タイトル: 抵抗の資金調達
サブタイトル: 21世紀の義賊行為
著者名: Phil Wilmot
発行日: 2021年
ソース: https://note.com/bakuto_morikawa/n/n7f07b8a94970(2023年6月17日検索)
備考: 訳者註:翻訳に際しては、「匪賊の社会史」(エリック゠ホブズボーム著、船山榮一訳、2011年、ちくま学芸文庫)を参照し、訳語を合わせるようにしました。義賊に関心のある方には一読をお勧めします。個人的には、スペイン内戦敗北後の闘争について書かれた第八章は白眉だと思います。ただ、固有名詞が説明なく何度も現れるため、最初は「アウトローの世界史」(南塚信吾著、1999年、日本放送出版協会)から読むことをお勧めします。また、「素朴な反逆者たち」(エリック゠ホブズボーム著、水田洋・安川悦子・堀田誠三訳、1989年、社会思想社)も貴重な資料ですが、直訳調で、人名等の表記が統一されていない箇所があり、読みにくいのが難点です。アナキズムに対するホブズボームの評価には同意しかねる点が多々ありますが、資料としての価値は変わりません。(bakuto morikawaより)

      何故今匪賊行為なのか?

      強盗

      資金洗浄

      NGOの収用

      匪賊倫理に向けて

この歴史上重要な時期に運動資金を調達すべく、特定の標的から金銭を奪取することは一つの倫理的選択肢である。金銭収奪には多くの方法がある。

少なくとも紀元1世紀には既に、アフリカの角(アフリカ北東部)の「シフタ」は皇帝・政府・法律への忠誠を捨て、荒野に逃れ--通常の商習慣と貿易を邪魔しながら--アウトローとして生き延びていた。バルカン半島の「ハイドゥク」は、数世紀にわたり、自分達の土地を放浪し、オスマン帝国の占領者から盗みを働いていた。20世紀初頭、中国国境を越えてやってきた夷の土匪等の集団は主に襲撃で経済を維持していた。1917年から1937年まで、ペルー人女性達は馬に乗って狙撃隊を率い、金持ちから強奪し、貧者に与えていた。

過去のロビン゠フッド達について研究が少なく、民間伝承物語になっているが、最も原初的な文明であっても階級不平等があるところでは義賊行為が行われていたようである。義賊行為--貧者のための窃盗--の現象は、歴史・地理・文化を超えて広く見られている。

産業資本主義と新自由主義経済のために、匪賊の手法は変更せざるを得なくなっている。金持ちは、もはや、荒野の追剥ぎに気を付けながら陸路で公道を旅しない。今日、世界で流通している貨幣の内、現金は約8%しかない。金持ちの情報は、人目に付かないタックスヘイヴンで保護されている。今日、土匪の課題は根本的に創造的なものである。かつてのように、マチズモと叢林地帯の名声という歴史的ベールが恐怖を引き起こすことはない。

匪賊の物語は死んでいない。単に変形しただけであり、復活しているとも言える。オットー゠バサースト監督による2018年の「Robin Hood」(邦題は「フッド:ザ・ビギニング」)のように、かつては時代を超越していた叛逆者物語が最近復活しているが、今や、「Good Girls」(邦題は「グッドガールズ:崖っぷちの女たち」)や「Money Heist」(邦題は「ペーパー・ハウス」)のようなテレビシリーズの人気に比べて影が薄い。こうしたテレビシリーズから「倫理的犯罪」が今日どのように見られているのか推測できる。私達は国営金融機関の徹底的強奪を切望しているのだ。匪賊行為を容認しない人達でさえ、原初的な勇ましい神話に対しては、ある種の敬意と畏怖を抱かざるを得ないのである。

これらはフィクションかもしれないが、もっと重要なことに、世界中にいる急進左派グループは、実際に、金銭と貴重品を奪い取り、それらを協力者と抑圧されたコミュニティに再分配する方法を見つけている。最近の特筆すべき実例は、ジョージ゠フロイド抗議行動の最中に行われたミネアポリス゠シェラトン゠ホテルの接収である。活動家はシェラトンを「シェア゠ア゠トン」(大量に共有する)に変えたのである。歴史的な義賊行為はひらめきを与えてくれるかもしれないが、今日の急進左派は未来に向けてその方法を盗み取ろうとしているのだ。民衆闘争が必要な資源を手に入れ、散発的な革命運動を超えて持続できるようになる未来に向けて。

何故今匪賊行為なのか?

地球規模の気候混乱のように、人類がこれほど存在の危機に直面したことはない。具体的な変革を行う規模とペースは、歴史的に工業化と植民地化が行われてきた規模とペースを凌駕するものでなければならない。見通しとして、化石燃料の使用を完全に止め、地球のエネルギー消費を100%再生可能なものに転換するために、私達には6年5カ月ある。さもなくば、地球の気温は摂氏1.5度高くなり、計り知れない規模で壊滅的な被害が引き起こされる。

明らかに、緊急事態に対して私達が取り得る手っ取り早い方法は、民衆権力である。民衆闘争は証明してきた。劇的な変革は実際に促進できるのだ。気候正義運動は、ほぼ間違いなく、世界史上最大かつ最も多様な運動である。そのメンバー--その相当数が、この途轍もない重荷を負うには余りにも若過ぎる人々だ--は、勇敢な直接行動から高次のロビー活動までの全てに深く関わっている。「先住民コミュニティは、人間を尊重するのと同じように自然を尊重しなければならないと何世紀も前から述べていました」とクライメット゠クロック通信チームのラウル゠デ゠リマは述べていた。「まだ少しだけ時間があります。最も重要なもの、命を守るのです。」

この短い機会を生かすために、私達はもっと劇的な変革を大至急生み出さねばならない。貨幣は変革を生み出す手助けをできる。世界人口の僅か1%の手中にグローバル経済がある中、私達の非常に強力な運動とその連合体の財源に対する資金の再分配を加速させるには、もっと創造的戦略が必要である。

最も多くの金を持つ人々は、大抵、最も大きな民衆権力を持つ人々に打ち負かされてきた。超大金持ちの独裁者は、幾度も、民衆が叛逆している場所で崩壊してきた。最近の例では、億万長者オマル゠アル-バシール(スーダンの元大統領)の失脚がある。彼の富の一部は現在取り戻されている。しかし、抵抗運動の中心にいる人々には、自分の生活と仕事を維持し、闘争の基盤を強化する資金が必要だ。現代の民衆権力型運動の資金源は、多くの場合、現物出資・ボランティア活動・メンバーと支持者による支援要請や会費・非営利団体や企業の協賛・博愛主義諸団体やそれに類する篤志家(中道リベラルの価値観を持っていることが多く、支援に紐を付けていることもある)である。

ただ、これらが唯一の運動資金調達方法ではない。他の選択肢もある。窃盗だ。

この選択肢を選ぶ際に活動家の純粋主義が立ちはだかる。だが、この歴史的瞬間に、特定の標的から貨幣を奪わないなど、倫理的ではないだろう。少しずつでも貨幣をかき集め続ける方がましだ。窃盗にも多くの方法がある。

強盗

直感的に、金を盗む方法といえば強盗であり、明らかに、強盗する場所といえば銀行だ。だからと言って、匪賊は正面入り口から入って銃を撃ちまくれ、と述べているのではない。

2008年、カタルーニャの活動家、エンリック゠デュランは、自分が68の銀行融資を手に入れて50万ユーロを盗み、民衆闘争に資金提供したという声明を発表した。デュランは、司法制度の権威を否定し、身を隠そうとした。彼は、自分の恩赦に無駄な時間を使わず、失敗した自分の融資戦術から学び、同様の強奪をもっと大規模にうまくやるよう同志達に要請した。

デュランの詐欺戦略によって、現代カタルーニャの活動家匪賊行為の伝承は拡大した。バルセロナ生まれの運動「ジョマンゴ」(かっぱらう)は、万引きの才能を利用して、緊縮経済・その背後の企業勢力と公然と戦った。その公然窃盗運動は、すぐさま欧州とラテン゠アメリカに飛び火し、アルゼンチンでは、ダンサーがカルフール(フランスに本社を置くスーパーマーケットチェーン)から数百本のシャンパンを公然と万引きした。

デンマークでは、ブレーキンゲゲード゠ギャングとして知られるようになった一団が、1970年代と1980年代に数多くの強奪を行い、同盟しているパレスチナ解放人民戦線のレーニン主義活動に資金提供していた。有名な嫌がらせの一つが、警察がフォード゠エスコートを運転しているように偽装するというものだった。

ブレーキンゲゲード゠ギャング出現に先立ち、ヤングローズというプエルトリコ人の一団(米国)は、結核検知X線装置を備え付けたトラックを使われていないと見なして盗んだ。そして、そのトラックをイースト゠ハーレムに持ち込み、車の上にプエルトリコ国旗をはためかせながら、住民に検査を繰り返したのである。

こうした公然たる左翼グループは--その他多くのグループも--計画的な「倫理的犯罪」行為を実行した。しかし、現在歴史的に理解されている義賊行為は、政治イデオロギーに直接依拠していない。土匪や一団--社会の中で民衆から支持されていても辺境にいる--を長期的に持続できるようにするのだから、それは階級戦争である。貧困者と農民は「手に取れる餅(pie in the window)」で課税される。もしくは、地元のアウトローに対して同じようにちょっとした譲歩をする。そして、匪賊は農民を権力者から守り、大量の金品を略奪した時には、略奪品の一部を分けてくれると期待される。

例えば、ジョン゠ケペは1950年代に南アフリカ東ケープ州ボッシュバーグ山の洞穴に隠れ、アフリカーナー(南アフリカの欧州系白人)の自宅と農場を荒らしまわっていた。彼は略奪で生き延びただけでなく、有用な家財と商品を仲間の南アフリカ黒人に再分配した。このおかげで、彼の所在は分からないままだった。一般社会との受動的同盟によって好ましい「労働条件」が提供されたのだ、とも言えよう。ケープの物語は最近「Sew the Winter to My Skin」という映画になった。

マルクス主義歴史家エリック゠ホブズボーム--多分、義賊について最も権威ある著述家だろう--は、歴史的匪賊に同様の実際的経済・政治を見ている。匪賊は革命を支持するが、自身が革命を起こすことはまずない。底辺層の闘争に対する匪賊のニッチな貢献は、例えば、全国規模の農民叛乱へと拡大できる基盤にはならない。ただ、匪賊は、あらゆる貧困者の運動に対して経済的に寛大な心情を持っている。ブラジルの有名な匪賊ランピオンは、商人から通常価格の3倍で生活必需品を買っていた。こうした「匪賊の寛大さ」は、匪賊の単なる虚飾とプライドではないとすれば、大衆叛乱への共感、そして帝国と地主による直接的権力の外にある生の自由への共感を示しているのである。

資金洗浄

直接的な強盗--つまり、窃盗によって貨幣や資産を団体Xから団体Yへ移動させること--だけが資金を盗む手段ではない。資金洗浄--億万長者が何のお咎めもなく毎日行っている--も善行のために活用できる。

この小論のためにインタビューした一つのグループは、大きな団体の助成金に応募している。手に入れた資金を、バスの停留所にあるゴミ箱など様々な場所で探し集めた領収証で計上する。偽の領収書で計上された金額は、同盟している活動家や直接行動グループに分配される。こうしたグループの活動は、怪しまれてしまい、助成金契約を容易く締結できないのである。「NGOは、私腹を肥やすために、いつも汚いことを行っている」と、このグループのメンバーは言っていた。「もっと急進的な目的のために私達が同じアプローチを使っていけない理由など、どこにある?」

現代の匪賊は、このような小規模な資金洗浄だけを行っているのではない。NGOのような非営利の「ダミー会社」を設立して、多額の--そして、政治的に穏健な--寄贈資金を募集できるようにする場合もある。助成金を手に入れると、もっと急進的なグループ--「パートナー」--に資金を分配できるようになる。このグループは共有した総額のインヴォイスを作成する。このようにして、公的助成金の受領者、この場合は「NGOダミー会社」は、財務執行責任を果たし、監査人を満足させ、しかも、一見して穏健な活動について報告できる。同時に、寄付者と急進主義グループとの間に緩衝地帯を創り出し、急進主義グループの自律性をさらに高めるのである。

ある青年組織は、助成金を洗浄するために大規模イベント--資金供与者から見て、文化的多様性・包摂を促進する活動--を主催している。この組織が主催するコミュニティ活動はまさしく、申請書類と報告書で実施すると述べている活動である。ただ、彼等は参加者から参加費を徴収し、使った以上の金を手に入れる。資金の説明責任は受け取った元金の支出で既になされている。「寄付金推奨額」からの収益は、反ファシスト゠グループへと分配される。

さほど面倒なく、右翼から資金挑発できる場合もある。「普通は、こんなことをしなくても良いんだけれど」と情報提供者は説明する。「右翼の寄付者から大金を手に入れるのは本当に簡単さ。特に、正式に登録された組織があって、『そこに関係している』理事会と会員がいて、良い体裁を保っている時にはね。」

NGOの収用

歴史的に、ほとんどの匪賊は自分達の近くにいる犠牲者を標的にしていた。過去に追剥ぎが活動した地理的領域は、現在では、運動「産業」が活動する経済的領域である。要するに、匪賊は、動く必要がない場所では動かないのである。NGOは私達の最も身近な標的だ。その多くが私達の運動に隣接しているものの、私達の運動と同義ではない。

幸い、犯罪行為によってNGOを脅す必要すらないかもしれない。多くのNGO労働者は、変革を起こしたいという大望を持ってその分野に入るものの、自分の業界の無力さ・解決の助力をするつもりだった複雑な問題の大きさに幻滅するはめになっている。誰もがちょっとした革命的情熱を行使できるだろう。だから大抵、この業界の1兆ドルもの年間売上が持つお粗末な影響に不満を抱いているNGO労働者にその機会を売ることが可能なのである。

これをどのように行えるかを問うために、イングランド王政復古期のフランス人追剥ぎ、クロード゠デュバルの奇抜でほぼ間違いなく非暴力の手段に目を向けても良いかもしれない。デュバルは、その強さというよりも、その魅力のために恐れられ、名声を得ていた。女性に対して騎士道的に礼儀正しく振舞うことで、追剥ぎ被害者から多額の金を勝ち取ったのである。デュバルは今日私達に提起している。NGOの予算をその手にしている人々を魅了し、助成金受領者のポートフォリオを左翼側に変えさせられるのだろうか?これを達成するために、燃えるような情熱が衰えていても完全に死んではいない非営利産業労働者に、革命の経験を売るのである。(この文を、デュバルが実践し、幾多の劇作家が取り入れていたような窃盗の性別化を承認していると読まないで!)

「普段は、計略なんていりません」と、伝統的資金集めに対してデュバル的アプローチを取っている人は説明していた。「自分達の目的と方法を率直に伝えれば良いのです。投資してくれそうな人が躊躇うのは、リスク管理の部分です。大部分の寄付者は、抗議行動への資金提供者として見られたいとは思っていません。多くの政府が、青年の活動主義は海外の投資家に煽られているのだ、というプロパガンダを上手くやっています。だから、こうした疑念を和らげるよう自分達のグループがどのように設立されているのか説得力を持って説明しなければなりません。彼等の関心は、こうした世間の詮索を避けることにあるのです。」これを話してくれた人のグループは、大抵、確固たる言質を確保する前に数カ月間かけて多数の寄付者と関わるという。ただ、一人の寄付者から数十万ドルを手に入れ、急進主義活動に投資する場合もあるそうだ。

匪賊倫理に向けて

現代の匪賊と利己的日和見主義者をどのように区別するのだろうか?一定のリスクに同意していない人々を危険にさらすことなく、急進主義活動を推進するためには秘密厳守が必須だが、こうした場合に説明責任システムをどのように作るのだろうか?

情報提供者の一人は、資金に対する透明性をどのように共有しているか丹念に詳しく述べてくれた。多くのやり方があり、その一つは、信頼できるメンバー間でコンセンサス゠プロセスを使う方法である。

義賊行為を犯罪的日和見主義と区別するための根本原則は、その匪賊が誰に支払っているのかという点にある。ホブズボームの言葉を思い起こすと、人は「かれの地方的通念では犯罪とみなされていないのに、国家または地方的支配者によってそうみなされている、あることをしたために、盗賊になる。」(「素朴な反逆者たち」、51ページ)何をもって犯罪と見なすかに答えるために、「誰が自分の仲間なのか?」と問うても良いかもしれない。アナキズム倫理は多様であり、この問題に対して様々な答えを提供するが、誰が仲間ではないのかについては一致している。資本主義者・政府・国家だ。例えば、デュランは裁判官が審理する権利を認めなかった。

匪賊は前政治的現象である。革命が既に十全に実現していれば匪賊は不要となろう。多くの場合、義賊行為が根付いている場所で、他の革命的感情の断片を見つけるのは難しいかもしれず、政治的瞬間はまだ遠くにあるかもしれない。だからこそ、義賊には抑圧された人々の経験の妥当性を認識し、行動を通じてそれらを証言する責任があるのだ。

歴史的に見て、この行動の主要形態は抑圧者からの保護と略奪品の再分配である。21世紀において、義賊の責任は再分配に傾いてきた。

いずれにせよ、ハードルを高くしすぎてはならない。ホブズボームは次のように書いていた。「盗賊英雄たちは、平等の世界をつくるものと期待されてはいない。かれらはたんに、不正をただすこと、ときには抑圧がひっくりかえされうることを証明することが、できるだけである。」(「素朴な反逆者たち」、65ページ)新自由主義時代の義賊行為についていかなる倫理を創り出そうとも、曖昧な点だらけになってしまうだろう。しかし、こうした複雑さに対処することこそ喫緊の課題なのである。

人類--そして他の種--の未来が不安定な状態にある以上、私達はハイリスク-ハイリターンの行動に取り掛からねばならない。私達が敗北することになっても、革命家がはっきり要点を言わなかったからだと言わせないようにしよう。メヒコの有名なアウトロー、パンチョ゠ビリャは死の間際に、銃創から血を流しながら吐き捨てるように言った。「こんな風に終わらせるな。奴らに、俺が何か言っていたと伝えろ。」


フィル゠ウィルモットは労働組合活動家・ライター・オルガナイザーである。彼は、Climate Clock movementのコーディネートを手伝い、Beautiful Troubleの編集者をしている。フィルはSolidarity Ugandaを設立し、家族と共に東アフリカで暮らしている