イントロダクション

2024年で「ブラックローズ゠アナキスト連盟/ローサネグラ゠アナキスト連盟」(BRRN)は設立から10年を迎えた。左翼の多くは、私達が何者で何を目指しているのか分かっている。だが、私達はどこから来たのだろうか?いつ・どのようにして・何故、アナキスト闘士達は1990年代以降で米国初の全国的リバータリアン社会主義組織を創設したのだろうか?

BRRNは米国の様々な地域グループ・地方グループによる数年間の統合プロセスを通じて創設された。これらのグループは、究極目標としてリバータリアン社会主義を掲げ、大衆運動を通じた民衆権力構築を根本に据えた戦略的焦点を持って集結した。当時も今も、単なる成り行き任せで時代の危機と可能性に取り組んではならないと私達は感じている。現代の緊急性は、明確な革命的社会変革ヴィジョンを必要とするだけでなく、この計り知れない目標を達成するための一貫した実行可能な戦略も求めている。だからこそ、十年以上前から様々な革命家グループが結集し、長期的革命戦略の必要性を理解し、私達を前進させる媒体として政治組織を認めてきたのである。

この記事の目的は、特に米国の組織的アナキズムの文脈で私達の歴史を簡単に紹介し、同時に、私達の影響力を手短に述べ、私達の成果を概観することである。

ブラックローズ/ローサネグラ前史:米国アナキズムの勃興と復興

1870年代から1930年代まで、アナキズムは米国社会主義運動内で影響力ある潮流だった。ヘイマーケット殉教者の時代に、アナキストは日刊紙を運営し、独自の中央労働組合を結成し、一日8時間労働を求めた闘争を率いた。PLM(メヒコ自由党)のマゴニスタは、米国側国境で秘密ネットワークを組織して1910年のメヒコ革命の口火を切った。IWW(世界産業労働者)はアナキズムの影響を受け、革命的労働組合主義の旗の下、多民族で女性も含めた極めて重要なストライキを主導した。この時代のアナキズムは、主として、ドイツ人・イタリア人・メヒコ人・キューバ人・ユダヤ人・スペイン人・カリブ人・ロシア人といった様々な移民労働者コミュニティに根差していた。

第二次世界大戦後、アナキズムの影響力は、その基盤だった移民層が米国での米国的生活様式に上手く同化したために損なわれ、マルクス主義に大きく凌駕された。数少ない例外を除き、アナキズムの政治傾向は知的傾向に変化し、社会運動とほとんど関係ない平和主義や奔放主義といった道徳的・文化的理念を推進するようになった。1960年代の新世代の急進主義者がアナキズム思想を取り上げたものの、この時期の信奉者達はアナキズムの政治を主に社会基盤を持たない文化的プロジェクトとして扱い続け、建設的プログラムや戦略よりも、マルクス主義左翼の拒絶と反権威主義的個人主義で定義していた。

1970年~1980年代にも、アナキズムは主としてサブカルであり続けた。ただ、この時期にはアナキストが全国的に組織されたネットワークを形成し、地域グループ間の行動と連絡を調整しようとする取り組みが再び現れた。こうした取り組みの例が、「社会革命的アナキスト連盟」(SRAF)と「北米無政府共産主義者連盟」(ACF)である。しかし、こうした取り組みには結束力も共通政策も、共通戦略に類するものもなかった。この時期を評価する上でもう一つ重要な点は、アナルコサンジカリストの「労働者連帯同盟」(WSA)や再活性化したIWW内のアナキスト組合員といったグループによる労働運動内でアナキズムの影響力を再構築する活動である。この時期、投獄されていた「ブラックパンサー党」や「黒人解放軍」の元メンバーを中心にブラックパワー運動の数多くの人物が、公民権運動のトップダウン型改良主義とブラックパンサー党のレーニン主義的前衛主義を批判し、アナキズムに傾倒していった。

1990年代の米国アナキズムをひとえに特徴づけていたのが「ラヴ&レイジ革命的アナキスト連盟」だった。多くの場合、広く読まれていた機関紙『ラヴ&レイジ』の名で呼ばれている。このグループは1991年にミネアポリスで設立され、反戦・中絶権・反ファシズム運動に断固として参加する活動主義で街頭抗議行動志向の政治を展開していた。重要なことだが、ラヴ&レイジは国際組織であり、メキシコシティで「アモール゠イ゠ラビア」と名乗り、地元で強い存在感を維持していた。政治的にラヴ&レイジは、当時の急進主義左翼の多くとは対照的に、現代政治と理論に関する幅広い討論会を主催した。また、1994年のサパティスタ反乱に強い影響を受け、反乱のニュースと翻訳資料を出版し、連帯活動をその重要な柱の一つにした。ラヴ&レイジが拡大するにつれ、ネットワーク型の組織から脱却しようと苦闘するようになった。その結果、ラヴ&レイジ内部に2つの派閥が生まれた。一つはより計画的な構造と戦略を発展させる必要があると考え、もう一つは既存の緩やかなネットワークを維持しようとした。この行き詰まりによって、ラヴ&レイジは1998年に解散した。

1998年のラヴ&レイジ解散は、遺産と生き生きした記憶を残し、「ブリング゠ザ゠ラカス」(BTR、2002-2012)・「北東無政府共産主義者連盟」(NEFAC、2000-2013)・BRRNを含む後続グループに影響を与えた。アナキズム政治組織への貢献としては、活発な内部討論文化、全国組織の構造・グループメンバーの期待と献身・米国白人至上主義の性質と多民族組織の必要性・現代革命戦略の諸問題を巡る議論がある。

NEFACは、1999年の反グローバリゼーション抗議行動「シアトルの戦い」をきっかけに結集し、2000年に結成された。米国北東部各地のグループ、カナダのケベックとトロントのフランス語圏グループが統合したのである。グローバルな綱領主義アナキズムの伝統を参考に、このグループは、反グローバリゼーション時代の「サミット゠ホッピング型」抗議行動から生まれたアナキストのエネルギーを方向付け、労働者と労働者階級コミュニティの組織化に根ざすよう急進主義者を方向転換させようとした。恐らく最も特筆すべきは、NEFACが北米アナキズム内で親組織的な階級闘争政治を発展させる勢力だった点にあろう。

BRRN結成に影響を与えたもう一つの要因は、アイルランドの労働者連帯運動(WSM、1984~2021)のメンバー、アンドリュー゠フラッドが米国とカナダの44都市で行った2007年~2008年の北米ツアーである。WSMはアイルランド反植民地(すなわち共和主義)運動の元活動家が設立し、キャンペーン活動・出版・綱領主義潮流の国際的推進という点で桁外れに多くの活動を行った。このツアーで行われたプレゼンテーション「アイルランドにおける民衆アナキズムの構築」は1990年代後半から2000年代後半までのアイルランドのアナキズム運動の成長を概説し、外向きの組織的運動を主張していた。アンドリューは地元のアナキスト活動家と追加会合も予定してくれた。

BRRNの創設

BRRN創設の過程は、招待されたグループと個々人が全国から集まり、パネルディスカッション・討論・講演を行う一連の会議から出現した。「現代階級闘争アナキスト会議」(CSAC)はニューヨークのWSAが他のグループの支援を受けて始め、2008年にニューヨークシティ・2009年にデトロイト・2010年にシアトル・2012年にニューヨーク州バッファローで開催された。シアトル会議の終わりに、参加組織の公式ネットワークが形成され、親交関係確立プロセスに合意した。個々のグループの代理人が、全国組織創設に向けた政治的団結の構築を公式目標として、系統だった議論と討論に参加したのである。

こうした活動はニューヨーク州ロチェスターで行われた2013年2月の大会で頂点に達した。ここで参加者は結束事項に関する文書の作成、そして2013年11月にシカゴで開催されるBRRN設立大会(ただ、新組織の公式発表は2014年1月になってからだった)の計画に集中した。この大会で採択された中核的決定事項には、共通の戦略的方向性を構築すること・局所的に活動するグループとコレクティヴを統一して全国組織へ統合すること・英語とスペイン語のバイリンガル組織になるよう努めることへのコミットメントが含まれていた。

このプロセスに参加していたグループは、北東部の「コモン゠ストラグル/ルチャ゠コムン」(2011年にNEFACが採用した新しい名前)の支部、「ロチェスター゠レッド゠アンド゠ブラック」、「マイアミ自治・闘争」(MAS)、シカゴの「フォースター゠アナキスト組織」、アイオワシティの「ワイルドローズ゠コレクティヴ」、そして「労働者連帯同盟」の個人メンバー達だった。このプロセスに参加していたものの、BRRN結成前に解散したグループには、カリフォルニアの「アマネセル:民衆アナキズムへ」、大西洋岸北西部の「コモン゠アクション」、カナダのプレーリー地方の「プレーリー闘争組織」がある。WSAと「5月1日アナキスト同盟」(M1AA)は参加を見合わせたが、同志的な関係を続けていた。BRRNの結成が正式に発表された後すぐに、テキサス州オースティンを拠点とするコレクティヴ「デスデ゠アバホ」のメンバーが統合プロセスを始めた。

影響と活動内容

BRRN設立時の政治に重要な影響を与えたのは、エスペシフィズモの政治だった。これは、ラテンアメリカ゠アナキズムの潮流で、1950年代のウルグアイで最初に形成され、ブラジル・チリ・アルゼンチンのアナキストに影響を与え、その後数十年でさらに精緻化された。エスペシフィズモから引き出される中核概念は、政治的・中間的・社会的レベルでの組織化の必要性、共通の政治的方向性を形成する上で現代の政治的契機と勢力を結合的に分析する重要性、革命的断絶・変革の梃子としての民衆権力の役割である。私達は民衆権力を独立した持続的で戦闘的な社会運動を構築する長期的プロセスと見なしている。これは、現在の支配的階級から改革を力ずくで奪うだけでなく、革命的社会変革を実行するために必要な能力と力を蓄積する機能を持つ。

設立当初、BRRNは優先的事項として国際関係を発展させ、アナキストの刺激的活動へ焦点を当てた。特にラテンアメリカでの活動について多くの文書とインタビューを翻訳し、2014年には「勝利への奮闘:チリで民衆権力を構築するアナキスト達」のような講演ツアーを企画して、全米22都市で約50のイベントを開催した。それ以来、BRRNは多くの連帯キャンペーン・国際会合への代表派遣・南米を中心とする世界中のアナキスト政治組織との継続的関係を通じて国際主義を優先し続けている。2023年にBRRNは、世界中の十数の綱領主義グループ・エスペシフィズモ゠グループのネットワーク「国際アナキスト゠コーディネーション」の正式メンバーになった。

初期のBRRNは強固な外部メディア゠インフラの構築にも焦点を当てていた。アナキズムの多様で運動に焦点を当てた対外的顔を示すためである。これには、ソーシャルメディアでの強い存在感、「フロム゠ビロウ゠ポッドキャスト」の創設、ブラック゠アナキズム・選挙至上主義に関する討論・ラテンアメリカのアナキズム・フェミニズム理論に関する読本や一連の記事の出版が含まれる。

社会運動の分野で、BRRNは現代の民衆闘争・労働者階級闘争に根差した大衆アナキズムの伝統を再構築すべく活動してきた。それは、教員の一般労働者組織作りやファストフード労働者の新しい労働組合構築から、連帯ネットワーク・民衆集会・ATUN(自律的テナント組合ネットワーク)と共闘したテナント闘争・身体の自治を巡るフェミニストの組織化と闘争・地元の都市でのファシストに対する反撃・キャンパスにおける学生の組織化・監獄国家の暴力に対する闘争まである。また、私達は、創設以来立て続けに起こった大規模な街頭抗議行動と反乱の多くに参加し、役割を果たしてきた。2014年のファーガソン暴動とNYC民衆の気候マーチから、2016年のスタンディングロック、2017年のウィメンズ゠マーチへの革命的フェミニストの介入とシャーロッツヴィル事件の前・最中・以後の反ファシズムの組織化、そして、2020年のジョージ゠フロイド反乱までがそうだ。

最も顕著な点として、BRRNは労働者・職場闘争に重点を置いてきた。私達のメンバーは医療と高等教育で新しい労働組合を設立する上で重要な役割を果たした。K-12(幼稚園から高校まで)と高等教育の主要なストライキに参加した。建築業で一般労働者の執行委員会を結成する手助けをした。新型コロナウイルス中には医療従事者の要求を提示した。パレスチナとBLM連帯キャンペーンを職場で組織した。レイバー゠ノーツ会議で組織的存在感を示した。労働組合と労働者闘争の情況について2019年時点の分析を発表した。何度も繰り返される単一争点で活動家志向の動員サイクルとは異なり、私達の方向性は、自分達が暮らし・働き・学ぶ場で、定着した運動構築と労働者階級権力の持続的基盤の創出を強調している。

トランプ時代とその先

2016年のトランプ当選と共に、米国は深刻な政治化と二極化の時代を迎えた。この時期、BRRNは目前にある脅威・好機の特定に重点を置き、発展しつつある局面をより良く理解しようと注力した。組織化活動の推進とメンバー数の大幅な増加を受け、この時期に私達は一連の戦略文書を発表した。例えば、2017年の「トランプの下で、トランプを越えて」、その続編である2018年の「反動の時代の民衆権力構築」、そして2018年の「カバノーと資本主義終焉のために戦うフェミニズム運動」という声明である。これらの文書は、米国支配階級の政治的危機の高まりとそれに続いて米国が経験した社会的・政治的二極化を論じていた。主たる見解として以下のものが挙げられる。極右の台頭と左翼・社会主義政治の成長(左翼の一部による選挙至上主義の台頭を含む)、非営利組織/非政府組織や官僚主義労働組合といった制度的左翼が支配する社会運動の壊滅的で無秩序な性質、明確なリバータリアン社会主義綱領に指導された下からの攻撃的運動を再構築する必要性である。

2020年のパンデミックとジョージ゠フロイド反乱の後、BRRNは内部対立の時期と格闘し、その結果、相当数のメンバーがこの組織を離れた。こうした悲惨な情況を招いた路線をそのまま継続するよりも、BRRNのメンバーは、組織を反省し、再編し、新たな方向付けをすべく、公的活動を2年間休止する決断をした。この自己点検の時期を経て、私達はより簡潔で計画的な全国的組織戦略を策定する目的で、1年にわたる集団的討論と分析のプロセスを行った。この長く、時には骨の折れるプロセスによって、私達の組織にとって初の政治的計画「潮流を変える:民衆権力に向けたアナキストの計画」が生まれ、2023年のメーデーに発表された。この文書は、私達の取り組みに政治的・実践的明確さをもたらし、私達が直面している社会的・政治的・経済的支配構造についての私達の理解とこうした永続的構造が現在の局面を形成している方法の分析を概説し、私達が目指す世界の明確なヴィジョンを提示すると共に、目的達成のための戦略的・戦術的手段を明示している。

結論

結成から十年、ブラックローズ/ローサネグラは組織生活のあらゆる側面で成長し続けている。私達は、政治的に議論し、討論し、自らを成長させるという継続的実践に注力している。そして、私達のプログラムの導入はこの点で大きな前進を示していると信じている。メンバー数は増加し、米国の主要都市のほぼ全てに新しい支部と連絡先がある。ブラックローズ/ローサネグラのメンバーは労働者・テナント・学生・近隣住民の組織化部門など、自分達が社会に入り込む場で以前にまして深い根を下ろしている。私達は既存姉妹組織との連携や、私達の潮流に乗り始めた新興組織への支援を通じて国際関係を強化している。

私達が踏み出す一歩一歩は、国際労働者協会のようなグループに代表される米国における初期の組織的アナキズムから、私達の組織に直接先行する諸組織に至るまで、先人達の活動に影響されている。彼等の歴史は私達の歴史であり、私達も同じ道を歩んでいる。だからこそ、私達は、実効性ある革命的組織にとって、共有された歴史的記憶の保持と伝達が必要だと信じているのだ。