タイトル: 虹色資本主義は私達を救わない
著者名: Daniel Newton
発行日: 2023年6月17日
ソース: https://note.com/bakuto_morikawa/n/nd1228c782105(2023年10月13日検索)

虹色資本主義はクィアピープルを救わない。そんなことは何年も前から分かっていた。それでも、近頃、狂信的右翼に対抗して、市場における「表現」なるものを擁護する言説が現れている。

トランスピープルに対して右翼(と左翼)から絶え間なく次々に浴びせられる攻撃・1980年代のヘイトキャンペーンに戻ったような極右スローガンの台頭・世界中で行われているクィアピープルとドラッグクイーンのスケープゴート。近年最悪のプライド月間をさまよっていると、当然ながら人は神経質になり始める。はっきり言って私もそうだ。現在の世界情勢には不安にさせるものが山ほどあり、企業の「公然たる」支援がなくなることに不安を感じるのも理解できる。

リベラルも左翼も、企業のクィアピープル支援は表面的で、右翼に屈していると不平を述べる。まるで最初からそうなると思っていなかったかのようだ。確かに、民衆の支援はポジティブなものになり得る。しかし、資本主義は解決策になり得ない。虹色資本主義はうまくいっていない。クィアピープルを解放していない。許容範囲を(緩やかに)広げたかもしれないが、受容を促してはいない。もし受容されているなら、私達はこんな問題にはまらず、今のような不安など感じなかった。ブランドは金次第--クィアコミュニティへのサービスが利益になるなら、奴等は私達にしがみ付き、私達がしなびて死ぬまで命をしゃぶり尽くしたあげく、利益を生む次の好機を飲み尽くそうと他へ移動していくだろう。

許容範囲を手にしたということは、既に失敗したということだ。企業から自由はもらえない。資本主義に頼っていては自分達のスペースを創れない。ブランドに頼ったところで私達がいつ・どこで存在を示すのか命じてもらえないし、そんな権限をブランドに与えるべきではない。自由への道は金では買えない。資本主義は私達に恩を着せ、私達を悪者扱いする--いつ・どうすれば受け入れてもらえるか教えるのである。私達の大義を支持し、私達の歴史のために闘うふりをして、スピーカーから「LGBTQ+のお客様、お仲間の皆様、あなた方を愛しています」と流す。そして、7月1日になるとすぐさま私達を無視する。ショップの片隅のちっぽけなディスプレイを私達に与える。そこなら人目に付きにくく、大した論争にならないからだ。問題は、クィアピープルの購買力やショップの認可力を証明することではない。資本主義の根源にある、もっと構造的で深くしみ込んだ思考体系が問題なのだ。これが、クィアピープルだけでなく、全ての「他者」--少なくとも、黒人・ロマ人・障がい者・労働者階級--を悪者扱いしているのである。

資本主義にせよ、お気に入りのブランドにせよ、誰かがクィアでいられるスペースを認めてくれるのを待つ必要はない。私達には外に出てクィアスペースを自分達で作る力がある。ささやかだろうが大規模だろうが、人々に私達の存在を思い起こさせるのだ。ヘテロ基準の家父長制をぶっ飛ばす音楽を演る・スカートやスーツを着たり、何も着なかったりする・ネイルを塗る・ショップに虹の落書きをする・髪を切る・公然とクィアパワーのスピーチをする・コレクティヴとして様々なスペースを運営する。あらゆる形態のヘテロ基準を粉砕することこそクィア性の体現であり、クィア性に伴う力なのだ。虹旗が引き剥がされてショップに隠されると、私達は大挙して姿を現し、私達の存在をストレート達に思い出させる。クィア性を体現する中で、コミュニティと連帯を作り出す・身体を通じて教育する・目を背ける奴等には「ファックユー」だ。そんなに簡単ではないし、危険なことだってある--自分と周りの人達を守ろう。私達が外に出ても、資本主義は、金儲けできそうになければ、私達を隠し続けようとする。ヒエラルキーと強制的権力構造に終止符を打つことこそ、あらゆるクィアパーソンのアプローチでなければならない。

いつ存在を示すのかブランドの指示を待っていてはならない。資本主義がサービスを提供してくれるのを待ってはならない。そんなことはあり得ない。クィアピープルを救うのはクィアピープルである。