タイトル: 9月26日の覚書:略奪・黒人解放・アナキズムに関する省察
著者名: Philly Anti-Cap
発行日: 2023年10月2日
ソース: https://note.com/bakuto_morikawa/n/nb320ac971068(2023年10月13日検索)
備考: 訳註:ここではBlackの翻訳を「黒人」にしました。「黒人」という日本語には差別的意味合いがあるため使いたくないのですが、それに代わる訳語が思いつかず、原文がBlackなので「アフリカ系米国人」というのもどうかと思い、諦めきれずに諦めたところです。この辺り、お含みおきください。また、上記の画像は、同じ記事を一部修正して転載しているこちらのサイトからです。(bakuto morikawaより)

2023年8月14日(月)、フィラデルフィアの警察官マーク゠ダイヤルが、自分の車に座っていたエディ゠イリザリーを射殺した。警察は当初、エディがナイフで警官を襲ったと嘘をついていたが、ビデオ映像によって、エディは窓を開けて車に座っており、数秒で撃たれたと分かった。その後、ダイヤルは30日間の停職処分となった。9月初旬、ダイヤルは殺人を含む多くの罪で起訴されたが、裁判長は最終的に起訴を棄却した。制服を着て公判を傍聴した警官達は、起訴棄却の際に喝采をあげ、祝福した。9月25日、エディの家族と『社会主義解放党』は(『黒人平和同盟』や『W゠E゠B゠ドュボイス運動学校』のような黒人左翼グループと共に)、この判決に抗議してセンターシティで平和的デモを主催した。2時間ほどでこのデモは解散したが、その後、略奪が行われた。最初はセンターシティで、夜になるにつれフィラデルフィア北部・西部・北西部に広がっていった。


黒人解放運動は生きている!死んだと言っている人々はレイシストか街頭にいない人々である。こうした叛乱がその証拠だ。街頭の人数は2020年より少ないものの、フィラデルフィア全体に叛乱は広がっていた。警官がプエルトリコ系非黒人のエディ゠イリザリーを殺し、黒人が叛乱で応じた。同様に、ワイオミング州ケノーシャで2020年にカイル゠リッテンハウスが反警察暴動の最中に白人を2人殺し、その後に起訴が取り下げると、黒人はベイエリアで暴動を起こした。これらはどちらも反黒人システムを認識する黒人意識を示す例だ。黒人意識は、具体的に黒人を標的としているかどうかは関係なく、反黒人システムを認識する。


ここフィラデルフィアで、略奪者と暴徒は用意周到だった。圧倒的多数の人がマスクをかぶり、黒色の服を着て、多くが様々な道具を振り回していた。略奪は、この事件が起こった当日にソーシャルメディア上で自発的に組織された。人々は警察無線を利用して警察を監視し、警察の対応に備えた。市中で多くの企業・駐車場・ATMが狙われ、フィラデルフィア警察は手薄になった。多くの参加者が車を使って企業から企業へと移動し、逃走し、常に動き回れるようにしていた。


余りにも多くの急進主義者が、国家は全知全能だと信じている。しかし、この夜の叛乱は、叛乱活動の機会は豊富にあると証明しているのだ!黒人急進主義者として(「政治的」な人々にとっても一般的にそうだが)、私達は理解しなければならない。国家に挑戦する際に計画を立てていれば、逃げ切れるのだ。多くの一般人は既に知っており、それに従って行動している。


火曜日夜から水曜日の暴動は未来のイメージだ。各地で無秩序に広がる叛乱が常態化する。用意周到な参加者が市中に広がり、警官隊を圧倒する。一度に全てを守れないと警官隊は感じる。この新しい情況で私達はどんな動きをしようとしているのだろうか?


アップルストア襲撃後、略奪したアイフォンとアイパッドがセキュリティシステムで追跡され、操作できなくなっているのを見ると、人々はすぐにそれらを破壊した。オレンジジュースをかけた。下水に落とした。商品の出鱈目さを見事に表現した。反黒人性の破壊は、財産と財産維持に必要な諸関係--商品であれ資本であれ--への攻撃を必然的に伴う。黒人意識は階級意識と切り離せないのだ。


注意しなければならないが、この暴動とジョージ゠フロイド蜂起(その中にウォルター゠ウォレス叛乱も含まれる)には重要な違いがある。今回の暴動では、大多数が黒人で、北東部のラテン系参加者は少なかったが、2020年には多くの人種が参加していた。これは、いわゆる合州国に対する闘争については黒人が最も進歩しているという現実に一致する。また、9月の叛乱では警察との戦いに焦点が当たらず、もっと落ち着いた雰囲気があった。略奪者が助け合って財産を攻撃し、逮捕を免れたからである。2020年10月のウォルター゠ウォレス叛乱では参加者の間に懐疑的意見や内ゲバがあったが、今回はもっと協力的で楽しそうな態度だったように思われる。これらの出来事でもう一つの興味深い違いは、2023年9月には、様々なイデオロギーと暮らしぶりの黒人が叛乱の中で共に動いていた点である。その結果、この叛乱は従来の政治的性格を拒否しつつも、内在する黒人意識を尚も維持し続けていた(ショーウィンドウ破りに黒人のトランプ支持者が時折参加していたのがその最たる例だ)。


2日目、略奪は小規模に続いた。しかし、多くの群衆が集まっていたものの、その姿は目立たなかった。その代わり、人々は自分の車を使ってショーウィンドウを壊した。2日目は警察ももっと準備をし、動員されていた。多くの人々が自宅にいたのも無理はない。路上での警察の存在感が遥かに強かったからだ。


左翼は、黒人叛乱への参加を恐れていたり、関心がなかったりして、この問題から逃げ、ソーシャルメディアを通じて自分達を組織していた青年達に置き去りにされた。こうした社会主義グループは組織の必要を常に説いていた。だが、26日の若い黒人達は準備万端だった。この時、彼等には自称コミュニティ゠オルガナイザーなど不要だったし、今も要らないのだ。9月26日の略奪は自主組織の一形態に過ぎない。左翼は自主組織を真面目に捉えようとしていない。せいぜい、略奪は企業による賃金泥棒に比べればたいしたことはない、というお決まりの分析程度だった。『W゠E゠B゠ドュボイス奴隷制廃止論学校』は略奪者の「行為を称賛したり非難したりするのは私達の仕事ではない」とする声明まで出した。左翼グループは、黒人青年による資本への攻撃を公的に称賛しようと考えすらしないのだ。こうした左翼グループの無能さ(と臆病さ)は、黒人が行っていることと左翼が行っていることとの間に存在する分断を物語っている。これまでもそうだったが、どのようにしてもっと多くの活動家組織や左翼組織に参加してもらうかなど、どうでもいいのだ。今問題なのは、どのようにして左翼をやり過ごし、これまで以上に恐るべき叛乱の成長に拍車を掛け続けるか、である。


アナキストは、この情況に拍車をかけようと活動した。アナキストは暴動に参加した(限定的だったが)だけでなく、その一部は襲撃を行った。アナキストは、意図的に参加するという点では出遅れたものの、かなりの数のアナキストが姿を見せていた。アナキストとして私達が出遅れたのは、隔絶していて、別なソーシャルネットワークにいるからかもしれない。分散襲撃が提起され、実行された。とはいえ、集団行動よりも断片的襲撃を優先したために士気高揚の機会を失った。フィラデルフィアのアナキスト゠スペースは現在増え続けている。励ましや支援で警戒心を和らげればさらに成長していくだろう。黒い服は再びクールになっている。一部のスポーツウェア゠ブランド(以前はナイキ・アディダス・チャンピオンが一般的だった)は成功をおさめるかもしれないが、アナキストがモノクロの服で他者を遠ざけてしまう心配はなくなった。


この瞬間は来るべき大衆叛乱の幕開けのように感じた。次回に備えよう。


--フィラデルフィアの黒人アナキスト有志