タイトル: 死か再生か:気候変動危機は最後の危機なのか?
著者名: Wayne Price
発行日: 2021
ソース: https://note.com/bakuto_morikawa/n/ne7f5859da991(2023年4月21日検索)
備考: 原文:http://www.anarkismo.net/article/32372
原文掲載日:2021年7月13日
著者:ウェイン゠プライス(bakuto morikawaより)

これは資本主義の「必然的」崩壊なのか?

古典的社会主義者は、アナキストにせよマルクス主義者にせよ、資本主義は--民衆革命が新社会を創造するか、資本主義が自滅するか、いずれかによって--最終的に終焉すると書いてきた。地球温暖化は、こうした全面的危機の可能性に人間が直面しているのかどうかという問題を提起している。社会主義と社会破滅のどちらを選ぶのかという問題だ。

最近、ある友人が私に、ユニヴァーシティ゠カレッジ゠ロンドンのグローバル゠チェンジ゠サイエンスのサイモン゠ルイス教授による論説を送ってくれた。論説(Lewis、2021年)は「カナダは警告だ:人間にとって暑すぎる場所は瞬く間に増えていく」と題され、副題は「気候の緊急事態と闘う世界規模の活動を直ちに行わなければ、地球の居住不可能地区が拡大していく」だった。

私は、社会主義の伝統が持つ終末論的警告をふと思い出した。多分最も有名なのはローザ゠ルクセンブルクの「社会主義か野蛮か」であろう。1878年にフリードリヒ゠エンゲルスは次のように書いた。ブルジョアジーは「その指導のもとで社会が、(中略)破滅に向かって突進しているところの、一つの階級」であり、「全近代社会が滅亡してしまうことにならないためには、生産様式と分配様式との変革が起こって、一切の階級的差別を除去してしまわなければならない。」(岩波文庫、下巻、25ページ)資本主義「自身の生産力が(中略)全ブルジョア社会を破滅か変革かのどちらかへ向かって駆り立てている。」(岩波文庫、下巻、38ページ)

マルクスは、1848年の『共産党宣言』を「今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。(中略)この闘争はいつも、全社会の革命的改造をもって終わるか、そうでないときには相闘う階級の共倒れをもって終わった」(岩波文庫、38~39ページ)という主張で始めた。ここには「革命的改造」か「共倒れ」という歴史的選択がある。(ここで二つの可能性を提起しているが、これは「かれらの没落とプロレタリア階級の勝利は、ともに不可避である」(岩波文庫、56ページ)という資本家階級に関する後の言明とは矛盾しているように思える。マルクスが決定論者だったかどうか、そうだとすればどのような種類の決定論だったのかについてここでは論じない。)

これは、資本主義の問題と国家の問題を統合したアナキズムの考えでもある。1898年にピョトール゠クロポトキンは『国家・その歴史的役割』を次のように締めくくっていた。「死か再生か、そのいずれかしかない。個人の生活や地方自治を解体、人間のあらゆる活動分野に入り込みながら、戦争、権力者間の内輪もめ、しょっちゅう専制君主を変えている宮廷革命のほか、こうした発展の必然的な帰結として死すらもたらす国家。この国家を選ぶか、逆にこれを破壊して、もう一度あらゆる活動の場で、生き生きとした個人やグループの自由発議、自由合意の原理に基づく新しい生活をはじめるかのどちらかだ。これを選択するのは諸君の義務である。」(黒色戦線社、69ページ)

気候大変動

(民衆革命がなかった場合の)「死」と「破滅」の前提条件は、資本と国家、経済と政治に限られているのであって、生態系環境とは関係ないと論じることもできよう。しかし、これらは区別できるシステムではない。経済と戦争を区別できないのと同じである。(Price、2010年)資本主義は--局所的競争と国際競争の圧力下で--生産を拡大し、蓄積し、量的に成長し、利潤を貯めこもうとする。資本主義を維持している国家は、この成長衝動に仕えねばならない。国家自体も自国民と他の国民国家に対する大きな権力を目指す衝動を持つ。ますます大きくなろうとする産業資本主義と国家の衝動は、生態系バランスと安定した(質的に進化する)生命の網の必要性と衝突せずにはいられない。マルクスは、資本の蓄積が自然環境に対して破壊的影響を持つことに充分気付いていた(フォスター、2004年)。マルクスもクロポトキンも、工業と農業、都市と農村を生態学的に統合する新社会を主張していた。(私はアナキストだが、マルクス主義の計画とアナキズムの計画との重要な違いをここでは論じない。)アナキストとして、マレイ゠ブクチンは「社会的エコロジー」という概念を発展させ、「アナキズムか絶滅か」と要約して述べた。

ルイス教授によれば、「(前略)極度の熱波がさらに起きる見込みが高く、科学者はその確率の増加を計算できるようになっている。例えば、2500人が死亡した2019年の欧州熱波は、地球温暖化がなかった場合の5倍に当たる。多くの場所で、地域の通常範囲を超える極度の熱波が、経済の混乱から広範な死亡者数まで様々な問題を引き起こすだろう。(中略)しかし、中東とアジアでは、本当に恐ろしいことが起こっている。生存不可能な熱波の発生である。」

人間(と他の生命体)が生存できないほど高温になる地域は規則的に広がるだろう。旱魃・火事・荒天・津波・農業の喪失・飲料水と農業用水の不足、これらは国境を超えて大量の難民を生み出し、様々な社会的対立と戦争を引き起こすだろう。(米軍はこうした傾向を研究しているが、政治家は見て見ぬふりをしている。)

人間には、炭素燃料に基づいた産業が数世代にわたり引き起こした被害を限定的にする科学と技術がある。ルイス教授は次のように書いている。

「政府・企業・市民には何ができるのか?まず、さらなる極度の熱波が生じないよう、この十年間で二酸化炭素の排出を半減させ、2050年までに排出量を実質ゼロにする。次に、今後必然的に起こる熱波に備える。緊急公衆衛生計画が第一の優先事項である(中略)。熱波は構造的不平等を増大させる。貧困地域には大抵緑地が少ないため、温度がさらに高くなる。同時に、屋外労働者は、大抵賃金が低く、特に影響を受けやすい。(中略)公衆衛生計画の重要性を強調するのである。(中略)

「(前略)建物を涼しくし、最高最低気温がもっと甚だしくなっても輸送システム--道路から鉄道まで--を稼働できるようにする新しい規則が必要である。(中略)最後の課題は、将来も持続可能な農業、そして、究極的に誰もが依存している幅広い生態系である。

「2050年までに気候を安定させることは、一つの作業期間の枠内で充分対応できる。この新しい世界で皆が繁栄できるよう適応することも同じである。ぐずぐずしている暇はない。」

徐々に、政府と多国籍企業の長も--口先では--気候変動の危険を認識するようになっている。(最大の例外は米国であり、二大政党の一方が、頑固に気候変動の存在を否定し続けている。)世界のブルジョア階級が賢くなり、地球温暖化について何か有効なことを行うようになる--地球温暖化を一気に止めなくとも、少なくとも緩和し、ペースを落とすようにする--と思うかもしれない。果たして、そうだろうか?

ルイス教授の結論はこうだ。「こうした莫大な課題を踏まえて、政府による気候適応への対策はどうだろうか?全く不充分だ。」驚くべきことではない。数多くの莫大な利権が現在の化石燃料への依存を維持しているのだ。この技術社会全体は、主として、そうした利権に支えられている。開発途上の貧しい国々は、より一層、石炭・石油エネルギーに依存している。(石油で作られた)プラスチックを使っている商品は言うまでもない。一方、機械化された畑作農業は石油由来の殺虫剤と肥料、そして農業機械用の燃料を使っている。化石燃料を使わず、地球温暖化を終わらせるためには、現代の技術社会全体が徹底的に変わらねばならない。

経済的に、石油産業は世界資本主義の中で最大最強の部門である。廃絶するには莫大な闘いが必要となろう。繰り返すが、資本主義社会が化石燃料を完全に放棄できたとしても、資本主義社会は絶えず拡大し続けねばならず、バランスの取れた生態環境の必要性と衝突せざるを得ない。エンゲルスが書いていたように、「全近代社会が滅亡してしまうことにならないためには、生産様式と分配様式との変革が起こ」らねばならない。

予測

予測には限界がある。次のように論じることもできよう。結局、古典的社会主義者が資本主義は転覆されなければ「野蛮」「死」「破滅」で終わってしまうと予測して以来、時間が経っても、資本主義と資本主義国家は転覆されないし、破壊的状態で終わってもいない。これまで大惨事が起こってきた。例えば、二つの世界大戦・大恐慌・ナチズムとスターリニズムの勃興(奴隷労働と大虐殺を伴う)・大規模な飢饉・戦争の継続(小規模であっても)・パンデミックといった多くの苦しみだ。ただ、欧州ファシスト政府が終焉し、大部分がブルジョア民主主義国になるといった恩恵もあった。大部分の帝国植民地は政治的独立を勝ち取った。南アフリカのアパルトヘイト・米国の人種隔離法ジム゠クロウは敗北した。大恐慌と第二次世界大戦の後には比類なき繁栄(帝国主義諸国においてだが)の30年間が続いた。世界は核戦争のない冷戦を乗り切った。そして、科学技術は膨大で質的に進歩している。全体的に見れば、資本主義は柔軟で、再生的で、危機を乗り切り、生き残ると証明されているではないか。

これら全ては真実だが、この時間的尺度をどのように判断するかは相対的である。現代人は50万年前から存在し、農業は約1万年前に始まった。社会主義(もしくは崩壊)の前提条件--大量生産技術・現代的労働者階級・世界市場--が存在するようになったのは、ここ2世紀にも満たない。「破滅か変革」「死か再生」のいずれもなく、資本主義がこの比較的短い期間生き延びているからと言って、今後も生き延び続けるという決定的証拠にはならない。

結局のところ、人類文明を終わらせる危険を冒すためには、世界を破壊するほどの一連の出来事が一度起こればいいのである。一つの核戦争があればいい。核兵器以外の大量破壊兵器を使った大規模戦争でも、人間の生存可能レベルを超えた地球温暖化の加速でも、時間が経過しても制御不可能なほど毒性の強いパンデミックの出現でも、大恐慌よりも激しい世界資本主義の崩壊でも構わない。これらの組み合わせもそうだ。

近著「アナキズムの現代国家理論」で、エリック゠ラールセンはアナキズムへの変革は「単に、社会的に望ましく、取り組むべき成果だというだけでなく、存在にも必要不可欠だ」(Laursen、2021年、17ページ)と結論付けている。「壊滅的な気候変動が迫り来る今日、私達は公正な社会以上のもののために闘っている。生存のために闘っているのだ。」(47ページ)

資本主義と国家が存在する限り、一定期間どれほど平和で豊かであろうと、「死」や「破滅」が起こる脅威は残り続ける。この「脅威」について語ることは、「必然的」結果を予測することとは違う。それに対して行動を起こさない限り、人間はダモクレスの剣の下で生きるのである。

マルクス主義の政治経済学者グリエルモ゠カルケディの分析によれば、世界資本主義は長期的に下降し、一時的な上昇と下降を経て停滞に向かう傾向がある。彼は、この長期的傾向を(実質)利益率の下落傾向のためだとしているが、半独占状態の増大を強調する研究者もいる。彼は、資本主義の活性化には、大恐慌から抜け出す際と同様の活動が必要だと考えている。当時は、破壊的世界戦争・大規模な兵器生産・環境の略奪が行われた。

カルケディは次のように問う。「私達は、必然的破滅、資本主義の終焉に近づいているのだろうか?これは変更不能ではない。資本主義は、真の革命的変革がないまま、この長期的下降期を抜け出すかもしれない。ただ、最初に、金融・生産双方の領域で資本が大きく破壊されるだろう。(中略)グラムシは1930年に省察している。『古いものは死につつある(が)、新しいものは生まれ得ない。』(中略)現在の西洋資本主義は、次第に繁殖能力を使い果たしつつある。新しい段階の資本主義か、もっと優れた社会で置き換えられるだろう。しかし、後者を可能にするには、労働者階級の主観が積極的かつ意図的に介在しなければならない。(中略)これがなければ、資本主義は回復し、新たな段階に突入するだろう。労働の支配がもっと大きく、もっと酷くなるだろう。」(Carchedi、2018年、70ページ)

彼は、世界資本主義を蘇生させた第二次世界大戦のような壊滅状態を人間が生き延びられるかどうかを考えていない。第二次世界大戦とは違い、今回はもっと高度な技術(核爆弾だけでなく)を持っているのだ。彼は、産業社会が現在直面している生態系と気候の大災害を論じてもいない。しかし、彼は正しいかもしれない。全体主義的な(もしくは、ネオ封建主義か?)「新たな段階の資本主義」は、現在脅威を与えている「破滅」を生き延びるかもしれない。

また、全ては民衆の意識水準に依るという点も正しい。労働者階級と全ての抑圧される側は、資本主義が継続すれば人間は危機に直面すると理解するようにならねばならない。新しく「もっと優れた」社会を求めねばならないだろう。それは、自由で、生態調和的で、相互扶助で、平等で、労働が創造的で、参加型民主主義の社会であり、資本主義・国家・階級を廃絶し、ジェンダー・人種等のあらゆる抑圧を終わらせる。生産・分配・連絡・公益事業の手段を手中に収めることで、民衆の大多数として、労働者は古い社会を終わらせ、新しい社会を創造する潜在的力を持っている。労働者は、自分達が極めて重要な選択権を持っていると実感しなければならない。

これは選択なのであって、予言の問題ではない。1961年に、ポール゠グッドマン(当時、最も有名な米国アナキスト)は、大学の雑誌からアンケートを受け取った。アンケートの最初の質問は「核戦争が起こると思いますか?」だった。グッドマンの答えは次の通り。「可能性と予測について問われていますが、私はどちらも答えられないし、答えるつもりもありません。(中略)提起されたような重要な問題について必要なのは、テストではなく、事態の変化であり、変化した状態になることです。それを実現するのが私達の義務です。(中略)(こうした)諸問題に直面している時、予測--もしくは、楽観的感情や悲観的感情--など無駄な贅沢です。どのみち、この問題に対処しなければならないのです。(中略)さて、どうしますか?」(Goodman、1962年、154~155ページ)

労働者と抑圧された人々は、問題に直面し、新社会の選択を行うだろうか?これは必然ではない。確かに、酷い崩壊が起こる前に、必ず行われるわけではない。しかし、それは「可能」であり、それが「希望」の基盤なのだ。マイノリティである反資本主義・反国家・エコ社会主義の急進主義者にとって、これは予測の問題ではなく、献身の問題である。万人にとっては、クロポトキンが書いていたように、「これを選択するのは諸君の義務である。」


引用文献

Carchedi, Guglielmo (2018). “The Old is Dying but the New Cannot Be Born: On the Exhaustion of Western Capitalism.” In World in Crisis (G. Carchedi & M Roberts eds.). Chicago IL: Haymarket Books. Pp. 36-77.

Engels, Frederick (1954). Anti-Duhring; Herr Eugen Duhring's Revolution in Science. Moscow: Foreign Languages Publishing House. (フリードリヒ゠エンゲルス著、粟田賢三訳、『反デューリング論』下巻、岩波文庫、1966年)

Foster, John Bellamy (2000). Marx's Ecology: Materialism and Nature. NY: Monthly Review Press. (ジョン゠ベラミー゠フォスター著、渡辺景子訳、『マルクスのエコロジー』、こぶし書房、2004年)

Goodman, Paul (1962). The Society I Live in is Mine. NY: Horizon Press.

Kropotkin, Peter (1987). The State: It's Historic Role. London: Freedom Press. (ピョトール゠クロポトキン著、田敦子訳、『国家・その歴史的役割』、黒色戦線社、1981年)

Laursen, Eric (2021). The Operating System: An Anarchist Theory of the Modern State. Oakland: AK Press.

Lewis, Simon (June 2021). “Canada is a warning: more and more of the world will soon be too hot for humans.” The Guardian. https://www.theguardian.com/commentisfree/2021/jun/30/canada-temperatures-limits-human-climate-emergency-earth?CMP゠Share_iOSApp_Other

Marx, Karl (2013). The Communist Manifesto; 2nd Ed. (Frederick L. Bender ed.). NY: W. W. Norton. (カール゠マルクス・フリードリヒ゠エンゲルス著、大内兵衛・向坂逸郎訳、『共産党宣言』、岩波文庫、1971年)

Price, Wayne (2010). “The Ecological Crisis is an Economic Crisis; the Economic Crisis is an Ecological Crisis.” Anarkismo. http://www.anarkismo.net/article/17024