タイトル: 自閉症とアナーキー:現実の自閉症コミュニティは階級コミュニティ
発行日: 2024年3月
ソース: https://note.com/bakuto_morikawa/n/naca62c181c7f(2024年4月22日検索)

この記事を書くのはとても大変でした。多くのライターのように、執筆に伴う強い感情を乗り越えるのが難しかったとか、インスピレーションが湧かなかったとかいう意味ではありません。そうではなく、文字通り、コンピューターを開け、執筆場所を整え、キーボードに集中するには、私の複雑に絡み合った実行機能が紆余曲折するのを全て乗り越えて自分を充電するために、膨大なエネルギーを使わねばならないという意味です。支援と薬があっても、疲れ切って食事作りや子育てをできなくなったり、多くのことをやり過ぎて燃え尽きてうつになったりしてしまわないよう、常に執筆とのバランスを取らねばなりません。

労働価値説によれば、何かの価値はどれだけ人間の労働力を必要とするかによって決まるので、私が生産するものは何であれ物凄く価値があるはずです。しかし、商品市場では違います。私がこちらの砂漠で育てたレタスにプレミア価格がつかないのは、人々が、何故私がオランダと同じように草が生い茂った沼地で育てないのか不思議に思うからです。つまり、私が社会参加できるほどの水準で公正な生活水準を手にするためには、自分の労働に特権的価格をつける方法を見つけるか、労働の市場価格システム全体に反対するかしなければなりません。

ご存じでしょうが、多くの障がい者は個々の解決策を模索し、自分の労働が評価されるニッチを探そうとしています。私は人々が生存のために何をしているか裁くつもりはありません。ただ、それぞれが自分のニッチを見つけたからといって、私達のような人の環境全体が拡大するわけではありません。最も大切なのは、障がい者である私達の階級利益は、たとえ一部の人達がこのシステムを上手く利用できたとしても、労働を商品と見なす市場とは一致していないという認識することだと思います。

自閉症には共通経験があります。お互いに認め合う生活パターンがあります。前回の記事で論じたように、これがコミュニティ診断を可能にします。今回、私はこれに階級的次元を加えたいと思います。「階級」という言葉で私が意味しているのは、明確に定義された集団ではなく社会関係です。ただ、階級意識が私達をどのように集団として組織化できるのかも説明したいと思います。

エイブリズム(能力主義)は私達のエネルギーを盗むシステムです。私達が対応しなければならない物事です。エイブリズムは、邪な考えや偶然の偏見だから、懺悔や良い考えで洗い流さねばならないというものではありません。その根源は、一部の人にエネルギーが与えられるという事実、自身にエネルギーを集め、寄生虫が自己増殖のためにうずくまっているように利用しているという事実にあります。エイブリズムが存在するのは、障がい者の階級経験のためであり、望もうと望むまいと関係ありません。

一般に、全ての大きな「イズム(主義)」は収奪システムだと見なすのが最も有用だと思います。それらは、司祭が行うエクソシズム(悪魔祓い)のように教育で取り除けるような、人々の中のちょっとした悪い考えではありません。エイブリズム・セクシズム(性差別主義)・レイシズム(人種差別主義)・クラシズム(階級差別主義)は、継続的システムとして存在しています。私達のエネルギーを吸血鬼のように盗み続けているからです。繰り返しになりますが、これは搾取する側とされる側の階級関係を意味しています。

時として、左翼主義者でさえこれを理解しがたいようです。多分、マルクス主義は、(資本主義が)私達の労働を奪い、それを価値にすると私達を信じさせているのでしょう。だから、長年にわたり、マルクス主義者などの伝統的社会主義者は、価値が創造されないと考える社会領域を無視してきました。彼等は、女性の闘争と反レイシズムは、工場(労働を盗み、価値を創り出す場所)から注意を逸らすと考えていました。

しかし、私は、労働-強奪について別の見方をすべきと思っています。トニ゠モリスンの言葉を考えてみましょう:

「機能、レイシズムの本当に深刻な機能は、注意を逸らすことです。そのせいで自分の仕事ができなくなります。何度も何度も、あなたの存在理由を説明し続けるのです。」(訳註:原文はこちらの7ページ[35:46])

言い換えれば、搾取システムは大抵、あなたの労働を破壊するためだけに、あなたの目の前であなた自身のエネルギーを燃やすためだけに、あなたの労働を奪うのです。何の価値も生み出さないのに、支配が再生産されます。ここで私達は、女性達と黒人思想家達が明言していた労働・搾取の諸理論にエイブリズムと戦うインスピレーションを求める必要があると思います。白人至上主義と家父長制のように他者の労働を餌食にします。ただ、経済的生産もその一部ではあるものの、その中核は、資本の再生産それ自体ではなく、統制です。だから、私はエイブリズムをこのシステムのしわ寄せではなく、エイブリスト至上主義として考えています。

つまり、自閉症コミュニティにとって有意義な組織は、障がい者として共通の階級利益の認識に基づいているのです。多くの場合、それは逃避ではありません。逃避は、エイブリスト至上主義を取り入れ、調和しようとするようなものです。しかし、どれほど良い成績を収めても、どれほど良い障がい者であろうとも、エイブリスト至上主義の性質を変えません。劣等者という分類のために、あなたが必要なのです。

この至上主義が変わらないのは、皮肉なことですが、私達障がい者の問題ですらないからなのです。

丁度、白人至上主義が社会全体に規律を守らせるために存在し、家父長制があらゆるジェンダーに規律を守らせるために存在しているように、エイブリズムも全ての人を統制するために存在しています。というのも、私達は誰も充分な能力を持ち合わせていないからです。私達は皆、病気になり、年を取り、若くして生まれます。

だから、エイブリズムは経済的権威主義の至上主義システムです。空に浮かぶ大きな棒のようなもので、全ての人の頭を叩きのめすために使えるのです。病欠も産休もない。この仕事のストレスに耐えられないだと?お前は最悪だ。

障がいは万人の喉元に突き付けられたナイフです。これは撃退方法にヒントを与えてくれます。私達は皆、自分のエネルギーと労働を取り戻さねばならないと思います。

エイブリスト至上主義はこう言うでしょう。「何を言っているんだ?障がい者はエネルギーも労働力もないじゃないか。」これが要点です。

それでも、全ての人間は創造力とエネルギーを持っています。私達は、眼鏡を必要な人々が、目が見えないと思いません。逆に、ごく基本的な障がい者支援施策でさえ、障がいのある人々の生活を解放できると認識しています。結局、至上主義が私達のエネルギーを奪い、浪費できないようにしなければなりません。エイブリストの規範に合わせようとか、その規範に従って生産的であろうとかして少しばかりエネルギーを手に入れるのではなく、エネルギーの好循環を創り出し、「健常者」のふりをしなくてもいいようにするのです。

私がここで言いたいのは、誰も健常者のふりをする必要はない、ということです。誰も本当に白くないのと同じで、誰も健常者ではないからです。エイブリスト至上主義に対する闘争は、人間解放の一部に過ぎません。厳しいカテゴリーに対抗し、乱雑な本当の自己になれるようにするのです。

ですから、最初の論点に戻ると、私達の莫大な労働行為が劣等と評価されているとしても、社会の中でまともな生活を送る唯一の方法は文化的理解です。万人が報われ、豊かな暮らしに必要なものに合わせてそれぞれの生活を合理的な方法で再生産する手段を与えられるという文化的理解です。