#title 階級とは何か? #author sub.media #SORTtopics 階級, イントロダクトリー #date 2016 #source https://sub.media/video/what-is-class/ #lang ja #pubdate 2022-04-08T01:38:49 階級闘争、つまり資本制のただなかで資本制に対抗する闘いこそは、アナキストの理論と実践をみちびく指針である。にもかかわらず、たくさんの根深い神話や誤解が人々の理解を曇らせてきた。この対立の根本にある社会関係、すなわち階級そのものの。 ようするに階級とは何なのだろうか? またアナキストはそれに対してどうしようというのだろうか? ほとんどの人々はこんにち誰かの階級というと、人がいくらおカネをかせぐかに結びつける。一般に銀行預金の残高が階級的なポジションを示すよい指標であるという点において、間違いとはいえない。だとしても過度に単純化したこの定義では、階級というものが個人レベルそして社会的な次元で、いかに作用するのかの現実をぼかしてしまい、その本質的に敵対的な性質を見えなくしてしまう傾向がある。階級をより正確に定義するならば、搾取する・される社会的な上下(支配)関係のことだといえる。それは国家を基盤として私的所有権を支配する、相互に入り組んだ法体系に根を下ろしている。もっと簡単に言い換えるなら… 階級とは、誰が何を所有するかによって人々をふるい分ける仕方のことだ。 もちろん、支配関係や搾取はともに資本制よりもずっと古くからあった。メソポタミア最古の都市国家における神官王からローマ帝国、そして中世封建制に至るその段階的な崩壊に到るまで、人類文明はつねに少数エリートに支配されてきたし、かれらが富と名声を最高度に集中してわがものとしてきた。資本制の出現は以前の封建的な社会・経済の支配体系にかえて、ヨーロッパの神授王権とか中国王朝の天子・皇帝のような時代遅れな迷信を、新たに洗練された社会的神話に置き換えたのである。聖なる私的所有の不可侵性と、疑いなき自由市場の絶対的支配とを基盤とする。 有名な社会主義の哲学者カール・マルクスが、資本制はいかに働き、それはどんな歴史的過程を歩んできたのかを徹底的に探求したのは19世紀半ばのことだった。当時はミハイル・バクーニンのような傑出したアナキストも大勢いて、革命戦略の問題、とりわけ国家の役割をめぐってはマルクスやその追随者に痛烈な批判をした。しかし総論としては、かれらもマルクスが資本制を、相互に対立する二つの階級の出現とその拡大をもたらす支配体制だと説明した点に異論があったわけではない。二大階級とは、労働者階級またの名をプロレタリアート、そして資本家階級またの名をブルジョワジーのことだ。 資本家階級への帰属を規定するのは、資本を支配し所有することである。対して労働者階級への帰属は、資本をもたないがため、生き延びるには資本家の下で搾取されざるをえない、という事実によって規定される。資本家の方は、どのタイプの資本を所有し、利殖するかによって3つの相異なるカテゴリーに分類できる。まず第一に産業資本家、マルクス用語で商品生産のために不可欠な設備道具を意味する、生産手段を所有・支配するもの。資本制の初期においてこれはふつう工場主とか鉱山所有者のことをさしていたが、いまではファストフードレストランからソフトウェア開発会社に至るまで多種多様なビジネスの所有者・株主でありうる。言い換れば、産業資本化とはあなたのボスのことだ。働かせた労働者の搾取によって利潤をえる者がそこにはいる。第二の資本家は土地所有者である。土地や不動産を所有しており、貸借人・店子からの賃料で利潤をかすめ取る。あるいは近頃ますます一般的になって方法として、ジェントリフィケーション(高級化)などの形で不動産投機や再開発をして儲けようとする。そして最後に、金融資本家がある。かれらはおカネを貸すことで利息を得る。質屋とか小口の消費者金融から、他の資本家のみならず国家政府に融資する地球規模の大銀行に至るまで。 1970年代にはじまる新自由主義(ネオリベ)的資本制への転換は、金融資本家のグローバル経済に対する巨大な影響力を増大させた。この拡大により金融資本家はあらたに家計債務の道具を導入して、労働者階級から直接に搾取できるようになった。個人利用のクレジットカード、学生ローン(貸与型奨学金)やサブプライムローン等々。年月を経て、資本制の進化にともない階級搾取の特質は変形してきた。ところが反資本主義者の多くは、むかしからの表現を手放せないでいる。現在でさえ労働者階級の一員といえば、I.W.W.の言い伝えみたいに筋骨隆々の白人工場労働者といったステレオタイプがある。だが現実には地球規模で見れば、いまやプロレタリアの主力は女性労働者で、非ヨーロッパ人の方が圧倒的多数なのだ。 もちろん資本制の方がかわったとしても、階級関係の根本的なところは変わらない。労働者階級と資本家階級には相互に対立する利害がある点についてはよく理解できたのではないか。ボスが給料を払い渋るほど、大家が家賃を上げるほど、かれらの取り分が増えて、わたしたちは貧しくなる。まだちょっと分かりにくいのは、普遍的競争と不断の成長という資本制の法則が、それぞれの階級のうちに内部分裂を生み出し形づくるところだろうか。ある産業における資本家たちはライバルと、絶えず市場シェアを取り合っている。ある程度の利潤率をなんとか確保しないと、そこでは廃業せざるをえない。またある産業資本家を利することが、別な資本家にはまったく逆の作用をもたらすことがある。たとえば石油価格の上昇は、BPやエクソンモービルのような企業の利潤率上昇をもたらすが、製造や輸送産業の資本家には打撃をもたらすだろう。 労働者階級のすべての構成員は資本制を終わらせる利害を共有している。にもかかわらず、わたしたちは近視眼的な損得勘定に目を奪われがちだ。生かしておくために資本家が分け与えるはしたガネを取り合う意味だけではなく、わたしたちの仕事の多くは他の労働者階級の生活によくない影響を及ぼすことがある。より広く見れば、南半球の労働者に支払う賃金が低いほど、百貨店の陳列棚にならぶ製品価格は安くなるのである。その頂点において、わたしたちの階級は人種やジェンダーといった、抑圧的システムに依拠して上下に分割されている。具体的には女性の場合たいてい、資本制の下では二重に搾取されている。料理、洗濯、子育てなど無償(不払い)の再生産労働を期待されると同時に、職場では男性の同僚よりも賃金が低かったりするのだ。ここで国家の役割は資本家階級どうし競合する利害を調整して経済のバランスをなんとかすること、そしてかれらを労働者階級の革命という脅威から保護することである。しばしば労働者階級の内部に分裂をもたらすことで、これは達成される。ナショナリズム、宗教的セクト主義、白人至上主義ないし家父長制など。こうした抑圧的かつ分断的なシステムを打ち壊すことによってのみ、わたしたちは階級闘争の統一戦線をともに闘い、わたしたち自身をこの搾取という寄生的なシステムの鉄鎖から解き放つことができる。ともに、すべてをつかみとってはじめて解放される。