タイトル: 東南アジアのアナキズム
サブタイトル: 一居住者によるノート
著者名: Simoun Magsalin
発行日: 2024年6月
ソース: https://note.com/bakuto_morikawa/n/nd5070c7655a4(2024年6月17日検索)

過去30年間、アナキズムは、暗にアナキズム的な実践と共に、私達の地域でかなり広範に成長してきている。

第二次世界大戦以前の古典的アナキズムが終焉した後、東南アジアのアナキズムは完全に解体され、根絶状態に近かった。現在、世界中で急進主義政治における「アナキズムへの転換」を目にしている。古典的アナキズムの時代以来目にしなかった復活と再結集を見ている。しかし、様々なアナキズム環境の詳細を明らかにするために行われた調査と研究は大抵、東南アジアという世界的に重要な地域を見落としている。この短いノートは東南アジアの視点から文献の空白に対処しようというものである。私は特に最近の歴史と現状に焦点を当てる。

1990年代に復活するまでは事実上何もなかった。パンク゠サブカルチャーは様々な国でアナキズム環境の動員役として評価されてきた。実際、インドネシア・フィリピン・マレーシア・ビルマ・タイでそうだった。火山爆発後の不毛な土地のように、この地にはまず、コケと菌類のような小さく単純な先駆種がコロニーを形成する。先駆種は草・より大きな植物・虫のような小さな動物相、鳥のような大きな動物相・さらに複雑な生命の基礎を築く。社会環境も同様だ。この意味で、パンクはジン・親和グループ・インフォショップ・(願わくば)より大きな組織への道を開いた。

現状で、インドネシアのジャワ島におけるアナキズム環境は、生態学的多様性という点で最も多彩である。アナキスト受刑者支援・アナルコサンジカリズム・ジョグジャカルタにおける反君主制アジテーション・西パプア連帯活動・アナルカフェミニストの組織化が見られている。また、エスペシフィスタ(特定主義)型のアナキストに特化した組織を立ち上げようとする動きもある。東南アジアでは珍しく、インドネシア政府は、市民社会弾圧に際して特にアナキストを標的としている。その結果、東南アジアのアナキスト受刑者はインドネシアに最も多い。

フィリピンにも豊かな環境がある。ここでのアナキズムも、最初にパンク・ジン・フード゠ノット゠ボムズ・インフォショップによって1990年代に出現した。私の界隈は、90年代に出現したオールドウェーブと比較して、ニューウェーブだと自認している。オールドウェーブはインフォショップ・薬物非犯罪化の提唱・ディープエコロジーという点で優れていた。私が属している界隈は、むしろ、反女性差別・反トランスジェンダー差別・警察と刑務所の廃止・反監獄フェミニズム・愉快な戦闘性を強調している。新型コロナウイルス大流行中に組織された比較的若い社会環境として、オンライン上での結集という側面は軽視できないものとなっている。また、広範な社会主義組織の中でリバータリアン社会主義を推進する新しい取り組みも盛んである。

フィリピンとインドネシアで興味深いのは、パンクとアナキズムが同時に結集した一方で、インドネシアのアナキズム環境は、フィリピンと同じ軌跡を辿ったにもかかわらず、フィリピンよりも遥かに大きく、多様性に富んでいるという点だ。一つの仮説は、インドネシアの共産主義運動が左翼大量虐殺で壊滅し、それによってできた戦闘性の大きな空白をアナキズムが埋めたというものである。一方で、フィリピンでは毛沢東主義とマルクス主義の左翼が依然としてかなり活発で、新たな闘士は既に作られているものに引き寄せられている。この仮説は、マルクス主義とアナキズムの結集は反比例するというこれまでの理論と一致している。つまり、マルクス主義が高度に組織化されていれば、アナキズムの結集は少なく、マルクス主義が解体していると、アナキズムはより多く結集する可能性を持っているのである。実際、90年代のフィリピンでは毛沢東主義左翼の解体とアナキズムの結集が同時期に起こったのである。丁度、旧ソ連の崩壊以来、アナキズムが世界的に復活したのと同じだ。

反体制派への幅広い支持

インドネシアとフィリピン同様、80年代と90年代に、ジン文化に続いてパンクがマレーシアに到着した。インドネシア同様、マレーシアの共産主義運動は「マラヤ危機」と呼ばれる戦争でほぼ根絶されていた。1984年の「アクタ゠メシン゠セタク(Akta Mesin Cetak)」という検閲法によって急進主義出版物の流通は制限・弾圧されたが、ジン文化は依然として継続していた。「レフォルマシ(Reformasi)」の時代と同時に、アナキズム思想が反消費主義とボイコットを含めた社会意識に向かう広範な社会運動と時を同じくして発生した。

ヴェトナムはいわゆる数少ない「現存する社会主義」国の1つであり、東南アジアでは2つの国の内の1つである。アナキズムに関する21世紀最初の「ティエン゠ヴィエット(ヴェトナム語)」訳が東南アジア゠アナキスト゠ライブラリーに掲載され、間もなく、理論的批判・発言がこの界隈から見られるようになった。より広範な国際的アナキスト゠コミュニティから最も称賛されているのは、ヴェトナム人アナキストによる国家社会主義・国家資本主義批判である。もちろん、全国的なインターネット統制と物理空間の取り締まりによって、反政府運動の組織化は極度にリスクが高く、見返りがほとんどない。そのため、出現しつつあるヴェトナムのアナキズム環境は「インフラポリティカル」、つまり、その政治は赤外線が見えないのと同じように可視化できないものになっている。

タイのアナキズム環境はまだかなり新しい。しかし、既に多様化しており、インフォショップ・フード゠ノット゠ボムズ・パンクスの場だけでなく、戦闘的分子の場もある。この戦闘的分子は警察と戦い、君主制と軍部に対する広範な反権威主義で自由民主主義の反体制派を支持している。彼等の言葉によれば、タイのアナキストはまだ自分達の足場を固めつつあり、タイでは比較的新しい存在だと自認しているという。

内戦前のビルマ(ミャンマー)のアナキズム環境はかなり小規模で、フード゠ノット゠ボムズとパンクスが混在していた。しかし、内戦中、反軍事政権への幅広い支持と共に、アナキズムとリバータリアン゠マルクス主義の文献を翻訳する取り組みが見られている。どうやら、アナキストの軍事部隊を立ち上げる活動もあったものの、阻止されたようだ。その間、現地のアナキストはほとんどが民間人として留まっている。内戦と革命がビルマで進展するにつれ、彼等の情況がどのように展開するのか見守ることになろう。

「ミルクティー同盟」も検討に値する。インターネット゠ミームとして始まり、香港・台湾・タイ・ビルマ・フィリピン・インドネシア・マレーシアの活動家と市民ジャーナリストのネットワークに発展した。この同盟には、ビルマ/ミャンマー革命への支持に重点を置く強い東南アジア的要素がある。大抵は反権威主義で方向性として自由民主主義であるものの、実際には、多くの場合、分権型のアナキズム的方法で組織されており、「アナキズムへの転換」が明確なアナキズムというよりもスモールAだったり暗黙にアナキズム的だったりするものだということを思い起こさせる。

私の活動をフォローしている人なら、私が「東南アジア゠アナキスト゠ライブラリー」の司書だと分かるだろう。現在の方向性と方向付けに私はとても満足している。ライブラリーを記憶・宣伝・結集の共通の場にするという私の意図は概ね実を結んだ。時折、同志達が、ライブラリーのシンボルやQRコードを奇妙な場所で見つけたと教えてくれることがある。

東南アジアのアナキズムが持つ複数の側面は、結集がインターネット゠メディア゠テクノロジーに依存していると示唆している。インターネット゠テクノロジーが出現しつつあった90年代にアナキズムが復活したのは偶然ではない。恐らく、国際的交流がこの地域におけるアナキストの対話と拡散を促したのだろう。実際、フィリピンの私達アナキスト・アボリショニストの環境は、オンライン結集に大きく依存し、それがやがて物理的結集につながった。「東南アジア゠アナキスト゠ライブラリー」もリバータリアン志向のヴェトナム人が知り合いになる手助けとなった。同様に、「ミルクティー同盟」もオンラインに依存しており、オンライン゠ネットワークを連帯のための物理的結集に活用できたのである。


エリン・コン゠ジン・W-・ハンなど、このノートに意見を寄せてくれた人達に感謝申し上げます!今後の展開にご注目下さい!