タイトル: 無政府の事実
著者名: いとうのえ
トピック: アナキズム, 組合
ソース: 寒空文庫
https://web.archive.org/web/20190326072835/http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/6580/petri-do/noe01.html(2023年2月18日検索)
備考: 新仮名版

 私共は、無政府主義の理想が、到底実現する事の出来ない、ただの空想だと云う非難を、どの方面からも聞いて来た。 中央政府の手を俟たねば、どんな自治も、完全に果たされるものでないと云う迷信に、皆んながとりつかれている。
 殊に、世間の物識り達よりはずっと聡明な社会主義者中の或る人々でさえも無政府主義の『夢』を嘲笑っている。
 しかし私は、それが決して『夢』ではなく、私共の祖先から今日まで持ち伝えられて来ている村々の、小さな『自治』の中に、其の実現を見る事が出来ると信じていい事実を見出した。
 所謂『文化』の恩沢を充分に受ける事の出来ない地方に、私は、権力も、支配も、命令もない、ただ人々の必要とする相互扶助の精神と、真の自由合意とによる社会生活を見た。
 それは、中央政府の監督の下にある『行政』とはまるで別物で、まだ『行政機関』と云う六ケしいもののない昔、必要に迫られて起った相互扶助の組織が今日まで、所謂表向きの『行政』とは別々に存続して来たものに相違ない。


 私は今此処に、私が自分の生まれた村について直接見聞した事実と、それについて考えた事だけを書いて見ようと思う。
 見聞の狭い私は、日本国中の何処にも遍在する事実だと断言する事は出来ない。 が、そう信じても恐らく間違いではあるまいと云う事は信じている。 何故なら、此の事実は、或る一地方のみが持つと云う特異な点を少しももっていない。 万事に不自由な生活を営んでいる田舎の人には、どの地方の何んな境遇に置かれている人にも一様に是非必要な一般的な性質のものだ。 そして悉ゆる人間の生活が、是非そう云う風ではなくてはならぬと云う私共の大事な理想が、其処に確かりと織込まれている。
 私の生まれた村は、福岡市から西に三里、昔、福岡と唐津の城下とをつないだ街道に沿うた村で、父の家のある字は、昔、陸路の交通の不便な時代には、一つの港だった。 今はもう昔の繁盛のあとなどは何処にもない一廃村で、住民も半商半農の貧乏な人間ばかりで、死んだような村だ。
 此の字は、俗に『松原』と呼ばれていて、戸数はざっと六七十位。 大体街道に沿うて並んでいる。 此の六七十位の家が六つの小さな『組合』に分かれている。 そして此の六つの『組合』は必要に応じて連合する。 即ち、一つの字は六つの『組合』の一致『連合』である。
 しかし、此の『連合』はふだんは解体している。 村人の本当に直接必要なのは、何時も『組合』である。 『組合』は細長い町の両側を端に順から十二三軒から十四五軒づつに区切って行ったもので、もう余程の昔からの決めのままらしい。 これも、連合とおなじく、用のない時には、何時も解体している。 型にはまった規約もなければ、役員もない。 組合を形づくる精神は遠い祖先からの『不自由を助け合う』と云う事のみだ。


 組合のどの家も太平無事の時には、組合には何の仕事もない。 しかし一軒に何か事が起れば、直ぐに組合の仕事がはじまる。
 家数が少ないのと、ふだん家と家が接近し合っているのとで、どの家にか異なった事があれば直ぐに組合中に知れ渡る。 知れれば、皆んな直ぐに仕事を半ばにしてでも、其の家に駆けつける。 或は駆けつける前に一応何か話し合う必要があるとすれば直ぐ集まって相談する。
 相談の場所も、何処かの家の門口や土間に突っ立って済ます事もあれば、誰かの働いている畑の傍ですます事もあり、或はどの家かの座敷に落つく場合もある。
 人が集まりさえすれば、直ぐに相談にかかる。 此の相談の場合には、余程の六かしい事でなくては黙って手を組んでいる者はない。 みんな、自分の知っている事と、考えとを正直に云う。 人が他の意見に賛成するにも、その理由をはっきりさせると云う風だ。 少し六ケしい場所に出ては到底満足に口のきけないような人々でも、組合の相談には相当に意見を述べる。 其処には、他人のおもわくをはかって、自分の意見に対して臆病にならねばならぬような不安な空気が全くないのである。
 事実、組合の中では村長だろうが其の日稼ぎの人夫であろうが、何の差別もない。 村長だからと云って何の特別な働きも出来ないし、日傭取りだからと云って組合員としての仕事に欠ける処はない。 威張ることもなければ卑下する事もない。 年長者や、家柄と云うものも田舎の慣らわしで尊敬されるが、感心に組合の仕事の相談の邪魔になるような事はない。


 相談の最後の結論は誰がつけるか? それも皆んなできめる。 大抵の相談は具体的な、誰の目にも明かな事実に基く事であって、それに対する皆んなの知識と意見が残りなく其処に提出されれば、結論はひとりでに出来上る。 誰がつくり上げるまでもない、誰に暗示されるまでもない。
 大抵の事なら直ぐに相談がきまる。 しかし、どうかして、意見がマチマチになってどうしても一致しない事がある。
 例えば、組合員の家族が内輪喧嘩をする。 其の折り合いをつける為めに組合のものが皆んなで話しあう、と云う場合などは、家族の幾人もの人達に対する幾人もの観方がそれぞれ違っていて、それに対する考え方も複雑で、容易にどれが真に近いかが分からなくような事がある。
 そんな時には、皆んなは幾晩でも、熱心に集まって話し合う。 幾つもの考えを参酌折衷して纏めるにも、出来るだけ、皆んなが正しいと思う標準から離れないように努める。
 もし又、此の相談の席上で、皆んなに納得の出来ないような理屈を云ったりそれを押し通そうとしたりするものがあれば、皆んなは納得の出来るように問い糺す。 そして、何うしても納得が出来ず、それが正しい道でも方法でもないと分れば、皆んなは正面から其人間をたしなめる。


 或る家に病人が出る。 直ぐに組合中に知れる。皆んなは急いで、其の家に馳けつける。 そして医者を呼びに行くとか、近親の家々へ知らせにゆくとか、其の他の使い走り、看病の手伝いなど親切に働く。 病人が少し悪いとなれば、二三人づつは代り合って毎晩徹夜をしてついている。 それが一週間続いても十日続いても熱心につとめる。
 人が死んだと云う場合でも、方々への知らせや(これは以前には十里もある処へでも出掛けて行ったのだそうだ。)其の他の使い走りは勿論の事、墓穴を掘ること、棺を担ぐ事、葬式の必要な道具をつくる事、多勢の食事の世話、其の他何から何まで組合で処理する。
 子供が生れると云う場合には組合の女連が集る。 産婦が起きるようになるまで、一切の世話を組合の女達が引きうける。
 其の他、何んでも人手が必要だと云う場合には何時でも文句なしに組合で引き受けてくれる。
 組合の中の家でも、勿論皆んなから好かれる家ばかりはない。 何かの理由から好く思われない家が必ず二軒や三軒はある。
 そんな家の手伝いをする場合には、皆んなお互いに陰口もささやき合えば不平も云う。 が、しかし手伝っている仕事を其の為に粗末にすると云うような事は決してない。 其の家に対して持つ各々の感情と、組合としてしなければならぬ事とは、ちゃんと別のものにする。


 組合の事務、と云うようなものはないも同然だが、ただ皆んなで金を扱ったと云う場合に其の出入りは、皆んなで綺麗に其の時、其の折にキマリをつける。
 組合員は時々懇親会をする。 それは大抵何処か一軒の家に集まって午餐の御馳走を食べたり飲んだりする会で、米何合、金幾可ときめて持ち寄る。
 一年に一度は、この会食が二三日或は四五日も続く風習がある。 そんな時の後始末は可なり面倒そうに思われるが、実際には割合に故障なく果たされる。 集めた丈けの金で足りなければで皆んなで出し合う。 あまればみんな其の場で使ってしまうか、何かの必要があるまで誰かが預って置く事になる。
 酒飲み連がうんと酒を飲んだ、そして割合に酒代がかさんで、予定の金では足りない場合がよくある。 そんな時には、飲む者は飲まない者に気の毒だと云うので其の不足分を自分達だけで出そうと云う。 しかし、そんな事は決して取りあげられない。 飲む者は、御馳走を食べない。 飲まない者は盛んに食べる。 それでいいぢゃないかと云うので結局足りない金はみんなで当分に出す。
 他家の葬式、病人、出産、婚礼、何んでも組合で手伝った場合には大抵の買い物は組合の顔で借りて済ます。 其処で、何時でも手伝いの後では計算がはじまる。 この計算には皆んな組合中の者が集まる。 そして一銭の金にも間違いがないように念入りに調べる。 それで、いよいよ間違いがないと決まれば、はじめて其の調べを家の人に報告する。 それで、組合の仕事は終わったのだ。 こうして何があっても其の度びに、事務らしい事は関係者総てが処理する。
 たまに、何か連続的にやらなければならぬような仕事があっても、大抵一番最初に相談する際に、順番をきめて置くから、何んの不都合もない。
 此の皆んなが組合に対して持つ責任は、決して
 おしつけられて持つ不精不性のものではない。 自分の番が来てすべき事、と決まった事を怠っては、大勢の人にすまないと云う良心に従って動いている。 だから、何の命令も監督も要らない。


 火の番、神社の清掃、修繕、お祭と云うような、一つの字を通じての仕事の相談は、六つの組合が一緒になってする。 此の場合には、どの組合からも都合のいい二三人の人を出して相談する。 相談がきまれば、組合の人達にその相談の内容をしらせ、自分達だけできまらない事は組合の皆んなの人の意見を聞いて、又集まったりもする。
 相談が決まって、いよいよ仕事にかかる時には、組合の隔てはすっかり取り除かれる。 小さな組合は解体して連合が一つの組合になってしまう。 連合の単位は組合ではなく、やはり一軒づつの家だ。
 みんなで代りあって火の番をしよう、と云う議が持ち上がる。 一つ一つの組合でするもつまらないから字全体でやろうと云う相談がきまる。 すると直ぐ、各組合の代表者たちが、大凡そ何時から何時まで位の見当でやろうと云う事を決める。 毎晩何軒づつかで組んで、何回まわるか、北側から先にするか、南側から初めるか、西の端からか、東の端からか、と云うような具体的な事をきめる。 若し、北側の西の端から三軒づつ毎晩三回と云う事にでもきまれば幾日と云う最初の晩に、その三軒の家からは誰かが出て村中を太鼓を叩いたり、拍子木を打ったりして火の番をする。
 翌日になると、其の太鼓や拍子木や提灯が次の三軒のどの家かに渡される。 そしてだんだんに、順を逐うて予めきめられた通りに間違いなく果たされる。


 神社の修繕費などは、なかなか急には集まらない。 其処で皆んなで相談して貯金をする。 一つの箱をつくって、字全体の戸主の名を書いた帳面と一緒に、毎日一戸から三銭とか五銭とか云うきめた金高を入れる為にまわされる。 これも毎日間違いなく隣から隣へとまわって行く。
 学校へ通うのに道が悪くて子供達が難儀する。 母親達がこぼし合う。 すると、直ぐに、誰かの発議で、暇を持っている人達が一日か二日がかりで、道を平らにして仕舞う。
 一つの字でそれをやれば他の字でも又、お互いに誰が通るときまった道でもないのに、彼処の人達にだけ手をかけさせては済まないと云うので、各自に手近な処を直す。 期せずして、みんな道が平らになってしまう。
 斯うしてすべての事が実によく運んでいる。 大抵の事は組合でする。 他との協力が要る場合には組合の形式は、撤回されて字全体で一つになる。
 此の組合や字の自治に就いて観ていると、村役場は一体何をしているのだろう? と不思議に思われる程、此の自治と行政とは別物になっている。 組合や字の何かの相談には熱心に注意をする人達も、村会議員が誰であろうと、村会で何が相談されていようと、大部分の人は全く無関心だ。
 役場は、税金の事や、戸籍の事、徴兵、学校の事などの仕事をしている処、と云うのが大抵の人の役場に対する考え方だ。


 村の駐在所や巡査も、組合のお陰で無用に近い観がある。
 人間同志の喧嘩でも、家同志の不和でも、大抵は組合でおさめてしまう。 泥棒がつかまっても、それが土地の人間である場合は勿論、他所の者でも、成るべく警察には秘密にする。
 最近に斯う云う事があった。 或る家の夫婦が盗みをした。 度々の事なので大凡の見当をつけていた被害者に、のっぴきならぬ証拠をおさえられた。
 盗まれた家では此の夫婦を呼びつけて叱責した。 盗んだ方も盗まれた方も一つ組合だったので、早速組合の人も馳けつけた。 彼方でも此方でも、此の夫婦には余程前から暗黙の中に警戒していたので、皆んなから散々油を絞られた。
 しかし、兎に角、以後決してこんな事はしないからとあやまるので、被害者の主人も許す事になった。 組合では再びこんな事があれば組合から仲間はづれにすると云う決議をして、落着した。
 此の事件に対する大抵の人の考えは斯うであった。 『盗みをすると云うことはもとよりよくない。 しかし、彼等を監獄へやった処でどうなろう。 彼等にだって子供もあるし、親類もある。 そんな人達の迷惑も考えてやらねばならぬ。 彼等も恥を知って居れば、組合の人達の前であやまるだけで充分恥じる訳だ。 そして此の土地で暮らそうと云う気がある以上は、組合から仲間はづれになるような事はもう仕出かさないだろう。 そして、みんなは又、彼等にそんな悪い癖があるならば、用心して機会を与えない様にする事だ。 それでうまく彼等は救われるだろう。』と云うのだった。


 実際彼等は慎んでいるように見える。 警戒はされているが、彼等に恥を与えるような露骨な事を決してしない。 其処は又、田舎の人の正直なおもいやりがうまくそれを覆っている。
 此の話は、字中の者の耳には確かにはいっている。 が、巡査の手には決してはいらないように充分に注意されている。 どんなに不断巡査と親しくしていても、他人の上に罪が来るような事柄は決してしゃべらない。 若し、そんなおしゃべりをする人間があれば、忽ち村中の人から警戒される。
 斯ういう事も、ずっと遠い昔から、他人の不幸をつくり出す事ばかりねらっているような役人に対して、村の平和を出来るだけ保護しようとする、真の自治的精神から来た訓練のお蔭だと云っても、間違いはあるまいと私は信じている。
 組合の最後の懲罰方法の仲間はづれと云う事は、その土地から逐われる結果に立ち到るのである。
 一つの組合から仲間はづれにされたからと云って、他の組合にはいると云う事は決して出来ない。
 組合から仲間はづれにされると云うのは、よくよくの事だ。 事の次第は直ぐに其処ら中に知れ渡る。 此の最後の制裁を受けたとなれば、もう誰も相手にしない。 結局は土地を離れて何処かへ出掛けるより外はない。
 が、みんなは此の最後の制裁を非常に重く考えている。 だから余程の許しがたい事がない以上は、それを他人の上に加えようとはしない。 私の見聞の範囲の私の村では、此の制裁を受けた家の話を聞かない。 その位だから、若し此度何々したら、と云う条件付で持ち出されるだけでも非常に重大だ。 従って効目は著しい。


 実際田舎の生活では、組合に見放されてはどうする事も出来ない。 組合の保証がありさえすれば、、死にかかった病人を抱えて一文の金もない、或は死人を抱えて一文の金もない、と云う場合でも少しも困る事はない。 当座を切り抜けるのは勿論の事、後の後まで心配して事情を参酌して始末をしてくれる。
 組合の助けを借りる事の必要は、殆ど絶対のものだ。 殊に、貧乏なものにとっては猶更の事だ。 貧乏人は金持ちよりはどんな場合でも遥かに多くの不自由を持っている。 その大から小までの悉ゆる不自由が、組合の手で大抵は何んとかなる。
 私はこれまで、村の人達の村でのつまらない生活に対する執着を、どうしても理解する事が出来なかった。 一たん決心して村を離れた者も大抵は又帰って来る。 都会に出て一かどの商売人になる事を覚えた青年達までが、何んにもする事のない村に帰って来て、貧乏な活気のない生活に執着しているのを不思議に思った。
 けれども、此の村の組合と云うものに眼を向けた時に、私は初めて解った。 村の生活に馴れたものには、他郷の、殊に都会の冷ややかな生活には、とても堪え得られないのだ。 成功の望みはなくとも、貧乏でも、此の組合の力で助け合って行く所の暖かい生活の方が、はるかに彼等には住み心地がいいのであろう。