私達は「文明人」と見られたい。「原始人」だと見下されたくない。だが、これが間違っていたらどうだろう?

ホモ゠エレクトゥスからホモ゠サピエンスまで、ヒトとして99%の期間、私達は原始人だった。戦争・家父長制・自然界の破滅・ヒエラルキー・支配のない顔を突き合わせたバンド社会で生活していた。

しかし、もちろん、人々は「後戻りできない」と主張する。数カ月前、オレゴン大学の聴衆に講演したポタワトミ族の長老で植物学者のロビン゠ウォール゠キンメラーは、「後戻りできない」マントラに反論した。私達は、祖先の道に戻れるし、戻らねばならない、と宣言したのだ。

ジョセフ゠テインターによる稀有な本『複雑な社会の崩壊』は、私達が前進できない理由を示している。手短に言えば、文明は、環境収容力を、その維持に必要な養分を超えているのである。文明は宿主を食い物にする寄生生物だ。直近のグローバル文明がまさにこれを行っている。テクノロジーと資本の上に築かれた文明は、あらゆるレベル・あらゆる領域で破綻しつつある。

未来が何らかの形で原始的でなければ、未来などないだろう。私達は生を選ぶのだろうか、それとも、押し寄せる文明のデススパイラルを選ぶのだろうか?

フロイトの晩年の著作の一つに、『文化への不満』がある。これは、主に家畜化に焦点を当てている。文明は家畜化を中核制度とし、それを志向する。種の中には、飼い慣らされ、家畜化されるものもあり、その隷属性に多少なりとも耐えられるものもある。フロイトによれば、人間は違う。不自由という家畜化の条件は、人間にとって、癒えることのない外傷である。それは、神経症の原因であり、不幸の根本原因である。治療法は明白であると同時に急進的である。この悲惨な状態の礎を除去するのだ。フロイトはこの解決策に尻込みしているものの、この解決策は不可避の最重要事項だと明示している。

文明の崩壊とともに、その力場にある全てが影響を受け、破壊されつつある。自殺率の上昇・オピオイドによる死亡の増加・銃乱射事件・ホームレスの蔓延・全般的絶望感を背景に、青年のメンタルヘルスはボロボロになっている。この圧力の下で友情も擦り切れている。

誰もが知っている通り、物理的環境も同時に大惨事となっている。例えば、温暖化・隆起・プラスチックに満ちた海・地球規模の気温上昇・世界的大気汚染・空前の種の絶滅・深刻な異常気象などがそうだ。

家畜化と文明化の推進者達は破壊と統制を拡大している。ナノテクノロジーから監視社会まで、支配の広さと深さはますます大きくなっている。侵略者達は大量虐殺で先住民族を滅ぼし、「文明」と「進歩」を宣言しつつ、墓場も作ったのである。

テクノロジー社会の酸欠海域が、世界の破壊と私達の監禁状態を拡大する。場所を手に入れにくく、存在もしにくくなっている。機械が生命の代わりを務めるからだ。多くが置き換わり、洗練されている――おそらく、社会そのものになっている。

1950年に数学者のアラン゠チューリングは、50年後には、テクノロジーがどれほど人間に近づくかではなく、人間がどれほどテクノロジー化するのかが問題になるだろう、と予言していた。

フロイトは、家畜化・文明化が人間にどのような損害を与えるのか理解していたが、対策を直視できなかった。癌になった時の健康とは、癌を無くすことだ。同じことが文明にも言える。

キンメラーが助言したように、私達は祖先の道に戻らねばならない。再野生化・脱植民地化・脱家畜化によってそこに到達する。反権威主義とは反文明を意味する。途方もない事業だが、そうしなければ、明らかに自殺行為の道を歩み続けることになろう。