タイトル: 生産点に自己権力を
サブタイトル: 労働者の自己解放とは何か
著者名: 峯誓人
発行日: 1965年11月
ソース: https://web.archive.org/web/20050324213112/http://a.sanpal.co.jp/anarchism/da/(2023年12月21日検索)
備考: 東京行動戦線
第六号 1965年11月15日

ブルジョア民主主義運動は、公民運動として、仮想的な主権の想像上の成員の運動としてある。社会党、共産党下の抽象的な公民の集合体としての労働者の部隊が、議会主義闘争を超克しえないという限界をもっていることは、既に新左翼によっても批判されている。

だが、新左翼は社共を戦略、戦術の面からは批判しえても、最も本質的な問題である労働者階級の自己解放および自己権力の観点からは批判しえない。この点に関しては、新左翼も社共と同じ穴の狢である。労働者大衆にとっては、新左翼と社共の相違は、ただ、組織(人)と綱領(ことば)の相違であって、いずれにしても、労働者は、これらの組織に対しては、客体であり、素材であり、私有物であり、解放される対象でしかない。これらの組織の綱領的内容は、ブルジョア権力の打倒と、自己の党組織による国家権力の掌握である。

その運動論は、政治闘争と経済闘争との単純な分離と固定化であり、自己によって担われる政治闘争の優位主義である。その組織原則は、外部注入論に基づく民主主義的中央集権主義である。これらの党組織においては、労働者の自己疎外の揚棄の運動が、自己疎外の活動となり、労働者の自己権力獲得の運動が、その外在化として現われる。そこにおける人間関係は、疎外された権力としてのイデオロギーに従属する官僚機構=軍隊組織にくみこまれたものとして疎外である。こうした組織のもたらす論理的・実践的帰結が、すなわち、スターリニズム体制である。

労働者階級のスターリニズム的「解放」は、労働者の自己解放とは全く異質のものであり、敵対的な関係にある。スターリニスト国家の憲法は、理念としての労働者の解放を宣言してはいるが、現実には一切の権力が国家に集中しており、国家は社会の上に自立し、労働者階級は依然として非支配階級である。この政治的従属は当然その基盤として、経済的従属を前提としている。

労働者階級の自己解放は、政治的形態のみでなく、むしろ、経済的形態でこそ勝ち獲られなければならない。

労働者の自己解放の過程が、同時に、疎外の活動としての賃労働を止揚する過程であるためには、労働者は、生産点に君臨する真制としての資本の権力を打倒する労働者の自己権力を、まさにその生産点に樹立しなければならない。

ここで階級性の脱落した自己権力論、自立論は弾劾されなければならない。一概に自己権力といっても、ブルジョアの自己権力とプロレタリアの自己権力、さらにプチ・ブル・インテリの自己権力もある。同じくこれらの自立がある。自己権力の本質に無知なる者は、それを政治原理としてしか把握できないし、自立論も、その経済的基盤の考察が欠けているので、せいぜい思想的・精神的次元でしか展開できず、労働者の自立も、プチ・ブル・インテリの自立も区別されえない。

ここで問題になるのは、プロレタリアの自己権力と自立だけである。他のいっさいは否定される対象でしかない。プロレタリアの自己権力は矛盾概念である。すなわち、それは一切の権力の止揚としての権力の矛盾である。

労働者にとって(プチ・ブル・インテリにとってではない!)社会主義とは、生産手段の労働者自身の「協同組合的所有」(マルクス『ゴータ綱領批判』)を基礎とする「組合的生産様式」(『資本論』三巻、第二十七章、青木版(四)P六二六)を意味する。そして労働者の自己権力組織こそは、われわれがまずもって追求せねばならない労働者の生活体とそこから必然性をもって生まれる戦闘性の追求なのであり、完全に自律的な、(自律性の内部矛盾は、その表現を戦闘性として受け取るのだが……)労働対である。この組織をコンミュンと名付けることができよう。コンミュンは労働者が自己自身で凄惨と分配の管理・運営を行う自治組織である。労働者はコンミュンを土台として、疎外の根元を止揚し、疎外体としての国家制度を揚棄するという革命的過渡期の任務を遂行する。従って、生産点の外に自立する一切の権力(民主中央集権主義的)組織は、その理論的・綱領的内容を問わず、本質的に労働者のこの自己権力組織(コンミュン)に敵対せざるを得ない。

労働者にとって今日最も肝要なことは、一切の諸政党、諸前衛組織(宗派)への従属的関係を断ち切り、それらの影響から脱し、生産点に自立することである。(注・マルクス『ハマンとの会話』大月版選集一一巻P二二八参照)すなわち、真の労働者党としての労働組合(注・右に同じ)コンミュンに向けての全国的な再編成を目指す運動が要請されている。

労働者は、個々の政治闘争や経済闘争を、単なる政策反対闘争や、物取り主義闘争の枠内で闘うのではなく、それらを契機・手段として、反体制階級として自立し、資本との革命的対決の中で、コンミュンを志向する運動を作り出さなければならない。

コンミュン的視点を確立した者の任務は、闘争の中でブルジョア権力に最大の打撃を与えつつ、常に社民、スターリニスト、トロツキスト、新左翼の党組織の反動性を暴露し、あらゆる方法でコンミュンの形成を援助することにある。