「解放区」をも現出せしめた。常に多国籍資本の私有財産破壊に終始しているわけではないのである。

 なおケベック闘争においては重装備の機動警察隊とぶつかりあう激しい闘いは、米国からのブロックだけでなく、現地の「フランス語をしゃべる」[24] ブロックや、CLAC-CASA[25] 、NEFAC[26] などの現地のアナキスト組織の活動家や、米国から参加した毛派共産主義者の Red Flag などが結集した。ここでは各人が常に助け合いながら闘争を貫徹した。そのことは弾圧を想定して予め法的に擁護するチームをつくり、街頭救護班や簡易野戦病院まで形成したことにも表れている。反資本主義者の激しい闘争は400名以上の逮捕者を出したが、救援活動が超党派的に行われている。その経緯はケベックのインディメディアに出ているし[27] 、アナキストの報告[28] の他にも、毛派の革命的共産党(米)の報告がある[24]

 しかし、ブラック・ブロックの組織の在り方についてはやはりそう簡単には理解されないと思われる。破壊行動が結果として警察の弾圧を呼び込んだとして(しかしシアトルにおいては留保が必要な状況についての説明が上記のコミュニケに出ている)、誰がそのケツを持つのかという疑問は当然出てこよう。これは常に問われる仁義の問題であり、闘争の場を共有する他の潮流との対話がブロックに求められ続けるはずだ。ただ、そうした批判がありうべきものだとしても闘争の場を一体誰が独占できるのかという逆の疑問は残る。なお、シアトルに限って言えば当事者のACMEコレクティブは先に引用したコミュニケで次のように語っている。

 「8.「ブラックブロックは無秩序状態で、混乱していて、日和見主義的な暴徒だ。」我々の多くが「無秩序状態」とは何を差すのかについて数日間討論できることは確実だが、我々が混乱していないことも確実である。組織は、流動的で、動的なものでもありえただろうが、それはタイトだったのである。日和見主義だという嫌疑について言えば、行動に参加している何千人もの人々が、自分の政治議題を前進させるべく、シアトルに創り出された機会を利用し「なかった」などと誰が想像できるだろうか。それならば、問題は、我々がその機会を創り出す手助けをしたかどうかなのであり、我々の大部分が確かに手助けをしたのだ(このことが次ぎの神話を創り出しているが):
  9.「ブラックブロックは問題を分かっていない。」もしくは、「ブラックブロックはN30を創り出した活動家ではない。」我々は職業的活動家ではないが、シアトルでのこの集中行動に向けて活動して来た。この集中行動のために、自分の街で活動してきた者もいれば、数ヶ月前からシアトルに入って活動してきた者もいた。確かに、30日に街路に出て来た何百という人々に対する責任を我々は持っていたが、その非常に少数が、ブラックブロックと関係していたのだった。我々の大部分は、グローバル経済・遺伝子工学・資源の消耗・輸送・労働実践・土着の自律性の消滅・動物の権利・人権問題の様々な効果を研究してきており、何年にもわたってこうした諸問題に関する活動を行って来たのだ。我々は誤った情報に動かされているのでもなければ、経験が無いわけでもないのだ。」

反資本主義者とアナキスト

 反資本主義者を意識的に自称する一群の人々は古典的なアナキストではないとする評価がある[29] 。しかしそれは一方的な見方である。そもそもアナキズムは一つのまとまった思想的傾向を言うものではなく、本質的には古典も新興もないからである。「行動によるプロパガンダ」はかつてアナキストが強力にすすめた運動でもあった。

 現代の街頭における直接行動派の行動様式が新奇に見えたとしても、その思想の本質が特別に新しいとすれば実態を見誤っている。例えば、ブラック・ブロック参加者のテキストには常に社会革命を称揚する言葉が見られ、また私有財産を否定する意見も表明される。何のための行動体なのかは明確である。アナキスト革命のためである。行動様式への評価はともかくとして、NEFACなどの無政府共産主義者が連帯するのもそれが理由なのだと思われる[30] 。ケベックの闘いに際してのCLAC-CASAによるブロックとの共闘も、その立場と目的への理解がなければありえない。

 また、ワシントンDCのACC[31] も同様の立場である。9月末のアメリカ国家の戦争に反対する大規模なデモのうち一つの潮流を形成したのはACCとそのシンパたちであったが、彼・彼女らはまさに戦争に反対するアナキストの黒いブロックを街頭において組織した。9・11事件がなければ中止とはならなかったであろうIMF/世銀の会議に対抗してその解体を叫ぶ行動をぶつけていたはずである。ACCは現在、2002年1月末から2月上旬にかけてニューヨークで行われるWEF会議に対する闘争を呼びかけている[32]

 その一方で、アナキストの陣営からもブラック・ブロックに対する戦術批判が出されていることは前述した。

 反資本主義者には激しい街頭闘争を実行する黒い潮流があれば、別の潮流も存在している。これらの人々は戦術としては破壊活動は採用しないためか、反グローバリゼイション陣営において、ブラック・ブロックのように一方的に論難されるということはない。その代表的なのが「白い作業服」と「Ya Basta!」[8] である。この二つのグループは反グローバリゼイションの抗議行動において、ほぼ同じ役割を担う。即ち、共同で自らを盾として警官隊の阻止線突破を目指し、あるいは「平和的なデモ」と警官隊との緩衝となることである。それはプラハ反IMF/世銀闘争において顕著に現れ、イェーテボリ闘争ではイギリスの白い作業服であるWOMBLES[33] の登場はデモ隊に歓迎された。WOMBLESはジェノヴァ闘争にも参加し、イタリアの白い作業服Tute Bianche[34] とともに行動した。ところがYa Basta!の一グループが破壊活動を行うアナキストを物理的に攻撃し、目撃したWOMBLESがそれを批判しており、白い作業服−Ya Basta!の潮流も決して一枚岩ではないことを示している。

 筆者は個々のグループについて詳細に検討せずに決めつけることはなるべくしたくない。反資本主義者と呼ばれる人々ついて簡単に断じることは避け、これまでに現れた外在的な論評に対して単に事実を対置するに止めておく。

結語に変えて

 本論は雑誌刊行のスケジュールもあって早急にまとめた。そのためにまとめたと言いながら、まとまりのない内容になってしまった。実際にアナキストの運動がどのように反グローバリゼイション運動に寄与し、あるいは介在しているのかということについては、本論の記述だけでは不充分であることは筆者も自覚している。その表装のみが語られやすい「新しいアナキスト」についての実態 ——そしてそれはマスメディアによって歪曲・隠蔽されがちなのだが—— については最低限の説明を試みたつもりである。しかし反グローバリゼイション運動への参与ということで見れば、他のアナキストやアナルコ・サンディカリストの闘いについても言及すべきであると考えるが、今回は一切紹介できていない。しかもこれらの隊列から戦術をめぐる「行動によるプロパガンダ」派への批判が出ていることは指摘する必要がある。本誌でも今後、グローバリゼイションとアナキストに関して検討する機会があるかもしれないが、筆者自身もまた継続的に考え、そのつたない結果を議論の資として提出できればと思う。

noiz
2001年12月

[1] Anti-Capitalism Action。ウェブサイトの説明では「資本のグローバリゼーションに対抗するための個人共闘(野合)の行動組織」。http://mypage.naver.co.jp/aca/

[2] 同様にウェブのリソースを見ると、ACA以外にもAASJA(反侵略アジア学生共同行動、http://aasja21.hoops.ne.jp/)、SYC(新自由主義・国家主義と対決する学生・青年ネットワーク、http://homepage2.nifty.com/synet/)などのグローバリゼイションに反対する組織があるのに気付く。

[3] 街頭での激しい直接行動を含む反グローバリゼイションの抗議行動は、1999年11月のシアトルWTO会議、2000年9月のプラハIMF/世銀年次総会、2001年6月のバルセロナ世銀会議などを流会させ、4月のケベックFTAA首脳会議、5月のナポリサミットは行動の盛り上がりによって部分的な閉会を余儀なくさせた。
 さらに、「ヨーロッパ2001 レジスタンスの夏」として、スウェーデン・イェーテボリを皮切りに、スペイン・バルセローナ、オーストリア・ザルツブルグ、ドイツ・ボンと連続してEUサミットなどに反対する大規模な闘争が闘われ、9月のジェノヴァG8サミットに至って各国主脳に間に恐慌を巻き起こした。運動は実力で政治に介入しているのである。
 11月のドーハWTO会議では9・11事件以降の状況を利用して開催されたこともあって、ようやく政策決定者たちが新ラウンドの取り決めを行うに至った。だが米英の「報復」戦争がどれだけの期間に及ぶかにかかわらず、反グローバリゼイション運動は継続する。むしろ戦争長期化による矛盾の増幅によって運動が激化する可能性は誰にも否定できない。
 現に11月にはベルギーで反EUサミット行動、全世界で反WTO闘争、10月から11月にかけては、カナダ・オンタリオでOCAPなどによって貧困に反対する行動が闘われた。さらにカナダ・オタワでは反G20/IMF/世銀に対する抗議行動が闘われている。本誌が発行されるころにはすでに12月のベルギー・ブリュッセルにおける反EUサミット闘争が闘われているはずである。またOCAPは2002年にも闘争を継続する。左翼統一戦線のOCAPについてはウェブサイト参照のこと。http://www.ocap.ca/

[4] laisser-faire[仏]。市場は「神の見えざる手」によって支配される、つまり市場は自動的にうまく調整されるから自由にさせておくべきだという立場。自由放任主義。転じて、企業の自由や私有財産に対する(国家の)干渉を最小限にとどめようという主張でもある。市場自由化論としてのリバタリアニズムやアナルコ・キャピタリズムはその現代的焼き直しである。

[5] 1944年7月、第二次世界大戦終結を見越してブレトンウッズ会議で創設されたため、IMF/世銀の両機関はブレトンウッズ機関と呼ばれる。両機関ははじめ復興機関としての役割を担っていたが、歴史的経緯とともにその役割を変化させ、先進国の融資・開発政策のための金融面での尖兵としての性格を強めてきた。特に利息付きの融資と引き換えに大規模な構造調整を押し付けるその政策は批判の槍玉にあげられている。

[6] 新自由主義的立場に立つ社会学者フランシス・フクヤマの言葉

[7] サパティスタ民族解放軍。アメリカ合衆国・カナダ・メヒコ間の自由貿易ブロックである北米自由貿易協定(NAFTA)の発足に照準を合わせ、1994年1月1日にメヒコ南部のチアパス州で先住民族の自治と権利擁護を求めて武装蜂起した。以来その闘いは続いている。2001年2月には大行進を組織して首都に向けて出発し、3月代表団が国会で演説、チアパスに帰還した。

[8] 欧米で急速に増殖した「Ya Basta! (もうたくさんだ!)」グループはサパティスタに触発された行動体で、反グローバリゼイション運動では警官と直接対峙する役割を担うなどその存在は注目されている。アメリカンフットボール選手のようなプロテクタとヘルメット、自作の盾という出で立ちが目を引く。ヨーロッパでは特にイタリアにそのコレクティブが多い。行動の状景については NYC コレクティブのウェブサイトに掲載されている写真を参照されたい。
http://free.freespeech.org/yabasta/pictures.html

[8] 欧米で急速に増殖した「Ya Basta! (もうたくさんだ!)」グループはサパティスタに触発された行動体で、反グローバリゼイション運動では警官と直接対峙する役割を担うなどその存在は注目されている。アメリカンフットボール選手のようなプロテクタとヘルメット、自作の盾という出で立ちが目を引く。ヨーロッパでは特にイタリアにそのコレクティブが多い。行動の状景については NYC コレクティブのウェブサイトに掲載されている写真を参照されたい。
http://free.freespeech.org/yabasta/pictures.html

[9] マニラでの反WTO闘争については、土地を持たない農民の運動体である「フィリピン農民運動」のウェブサイトに報告が出ている。
http://www.geocities.com/kmp_ph/strug/streetconference/streetconf.html

[10] インディペンデント・メディア・センター(IMC: Independent Media Center)。http://www.indymedia.org/
 設立の経緯については Steven Bodzin「WTO会議の「外」を報道するジャーナリストたち」を参照。http://www.hotwired.co.jp/news/news/Culture/story/3409.html

[11] コピーレフトの思想については生みの親であるGNUのウェブサイトを参照されたい。http://www.gnu.org/philosophy/philosophy.ja.html
 またインディメディアのオープンコンテンツというポリシーについては Michelle Delio「厳戒体勢のニューヨークで人気を集めるオープンソース情報サイト」を参照。http://hwj.corecolors.com/news/news/20000911206.html

[12] The Chat room revolution makes a WTO meeting in Seattle clueless / Los Angeles Times Dec.6, 1999
 この状況をレポートした次の文章も参照されたい。津村洋「N30からJ20へ 日本的・左翼的メディアとWTO抗議闘争の教訓」『国際主義』34号 
http://www.ngy1.1st.ne.jp/~ieg/ieg/inter/vol3-1/n30-j20.htm

[13] 北沢洋子「Jubilee2000総括論文 国際政治を動かしたJubilee2000国際キャンペーン」http://www.jca.apc.org/parc/opinion/jubilee.html

[14] ケルンサミット反対闘争で活躍したJubilee2000も、2000年9月のプラハIMF/世銀抗議闘争(S26)においてIMFを交渉相手と見るのか抗議対象と捉えるのかで対応が分裂した。IMF/世銀は明らかにNGOの取込みをねらってシンポジウムに招き、それはある程度成功した。これに参加したNGOはデモには参加しなかったからである。北沢洋子「プラハのデモの分析」http://www.jca.ax.apc.org/parc/opinion/antiglob.html

[15] 本論で後述するように、ATTACや、これを支持する第四インター派のトロツキストはブラックブロックの破壊行動に対して戦術批判を行っているのに対し、スパルタシスト(国際共産主義者同盟、第四インターナショナリスト)は街頭における「革命的」な行動を擁護し、革命的左翼の立場について言及している。街頭行動の戦術批判をめぐって相反する評価は、アナキストの諸潮流においても見られる。

[16] 準軍装警察(カラビニエリ)の車輌に消火器を投げ付けたカルロ・ジュリアーニが、車輌のなかにいたカラビニエリに拳銃で射殺されるという事態が引き起こされた。カルロは直接行動派の反資本主義者だった。享年23歳。翌日の抗議デモはあわてて退散したNGOなどが見られたものの、最終的に30万人に達したと伝えられた。ジェノヴァサミットに臨んでイタリア政府は5千人の対都市ゲリラ戦憲兵を用意し、当日には内務省管轄の警察、防衛省管轄の準軍装警察(カラビニエリ)、財務省管轄の警察をフルに動員した。

[17] スーザン・ジョージ(フランスATTAC副会長)「「反グローバリゼーション派」に逆襲する自由主義体制」http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/0108.html
 エリック・トゥーサン(CADTM-COCA)「ジェノバG8反対行動を終えて—— これからの運動の発展に向けたメモ」http://www.nifty.ne.jp/forum/fenv/prweb/press05/00888.htm
 ATTACニュースレターのなかでブラック・ブロックに対する批判が過熱して「挑発者」「警察と密かに話していた」などという決めつけが出るに及んで、さすがに揺り戻しがあった。戦術批判をこそすれ、運動のラディカルな部分は運動全体が責任を負うべきである、とする意見である。しかしATTAC副会長スーザン・ジョージのテクストは公にされた文書である。Pierre Khalfa「ジェノバのあとで - 暴力についてのいくつかの考察と運動の現在の状況」
http://www.nifty.ne.jp/forum/fenv/prweb/press06/00065.htm

[18] 「ジェノバ・サミットとの闘いが示したもの(中) 階級闘争の新しい時代が始まった」『かけはし』2001.11.12号

[19] <<<アナキストからの批判について>>>

[20] N30 Black Bloc Communique (ACME Collective 10:48am Sat Dec 4 '99) http://www.infoshop.org/octo/wto_blackbloc.html

[21] 本誌の編集委員によってブラック・ブロックの各種テキストの翻訳が進められている。続刊が不可能な場合はウェブ上にリソースが提出されることを期待する。

[22] このウェブページの翻訳版が『Anarchist independent Review』の最終号に掲載されている。 http://www.infoshop.org/blackbloc.html

[23] 2000年8月に公表された、歪曲したマスメディアの報道に対するブラックの声明の主体もまた一つの参加グループのものとなっている。August 8, 2000, Anarchist Black Bloc Press Release, Statement from R2K Black Bloc http://www.infoshop.org/news5/philly_bb.html
 ジェノヴァG8サミット反対闘争では、すべての暴力の責任をブラック・ブロックに負わせる論調が現れたことに対して、ブロック参加者が参加者として抗議声明や反論を出している。
 Statement by Black Block activists, Genoa, July 21st 2001, by participants of the Black Block http://www.infoshop.org/news6/genoa_bb_statement.html
 Letter from Inside the Black Bloc, Mary Black, July 25, 2001 http://www.alternet.org/story.html?StoryID=11230

[24] The Battle of Quebec City, From the frontlines of the anti-FTAA confrontation, by Orpheus 
http://www.rwor.org/a/v23/1100-99/1101/quebec_ftaa.htm

[24] The Battle of Quebec City, From the frontlines of the anti-FTAA confrontation, by Orpheus 
http://www.rwor.org/a/v23/1100-99/1101/quebec_ftaa.htm

[25] CLAC は la Convergence des Luttes Anti-Capitalistes (the Anti-Capitalist Convergence) の略称。反資本主義者集合。本拠はモントリオール。反FTAA闘争に際してケベックで CASA (le Comite d'Accueil du Sommet des Ameriques, the Summit of the Americas Welcoming Committee) を発足させた。つまり同じ組織である。CLACは2001年11月の反G20/IMF/WB闘争にも参加している。http://www.quebec2001.net/

[26] Northeastern Federation of Anarchist-Communists(無政府共産主義者北東連合)。http://flag.blackened.net/nefac/

[27] http://quebec.indymedia.org/

[28] anti-FTAA Protests http://www.infoshop.org/octo/ftaa.html

[29] 北沢洋子「ケベックFTAAサミットについて」 
http://www.jca.ax.apc.org/parc/opinion/ftaa.html

[30] NEFACはケベックの闘いで共闘する以前に、シアトルの闘いにおけるブロックを支持する連帯声明を発している。Solidarity Statement to the Anti-WTO Anarchist Black Bloc 
http://flag.blackened.net/nefac/statements/blocsolidarity.html

[31] Anti-Capitalist Convergence。カナダのCLACと同名のアナキストの組織。http://www.abolishthebank.org/

[32] CALL FOR AN ANTI-CAPITALIST CONVERGENCE AGAINST THE WORLD ECONOMIC FORUM IN NEW YORK CITY (JANUARY 31- FEBRUARY 4)  
http://www.abolishthebank.org/wef2002.html

[33] WOMBLES http://www.wombleaction.mrnice.net/

[34] Tute Bianche http://www.tutebianche.org/


https://web.archive.org/web/20050405040636/http://a.sanpal.co.jp/aic/artikloj/resistance_anti-capitalist.html(2023年2月20日検索)
原注:※このテクストは『アナキズム』誌1号 (2001.12) に掲載されたものに誤字・誤植訂正やハイパーリンクの追加などの修正を施したものである。