#title 新型コロナウイルス相互扶助プロジェクトの教訓 #author Freedom Press, Anna Kleist #LISTtitle 新型コロナウイルス相互扶助プロジェクトの教訓 #date 2021 #source https://note.com/bakuto_morikawa/n/n81b9ae4e8f7a(2023年4月21日検索) #lang ja #pubdate 2023-04-21T10:35:34 #authors Freedom Press, Anna Kleist #topics 新型コロナウイルス, アナキズム, 相互扶助, イギリス #notes 原文掲載日:2021年12月19日
原文:[[https://freedomnews.org.uk/2021/12/19/lessons-of-the-covid-mutual-aid-projects/][https://freedomnews.org.uk/2021/12/19/lessons-of-the-covid-mutual-aid-projects/]](bakuto morikawaより) パンデミックの初期に、『フリーダム』はロックダウン下でもがいている人々を助ける相互扶助グループの創設を呼び掛け、見事に広がった。この現象を最初に組織した人の一人、アンナ゠Kがその教訓を省察する。 2020年4月、英国中に出現している新型コロナウイルス相互扶助グループの成功と失敗について、私は [[https://freedomnews.org.uk/2020/04/05/five-quick-thoughts-on-the-limits-of-covid-19-mutual-aid-groups-how-they-might-be-overcome/][五つの見解]] を示した。 ・大部分の提供されている「支援」は、ほとんどが買い物代行であって、国家や資本に挑戦してはいなかった。
・一部のグループは、物品の交換だけでなく、直接的な経済再配分・物資の無料提供・立ち退き抵抗への動員も目指していた。
・「買い物代行」グループさえも、政府の対応にある秘密優生学のおかげで生き残りをかけて奮闘していた数万人に本物の物資支援を行った。
・地元地域の相互扶助グループは、40年にわたる人種差別主義の新自由主義に摩耗させられていた友人関係と連帯のつながりを--驚異的なスピードで--構築する手助けをした。
・私達は、民主的構造を促し、他の闘争と結び付け、買い物を超えた扶助と連帯の形態を促すことで、相互扶助グループを解放的方向に推し進められた。 私は、今もこのことを概ね支持している。新型コロナウイルス相互扶助は、お決まりの極左島国根性幻想から抜け出すという素晴らしい仕事をした。同じ地理的領域に住んでいても、共通の政治的アイデンティティがなく、大抵は交流する理由もない人々の間に繋がりを構築したのである。 ここに問題がないわけではなかった。人種差別主義・能力主義・階級支配が多くのグループに蔓延していた。一方で、地元当局--特に、労働党議員--はその直接管理外で行われる活動を破壊・吸収しようとした。しかし、こうしたグループは地域密着型で非官僚主義的だったため、国家機関や企業の慈善事業よりも遥かに素早く効果的に人々の物質的ニーズを明確にし、それを満たすことができたのである。 だが、あまりにも多くのグループ--私が参加したグループも含め--が、非政治的サービスモデルに陥っていた。一つのボランティアグループが別な全く異なるグループを手助けし、スーパーマーケット(労働者と卸売業者を搾取し、環境に影響を与えるなどしている)で買い物をしていたのである。もっと大きな政治的ヴィジョンがないため、多くのグループは、パンデミックの最初の波が「ピーク」を超えると、グループを維持するのに四苦八苦した。 多分、最も忌々しいのだが、相互扶助グループの出現が政府と第三セクターに恥をかかせたものの、私達はこの事態を、政府に反対する力を持つ運動はおろか、政府によるパンデミック対処に対する明確な批判にすら変換できなかった。集団意識を高めるどころか、新型コロナウイルス「相互扶助」はあまりにも容易くナショナリストの「ブリッツ゠スピリット」物語に同化してしまった。実際、皮肉なことに、新型コロナウイルス相互扶助は、後退する国家が残した空間を埋める「大きな社会」という赤い保守党(レッド゠トーリー)の夢に痛々しいほど近づいていたと言えるかもしれない(実際、この記事の印刷版とオンライン版が出版される間に、リベラル派も保守党も [[https://www.theguardian.com/commentisfree/2021/nov/24/left-mutual-aid-hyper-local-groups-pandemic-community][まさしくこの考えを試そうとしていた]])。 だからと言って、私達が相互扶助プロジェクトをわざわざするべきではなかったとか、そこにエネルギーを向けるべきではなかったなどと述べているのではない。気候変動は、私達がさらなる「一世代に一度の」災害に見舞われることを確実にしている。そのため、相互扶助プロジェクトの拡大は、戦術の問題ではなく、必要性の問題なのだ([[https://gal-dem.com/weve-been-organising-like-this-since-day-why-we-must-remember-the-black-roots-of-mutual-aid-groups/][Eshe Kiama Zuriがgal-demで指摘しているように]]、これは抑圧されたグループに常に当てはまる)。だから、大規模な相互扶助プロジェクトについて言えば、私達はベケットの命令に従うしかない:またためす。また失敗する。もっと良く失敗する。(長島確 訳、「いざ最悪の方へ」、書肆山田、1999年、12ページ) *** 政治を語る 一部の相互扶助グループで、私達は、人々が離れていくのを恐れて、左翼の残響室にならないようにすべく、過剰に「政治的に」見えないよう努めた。その代わり、後で政治を導入することにしたり、さらに悪いことに、導入しなくても良いと考えたりした。相互扶助に「内在する」政治的性質が人々を現状とは反対の解放的ヴィジョンに突き動かしてくれると信じたからだ。 昨年示されたように、私達は甘かった。政治を話題にする「良い」タイミングは一度も訪れず、道筋があったとしても、それは連帯にではなく、慈善に向かっていた。 さらに、危機の緊急性と高い水準のニーズが拍車をかけた。ロンドンのルイシャム区南部で私が属する極度に地元密着のグループでさえ、食料品や処方箋を求める非常に多くの声に対応し、批判的に考える時間がほとんどなく、ストレスと疲労から、サービス提供モデルに容易く陥りやすかったのである。 今後、このような落とし穴を避けようとするなら、次の危機のピークを待っていてはならない。私達はこの災害が(比較的)沈静化した現状を利用して、組織のDNAに解放的な反資本主義相互扶助へのコミットメントが書き込まれた地元地域グループを設立しなければならない。そうすれば、災害が起こった際に、DIY第三セクターに堕落することなく、迅速に効果的に対応できるのである。 こうした組織を設立するために、私達は政治に関する長期的な、時として困難な、会話をすることに専心しなければならない。以前はこうしたことに携わるのが革命的左翼の目的だったが、今日、私達はそれらを避けるために何でもしているように見える場合が多い。新型コロナウイルス相互扶助運動の限界は、このようなことを続けていられないと示している。革命的階級意識を構築しようとするのなら、「困っている人を助ける」という一見中立的な幻想に組織作りの基礎を置くわけにはいかない。より良い世界を求める集団的願望にしか基礎づけられないのである。この願望に火を付けるために、私達は見知らぬ人達に、必ずしも意気投合できない人達に働き掛け、話をし始めねばならない。物事がどれほど悪いのかだけでなく、どれほど良く成り得るのかについても。