タイトル: 或点迄の賛成
トピック: 社会主義, 反資本主義
発行日: 1904年
ソース: https://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku03.html(2024年3月14日検索)

世間には、左も心得たりげの顔して、「予も或点までは社会主義者也」と語る人あり、然り此種類の人甚だ多し、多過ぎるほど之有り。

此人や、亦「或点までは」個人主義者たり、「或点までは」帝国主義者たり、「或点までは」進歩党とも合い、「或点までは」政友会にも賛するの人也、実に彼は何人に対しても、何党員、何主義者に対しても、「或点まで」同意見なることを宣言し、以て相手の機嫌を損ぜざらんことを注意するの人也。

此人が「予も或点までは社会主義者也」というの時は、即ち「それにて満足されんことを希望す」ということを意味し、「それ以上を問詰むること勿れ」ということを意味する也、試みに彼に向って「或点とは何の点なりや」と問わば、彼は答うる所を知らざれば也、然り、実際彼が社会主義に関して知る所は唯だ一のみ、曰く、社会主義は進歩発達しつつありということ是れのみ、彼は此以上此以外を知らず、亦知らんとも力めず、所詮かれは大多数に附和雷同するの人也、而して将来社会主義が大多数を占め得ずとも限られざれば「或点までは」賛成し置くもの也。

彼は慎重の美徳なることを聞けり、彼は他と忤わざるを以て、良好の政略なりと解せり、彼は社会主義に関して特に興味を有する者にはあらざるも、有するが如くに装うを以て、愛嬌を保の秘訣となすなり、彼は平生穏和なる答弁が、他の敵意を除去する所以の術なるを知る、而て彼が考案せる答弁の尤も穏和なるは「或点までは足下と同意見なり」という一語也。

此人や、熱心なる社会主義者より之を見れば、到底説得の見込なき人物なるが如しと雖も、而も、彼れも多少の進化を経来り、今後も多少の進化を為し得べき者なることを忘る可らず、若し今より三年以前に在しめば、彼は多分社会主義に対しては殆ど唾も仕かけざりしならん、而して彼が社会主義を知らざることは今猶お旧の如しと雖も、而も三年後の今日に於て「或点までは」之に賛するを躊躇せざるに至りしは、実に社会の多数が社会主義に就て喋々するに至れることを看取したれば也、社会主義者の数の漸次に増加し行くを見ては、其全く唾棄す可らざる者なるべし位の考えは出来りたれば也。

故に此人や極めて不真面目なりと雖も、一般社会に於ける社会主義の進歩弘通の里程標たるもの也、而して社会主義者の勢力増加すると共に此種の人物亦従って増加し行く可し。

故に此種の人に向って、社会主義を賛成せしめんが為に、時を費し力を費すは無用也、吾人の大に勉強して勧説伝道すべきは、此種の人にあらずして、寧ろ激烈に社会主義に反対して、之に抗論せんと試むるの人々か、若くば誠実に之を研究せんと欲するの人々なり、是等の人々は、十分に社会主義の真理たることを知り得べきの人にして、而して一たび其真理たるを知れる以上は、熱心に社会主義の為めに尽力するに至るや必せり、然り、是等の人々は頼母しき人々也、否な、彼の「社会主義が勢力を得るに至らば、予も之に加盟すべし」と明言するの人すらも、「或点までの社会主義者」と自称する体裁よき紳士に比すれば、優ること万々也。

然れども時は近づけり、吾人万人が資本家制度乎、社会主義乎、朽廃の組織乎、新興の勢力乎、二者其一を撰ばざる可らざるの時は確かに近づけり、此時一たび到来せば、我が慎重なる友、即ち「或点までの社会主義者」も、亦頭数に数えらるるを得ん、吾人が此種の人に期待する所は唯だ如此きのみ、夫れ禍災も三年を経ば、利益となるべしといえり、彼れも亦た我主義の為めに「或点まで」利す所あらん哉、「或点まで」とは、時節到来の暁に、一個の頭数を加うるの点也。

(平民新聞第四十九号)