タイトル: 嗚呼増税!
トピック: 国家政府, , 反戦
発行日: 1904年
ソース: https://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku02.html#04(2024年3月14日検索)

嗚呼「戦争の為め」という一語は、有力なる麻酔剤なる哉、唯だ此一語を以て臨まる、聰者も其聰を蔽われ、明者もその明を昧まし、智者も其智を失い、勇者も其勇を喪うに足る、況んや聰明智勇ならざる今の議会政党の如きをや。

彼等議会政党は今や尽く「戦争の為」という一語に麻酔して、其常識を棄て其理性を抛ち、而して全く其議会政党たる所以の精神能力を遺却して、単に一個の器械となり了れるを見る也、何の器械ぞや、曰く増税の器械是れ也、而して政府者は、巧みに這箇の便利なる自動器械を使用せり、而して六千餘万円の苛税は忽ち吾人の頭上に課せらる。

嗚呼六千万円の増税、荷重なる増税よ、是れ実に「戦争の為め」なるべし、然れども如何に戦争の為めなりとて、富財は自然に天より降る者に非ず、地より湧く者に非ず、之を負担する国民の苦痛は、依然として苦痛ならざる可からず、然り、何人も之を以て愉快なり、幸福なりとする者はあらじ、而も国民は何故に如此きの苛税に忍ばざる可からざる乎、何故に如此きの苦痛と不幸とを予防すること能わざりし乎、之を除去すること能わざる乎、之に盲従せざる可からざる乎、彼等は答う「戦争の為め」に已むを得ざる也と、然らば則ち国民は何故に戦争ということを為さざる可らざる乎、之を廃する能わざる乎、之に盲従せざる可らざる乎。

吾人は此際切に一般国民に向って望む、願わくば彼等姑く一切の感情の外に立ち、一切の迷信の表に出で、真に赤裸々の道理に向って此問題を一考せんことを。

夫れ吾人の国家を組織するは何故ぞや、政府を設置するは何故ぞや、而して国家政府を維持せんが為に、其生産せる財富の一部を出して以て国家政府を支持するの資となすは何故ぞや、他なし、一に之に依て吾人の平和と幸福と進歩とを保続せんが為めのみに非ずや、換言すれば国家政府は唯だ吾人の平和と幸福と進歩とを来さしむるの方法器具に非ずや、租税は吾人の平和と幸福と進歩とを来さしむるの代価に非ずや、然り之れ誠に極めて簡単明白の事実也、古今東西幾万巻の政治書、財政書の論説する所と雖も、其目的は所詮之れ以上に出づるを許さず、決して之れ以外に在るべきの理なし。

果して然りとせば、爰に一個の国家政府と名くる者あり、吾人の為めに決して何等の平和、幸福、進歩を供するなくして、却って吾人を圧制し束縛し掠奪するに過ぎずとせば、吾人は何の處にかその存在の必要を認むるを得る乎、爰に苛重の租税あり、吾人の為めに決して平和と進歩と幸福とを買い得ずして、却って殺戮、困乏、腐敗を以て酬いらるるに過ぎずとせば、吾人は何の處にか其支出の必要を認めんとする乎、若し如此くんば、吾人生民は初めより国家政府なきに如かざる也、初めより租税なきに如かざる也、単に増税の具たるに過ぎざる議会政党なきに如かざる也、亦是れ極めて簡単明白の道理にあらずや。

吾人は今の日本の国家政府を以て、直ちに如此しという者に非ず、今の日本の国家政府を以て全然無用なりという者に非ず、然れども今回の戦争、及び「戦争の為め」に苛重の租税を徴せらるるに至りては、吾人が国家政府を組織し、之を支持する所以の根本の目的理由と、甚だ相副わざるを断言せずんばあらず。

今の国際的戦争が、単に少数階級を利するも、一般国民の平和を撹乱し、幸福を損傷し、進歩を阻礙するの、極めて悲惨の事実たるは吾人の屡ば苦言せる所也、而も事遂に此に至れる者一に野心ある政治家之を唱え、功名に急なる軍人之を喜び、奸猾なる投機師之に賛し、而して多くの新聞記者、之に附和雷同し、曲筆舞文、競うて無邪気なる一般国民を煽動教唆せるの為めにあらずや、而して見よ、将師頻りに捷を奏するも、国民は為めに一粒の米を増せるに非ざる也、武威四方に輝くも国民は為めに一領の衣を得たるに非ざるなり、多数の同胞は鋒鏑に曝され、其遺族は飢餓に泣き、商工は萎靡し、物価は騰貴し、労働者は業を失い、小吏は俸給を削られ、而して軍債の応募は強られ、貯蓄の献納は促され、其極多額の苛税となって、一般細民の血を涸し骨を刳らずんば已まざらんとす、若し如此にして三月を経、五月を経、夏より秋に至らば、一般国民の悲境果して如何なるべきぞ、想うて茲に至れば吾人実に寒心に堪えず、少なくとも此一事に於ては、吾人は遂に国家という物、政府という物の必要を疑わざるを得ざる也。

但だ吾人は今日に於て、決してトルストイの如く兵役を避躱せよ、租税を払う勿れという者に非ず、吾人は兵役の害悪を認め、租税の苦痛を感ずるも、而も是れ吾人国民が組織せる制度の不良なるが為めに来る者也、如何せん、国民既に此国家を組織し、此政府を置き、此軍備を設け、此議会政党を認めて、而して租税を払うべきことを約す、其無用なると有害なるを論ぜずして、遂に之に従わざるを得ざる也、国民が如此きの制度組織を承諾するの間は、彼等は遂に如何の不幸に遭遇し如何の苦痛を被るも、又已むことを得ざる也、之が抗議と防拒とは、唯だ法律の罪人たるに止まるのみ、吾人は実に之を遺憾とす。

然らば即ち吾人国民は永遠に、如此きの苦痛と不幸とを除去する能わざる乎、盲従せざる可らざる乎、圧制、束縛、掠奪の境を脱して、真に平和と幸福と進歩との社会に入ること能わざる乎。

何ぞ夫れ然らん、国民にして真に其不幸と苦痛とを除去せんと欲せば、直ちに起て其不幸と苦痛との来由を除去すべきのみ、来由とは何ぞや、現時国家の不良なる制度組織是れ也、政治家、投機師、軍人、貴族の政治を変じて、国民の政治となし、「戦争の為め」の政治を変じて、平和の為めの政治となし、圧制、束縛、掠奪の政治を変じて、平和、幸福、進歩の政治となすに在るのみ、而して之を為す如何、政権を国民全体に分配すること其始也、土地資本の私有を禁じて生産の結果を生産者の手中に収むる其終也、換言すれば現時の軍国制度、資本制度、階級制度を改更して社会主義的制度を実行するに在り、若能く如此くなれば、「井を鑿て飲み田を耕して食う、日出て作し日入て息う、帝力何ぞ、我に在らん哉」、雍々として真に楽しからずや、亦是れ極めて簡単明白の道理に非ずや。

吾人は我国民が爾く簡単明白の事実と道理を解するなく、涙を飲で「戦争の為め」に其苦痛不幸を耐忍することを見て、社会主義者の任務の益々重大なるを感ず。

(平民新聞第二十号)