Title: スーダン:軍事独裁に対抗するアナキスト
Author: CrimethInc.
Date: 2021
Source: https://note.com/bakuto_morikawa/n/n3001088440ab(2023年4月21日検索)
Notes: 原文掲載日:2021年12月31日
原文:libcom.orgcrimethinc.com(bakuto morikawaより)

昨日(2021年12月30日)、スーダンで、10月25日に権力を握った軍事独裁に対する全国規模のデモの最中、国軍が抗議者に対して繰り返し実弾を使い、少なくとも4人が死亡し、多くの負傷者を出した。治安部隊は10月25日以来、多数のデモ参加者 を殺している。しかし、地元地域の抵抗委員会 と勇敢な街頭デモに基づく強力な運動は、軍事政権下での権力強化に抵抗し続けている。私達は、スーダン国外の人々が情況を理解する手助けとなることを願って、デモに参加しているアナキストとのインタビューを以下に掲載する。


2018年12月、大規模な全国規模の抗議行動 が、30有余年にわたりスーダンを支配してきた独裁者オマル゠アル-バシールに対して勃発した。アル-バシールは2019年4月に逃亡した。しかし、政権を掌握した暫定軍事評議会に対する暴動・封鎖・座り込みといった抗議行動は継続した。首都ハルツーム中心部のアル-カヤダ(Al-Qyada)広場では大規模な占拠抗議行動が行われた。

評議会側の武装勢力は、抗議者への攻撃を強め、それは2019年6月3日に頂点に達した。残忍なやり方で座り込みを退去させたのである。アル-カヤダ広場の占拠を攻撃した際には、特に残忍な虐殺 を行っていた。

それに対して、6月9日から11日までゼネストがスーダン各地で行われた。だが、その結果、運動の代表者の一部は、政権と交渉し、軍部と文民の代表者で構成される暫定政府が新政権への移行を管理するという権限分担協定を結んだ。この協定は10月25日の 軍事クーデター で破綻した。

第一部は、スーダンの首都ハルツームのアナキストとのインタビューである。インタビューは12月28日に行われた。第二部は、12月30日の全国デモ直後に書かれたものである。スーダンのアナキスト集会については 彼等のフェイスブック でさらに多くを知ることができる。スーダン国外の人が彼等をどのように支援できるか分かり次第、この記事は更新される。

インタビューはアラビア語で行われ、急いで翻訳した。分かりやすくするために、幾つかの質問と回答をまとめた部分もある。

インタビュー:スーダンのアナキスト集会、2021年12月28日

最初に、あなた方のグループについて少し教えてください。

このグループは、2020年の終わりにハルツームのアナキスト全員が集まって創設されました。私達は、2018年12月の革命以来、共に活動してきました。中には、高校時代や大学時代からの知り合いもいます。

私達、ハルツームのアナキストは「レジスタンス委員会」のメンバーで、他の革命家と共にデモで私達の旗を掲げています。また、壁に落書きを書いて、アナーキーを宣伝しています。

私達はあらゆる権威主義に反対し、表現の自由と個人の自律に賛同しています。

スーダン以外のアナキストとつながりはありますか?

あなたは、私達がスーダン以外で接触した初めてのアナキストです。

あなた方以外に、アナキストやアナキストのグループはありますか?それとも、あなた方の知る限り、あなた方だけなのでしょうか?

ポートスーダンという都市にはアナキストがいます。私達は彼等と連絡を取っており、会うことができます。できれば、最終的に世界中のアナキストも会いたいと思います。懸命に活動して、共に世界中にアナーキーを広げましょう。

スーダンにはアナキズムの闘争の歴史がありますか?それとも、新しいことなのでしょうか?

反権威主義は、思想としても実践としても、2018年革命の最初のデモでスーダンに初めて現れました。ただ、メディアはほとんど報道せず、見過ごされています。

人々はアナキストに対してどのような反応を示していますか?大規模な抗議行動や社会運動とアナキストとの関係はどのようなものですか?

アナキズム運動に対して人々は二極化していますね。ただ、私達にとって重要なのは、仲間の革命家達が結束し、私達と完全に連帯していることです。私達は、ファシズムのシステムを転覆し、組織的には水平型システムを、経済的には社会主義システムを創造するために彼等と共にこの闘争を行っています。「革命」の要求は私達の要求と酷似しています。

スーダンの現状を教えてもらえますか?私達が理解している限り、少なくとも2019年以降、抗議行動は継続していますね。最初はオマル゠アル-バシール(前大統領)に対して、現在は軍事評議会に対して。現在、国軍などが行っている弾圧はどのようなものなのでしょうか?

2018年12月以来、革命は続いています。革命が始まった時、抗議行動は、オマル゠アル-バシール率いるムスリム同胞団政府によって暴力的に弾圧されました。私達は2019年4月11日にこの政府を転覆しました。スーダン軍の総司令部を占拠し、座り込みを行ったのです。しかし、残念ながら、占拠はその後に弾圧されました。500人の革命家が殺され、私達の革命は軍の司令官と「ソフトランディング」[1] に盗まれてしまったのです。

2019年8月17日に、彼等(暫定軍事評議会(TMC)と自由軍(FCC)[2] は、民主制に戻るための39カ月の移行プロセスに合意しました。しかし、私達革命家は止まらなかった。暫定政府を実際の「テクノクラート的」文民政府(つまり、職業政治家ではなく、一般市民で構成される政府)への移行を期待して、軍への抗議行動を続けました。

そして、クーデター(2021年10月25日)が起こりました。軍は文民政府を解散させ、そのメンバーを逮捕したのです。

でも、私達は諦めていません。街路は軍に対する反抗と反対で溢れかえっています。クーデター以降、催涙ガス・スタングレネード・実弾が使われ、47人の革命家が殺され、1200人以上が負傷しています。それでも、私達は軍を即座に転覆すべく抗議行動を続けています。

スーダンの非アナキストグループに対してどのような立場を取っていますか?共に活動しているのでしょうか、そうではないのでしょうか?協力しているのであれば、どのような形で協力しているのですか?

私達は革命に参加している「政治培養器(political incubator)」[3] とは距離を取っていて、仲間の革命家と共にレジスタンス委員会を結成しました。この委員会はあらゆる革命運動から構成されています。私達は、政府による暴力に直面しながらも、政府を転覆すべく街頭で革命を主導し始めました。私達は奴等の暴力と銃弾に対して、無防備な胸と、石や道路封鎖といった非暴力手段で立ち向かっています(デモの参加者が逮捕されないよう守ったり、政府軍を妨害したりしながら)。必要に応じて火炎瓶も使います。警官や民兵と衝突することもあります。奴等の車両に火をつけたり、奴等を叩きのめしたりもしますね。

時々、奴等は、私達に向けて実弾を撃って来て、怪我人や死者が出ることもあります。

他に私達が知っておくべきことがありますか?国際的アナキズム運動に何か求めることはありますか?

木曜日に数多くのデモと抗議行動を行う予定です。当局にインターネットを閉鎖されても良いように、他の革命家と既にデモのルートを決めています。デモは全て大統領府に向かいます。デモは過剰な暴力を受けるでしょう。私は死んでしまうかもしれません。私達アナキストは常に最前線にいて、街頭デモを組織しているからです。

物質的支援をお願いしたいです。私達にはスポンサーがいないので。自分のポケットマネーを使っていますが、手持ちのお金ではやっていけません。スーダンの物価は法外に高く、私達は若者なので充分なお金がないのです。世界中のアナキストが私達を支援してくれることを願っています。


アップデート:2021年12月30日

上記のインタビューの2日後、12月30日のデモが終了した時点で、私達はスーダン゠アナキスト集会の連絡先から以下のメッセージを受け取った。

私達は大統領府に到着できなかった。奴等は巨大なドライコンテナで道を塞ぎ、オムドゥルマンとバーリを封鎖した(これらの都市からは誰もハルツームに入れなかった)。そして、奴等は(大統領府のある)ハルツームで私達に対して残虐行為を行ったのです。

奴等は私達に実弾を撃ってきて、DShK[4] さえも使いました。私達の多くが負傷し、死亡しました。ジャーナリストも攻撃し、アル-アラビーヤ(テレビのニュースチャンネル)とアルハダス(別なニュースチャンネル)のビルを襲撃しました。従業員は逮捕されましたが、既に釈放されています。また、病院も襲撃され、医師が襲われて逮捕され、負傷した同志達も逮捕されました。

殉教者を埋葬したいのですが、遺体の引き取りは許可されていません。回収して埋葬できたのは今のところ2体だけです。他の遺体も取り戻そうしようと活動しているところです。

私達の携帯電話は性能が良くないため、奴等の残虐行為を動画に収められないのですが、高機能の携帯電話を持っている人が、奴等が行った残虐行為の一部を撮影できています。

今のところ殉教者は4人ですが、実弾を受けて負傷した人は多くいます。殉教者に栄光を、軍と権力に死を。

12月革命の殉教者;軍事評議会クーデターによる殉教者

殉教者 Ahmed Alaamin Alkununa
殉教日:2021年12月30日
負傷:頭部への銃撃
殉教場所:オムドゥルマン

殉教者 Mustafa Mohammed Musa
殉教日:2021年12月30日
負傷:胸部への銃撃
殉教場所:オムドゥルマン

殉教者 Mohammed Majed Muhammad "Bebo"
殉教日:2021年12月30日
負傷:頭部への銃撃
殉教場所:オムドゥルマン

殉教者 Mutawakil Yousef Saleh
殉教日:2021年12月30日
負傷:胸部への銃撃
殉教場所:オムドゥルマン

[1] 「ソフトランディング」という表現は、2011年にスーダンで 使われた 。オマル゠アル-バシールに対して、その戦争犯罪について恩赦のようなものを与える代わりに、交渉による民政移管を行おうと提案したことをさしていた。その後、この表現は、政権と反対派との同盟を提案し、後者が権力を分担する見返りに政権転覆活動を止めようとする場合 だけでなく、米国の政策や現状一般に従うことを描写する場合に 使われるようになった。

[2] 自由と変革の軍隊(The Forces of Freedom and Change、FCC)は、抗議行動を組織している様々な市民社会グループと政治政党の連合体である。これは、暫定軍事評議会(TMC)との民政復帰交渉の一翼を担っていた。

[3] 「الحاضنة السياسية」--大雑把に翻訳すれば「政治培養器」--は、暫定政府がスーダンで果たすはずだった役割のことである。

[4] DShKは、ソ連時代のベルト給弾式重機関銃。