タイトル: 自閉症とアナーキー:自閉症アナキズムの重要性
発行日: 2024年4月
ソース: https://note.com/bakuto_morikawa/n/n5ca3aabde4a7(2024年4月22日検索)

これまでの記事で、私は、自己診断が自閉症解放にとって重要であること・個人的解放は常により大きな自閉症コミュニティの一部であること・自閉症コミュニティは他の障がい者コミュニティのようにエイブリズム゠システムに対抗する階級闘争と見なすのが最善であることを示してきました。

さて、これからアナキズムがこれら全てにとって重要な理由をお話しします。「なんでわざわざレッテルを貼ったり、アナキズムと関連づけたりしなければならないの?」「レッテルを貼らずに、個人的・集団的解放に向けて全ての人と共に活動すればいいじゃない?」と言うかもしれません。

そうですね、私は政治的レッテルをあまり好きではありません。ただ、アナキズムは私が話してきた活動にとって不可欠だと確信しています。これには、ある程度、一般的理由があります。解放を謳う全ての政治理論と運動は、結局のところ、解放したいと思っていたはずの人々を攻撃してしまいます。独自の独立国家であれ、既存国家内の何らかの構造であれ、安定した権力構造を作りたがるからです。人々の解放を求める絶え間ない個人的欲求は乱雑で、権力構造を崩壊させます。だから、自由主義や社会主義などの運動では、大抵、指導部と草の根の間で大きな対立が見られるのです。指導者達は、運動メンバーに「皆さんのおかげで私達はここまでやってきました。ただ、私達はもっと確固たるものを作り上げたい。だから、皆さんに台無しにされるわけにはいきません」と言うのです。

私にとって、アナキズムは、どんなに理不尽に見えても、乱雑であることを決して止めず、個人的・集団的願望に耳を傾けることを決して止めない政治に付けられた名前に過ぎません。私が他のイデオロギーよりもアナキズムを尊重している理由は、他者が従うべき科学的洞察のふりをしていないからです。むしろ、アナキズムは解放を導く既存の衝動とダイナミクスをもたらし、それらを単に利用するのではなく、政治の中核にします。それらを舗装するのは、新しいコンクリート構造を構築する時なのです。

これら全ては自閉症と何の関係があるのでしょうか?そう、自閉症の(そしてADHDの)人は概して、人生にあまりフィルターをかけずに生きていると思います。私達は、自分のキャリアやグループの権力獲得のために何が最善かではなく、善悪という重要な原則に基づいて物事を解決する傾向があります。つまり、私達は、自称しようとしまいと、局所的アナキストになる傾向があるのです。アナキズムは一つの独立した運動としても存在できますが、人が「何故ここで止めねばならないのか?」「何故全てを求めてはならないのか?」と問う時に、絶えず湧き上がってきます。この種の会話は、社会運動が至上主義と対立している時にいつも現れます。多くの運動は、至上主義の幹部になる機会を与えられて、飼い慣らされてきました。差別と搾取はいずれにしても現れ続けるため、日常的な階級経験と組織指導部の対応方法との間に自然な断絶がもたらされるのです。

アナキズムとは運動の上にコンクリートを敷き詰めてはならないという思想です。常に、階級闘争の最も搾取され、怒り、悲しい経験に触れていなければなりません。

同時に、自閉症のファシストや様々な権威主義イデオロギー信奉者も数多くいます。これは、アナキズムとの自然な繋がりについて私が述べたことと矛盾しているように思えるかもしれません。しかし、これは同じコインの裏面に過ぎないと思います。フィルターがなく、グループを直感的に理解できない自閉症の経験のために、私達の多くが、全てを説明しているように思えるシステムに惹き付けられてしまいます。書物に従い、儀式に従えば「正解」という訳です。私達自閉症者にとって、この種の構造が持つ要素のいくつかは必然なのかもしれません。私達は誰でも、バイブスを感じられない時に導いてくれる単純な経験則が必要です。

しかし、権威主義的考えに基づく自閉症政治は、補助的に使うルールを常に大きく超えていると思います。補助として使うのではなく、「普通の」人のふりをさせる全身ギブスを着用すると決めたようなものです。発端は、誰かが世界の仕組みに関する混乱を解決しようとしたとか、若い頃にこうしたことが真実だと教えられたとかいったことかもしれません。しかし、これは個人や集団の解放に向かう途ではありません。既に死んでいるかもしれない指導者が自分以上に自分のニーズを分かっているのだと確信しているのなら、自分の欲求をどうやって分かるというのでしょう?

だから、安らぎを得るためにこうした服従方法を選んでいる自閉症者は自分の一部を抑圧しているのだと思います。そして、これは他者を抑圧する運動に途切れなく繋がり、自分自身と自身の疑念に向き合わなくて済むように常に攻撃し続けるのです。これまでの記事から、こうした不誠実な行動が真の解放とは正反対で、真の自律性を見つけられないと分かるでしょう。

これが私達をアナキズムに戻します。現実的で乱雑で思慮深く思いやりのある解放を追求しているのなら、そう呼ぶかどうかは別として、自身がアナキストのように行動していると気づくでしょう。幸い、同じような立場にいる人々が何百万人もいて、それについて書いたり話したりしているため、自分独自の理解と対処方法を見つけられます。その内の何人かは、あなたがこれを読む頃には死んでいるかもしれません。でも、あなたは一人ではないのです。