タイトル: 自分達で行動せよ
トピック: 直接行動
発行日: 1887年1月
ソース: https://note.com/bakuto_morikawa/n/n6c7b947abe7f(2026年2月14日検索)

ピョートル゠クロポトキン没後100周年を記念する連載企画の続きとして、1887年1月に発表されたこの論説を掲載する。これは彼の代表的論考の一つであり、実際『フリーダム』による選集の題名にもなっている。

「アナキズムの原則に基づいて、未来の社会をどのように組織するのですか?」私達に度々寄せられる質問だ。もし、この質問がビスマルク卿や、ある集団が社会を好きなように組織できると夢想する人物に投げかけられたなら、至極自然に思えるだろう。しかし、アナキストの耳にはとても奇妙に聞こえる。この質問に対して私達が答えられるのは一つしかない。「私達はあなたを組織できません。どのような組織を選ぶかはあなた次第です。」政府は何でもでき、何世紀にもわたって発展してきた経済関係を幾つかの法律で再編できるという考えを大衆が抱き続けるのなら、資本の支配が廃絶されるまで何世紀も待つことになる可能性が高い。しかし、たとえどんな政府であっても、その権力がどれほど独裁的であろうとも、資本の所有者から財産を収用できないと理解している強力な少数派が労働者階級の中に存在し、この少数派が充分な影響力を獲得して、ウェストミンスター(英国議会)の空虚なお喋りなどお構いなしに、労働者に土地・鉱山・鉄道・工場を掌握する最初の好機を逃さず利用するよう促すなら、新しい形の組織が社会全体の利益のために出現すると期待できるだろう。

これこそまさに、私達が自らに課す任務である。労働者と労働者の友人達に、資本の抑圧を取り除くには、他者が代わりに成し遂げてくれると期待せず、自分達自身に頼らねばならないという確信を抱かせる。労働者の解放は労働者自身の行為でなければならない。

私達の見解では、無政府共産主義という言葉こそ、社会が既にどのような方向に進んでいるのか・資本と政府の抑圧的権力をどのような方針で排除できるのかを示しており、こうした原則に沿って社会のスケッチを描くことは私達にとって容易な作業であろう。[1] しかし、この構想を聞く人々が、英国議会から示されるホメオパシー的処方箋で全てを再編できると疑ったことがなく、自分達自身が代表者達よりも力を持っていると想像したことがなく、政府が全てを解決できる・解決しなければならないと確信し、大多数はただただ従うだけで、自分達自身で行動する必要はないと信じているのなら、こうした構想は何の役に立つだろうか?

従って、最初に捨てるべき幻想の一つは、幾つかの法律を制定すれば現行の経済システムを魔法のように変えられるという幻想である。社会主義原則に基づく生産の再編に向けた第一歩は労働者自身が実行する大規模な収用に他ならない、この確信を最初に獲得しなければならない。

実際、文明国に存在する経済関係の膨大な複雑さを分析し、この国に存在する労働者が比較的少なく、労働者の肩に寄りかかって生き、寄生状態の維持に関心を持つ寄生虫が膨大な数いることを考慮すれば、産業再編に着手できる政府などないと認めざるを得ない。民衆が鉱山・工場・土地・家屋--要するに、自分達の労働が生み出したあらゆる富--を奪取して再編を自ら始めるしかない。人民大衆が収用を開始する準備が整って初めて、いかなる政府も同じ方向に動くと期待できるようになる。

確かに、現在の議会は、土地と資本の所有者から財産を剥奪することに率先して取り組みはしないだろう。たとえ労働者が本当に威嚇的な態度をとったとしても、現在の中産階級支配者は社会主義者にならないだろう。彼等はまず、運動を粉砕し、瓦解させようとするだろう。そして、それができない場合、あらゆる政府が同様の情況で行ってきたことを実行するだろう。彼等は時間を稼ごうとするだろう。産業のさらなる不況によって、大衆が一層悲惨な情況に追い込まれ、路上で餓死するよりも、いかに欺瞞的であろうとも譲歩を受け入れる覚悟ができるまで待つのである。

社会主義労働者が議会で多数派を占めるようになると期待するのは、やはり、素朴で虚しい幻想に他ならない。この国で、社会主義の多数派が形成されるには長い歳月を要するだろう。しかし、現在の社会制度の苛烈さにより飢餓に追い込まれた数千人は待つことなどできず、待つことができたとしても、局地的な衝突によって事態は早晩悪化するだろう。昨年冬、ベルギーのある鉱業盆地全体が資本に対して公然と叛乱を起こした。[2] 数カ月前、米国の一部地域では労働者による大規模な暴動が勃発する寸前だった。[3] そして、労働騎士団の団長パウダリーによる裏切りが暴動の勃発を阻止した。しかし、米国の誰もが--最も頑固な政治家すらも--充分理解していた。次の機会にパウダリーのような人物は無力になるだろう。こうした機会を逃さず挑発的態度をとる中産階級が存在すればなおさら事態は深刻になる。この挑発によって不満を抱く人々は増え、不満の度合いも激しさを増す。

社会主義者が議会の数議席を獲得する遥か前に、社会問題は圧倒的規模で欧州に突き付けられるだろう。結果として、この問題の解決は労働者自身の手に委ねられる。労働者に選択の余地はない。自分達で解決するか、以前にも増して過酷な奴隷状態に陥るかだ。

政府崇拝の影響で、彼等は退陣する旧政府の代わりに新政府を指名しようとする。あらゆる難題の解決をその政府に委ねようとするかもしれない。投票箱に投票用紙を入れて家に帰る。何と単純で、何と簡単なのか!自分のことは誰かが最善の形で処理してくれる。自分は静かにパイプを吸い、命令を待てば良い。理由など考えず、ただ実行するだけだ。仮に委託した人に騙されていなかったとしても、自分の情況は前と何も変わらないままなのだから、何ともはや、見事なまでのやり口だ!

歴史にはこうした実例が数多くある。1871年に叛乱を起こしたパリの民衆も政府を選出し、この政府が全てを最善に解決してくれると期待した。実際、この政府を構成していたのは、革命界のあらゆる分野に属する最も献身的な革命家達、民衆解放のために死ぬことも厭わない人達だった。

1848年のパリでも同じだった。民衆は拍手喝采して暫定政府を選出し、社会問題を解決してくれると期待した。ここでも政府を構成したのは誠実な人達だった。

だが、パリのプロレタリア階級の目覚めがどれほど恐ろしかったか私達は知っている。そして、その信頼の代償として、おびただしい数の男性・女性・子ども達が無惨に虐殺されたことも知っている。

しかし、別の時代、同じフランス人達は全く異なる行動を取っていた。1789年以前、農民は農奴だった。法律上認められていなくとも、事実上そうだった。彼等のコミューンの土地は地主たちによって囲い込まれ、彼等はあらゆる種類の税を地主に払わねばならなかった。それは封建的隷属の残滓、あるいは隷属からの解放の代償だった。

これらの農民達も1789年に投票し、政府を選出した。しかし、この政府は自分達の期待に答えてくれないと分かり、暴動を起こした。実際、彼等は政府が活動する前から既に暴動を起こしていた。彼等は地主のもとへ赴き、地主が持っていた権利を放棄するよう強要した。それらの権利が書かれた勅許状を燃やし、最も憎まれていた貴族の城の一部を焼き払った。そして、8月4日の夜、フランスの貴族は、歴史家が言うところの高邁な愛国的感情に突き動かされ--もっとも、その感情をかき立てたのは燃え上がる城の光景だったが--自らの権利を永久に放棄したのである。

確かに、4日後、償還税を課すことによって貴族は同一の封建的権利を再び確立した。しかし、農民は再び暴動を起こした。農民は議会の採決など全く意に介さなかった。彼等は囲われた土地を手に入れ、耕し始めた。償還税も払わなかった。そして、聖なる法律の名の下に当局が介入すると、当局に対して暴動を起こしたのである。タイン氏によれば、農民は4年間で6回暴動を起こした。暴動は余りにも圧倒的だったため、4年目の終わりには、国民公会--現代のあらゆるジャコバン派が理想とする「偉大なる」国民公会--はまたしても高邁な愛国的感情に突き動かされ(中産階級の歴史家によれば)、遂に1793年、全ての封建的権利を廃止し、封建時代に関する一切の文書を焼却するよう命じたのである。

しかし、歴史家が言い忘れていることがある。農民は封建的権利を既に廃止し、それに関する文書の大部分を既に焼却していたのだ。

つまり、恐るべき革命機関たる国民公会は既成事実を認可しただけだったのである。封建制はもはや事実上存在していなかった。国民公会はその葬儀の式辞を述べたに過ぎなかったのだ。

19世紀の労働者達は恐らく工場を燃やすことはないだろう。しかし、彼等の行動様式はフランスの農民ととてもよく似ていると思う。彼等は上からの命令を待たずに、土地と資本を奪取する。まずそれらを奪取してから、次に--土地と資本を手に入れた上で--仕事を組織する。彼等はそれらを私有財産とは見なさない。現在の複雑で絡み合った相互依存的な生産状態では私有財産など不可能であろう。それらは公有化されるだろう(訳註:原文はnationaliseですが、国有化ではクロポトキンの思想に反するため、民衆による共同所有という意味で捉え、公有化と訳しました)。

[1] パリの仲間である『ル゠レヴォルテ』紙は現在、アナキズム思想に触発されたコミューンを政府なき共産主義社会として組織する方法を示す一連の記事を発表している。(編集者註:これらの記事の多くは後に改訂され、1892年に出版されたクロポトキンの著書『麺麭の略取』に収録された。)

[2] 1886年にワロン地方で起こった「ジャックリー」(訳註:1358年にフランスで起こった農民反乱に由来する言葉で、下層階級による自発的で暴力的な叛乱のこと)を指す。(編集者)

[3] 1日8時間労働制を求めた運動と1886年5月1日のストライキを指す。ヘイマーケット事件とその後にシカゴのアナキスト8名がでっち上げられた事件は、このストライキの波を象徴する最も有名な出来事である。(編集者)