幸徳秋水
余が思想の変化
一
余は正直に告白する。余が社会主義運動の手段方針に関する意見は、一昨年入獄当時より少しく変じ、さらに昨年の旅行において大いに変じ、いまや数年以前をかえりみれば、われながらほとんど別人の感がある。
余はこれがために堺君とは数十回の激論を闘わせ、他の二三人の友人ともしばしば談論を試みた。しかして「光」の紙上にも折々その一端を記したので、すでに大体を諒知せらるる人もあるであろう。しかし余はこれまで適当な機関がなかったのと、病気で執筆が難儀であったがために、すべての同志諸君に向って、大体の趣旨を明言することを得なかった。いまや機会は来た。永く黙するのは主義のためにけっして忠実なものではない。
ゆえに余は正直に告白する。「かの普通選挙や議会政策では真個の社会主義革命をなしとげることはとうていできぬ。社会主義の目的を達するには、一に団結せる労働者の直接行動(ジレクト・アクション)によるのほかはない。」余が現時の思想は実にかくのごとくである。
二
余がかつてドイツ社会主義者もしくばその流れを汲める諸先輩の説のみを聴きて、あまりに投票と議会の効力に重きを置いた。「普通選挙にして行なわるればかならず多数の同志が選出される。同志が議会の多数を占むれば、議会の決議で社会主義を実行することができる」と思っていた。無論これと同時に労働者団結の急務をも認めていたには相違ないが、少なくも日本の社会運動の第一着は、普通選挙のほかにはないと信じて、口でも論ずれば筆にも書いた。がこれははなはだ幼稚な単純な考えであったと思う。
細かに察すると、今のいわゆる代議制なるもので多数の幸福が計り得らるるはずがない。まずその選出の初めから、候補者、運動者、壮士、新聞紙、瞞着、脅嚇、饗応、買収とゴッタ返して選出せられた代議士に、はたして幾人か国家とか人民とかいう真面目な考えを持つものがあろう。かりに適当な人物が選出されたとしたところで、居は気を移す、議員としてのかれらはもはや候補者としてのかれらでない。首都の政治家としてのかれらはもはや田舎の有志としてのかれらでない。幾人がはたしてよく選挙以前の心持を持続し得るものがあろう。議員の全部、少なくもその大多数の生命とするところは、いつも一番上が名誉で、中が権勢、その他は利益のみではないか。かれらの眼中、一身あるのみ、一家あるのみ、もっとも高い人物でも一党派あるのみではないか。
これ今日の日本のことのみではない、日本の制限選挙の下においてのみのことではない。スイスでもドイツでも仏国でも米国でも、その他いかなる普通選挙の下においても、選挙に勝利を占むる者は多くはもっとも金ある者、もしくはもっとも鉄面なる者、もしくはもっとも人気取りに巧みな者で、国中、もしくは党中の第一流の人物が選出されるのはきわめて稀な事実である。ゆえにこれまで厳正な意味において民意の代表されている議会は、世界を通じて皆無といってよいくらいだ。しかり、たとえ普通選挙の下においても議会はけっして完全に民意を代表し得ないというのは、今日では万国学者の多数が認むるところである。ここにおいてか公平選挙法(プロポーショナル)だの直接投票(レファレンダム)だの、人民発議権(イニシェチーヴ)だのと、種々の救治策が講ぜらるるのである。
しかしこれらの救治策の利弊を詳論するのはしばらく措く。しょせん議会は人民の多数すなわち労働階級から組織さるるものではなくて、労働階級を敵視し、もしくは踏台とする紳士閥から組織さるるは、現今の事実である。クロポトキン翁がその『賃銀制度論』(ウェージ・システム)中に、代議政体は中等階級が一面王家に反抗して頭を抬げ、同時にかれらが労働階級を支配抑制せんがために拵えた一組織である。すなわち中等階級の統治にともなう特有の形式であると論じたのは肯綮にあたった言である。もとより議員は紳士閥出身のみでなく、普通選挙となれば多くの労働者議員も出るであろう。英国は去年すでに五十名の労働者を出した。しかもこれらの議員は当選するや否や、その多くはただちに労働者気質をなくしてしまって、美衣美食の紳士閥の風にカブレて得々たるので、はげしく攻撃されてるではないか。
番頭がその店主のために計るものは多い、弁護士がその依頼人のために計るものも多いが、議員ばかりはけっして労働階級全体のために計るものではない。かりにかれらが人民のために有害な法律を改廃し、もしくは便利な法律を作ったとしても、これは常に自身が一時の名誉もくしくば利益と一致し、あるいは再選の準備と一致する場合に限るのである。
三
現時の議員はかくのごとく卑しくても、社会党の議員となればみな真面目だから民意に背く恐れはないとの説がある。なるほど今日日本の社会主義者はみな真面目である。いずれの党派でもその逆境にある時には、不真面目の人は少ないのである。逆境の党派では利するところなきがゆえに、かれらは来り加わらぬためである。しかも一朝社会主義が勢いを得て選挙場裡に多数を得るの日ありとせよ、その時、社会主義を標榜して選挙を争う多くの候補者は、かならず今日の真面目なる人々ではなくて、実に自身の名誉のために権勢のために利益のために、もしくは単に一議席を得んがために社会党に加盟せるものに違いはない。しかしてその当選者の多くはやはりもっとも金ある者、鉄面なる者、人気取りに巧みなる者に違いないのである。
旧自由党の逆境にあるや、党員はみな慷慨の志士で、その意気精神は今日の社会主義者の遠くおよぶところではなかったのだ。しかるにかれら議会の一勢力となるや否や、かれらはもはや人民の利害を考うるよりも、まずその勢力の維持に急なるにいたった。その議席を確保すること、その利益を増進することに急なるにいたった。しかしてほどなく提携、妥協、交譲等の美名の下に、昔年の革命党はまったくその深仇たる藩閥の奴隷となってしまったではないか。これ少しも怪しむに足りない。単に国会開設を目的とし、議会の多数を占むるを目的として進んだ政党が、その目的を達するやただちに腐敗し去るは当然である。もし社会党にしてかく投票の多数、議席の多数という世俗的勢力に眩惑し垂涎して、これをもってその第一着の事業となすにおいては、殷鑑遠からず自由党の末路にあり、その前途やきわめて危険と言わねばならぬ。
否自由党のみでない。現に社会党にあっても仏国のミレランはさきに紳士閥と妥協して内閣に入ったではないか。英国のジョン・バーンスも今回個人主義者と提携して内閣に入ったではないか。余は個人としてのミレランやバーンスを尊敬する。しかも革命党としてのかれらは確かに一歩を堕落したものである。投票および議席の多数を望むの心は、やがて政権に近づくを望むの心である。政権に近づくを望むの心は、すなわち提携妥協の基ではないか。
英仏の社会党は幸にかれらとともに堕落せず、かれらと手を分って、みずから潔くしたものの、しかもその由来に遡ればミレランもバーンスも実に社会党全体の投票政策、議会政策の産物なることを知らねばならぬ。
四
もし百歩を譲って、選挙というものがはたして公平に行なわれ、適当なる議員は選出され、しかしてその議員は常に眷々として民意を代表することが確かであると仮定するも、これによってわれらははたして社会主義を実行することができようか。マルクスの国たり、ラサールの国たるドイツが、普通選挙の下において初めて選出した同志はわずかに二人であった。爾来八十一人まで漕ぎつけるのに、実に三十余年の日月を費したのである。しかしてこの三十余年の難戦苦闘の結果が、わずかに一片の解散詔勅のために吹飛ばされてなんらの抵抗もできぬというにいたっては、投票の多数というものはいかにはかないものではないか。
憲法は中止されるの時がある。普通選挙権は侵奪されるの時がある。議会は解散されるの時がある。議会における社会党の勢力熾んで抑え難いと見れば、暴横なる権力階級はかならずこれを断行するのだ。現にドイツではしばしば断行されたのだ。事ここにいたればもはや労働者の団結の力に待つのほかはない。団結せる労働者の直接行動に待つのほかはないのだ。しかるに平生労働階級自身の団結訓練に力をいたさないで、ただちに直接行動を執ることができるであろうか。
英国の社会民主同盟首領ハインドマン氏は去年米国ウイルシャー雑誌において嘆じていわく、日本人はわずかに四十年間において、中世紀の封建制度から近世資本家制度まで突進した。
かれらは他の諸帝国が数世紀を経てなしたる事業を四十年間に成し遂げた。しかるにこの同じ四十年間にわれわれ社会党は何事をなし得たか。ドイツ社会民主党は三百万の人員を有する。ドイツ軍隊の五分の二以上を有するかれらはかれらの目的を知り、時機の到来したのを知る。しかも未だ起たないのは、あまりに忍辱謙遜温良に過ぎるのではないか。四十年間革命党たりしかれらは何事をなさんとするか。余はかれらおよびその国民に問わん、欧米における死は満州における死よりもさらに大いに恐ろしいのであるか、云々。ハインドマン氏の激語は実に無理ならぬことである。もし三百万の党員が真に自覚した党員ならば、革命はとっくの昔にできているはずである。
しかし投票の党員と自覚の党員とは別物である。選挙の目的に向って訓練した三百万も、革命の目的に向っては何の用をもなさないのだ。かれら普通選挙論者、議会政策論者は常に労働階級に向って説くのに「投票せよ。投票せよ。わが同志の議員さえ選出すれば、同志が議会の多数を占めさえすれば、社会的革命はなるのである。労働者はただ投票すればよいのだ」と言っている。しかして正直なる労働者はこれを信じて一に議会に依頼する、しかして投票する。そこで投票三百万の多きに達する。これただ投票の三百万で、自覚団結の三百万ではないのである。ゆえにイザ革命だ、起てと言われても、そんなはずではなかったのだ、投票でダメならさらに考え直さねばならぬと来る。議会政策が勢力を得れば得るほど、革命運動が沮喪するのはかくの次第である。ドイツ連邦中、サキソニーや、ルーベックや、ハンブルヒなどの社会主義のもっとも盛んな地方では、一昨年ごろ選挙の権利がはなはだしく制限された。しかも人民はこれに反抗して起つことなく、泣寝入となってしまった。ベーベル氏は、総同盟罷工その他の直接行動は最後の手段で、選挙権のある間は議会において戦うのが当然だと言っている。余はいつまで同一事を繰り返すかを怪しまざるを得ない。
五
ドイツ社会党にして、過去四十年間、その選挙運動に費した時間と労力と苦辛と金銭とをもって、真に労働者の自覚と団結とに費さしめたならば、皇帝宰相をして今日のごとき万歳を叫ばしむることはなかったであろう。余はドイツの社会党がまったく労働者を教育せぬとは言わぬ。しかしかれらの事業の大部が、選挙という一目的に傾注されたのは争えないのである。
普通選挙論者、議会政策論者も、無論労働者の自覚と団結を必要としている。たとい普通選挙が行なわれても、かれらの自覚団結がなければ議会において何事もできぬのを認めている。しかし労働者にして真に自覚と団結ができるならば、かれらの直接行動で何事でもできるのではないか。いまさら、代議士を選み、議会に頼む必要はないのである。
議員は堕落すればそれきりである。議会は解散さるればそれきりである。社会的革命、すなわち労働者の革命は、結局労働者自身の力によらねばならぬ。労働者は紳士閥の野心家たる議員候補者の踏台となるよりも、ただちにみずから進んでその生活の安固を図るべきである、衣食の満足を得べきである。
普通選挙の運動、議員の選挙もまた一種の伝道になるかも知れぬ。しかし伝道のためにすとならば、何故に直接の伝道をしないでかかる間接の手段を取るのであるか。有力なる団結訓練をこととしないで、果敢ない投票に信頼せしむるのであるか。一人の選挙競争に費すところ、今の日本で少なくも二千金を下らぬのである。かかる費用のみにてもこれを純然たる労働者の伝道団結に費したならば、いかに大なる効果を見ることであろう。
いまや欧州社会党の多数は議会の勢力の効果少なきに厭きてきた。大陸諸国の社会党員と労働階級とは、常に相和せざる傾きを生じてきた。英国の労働組合では議員選出に狂奔するものは、その組合員と積立金が漸次に減少する事実がある。これわれら日本の社会党のもっとも注意すべき点ではないか。
労働階級の欲するところは、政権の略取でなくて「パンの略取」である。法律でなくて衣食である。ゆえに議会に対してほとんど用はないのである。もしわが議会の何条例の一項や何法案の数条を、あるいは作りあるいは改むることのみに依頼し安心するほどならば、われらの事業は社会改良論者、国家社会党に一任して置いてたくさんである。これに反して真に社会的革命を断行して、労働階級の実際生活を向上し保全せんと欲せば、議会の勢力よりもむしろ全力を労働者の団結訓練に注がねばならぬ。しかして労働者諸君自身もまた紳士閥の議員政治家なぞに依頼することなくして、自身の力で、自身の直接行動で、その目的を貫くの覚悟がなければならぬ。繰り返していう、投票や議員はけっして頼みになるものではない。
六
かく言えばとて、余はけっして選挙権の獲得をもって悪事となすものではない。選挙法改正の運動に強いて反対するものではない。普通選挙が行なわれれば、議会が法律を制定改廃するに際して、多少労働者の意嚮を参酌する。これだけの利益は確かにある。されどこの利益やなお労働保険、工場取締、小作人法などの設定や、治安警察法、新聞条例の改正廃止や、その他の労働保護、貧民救助に関する法律、および社会改良事業等と同一の利益に過ぎないのである。ゆえにこれらの運動をなすのは悪事ではない、否、善事には違いないが、とくに社会主義者たるがゆえに是非ともなさねばならぬことではないと思う。
余はまた同志諸君が議員候補に立って選挙を争うのをもけっして悪事とする者でない。諸君が議会内における運動にけっして反対する者ではない。余は政府部内にも実業社会にも、陸海軍にも、教育界にも、職工にも、農夫にも、その他すべての社会、すべての階級にわが同志の増加するのを喜ぶと同一の理由をもって、議員中にも同志の増加するのを喜ぶのである。ゆえに選挙競争もなし得るならばなすのもよいが、とくに社会党としてなさねばならぬ急要事とは認め得ない。
少なくとも社会主義者として、社会党員としての余は、われらの目的たる経済組織の根本的革命、すなわち賃銀制度の廃止をなし遂げんがためには、千人の普通選挙請願の調印よりも、十人の労働者の自覚をさらに緊要なりと信ずる。二千円の金を選挙の運動に費すよりも、十円の金を労働者の団結のために使うのを一層急務と信ずる。議会に十回の演説をなすよりも労働者に向って一回の座談を試むるをはるかに有効なりと信ずる。
同志諸君、余は以上の理由において、わが日本の社会主義運動は、今後議会政策をとることを止めて、一に団結せる労働者の直接行動をもって、その手段方針となさんことを望むのである。
いまや同志諸君の間で、熱心に普通選挙の運動に従事している時に際して、余が此言をなすのは、いかにも忍びない気持がした。そして幾回か筆を執りかけて躊躇した。けれど余の良心は余の永く黙するのを許さなかった。永く黙するは、主義のためにはなはだ忠実ならぬことを感じた。しかして該運動に従事せらるる諸君もまた快よく余の告白を慫慂せられたので、あえて諸君の批評と教諭を乞うことにした。
諸君、乞う余の心事の他なきを諒とせられんことを。
(日刊平民新聞第十六号)