マイケル゠ベイヤ゠レーガン
横断的階級闘争
共通の抑圧から統合的抵抗へ
横断的階級闘争の歴史と実践には、白人至上主義・家父長制・帝国主義に対する労働者階級抵抗運動の豊潤な伝統がある。
21世紀の1/5を過ぎて、紛争と大災害が世界を引き裂き、新型コロナウイルスは危機を加速させている。世界規模のパンデミックで数百万人が死んだ。死亡率の 主たる 決定要因 は、人種・貧困・ジェンダーである。世界の収入格差は大きくなり続け、ほんの一握りの投資家と業界大手が、労働者を搾取してかつてないほどの富を蓄積している。
アマゾン社のジェフ゠ベゾスは、たった一人で2000億ドル以上を操作し、米国億万長者階級は、パンデミックの間、新しい億万長者--その多くが製薬産業から--を作り出し、階級全体で 1.8兆ドル を手に入れた。ウォール゠ストリートは、相次ぐ投機によって、少数のテクノロジー企業と物流企業の富を膨張させた。一方で、こうした産業にいる「エッセンシャル゠ワーカー」は、ウイルスに晒される危険が高い中で働き、ばたばたと死んでいる。医療関係労働者・農場労働者・精肉加工業者・食料雑貨店労働者は、特に大きな打撃を受けている。
新型コロナウイルスの世界的流行と共に、不平等と階級闘争の横断的性質が明らかになっている。にも拘らず、活動家・学者としての私達は、この時機を認識し、この時機に即して行動しようと悪戦苦闘している。実際、パンデミックで明らかになっているように、主流派の論説も、左翼の論説でさえも、21世紀の階級闘争が持つ多様で複雑な性質を把握できていない。
かつてない地球規模の危機を前にして解放運動を押し進めるためには、労働者階級の運動が必要である。この運動は、所有の力と直接対決し、あらゆる闘争が共に直面している横断的抑圧と直接対決する。世界規模のパンデミックは、この世界の性質を認識し、横断的民衆運動を構築して形勢を逆転させるための警鐘なのだ。
新型コロナウイルス・人種・階級
新型コロナウイルスの世界的蔓延によって、既存の不平等による危機が悪化している。階級と人種がこの不平等を相互に強め合っている。次の数字を考えてみよう。英国において、黒人の富は大雑把に言って白人の富の1/8しかなく、ブラックカリビアン・アフリカ系・バングラディシュ系住民で1000ポンドの貯蓄を持つ者は 半数もいない。米国では、黒人家族の 平均資産総額 は17150ドル--白人家族の1/10--である。ブラジルで最も裕福な6人の億万長者--全員白人--は、この国の人口の下から50%(大雑把に言って1億人)と同じ額の富を持っている。アフリカ系ブラジル人の貧困率は白人の2倍である。パンデミックが襲った時、「エッセンシャル゠ワーカー」と見なされる人達は、サービスと物流の最前線で新型コロナウイルスに身を晒しながら、リスクを乗り越えて働くしかなかった。
貧困・人種・新型コロナウイルス死亡率に相関関係があると分かっている。世界中で貧困者は密集した住居に住んでおり、医療へのアクセスが少なく、病欠を取りにくく、緊急時の資源も乏しい。これら全てが 大きな死亡率 を生み出している。ラテンアメリカでは、アフリカ系の人々が新型コロナウイルスに 過度に影響を受けている。ブラジルの例をもう一度挙げると、黒人の死亡率は白人よりも 30%高い。米国では、先住民・黒人・太平洋諸島住民は、白人とアジア系住民の 1.5倍から2倍の 死亡率を経験している。英国で感染 リスクが高い のは、黒人とPOC(有色人)コミュニティである。
しかし、ワクチン所有権と世界的特許の保持ほど、階級・人種・パンデミックを横断しているものはないだろう。ドイツ・フランス・米国を含めた西側諸国は、ワクチンの過剰供給分を備蓄しつつ、大規模なワクチン反対運動の舞台となっている。一方、発展途上世界の多くは人口の1%にワクチンを打つことさえままならない。アフリカ大陸全土でワクチンを打ったのは 総人口のたった1%に過ぎない。今年の終わりまでにワクチン接種率20%というアフリカ連合の控えめな目標を達成するのは難しい状態だ。チャド・ブルキナ゠ファソ・コンゴ共和国のワクチン接種率は0.1%である。世界の他の場所での人口比のワクチン接種率は、パキスタンで2%、ジャマイカで4%、インドで7%を少し越えた程度である。
分配の危機を引き起こしている原因の一部は、ワクチン製造に関する特許制限を拒否しているドイツと米国の 製薬会社にある。世界貿易機関は特許放棄の合意に達していない。これらの企業が、この間、思いがけない莫大な利益を手に入れ、強情になっているからである。
ファイザー社は、数百億ドルの追加収益を見込んでいる--2021年の第一四半期で既に140億ドル以上の利益を上げている。これは2020年比で45%の増加である。この業界は、パンデミックが始まってから、新たに7人の製薬億万長者を創り出した。現在、ファイザー社とモデルナ社などの企業は、欧州諸国向け新型コロナウイルス゠ワクチンの値段を引き上げようとしている。オックスファム゠インターナショナルの報告では、ワクチンの利益によって、世界規模の新型コロナウイルス公衆衛生戦略の コストが5倍に なっている。
所有権と私的利益のために、グローバル゠サウスでは数え切れないほど多くの人々が死ぬことになるのだ。
不完全な階級分析
この時機を振り返り、何が私達をここまで導いたか考えると、階級が社会の主要要因であり、現在の危機の第一の原因だとますますはっきりする。しかし、国際的左翼の階級に関する考えは、役に立っていない。役立っていないのは、主流派の国際的論説でも、左翼の間でさえも、社会現象としての階級を充分に理解していないからである。
階級に関する主流派の考えは、階級を収入や教育と関連付けている。一方、左翼思想家の中には、階級を厳密に「生産手段」との関係に結びつけている人々もいる。現代の活動家サークルの中には、階級をアイデンティティと見なし、「階級主義」を人種差別主義や性差別主義と同類の差別の一形態だと考えている 人々 もいる。
階級に関するこれらの考えは間違っているのではなく、不完全なのである。彼等は、階級という複雑な社会現象の一部を強調しているだけである。米国と英国は、この点について一番酷いかもしれない。階級に関する主流派の論説は、多くの労働者階級の人々と 中産階級 を同一視している。中産階級を、金持ちにも貧困者にも分類されない集団として曖昧に定義しているのだ。中途半端な階級概念が、見ようと思えば誰でも普通に見ることのできる日常生活の階級闘争を隠しているのである。
それとは異なるものの、左翼の側では、「Jacobin」などの 左派系ジャーナル は、限定的な観点を示している。その論は、大抵、階級は基本的に「物質的」条件であり、他の社会闘争形態とは異なり、他のものよりも根源的だとしている。階級を厳密に物質的諸条件、生産手段との関係と結びつけることで、こうした考えは労働者階級闘争を不必要に制限してしまっている。
英国の歴史家E゠P゠トムスンが60年前に論証していたように、階級闘争は単に物質的なものではない。アイデンティティ・経験・闘争といった多様なベクトルから生じ得る階級意識の産物でもある。
横断的階級闘争
私達の現前には別な階級政治の伝統--私は「横断的階級闘争」と呼んでいる--がある。これは、労働者の運動に、そしてその闘争から生まれた思想に見られる。ごく手短に言えば、横断的階級闘争は、白人至上主義・家父長制・帝国主義などの様々な社会的抑圧に反対する反資本主義労働者階級運動の伝統である。
人種・ジェンダー・セクシュアリティ・能力・市民権・民族性など、現代の社会と仕事場に存在する様々なベクトルを考えれば、労働者階級闘争が横断的に出現しないとすれば、衝撃的であろう。
南アフリカの反アパルトヘイト闘争・2011年の「アラブの春」・2019年のチリのフェミニスト叛乱を見れば、運動の構成・要求の性質・闘争の敵対勢力という点で、どれも明らかに横断的階級闘争だと分かる。労働者階級闘争の歴史と現在の形態は、抵抗運動は必然的に横断的になると証明している。
20世紀の終わりから21世紀に掛けて、研究者と理論家は、労働者階級民衆の経験に追いつき始めた。こうした思想家の多くが、文化・ジェンダー・人種・社会的抑圧・権力を包含すべく、マルクス主義による資本主義の物質的・構造的分析を構築・修正した。ここで、セドリック゠ロビンソンの人種資本主義・シルヴィア゠フェデリチとセルマ゠ジェームズといった思想家の唯物論フェミニズム・パトリシア゠ヒル゠コリンズとコンバヒー゠リヴァー゠コレクティヴのような理論家の黒人フェミニズムなどの様々な理論全ては、人種・ジェンダー・階級闘争を社会闘争の可変的だが等価な部分として捉える有意義な横断的分析に向けた大きな前進だった。
今日、研究者は、それぞれ明確な伝統の範囲内で研究し続けているが、横断的階級闘争はこれら全ての考えの統合であり、フェミニズム・反人種差別主義・反資本主義の思想を上手く融合させている労働者階級運動実践にはっきりと現れている。このように、ルドルフ゠ロッカーのようなイディッシュ語著述家から、社会的区分に関係なく全労働者の「ワン゠ビッグ゠ユニオン」を組織していた世界産業労働者(IWW)のような組織まで、アナキズム思想と社会運動の遺産が横断的階級闘争の基礎である。アナキストは、国境を越え、異なる人種的・民族的背景を持つ人々の間に、全てのジェンダーに、解放された人類の幅広い利益のために、労働者階級連帯を促そうとしていた。
横断的階級闘争は、労働者闘争の伝統と様々な社会理論との組み合わせから生まれ、階級政治の物質的構成も文化的構成も共に強調する。そして、集団的社会闘争のプロセスの中で、社会構造の重要な支柱になっている所有・白人暴力・家父長制などとの関係の中で、個々人とアイデンティティは形成されると示す。横断的階級闘争は、たとえ違いがあっても、資本と抑圧に対して闘う共通の集団的利益があることを物語っている。
最後に、横断的階級闘争は、抵抗運動の進路を、そして、もっと人道的で解放的な未来に向けて組織を作り、闘争する方法を実証する。このようにして横断的階級闘争は、解放的社会闘争を理解--そして、もっと重要なのだが、促進--する手助けをさらに上手くできるのである。
コロンビアからアラバマ州へ
多分、最近の横断的階級闘争の最たる例は、全国規模の コロンビアのゼネスト であろう。この南米の国は、2020年に貧困が7%増加したことに加え、新型コロナウイルスによって7月初旬に死亡者が急増し、疲弊していた。デュケ大統領の政権が一般のコロンビア人に重い負担となる税制改正を可決しようとした際、闘志達がカリの街頭で抗議し、警察の残忍な対応を受けた。そして、この国全土で 53人が殺された のである。
圧倒的なゼネストが出現すると、税制改正法案はすぐに取り下げられ、大臣は辞職せざるを得なくなった。しかし、全ての人への医療・普遍的給付金の支給・警察暴力の停止といった改革を求めて、ストライキは継続した。
最も印象的なのは、ゼネストを調整する団体が様々な労働組合・学生グループ・社会運動組織で構成され、そこに黒人・先住民・地方の人々・若者が貢献している点である。先住民の自衛 グループは、ストライキを支援しようとやってきた時、環境破壊と先住民族に対する国家暴力を止めようとする自分達の関心が、ストライキ参加者と合致していたと分かった。どちらも国家と資本に対して闘っており、従って、増税に反対し、医療の社会化を求める労働者の闘争と先住民運動は密接に結び付いていたのである。
この運動が力を増すに連れ、闘争の横断的性質が、運動の要求と構成双方に反映されるようになっている。
現在起きているもう一つの例が、アマゾン社に対する世界規模のストライキである。パンデミックの最中、この企業は無情にも労働者を感染の危険に晒している。米国南部の黒人が大部分を占める都市、アラバマ州ベッセマーで、この春、アマゾン社の労働組合結成キャンペーンが行われたが、会社側の頑強な反対に遭って失敗した。アマゾン社は明らかな法令違反も行った。このキャンペーンの中核にあった大義は、大多数を占める黒人労働力に対する尊厳と人種正義だった。
アマゾン社の最前線の労働力は黒人に偏っており、ベッセマーのアマゾン労働者の85%を黒人労働者が占めている。キャンペーンの最中、労働組合オーガナイザーは人種差別的中傷を浴びせられた。労働者はこの労働組合結成キャンペーンを 職場で人間的な思いやりをもって扱われる ための手段と見なしていた。
ベッセマーの労働者が組織を作っているのと同時期、イタリアのアマゾン労働者はストライキを決行した。一日のストライキとボイコットで、同じ大義を取り上げ、「人道的な勤務スケジュール」を要求した。そして、闘争の国際的性質を強調し、「ピアチェンツァからアラバマへ--ワン゠ビッグ゠ユニオン」と書かれたプラカードを持っていた。アラバマ州で最初に敗北し、イタリアでは一日限定の行動だったものの、現場での尊厳と自己決定を求めてアマゾン社の闘争は続いている。
抑圧との戦争
こうした現代の闘争は、階級闘争の横断的性質を証明している。労働者が国家と資本との闘争に足を踏み入れると、闘争は横断的になる。雇用主に対する闘争が、国境に対する、人種差別主義に対する、その他の抑圧に対する闘争となる。運動が進展するにつれ、必ず、多様な権力形態と同時に闘わざるを得なくなる。
大恐慌時代の黒人労働者クラレンス゠コウは、これに関連する考えを持っていた。コウは、テネシー州の田舎で育ち、そこで人種差別暴力を被っていた。そこから逃げるために、彼はメンフィスに引っ越し、劣悪な環境のマットレス工場とタイヤ工場で働いた。彼が労働組合の宣伝活動を組織すると、白人至上主義者の標的となり、攻撃された--労働組合活動を行っており、かつ、黒人だったからである。
当時、彼の労働組合活動は、人種差別主義と資本主義搾取双方に同時に反対していた。白人至上主義に対抗して労働組合を結成する上で、彼は全ての労働者を一つにまとめようとした。「誰もが同じ境遇にあった。それを悟ったのです」とインタビュアーに語っていた。白人至上主義と闘い、労働者の力を構築する上で私達は共通の集団的利益を持っている、とコウは示しているのである。
もう一つの例は、産業資本主義発祥期のマサチューセッツ州ローウェルの労働者階級女性達である。生産性の要求が徐々に高くなり、賃金は減る中、彼女達は「ファクトリーガールズ」と自称し、一日12時間働いていた。彼女達は、労働問題について話す場合でさえも、女性の声を黙らせ、女性を家庭の領域に追いやろうとする家父長制規範と闘わねばならなかった。ファクトリーガールズは「私達は姉妹の集団」であり、「お互いの苦悩に共感」しなければならないと考えるようになった。
彼女達は自分達の搾取を横断する部分--資本主義と家父長制--に対するストライキ・陳情・公的非難を組織した。実際、その戦闘的声は、この横断部分を明確に認識し、「あらゆる形態の抑圧との、実績が与えるものを除く階層との戦争」にまで到達した。彼女達は1840年代の階級闘争の最前線だったが、男性が支配する労働組合の多くは彼女達を支援しなかった。政治的に活発な労働者階級女性であることを嘲笑され、家父長制と資本主義に対して同時に闘争しなければならなかったのである。
こうした闘争は人種・ジェンダー・国籍などの要因によって異なるが、全て、階級闘争の一部である。1860年代に、米国の労働組合オーガナイザー、ウィリアム゠シルヴィスは、新たに出現した社会秩序を、労働と資本との「永久対立」と呼んだ。彼にとって、階級闘争は所有をめぐる戦いだった。富と財産を少数者が所有する--そして、その少数者だけが利益を得る--のか、無産者が効果的に組織を作り、集団的で進歩的な人間の利益のために富裕層から支配権を奪い取ることができるか。
資本主義における永久対立というシルヴィスの予言は、21世紀においても真実のように思える。これまで数十年、数世紀にわたり目撃してきたように、企業は、個人の短期的利益を追及して、人間生活を軽視し、この惑星の運命をなおざりにしてきた。シルヴィスが行った評価は、当時と同様、現在も明確である。私達は永久対立の中で生きている。そこでは、資本は「いかなる場合でも侵略者である。」侵略者ではあるが、資本主義は唯一の闘争ベクトルではない。彼の時代以来、労働者階級運動と理論家は、白人至上主義・家父長制・国家、これら全てとも同時に闘争しなければならないと学んでいる。
組織化の伝統
横断的階級闘争を認識することは一つのステップだが、さらに、その繋がりに基づく運動を構築する最善の方法は何か自問しなければならない。多くの場合、人種とジェンダー・セクシュアリティと能力・国籍と民族の違いは私達を一つのまとめるのではなく労働者を分断するために使われている。
今日の左翼は、こうした分断に関わり過ぎ、裂け目と社会的排斥に執拗な焦点を当てているように思える。違いを超えて連帯を構築することは、何らかの無力な立場から発言し、充分合意していない人々を攻撃したり非難したりしようとすることとは全く違う。
同様に悪いことに、別な左翼グループは、階級が持つ厳密に物質的で経済的な側面を他の闘争よりも優先しており、それらの闘争が重要な日常的問題となっている労働者階級から孤立してしまっている。多くの現代社会運動で、こうした違いを超えて連帯を構築すべく階級を組織する左翼の伝統が忘れ去られているのである。
しかし、直近の歴史にも代案がある。米国の文脈で、チャールズ゠ペインはそれを「組織化の伝統」と呼んでいる。組織化の伝統は、一世紀以上にわたる闘争で一般の人々によって培われ、共通の関心事に基づいて人々を集め、労働者とマンツーマンで話し、破壊的組織を維持するというものである。その中核は、労働者階級の力をさらに高めるために諸問題と人々の繋がりを構築することにある。
この伝統は、時間の掛かる辛抱強い「予備作業」(公民権運動のオーガナイザー、エラ゠ベイカーの言葉を借りれば)を強調する。民衆教育・闘争組織の創造・違いを超えた人々との会話による連帯の構築である。
黒人・先住民・学生・労働者が主導するコロンビアの運動は、このようなやり方で団結する力を示している。コロンビアの全国的ゼネストは、最も抑圧された人々に肩入れしながら、富裕層に対抗して労働者階級コロンビア人に利益をもたらすよう運動の勝利を推進している。そして、彼等は違いを超えた連帯を創り出し、それを効果的に実践するための民衆権力を構築しているのである。
横断的抵抗運動
これらの経験には、一つの労働者階級もなく、唯一の労働者階級利益というものもない。むしろ、多様な労働者階級が、人種・性的指向・能力・ジェンダー表現・労働などの要因を異なる形で経験している。しかし、違いと多様性があるからと言って、階級としての共通利益がないというのではない。例えば、賃金への反対がそうだ。賃金は、他者に利益をもたらすために私達を働かせている搾取システムである。また、無報酬の家事労働もそうだ。これは、資本主義が私達を搾取するのを助けると同時に、家事労働を主として女性が行うものとして制約し、家事労働の価値を低くしている。
誰もが資本主義と抑圧を経験している。誰もが様々な形でそれを経験している。横断的階級闘争は証明している。労働者階級を構成するのは、変化に富んだ多様で矛盾した経験を持つ私達自身なのだ。横断的階級闘争は、私達を分断・抑圧している勢力に対抗し、集団で闘争できると示しているのである。
アマゾン労働者・医療従事労働者・農業労働者・不安定な学者・ギグエコノミー労働者による今日の運動で、闘争は同じではないが、耳を傾ければ、深く馴染みある響きが聞こえてくる。横断的階級闘争は、抑圧の相互関連性だけでなく、抑圧に対して上手く闘う方法を示している。
コロンビア・イタリア・アラバマ州で、労働者階級民衆の闘争は証明している。抵抗する時には必ず横断的になるのである。さらに、セクターを超えて--労働者・学生・抑圧されたコミュニティと共に--組織を作れば、私達の闘争はもっと強くなる。こうした交点を認めることが私達の義務なのである。
数世紀にわたり社会を悩ませてきた中核的諸問題を回避することはできない。前進する唯一の道は、資本主義・白人至上主義・家父長制への対抗である。現在のパンデミック危機同様、生き残ろうとするならば、全員の治療が必要なのである。
マイケル゠ベイヤ゠レーガンは、米国ワシントン州シアトル在住の歴史家・教育者・活動家である。著書に「Intersectional Class Struggle: Theory and Practice」があり、AK Press と the Institute for Anarchist Studies から出版されている。