Title: 私たちが欲しいもの: フェミニズムに関するアナルカフェミニストの見解
Subtitle: What We Want. An Anarcha-feminist Perspective on Feminism
Author: kindlady
Source: https://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/whatwewant.html(2023年2月17日検索)
Notes: これは、kindladyという米国のアナルカフェミニストからAiNに送られた文章を翻訳したものである。(Anarchy In Japanより)

1998年の春、私は、イタリアの南にある246平方キロメートルの石灰岩の島、マルタ島で学生をしていた。そこでは、およそ358000人が、石灰岩の建物が互いに隣接して建ち並ぶ街路の中でコンパクトに裕福に生活している。マルタ島は小さなところであり、多くのマルタ人が閉ざされた社会と呼んでいるものを持っている。「グラフィティ」(落書き)という左翼グループのフェミニスト、マリー=グレイスによれば、大部分のマルタ人の優先順位の中で、変化は最下位だという。なぜなら、2000年に及ぶ植民の歴史があるからだ。マルタ人は従順であることに慣れており、従って、変化は尊重されるというよりは恐れられているようである。マルタ島での滞在の重要性は、この従順というメンタリティと大いに関連していた。私は、ここで、自由という思想を「実際に試みて」みたのだった。特に、フェミニスト意識の枠組みの中でアナキズム思想に焦点を当てたのである。エマ=ゴールドマンが今世紀初頭に始めたアナルカフェミニズムは、今日、多くの若いフェミニスト活動家の中で、イデオロギーとプラクシスになっているだけでなく、増大する傾向にある。こうした女性と男性は、全員が自身をアナルカフェミニストだと呼んではいないが、その思想とプラクシスはアナルカフェミニズムの枠組みでうまく把握できる。私は、単にアナキズムではなく、アナルカフェミニズムという言葉を使うようにしている。なぜなら、60年代後半以来、米英において増大しているアナキズムのフェミニスト的側面に焦点を当てたいからである。理念的には、アナキズムはフェミニズムを包含していると信じているが、全てのアナキストがこの概念をプラクシスに移すことを選択しているわけではない。これが、アナキストの女性が、アナキズムに今後このカテゴリー、アナルカフェミニズムを包含するべきだという深い意識を発展させようと決意した理由なのである。これは排他的に思えるかも知れないが、アナルカフェミニズムは、もっとジェンダー平等主義的なアナキズム哲学が必要だということを強調する方法として創造されたのである。

女性が「戯言を受けない」ように奮闘することが、多くのアナキズム・左翼活動家サークルで見られてきている。この直感は、三つの活動家グループにインタビューし、アテネ・イスタンブール・ローマに旅行し、インターネット上で幾つかの国際活動家グループをよく調べた後で、その報酬を得ることとなった。私の研究は完全に主観的なものだった。というのも、私は世界中の人々にインタビューしたわけではないからだ。だが、人間は本質的に自由になりたいと思っている、という私の前提にこそ客観性があるのである。

私がインタビューしたグループは、アナルカフェミニズムの基本である多くの信念を示している。これらのグループが合州国とマルタ島の人々全員を代表しているわけではない。だが、自由の普遍性を確実に示しているのである。私は合州国から来た二つのグループにインタビューしたことがある。テネシー=ライオット=ガールのメンフィスの15歳の少女と、テネシー女性行動同盟のメンフィスの23歳の女性である。また、「グラフィティ」というマルタ左翼グループの三人の女性--20歳のマリー=グレイス・16歳のアレクシア、20歳のミリアム--にもインタビューした。こうした女性が提起しなければならないことは、企業的自由主義フェミニズムの時代にフェミニズムが何を意味するようになってきたのかという質的変化である。彼女らの思想は、アナルカフェミニズムが全ての人に対して火付け役になろうと努めていること、つまり、ジェンダー・階級・性別・人種によって階層分けされていない、人間に基づいた完全平等の世界の希望なのである。アナキズムという言葉、そしてこのことに関して言えばフェミニズムという言葉さえも、不可能な偉業のように思われるかも知れないが、私は読者に自分自身に問いかけて欲しいと思う。自分にとって自由とはまさしく何を意味しているのだろうか?個人としてどのような権利を自分が持ち、また持ってしかるべきなのだろうか?学校・仕事場・親密な人間関係において自分はどのような価値があり、どのように評価されているのだろうか?これらの疑問は、私たちが自分自身を恐れていなければ人間は何をできるのかということのまさにその根源へと入り込む。ここに示す情報が、全ての人間に対するより深い自由のレベルの可能性から読者を追い払うのではなく、読者の意欲をかき立ててくれれば幸いである。

私がインタビューした人々が自分の社会の中で考え、構築しているアナキズム諸傾向を検証する前に、アナキズムとアナルカフェミニズムの歴史・意味を簡単に述べておくことが妥当であろう。自分の人生で幾度もこうした言葉に出会ってきたわけだが、私は、ほとんどの場合、アナキズムは、アナキスト集団以外の世界から充分隠されたままであり、現在も明らかにしなければならない多くの誤解があると実感している。従って、私は、ここで読者に広い心を持ち、リラックスして、楽しんで欲しいと強くお願いする。多分、学生がゼネストの開始を手助けした1968年のパリ叛乱でのスローガンについて考えてみればよいと思う。『仕事をするな。敷石の下には、ビーチがある。私は願望を現実だと見なす。なぜなら、私の願望の現実性を信じているからだ。』

アナキズムそれ自体は、ウィリアム=ゴドゥインが、アナキズムとは何かを明確に述べて以来、一つのイデオロギーとして存在してきた。『全ての人間は、自分自身の中核に頼らねばならず、自分自身の理解に助言を求めねばならない。全ての人間は、自分自身の独立を感じなければならず、そのことで、自分の状況の特性と他人の誤りに対して不実にも適用する義務を持つことなく、自分が正義と真実の原理を主張できるのである。』彼は、発言の自由・ジェンダーの平等と同様、社会を組織する連合を奨励していた。ゴドウィンはアナーキーを明確に示していたものの、アナキズムの中核は、東洋哲学、道教に見ることもできる。表面上は奇妙な混合だと見えてしまうが、アナキズムと道教は実際には全く矛盾しない。道教の主要信念は、事物の自然法であり、それを理解するには「道」つまり「タオ」に従うことだ、としている。この点でアナキズムと類似しているのである。なぜなら、アナキズムは、自然法は既に自分自身の中にあると仮定しているからだ。国家や宗教といった外的諸力は必要ないのである。このことは、1871年のパリコミューン、スペイン市民戦争以前もしくはその最中に創造された何百というコレクティブを伴う1936年のように、大規模なアナキズム諸形態の歴史的実例で証明することができる。アナーキーは、秘儀の司祭などいなくともお互いに共存するために、自分たち自身の内部にある自然を信頼することに関わっているのである。

私たちが自分の欲求を満足させるためには、高いレベルの協働がなければならない。なぜなら、この世界でたった独りぼっちで生きることはできないからだ。アナキズムは、個々人の欲求を満足させつつ、その間も、個々人の欲望をもっと大きな社会全体と照合させ続ける二重関係として働くのである。この意味で、個人も社会もより大きな発展レベルへと進化できるのだ。

アナキズム哲学はいつも抑圧に対抗してきた。だが、いつも男性優位システムに対抗してきたわけではない。ピエール=ヨセフ=プルードンは初めてアナキストだと自称したが、次のように述べていたこともあったのだ。『男性は完全な存在である。女性は男性の短縮版である。』従って、フェミニズムとアナキズムがイデオロギー的に協力し始めたのは20世紀の初頭になってからのことだったのである。

エマ=ゴールドマンはアナキズム哲学に対するこの突破口の元になった中心的女性である。1911年に、彼女は女性の商売において資本主義社会における女性の対象化について書いていた。ゴールドマンは、「下層」階級と人種の抑圧に権力基盤を持つ社会内部におけける女性の抑圧の直接的関係を理解できていた。ゴールドマンは自分が自立できることに疑問を挟んだことはなく、男性同志と世界の他の地域に対して継続的に自分の自律性を断言していたため、アナルカフェミニズムの創始者と見なされている。彼女は、男性の同志が平等について語っていても、その思想を行動に移してはいないという矛盾を理解できていた。1936年、「赤のエマ」は、スペイン革命における男性と女性の関係について次のように語っていた。『レトリックは大したものだったが、大部分のアナキスト(男性であることが多かったが)は、女性との私的関係において、文化的正統性に退却していた。スペイン同志の大多数は、自分の「伴侶」は、情緒的に支援し、男性の活動主義に「必要な」服従的関係を提供してくれると期待し続けていたのだった。』スペインのアナキストは、フランコのファシズムに対する戦争の最中、工場・学校・軍隊・農業を自分たち自身で組織していたが、男性はそれでも概して女性を助力者として見なしていたのである。ゴールドマンは、このために、女性を変えるためには、手始めに女性自身でより多くのことを要求しながら、その同志からもっと多くを要求せねばならない、と実感していたのだった。『真の解放の始まりは、女性の魂にある。』女性は自分の価値を実感しなければならず、自由が存在すると思うのならば、それを勝ち取るために戦わねばならないことを実感しなければならないのである。ゴールドマンは、国家が決めた結婚(state marriage)に反対していた。なぜなら、いかなる愛も抑圧的機関から命じられることなど有り得ない、と信じていたからだ。彼女は、公然とホモセクシュアルを支援した最初のフェミニストでもあった。ゴールドマンは、生きる自由を要求し、革命後のために戦うのではなく、現在のために戦っていた。彼女の有名な文句、『私が踊れないのなら、そんな革命の一部になどなりたくはない』は、単に明日のためではなく、現在を自由に生きることの切望と共振している。エマ=ゴールドマンは、アナルカフェミニズムの創始者だと見なされているが、多くの歴史的女性アナキストがこの哲学とプラクシスに貢献してきた。ルーシー=パーソンズのような女性は、多くの女性が労働者階級闘争に参画するよう影響を与えたし、ヴォルタリーン=デ=クレイヤーは直接行動の重要性に関して貢献し、ルイズ=ミシェルは1871年のパリ=コミューン内部で実践的なアナキズムを組織する手助けをした。長くなってしまうため、私はここではアナルカフェミニズムの発展に対するエマ=ゴールドマンの重要性に焦点を与えているが、こうした女性たちがこの運動に莫大に貢献してきたのだった。

1970年代に、自由の諸理想に対する新しい突破口を経験したのは、合州国と英国で女性解放運動に参加した女性と男性だった。女性は革命のヒロインたちを通じて、国際女性デーのような革命記念の休日さえをも通じて、自分たちの歴史を発見し始めた。これが、アナルカフェミニストグループによる実際の明示行動の始まりだった。

アナキズムとフェミニズムは、女性解放論者たちにとって、完全に一致するものであることが明らかになった。アナルカフェミニスト理論家のペギー=コーネガーは、フェミニズムは『基本的な組織ユニットとして小規模グループの強調、個人的なことと政治的なことの強調、反権威主義の強調、本質的にアナキズムである自発的直接行動の強調』を通じて、アナキズムと確かに関連している、と述べていた。

現在、アナルカフェミニズムは、左翼サークルの中で著しく弱体化している。なぜなら、若い女性たちは、自分たちの諸問題が扱われていないと感じたからだ。だからと言って、私は、こうしたフェミニズム形態が、NOWのような大規模な自由主義フェミニストグループに置き換わると述べているのではない。ただ、若い女性たちはアナルカフェミニズムという総合的なイデオロギーと、女性にとっての自由な空間を今創造することを強調することに関心を持っていると思うのである。合州国の若い女性たちは、健康・アナルカフェミニストグループ・自己防衛講座・家庭内暴力から身を守ることに関するワークショップを自分たち自身で創り出してきた。フランス・英国・イラク・エジプト・トルコ・ベルギー・カナダ・マルタ島といった場所でも、その社会からより多くのことを要求している女性たちがいる。私がローマにいたとき、私が訪問する直前にアナルカフェミニストグループを始めた女性たちと逢った。彼女たちがそのグループを必要だと思った理由は、女性がどれほど資本主義の最悪の犠牲者になっているかを理解したからだった。現在のフランス宣言--Manifestte Anarcho Feministe(Anarchist Feminist Manifesto)--の中で、フランスのフェミニストは、革命こそ自分たちが求めているものであると定義することで、革命に向かう最初のステップを踏み出したのである。『アナルカフェミニズムとは、男性と平等の確固たる基盤に基づいた女性の自立と自由を意味する。優れた人も劣った人もいない、男性も女性も全ての人が調和した社会組織・社会生活を意味しているのである。このことは、社会生活の全レベルに、私的領域にも言えるのだ。(中略)アナルカフェミニズムは、女性自身が意志決定をし、自分のことは自分で行い、私的なことは個々人で行い、何人かの女性が懸念していることについては他の女性と共に行うことを示している。本質的かつ具体的に二つの性どちらにも関わる事柄については、女性と男性が平等な基盤に基づいて意志決定をしなければならない。』

いかなる哲学を持っていようともフェミニストは、お互いから、そして、社会から厳密に何を求めているのかということをとことんまで考えることが大切である。フェミニズムは、過去10年間小休止状態であった。なぜなら、あらゆる考えに対して、その幾つかがお互いに矛盾する考えであったとしても、オープンだったからである。これが、自分たちが何に敵対し、何を究極的に求めているのかを知ることが大切な理由なのだ。私がインタビューした女性たちは、自由が繁栄できる地点に到達するために、こうした自由という思想を徹底的に考え抜いていた。究極的に、彼女たちは、自分自身の生活を管理するために必要なものを持っていると信じているが、それは、個々人と集団の意識を持ち、思想をプラクシスに実行することに関わっているのである。彼女たちは、男性優位の日常生活だけでなく、男性優位の国家をも継続的に疑問視しているのだ。

自由とプラクシスの思想を熟考してきた運動に、ライオット=ガール(Riot Grrl:RXG、女性のパンクフェミニストグループ。女性がバンドを始め、ファンジンを始め、自分の生活にもっと積極的になるように力を与えるべく始まった。レイプに関して遠慮なく話したり、自分の生活での虐待について話す女性サークルを作ったり、女性のデモを計画したりもする。)がある。ライオット=ガールはアナルカフェミニズムの旗の下に組織されてはいないが、アナキストだと公言している多くの人々がグループの中におり、多くのアナルカフェミニスト的特徴がその運動の中に見られる。ライオット=ガールのアナキズムは、直接行動の使用・非ヒエラルキー構造・草の根的性格・個性の促進・女性の権能拡大・協働に存している。

RXGは、1990年代初頭のパンクシーンから出現し、それ以来、合州国・カナダ・英国などに広がっている。この10年間の前半では、多くの若い女性たちが、政治的なパンクシーンがいかに妥当なものではないか、という問題について議論をするために集まっていた。1970年代の左翼グループが社会運動に対する女性活動家の貢献を無効にしていたことと、パンクシーンがRXGを無効にしていることには関連があるのだ。政治的パンクシーンと非政治的パンクシーン内部にいる彼女たちの不満は、自分たちの発展を含んでいる「新世界」を創造したいということに基づいていたのだった。ニューヨークのアナルカフェミニスト、ロリ=ワスケヴィッチは、どのようにして自分がRXGに初めて参加するようになったのかを述べている。『私は、ビキニ=キルとブラットモバイルというバンドに夢中で、そこからRXGの考えと出会ったのよ。くだらないことを受け取ることを拒否した若い女の子のためのフェミニズムだよね。』ライオット=ガールが出現したきっかけの一部には、女性たちがバンドやライブハウスのフロアににもっと多くの女性がいて欲しいと思ったことがあった。多くの女性たちがパンクバンドを始めるにつれ、ライオット=ガールも大きくなっていった。ライオット=ガールのバンドと共に生じたことは、単に音楽以上のことであった。若い女性たちが自分の長所をそこで発見する運動になったのだった。私が17歳の時、私は北部ペンシルベニアのライオット=ガールグループに参画していた。私たちは、レイプ・ボディーイメージ・ジェンダーの役割・セクシュアリティといった諸問題について論じていた。同時に、路上の壁にポスターを貼り、公開ディスカッションを開催するといった直接行動も行っていた。典型な女性の格好(私は素足だったし、妊娠していた)をしてモールに行き、男性であるということと女性であるということが何を意味するのか再定義している文献を配布したこともあった。私たちはモールを追い出されたが、幾つかの可能性の種が議論をする中で蒔かれたのだった。私は、こうした女性たちが現在でも活動的なのを見て、自分たちの影響力がこの小さな街に及ぼしたインパクトを実感し、街の人々が私たちのことを忘れていないことを実感している。

ライオット=ガールは、一般的なパンクシーンからの莫大な反発・内部の動揺・MTVメディアに「90年代的なこと」へとそのイメージを商品化させてしまったライオット=ガールがいたために、低点に達していたが、それでもなお力強く成長している。年次大会・数千に及ぶ私的ミニコミ誌(Do-It-Yourself 雑誌)・国際的RXGグループが現在存在している。RXGの草の根的性格がRXGを活気づけ続けてきたのである。こうした若い女性たちが創り出そうとし続けている革命が継続しているのである。RXGは、革命を創り出すために物事がどのようになされるべきかということに関するルールブックなど一度も持ったことはないからこそ、全ての女性が革命に向けて貢献できるようにしているのである。

多くのことがRXGを団結させているが、その一つには、ミニコミを通じた考えや感情の交換がある。一つのミニコミは、全ての人が接することができるようなもので、時間と労力を掛ければ誰でも創ることができる。必要なものは、ペン・紙・糊・写真・コピー機の使用だけである。RXGミニコミの多くは、自分たち自身に関する健康的で女性にポジティブな見解を持つようなメッセージで女性たちに権能を与える内容が多いものだ。ミニコミ誌は、お互いのミニコミ誌の普及を促し、世界中の様々な地域で入り組んだネットワークを創り出してきた。現在は、よりよい組織を通じてネットワークを改善しようとしている。メディアを使って若い女の子たちに、美しさはうわべだけだと述べ、外観に取り付かれるようにし、一貫して男性の注目に気を配るようにさせているような世界で、RXGミニコミ誌は、女性たちが自分の声を見つけ、共有するための重要な表現手段になっている。「干渉するな」(Hands-Off)というミニコミ誌の第5号において、ヒーザー=リンは、自由を求めた日々の闘争を通じて、革命を自分の言葉で語っている。『自分の本能を信じよう。自分が誇大妄想のダンスパーティにいるとか間違ったダンスパーティにいるとか、不合理なダンスパーティにいるといった頭の中での声は信じない。マジで、どこにでもいるんだ。ダンスすることは革命だ。抑制を無視することを学べ。あいつらが偽りのない真実を話してくれるなんて決め込むな。あいつらがうそをつくだろうなんて決め込むな。何も決め込んじゃいけない。』(12, 2)リンは、政治を個人的なことと混ぜ合わせている。これは若い女性たちがその世界を変革できる現実的な見解である。自己から開始し、究極的に正義を要求することができるのは自己だけなのだから、現実的なのである。

私は、15歳のフェミニストで現在メンフィスのRXGに参画しているキムにインタビューした。彼女の理想はアナキズム的だが、彼女は、人間は文明化された社会に発展できるようになるにはまだまだ長い道のりがあると信じている。彼女は、これが生じるためには、人々が発展するための、RXGのような自律ゾーンを人々が作り出さねばならないと信じている。私が彼女に社会が必要としているのは何か、革命か改良か、と尋ねたとき、彼女は声高に言った。『革命よ!人々が女性に利益があるように法律を変えることについて話しているとき、私は、私たちに何故法律が必要なのかを疑問に思っているわ。強制的にしたところで、女性の自立を実現することなんて出来はしないのよ。』自由主義的フェミニズムに関しては、それが平等を合法にしていることに関しては賛同しているが、彼女はもっと多くのことを社会から望んでいる。『私は、自分が着たい服を着て、やいやい言われることなく、街を歩くことができればいいと思っているのよ。レイプされた女性の話を聞きたくなんてない。』キムがアナキスト組織で活動的だったことは一度もないが、それでも自分自身をアナキストだと思っている。彼女は、ベギー=コーネガーが発見したフェミニズムとアナーキーとの自然な関係を示している。『そう、私は自分をアナキストだと思っているわ。アナキストは、地球・他人・動物をできるだけ搾取せずに、満たすことができる欲望と欲求を持っていなければならないと思うの。』キムは、ライオット=ガールが人間をさらに平等主義的にする可能性を広げていると思っているが、同時に、日常は女性にとって闘争になり得るとも思っている。『他の女の子たちを見下したり、摂食障害になったり、自殺したり、自分の体を隠したり罰したりしている女の子や女性が非常に多いという事実は、この世界が女の子たちにとって有害だと言うことを示しているに過ぎないのよ。』

キムが合州国で戦い取ろうとしている自由は、マルタの小さな島でも戦い取られている。大部分のアナキストが人間の本質の一部だと見なしている自由の普遍性は、マルタの左翼グループ「落書き」(Graffiti)にも息づいている。マルタ島は1964年にその自由をついに勝ち取ったが、「落書き」のメンバーであるマリー=グレイスは、マルタ島の姿勢がどれほど植民地的なのかを私に説明してくれた。人々は、この島の環境悪化・政府の腐敗・政府に対する宗教の影響力を終わらせようとしたり、仕事場・信仰・家庭での性差別を止めさせようとするのではなく、変革に抵抗しているように思われる。「落書き」という組織は、こうした諸問題を根絶するために自国内での徹底的変革を行おうと奮闘している。このグループは、マルタ島において何を見たいと思っているのかについて何ら明確な要綱を持ってはいないが、平等を現実のものにしようと奮闘しているグループが内部に持っている一つの特徴が見られる。私は、こうした女性たちが発散しているアナルカフェミニスト的諸傾向のことを述べているのである。このグループの三人のメンバー(大部分がミリアムとマリー=グレイスだが)が、「落書き」の持つアクティブなフェミニスト的次元を示してくれた。彼女たちは、その男性同志に、平等を求めて自分たちと共に戦うように勧めていた。彼女たちは、マルタ島で離婚を合法にすること・資本主義社会で女性がモノのように扱われていることを変えること・女性問題としてのポルノと言論の自由の問題としてのポルノという分野について議論すること、といった諸問題について戦っていたのだった。

私が、彼女たちに、自分が「落書き」にいなかったら、フェミニズムの諸問題を論じたり、それに影響されたりしただろうか、と尋ねたところ、ミリアムとマリー=グレイスは、そうならなかっただろう、と感じていた。私はその後、彼女たちに、今日革命があるとすれば、自分は男性同志のために炊事するだろうか、それとも、この「新しい社会」に積極的かつ平等に参加するだろうか、と尋ねてみた。マリー=グレイスは、『そんなものは革命ではないでしょう』と述べていた。ミリアムは、直ぐに口を挟み、『それは、そうあるべき革命ではないでしょうが、そうなってもおかしくはないですよね』と述べていた。二人とも、そのグループの男性が、女性が日常的に扱わねばならない抑圧について完全に理解していない、ということに同意していた。彼女たちは、男性は、外出の時の食事を作るよう彼女たちに期待していることがあり、政治的議論をしているときに女性の意見はサラリと流されてしまう、と説明してくれた。女性たちを前進させ続けているのは、自分たちがマイノリティとして扱われてはいないことを、男性に対して継続的に再確認していることなのである。このグループが四年前に始まって以来、この状況はましになってきた。現在、このグループよりのフェミニスト的観点がより多く存在し、このグループはマルタ島で女性の権利に対するこうした立場を持つ唯一のグループである。「落書き」の全ての人々が平等について正確に何を意味しているのかについて徹底しているわけではないが、こうした女性たちがこのグループ内で、自分たちの声を聞いてもらえるように要求している活動は、革命的なものである。この思想が駕籠の中から一旦飛び出すと、それが成長し、繁栄するのは時間の問題なのである。種は既に蒔かれており、熟成期間は既に始まっているのだ。

私がインタビューに選んだ最後のグループは、テネシー州メンフィスの「女性活動同盟」(WAC)である。私はここ5年間このグループに断続的に属していた。私がこのグループで締め括ろうとした理由は、WACは、さらに分散型で協同組合的になるゆっくりとした進化の過程を経験しているからである。偶然なのだが、このグループが出版しているファンジンの最終号は、アナキズムに関するものだった。このグループそれ自体には10人の積極的なメンバーがおり、その内二人が男性である。このグループは、構造的に非ヒエラルキー型の立場をいつもとり続けているが、全てを行いたいと思っている一人の人に仕事を押しつけることで知られていた。さらに、多くのインフォーマルな指導者集団を経験してもいた。そのときには誰もその状況を良いとは思っていなかったが、それを変えるためにイニシアティブを取ろうとする人がいなかったのである。WACがメンバーを失うにつれ、1970年代に女性解放運動に参画していた一人の年輩の女性だけでなく、若いメンバーを獲得した。このグループが新しいメンバーを獲得すると、平等を基盤にしてグループをどのように組織でき、なおかつ物事を達成できるのかに焦点を当てた。WACは、現在完璧だという立場にはいないが、より明確な目的とミッション=ステイトメントを開発した。この記述書の中で、WACは自分たちが何に反対しているのかだけでなく、何に賛成しているのかについても明らかにしている。資本主義とあらゆる形態の抑圧に反対すると述べている一方で、再生的自由・環境的正義・『利潤ではなく人間の欲望』に基づいた世界を欲していると説明しているのである。

WACの重要性は、そのイデオロギーだけでなく、創造的で敏感な直接行動戦術にある。(5年前にもメンフィスWACが存在していたが、今日知られているWACの分権的性質は、それ以前に存在していた学者的WACとは全く異なるものである、ということは記しておかねばなるまい。)WACはポスター・パンフレットの宣伝・講座・教室での講演・公開討論といった戦術を使っている。WACは、同時に、演劇的な直接行動も行っている。そこでは、安全なセックスを促すためにメンバーが鳥や蜂のように扮しているのである。メンバーが皆ベールのついた黒い服を着て、家庭内暴力とデートレイプの恐怖を浮き彫りにしたプラカードを掲げた無言の行動も行っている。

WACは、今でも、行わねばならない多くのことがあり、それを全て行うための充分な人がいないことに苦しんでいる。今でも私がアナルカフェミニストグループと考えるものに発展し続けているのである。少なくともメンバーの半数は既に自称アナキストであり、残りのメンバーはアナキズムが示しているはずの諸原理の多くに賛同している。WACが元々5年前に始めたアナキスト諸原理は、その組織構造と活動の中に明らかになり始めている。もっと多くのことがいつもなされねばならないのだが、WACは、フェミニズムという思想にさらに責任を持つようになり、自分たちが直接行動グループとして何を達成できるのかについてもっと現実的になってきている。WACの成長に伴って重要なことは、メンバーが自由という理想に対して持たねばならなかったコミットメントである。メンバーが降参したことはなく、もっとアナキズム的組織スタイルに向けて邁進すると共に、資本主義社会内部でどのようにして自由が日の目をみるようになるのかを理解するようになってきている。

セネカ=フォールズでの初めての女性会議からずっと後に、エマ=ゴールドマンが、女性は国家や男性の性的所有物ではない、と宣言してからずっと後に、そして、現在のフェミニズム理論家であるベル=フックスが、白人の自由主義フェミニズムは排他的だと宣言してからずっと後にも、フェミニズムの諸理想が継続するためには、私たちは、資本主義と抑圧との関係を実感しなければならないのである。私たちは、人々がお互いに関係できる唯一の方法は競争である、という大昔の態度を無視するために、自由のポケット空間を創造しなければならない。私たちは、人間性は、個々人の自由に対する信念抜きにして、単なる文明へと発展することはない、ということを実感しなければならない。私の人生において、私は、アナルカフェミニズムが世界中でこうした自由の空間を作り出すことができ、また実際に作り出している、ということを見てきた。自由な空間は、共同住宅・コミュニティ・フリースクール・自由のために戦っている直接行動集団・共同の園芸畑・政治的演劇・同人誌・ホームスクールなど、人々が自分の自由への本能に耳を傾け、行動している世界中のあらゆる場所に見られる。協働と個々人の自由に基づいて、人々は社会としての我々がどのようになり得るかの実例を創り出しているのである。

アナキストとして、私の信念は民衆とともにある。私は与えるべきドグマなどもっておらず、アナルカフェミニズムがすべての抑圧を終わらせる魔法の鍵を世界に提供しているなどと考えてもいない。アナルカフェミニズムが実際に行っているのは、自由の可能性を体現することであり、すべての抑圧を切り抜けようとしているのである。私は、今日、アナキズムはその理論をプラクシスへと整備しなければならないと信じているが、男性と女性が、あまりにも長い間社会を悩ませてきた性差別・人種差別・環境悪化・ホモ嫌い・階級差別に対して積極的に活動しているのも目にしている。アナキストは、将来がどのようになるのかについてのんびりと理論構築するのではなく、それを創り出そうとしているのである。

主流派のフェミニズムは、政府や大企業の中で活動することで平等を確立すると主張することで、多くの人々を冷たい現実の中に取り残してきた。このことが、フェミニズムを、自由主義フェミニストによって脇に追いやられていた黒人・メキシコ系アメリカ人・労働者階級・人種やその他のマイノリティのフェミニストとの大きな分断を引き起こしたのである。こうしたフェミニストが組織を作り、階級・ジェンダー・人種・性別・環境悪化と抑圧との関係を結びつけるに従い、より近しい女性と男性が解放に向けて展開していくのである。私はアナルカフェミニズムに関するこの短いイントロダクションを、私がマリー=グレイスに、自分にとって革命は何を意味しているのかについて聞いたときに書いてくれた興味深い言葉で締めくくろうと思う。彼女の言葉は自由への情熱を思い起こさせてくれる。それは、エマ=ゴールドマンが初めて新しい自由な世界の希望について話をして以来、アナルカフェミニズムの中にあったのだ。『新しい世界のために、新しい人間の出現のために戦うこと。不公正の壊滅、資本主義内部での人間の苦難と萎縮の壊滅に向かうこと。そこでは、平和は正義の結果であって、抑圧の結果ではない。』

実際、自由になるという人間の情熱は、最初から私たちの中にあったのである。今後も永遠に私たちとともにあり続けるだろう。問題なのは、この活力が存在することを単に知るのではなく、私たち個々人の内部にある創造的衝動を使って何を行うかを選択することなのである。個人を変革に向かう強力かつ創造的な源泉として宣言しなければ、私たちの世界は失われてしまうのだ。

Contacts: アナルカフェミニストが現在何を行っているのかは次のページを参照してほしい!--MujeresLibres@yahoogroups.comに参加しよう。ウェブサイトは、インフォショップを参照。

参考文献の一部

Lynn, Heather. Hands Off #5 (Olympia, WA: Heather Lynn, 1998.)
Manifeste Anarchofeministe. (Internet: http://www.powertech.no/anarchy/maf.html)
Marshall, Peter. Demanding the Impossible (London: Fontana Press, 1993)
Mitchell, Kim. Interview via email. (April, 1998.)
News and Letters newspaper. (March 1998)
Ruby, Flick. Anarcha-Feminism (internet: http://www.spunk.org/library/anarchfem/sp01066.txt)
Vella, Mary Grace, Scembri, Miriam, and Vassallo, Alexia. Interview on April 27, 1998.
Waskevitch, Lori. Interview via email. (April, 1998)