#title 日常生活の〈帝国〉主義 #author ジョン・ザーザン #LISTtitle 日常生活の〈帝国〉主義 #date 2002 #SORTtopics プリミティヴィズム #source https://web.archive.org/web/20191219210043/http://www.ne.jp/asahi/anarchy/saluton/archive/zerzan01.htm(2023年2月19日検索) #lang ja #pubdate 2023-02-18T20:35:45 #authors John Zerzan  帝国の周囲には、暴力そしてテロさえもが常に存在する。それらは、帝国の整理統合、防衛、拡大の手段なのだ。同様にして、帝国は攻撃に応じなければならない。あるいは罰則だとして。9月11日、遠い地平線には、新しい何事も起こり得なかった。それは、2000年も前、ローマ帝国が権力の絶頂で攻撃を受けたようなものだったからだ。  帝国の中心部は広大なものとなり、マンハッタンのツイン・タワーからいつも取り外し可能なものとなった。日常のなかの生は、世界貿易センター扮する、資本とテクノロジーの看板の下で、叫んでいる。  私たちは、虚ろさを増す文化に生きている。その虚ろさは、私たちの帝国の中心部分にあるものだ。子供を含む数千万もが、その日を過ごすために抗うつ剤を必要とする一方、ドラッグの流行が続いている。巨大な渇望が、感情の荒廃と欠損に対処する麻酔薬に向けられている。何かが失われ続けている。誰もがそのことを知っている。非常な構成的日常生活から、意味と価値は徐々に浸出してしまったのだ。  「真に、あるいは、多分より正しく生きていない人びとは、彼らが本当に生きなかったことをまざまざと知る――突然の恐ろしい死、そしてそれがものすごい事故として現れるときに」。テオドール・アドルノの数十年前の省察は、今日、さらに妥当なものとなった。ジェット旅客機と炭疽熱の爆発は、人びとを脅かす。そしてその間、より深刻な危機が、はるかに広汎で根本的な恐怖感を誘発している。  帝国は、全世界的なものだ。侵食してくる不毛から逃がれる場所は、どこにもない。フレデリック・ジェームソンは、これまでに存在したなかで、もっとも標準化された社会に私たちが住んでいる、ということを想起させた。評判をとったその著『The Global Soul』で、歩く作家Pico Iyerは、いま、世界規模の同一化へと向けられた、その方法を熟考している。異邦性の地球的統一、方位の喪失と切断による、ショッピング・モールや空港への類似化。人びとは、世界中のあらゆる主要都市にいるかのようだ。コカ・コーラを飲み、そして同じTV番組を見る。  非現実性と慣例化による帝国の風景は、着実に病的なものとなっていく。自然へのダメージと、精神への暴力は、拒絶的なポストモダニズム文化――職場、家庭、学校における人でも殺すような感情の爆発をくり返すそれ――と競い合っている。私たちを起こそうとする非常ベルの音がますます大きく響くことが予期できる。平和なまどろみを考えることはできない。  帝国、そしてこの文明は、私たちをどこへ連れて行くのだろう。いくつかの次元でのことだが、誰がそれを知らないというのか? 私たちの解放運動は、過去において失敗し、制約されたあらゆるアプローチと異質である必要があるのだ。日常生活は待っている――それが本当に生きられることを。

*[[http://www.adbusters.org/magazine/40/imperialism.html]] *[[https://web.archive.org/web/20191219210043/http://www.infoshop.org/inews/stories.php?story=02/02/18/3100980]]