タイトル: 社会関係を爆破することはできない
サブタイトル: テロリズムに反対するアナキストの主張
発行日: 1979
ソース: https://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/cantblowup-j.html(2023年4月20日検索)
備考: 原文は、http://flag.blackened.net/noterror/cantblowup.htmlで読むことができる。プルードンの文章が引用されているが、他の英訳と異なっている部分があり、仏語原文との整合性が不明なため、「世界の名著53 プルードン・バクーニン・クロポトキン」の「十九世紀における革命の一般理念」(渡辺一訳、227ページ~228ページ、中央公論社)を引用した。(訳者)

この小論は、シドニーヒルトン爆破事件の後、1978年終わり頃か1979年頃にパンフレットとして出版された。当時、アナキズム運動を取り巻くブラックユーモアがあった。それは、警察と治安部隊がアナンダ=マルガを陥れたのは、アルファベットでアナキズムの前にあったからだ、というものであった。このパンフレットにおける主張は、30年以上前(原文では20年前)に書かれた当時と同じく、今日でも尚も妥当である。このテキストの転載やリンクはどんどん行って欲しい。

アナレス=ブックス=コレクティヴ


First published (1979?) in Australia by:
LIBERTARIAN SOCIALIST ORGANISATION
P.O. BOX 223. BROADWAY, BRISBANE, QUEENSLAND, 4000
LIBERTARIAN WORKERS FOR A SELF-MANAGED SOCIETY
P.O. Box 20, PARKVILLE, MELBOURNE, VICTORIA, 3052
MONASH ANARCHIST SOCIETY
C/- MONASH UNIVERSITY UNION, WELLINGTON RD., CLAYTON, VICTORIA 3168
ADELAIDE LIBERTARIAN SOCIALISTS
P.O. BOX 67. NORTH ADELAIDE, 5006.


1978年3月のシドニーヒルトン爆破事件はオーストラリアでテロリズムの問題を提起した。何の罪もない3人の死は、この事件に人間的重要性だけでなく、政治的重要性も与えた。このバカげた邪悪な行為に関する新聞と政治家の声明は、民主的権利の弱体化を求めるスローガンになった。有名人が行った多くの声明や新聞の記事も過去についての無知をさらけ出していた。何故なら、これまでかなりの期間、オーストラリアに組織的テロリスト集団がいたのだから。

実際、過去数年間にわたり数多くの事件があった。死者が出なかったのは幸運だっただけだ。1966年のアーサー=カルウェル暗殺計画は本当に忘れ去られたのだろうか?オーストラリアは以前から海外テロリズム作戦の基地だった。クロアチアのウスタシャは、慈悲深いと思われた当時の自由党統治の庇護の下、軍事訓練と多くの爆破を実行してきた。ユーゴスラビアの旅行代理店と領事館は攻撃され、ユーゴスラビア人地域では殺人未遂があった。1972年9月、ユーゴスラビア旅行代理店が爆破され、16人が負傷した。オーストラリアで訓練を受けた特殊部隊はユーゴスラビアを襲撃した。1978年9月の軍事訓練キャンプに対する強制捜査は、ウスタシャがなおも軍事的に活動していることを示している。同様に、オーストラリアのナチスは多数の兵器を所有していた(疑いもなく現在も所有している)。そして、ちょっとした嫌がらせや死刑執行リストの発表も頻繁に行われている。煉瓦・銃・火炎瓶は全て、器物破損のためにナチが使っていた。テロリズムが行われたのは、1972年4月にブリズベンの共産党本部を爆破した時だった。パースでも同じ計画が実行された。ブリズベン爆破事件では、オーストラリア共産党会議に出席していた人々は、幸運なことに、爆弾が爆発した際に怪我をすることなく避難できた。1975年にクイーンズランド州のビエルケ-ペーターセン州知事とフレイザー首相に送られた手紙爆弾の送り元は発見されなかった。左翼が非難され、多くの左翼世帯が貧弱な理由で家宅捜索を受けたが、当時それが右翼の利益にかなっていたということが事実なのかどうかは不明である。確かに、起訴された左翼主義者はいなかった。また、左翼に由来する事件もあった。ヴェトナム戦争中に器物破損事件があったし、最近も、西オーストラリアで木屑工場の爆破があった。唯一の個人攻撃は、黒人活動家が、役人に銃を突きつけて強盗をしたというものだった。こうした事件の一つとして、左翼テロリスト集団の手によるものだとは明らかにされなかった。

つまり、オーストラリアのテロ活動史において注目に値することは、右翼の組織的テロリズムの存在だったのだ。ただ、右翼の組織的テロリズムでさえもそれほどの重大性はなかった。確かに、軍の関与・大規模な治安対策・広範な政治的警察部隊を求める公式的キャンペーンやメディアキャンペーンは起こらなかった。

フレイザーはヒルトン爆破事件を巧みに利用し、治安専門のコメンテーターでさえも攻撃したほどの軍事芝居の先例を作った。彼は新しい治安の重要性を強調し、これは権利を犠牲にすることになるだろう、と述べた。最終的に、公安課による南オーストラリア捜査後に非難を浴びている政治警察のプレッシャーを軽減すべく、死者を利用する全面計画が実行された。警察組織の強化が呼びかけられたのだ。

これら全てのことにも関わらず、新聞の様々な誌面、特に投書欄や街頭インタビュー(特にボウラルでの)では、多くの人々が事実を適切に捉えている、という証言が存在していた。海外の経験からすれば、メディア・警察・政治家によるヒステリーの雰囲気を創り出すことこそが、民主的権利を弱める口実としてテロリズムの存在を利用しようとする人々が手にしている最も強力な武器である。その結果、テロリズム本来の影響をもはやハッキリと読みとることができなくなってしまう。しかし、次第に増加する弾圧に黙従するよう圧力を掛けられることに人々が敢然と立ち向かおうというのなら、これ以上のことが必要となる。例えば、破壊行為の恐怖を喚起することで政治警察活動を正当化することは、1978年に行われた国家公安課の南オーストラリア捜査では全く問題視されていなかったのだった。

自由党-国民党の政府によれば、破壊活動は、ウスタシャなどの極右集団が行っているのではなく、左翼・労働組合・革新集団、そしてALPさえもが行っているという。これを詳細に解説したのは、解職された南オーストラリア警察本部長ソールズベリーであり、彼は記者会見で次のように述べていた。第二次世界大戦以前はASIOに相当する組織が右翼に集中していたが、戦後は、左翼が紛れもなく諜報部局の主たる懸念対象になっている。既に指摘したとおり、戦後生じた幾つかのテロリズム事件の中心を占めていたのは右翼である。現在の自由党の勢力バランスは、クロアチア右翼に対する警察の注目の結果だった。これは、政治警察の機能を変えてはいない。つまり、政治論議を暴力防止に留まらないようにしているのだ。今日の政治警察にとって、破壊活動とは単に現状を疑問視することではない。自由党-国民党の現状を疑問視することなのである。だからなおさら、政治警察の設立にALPが関係していたことは非難されるべき事なのだ。ダンスタン(訳註:ドナルド=アラン=ダンスタン、オーストラリア労働党の前指導者で1960年代後半と1970年代前半に南オーストラリア知事を務め、アボリジニ解放など進歩的政策を行った)の意志はオーストラリアの社会民主主義において孤立した行為であり続けるようだ。ホイットラム政権期間中にマーフィー法務長官が行ったASIO本部の家宅捜索にも関わらず、政治警察に関するALPの主たる関心は、政治警察の機能を問題視することではなく、単に政治警察をもっと効率の良いものにすることだった。南オーストラリアの実状について非常に憤慨した人もいたが、それは、裁判官などの高潔な市民が監視されていたことについてだった。「何たる時間の無駄」と彼等は述べている。「資本主義は改良されるか破棄されるかしなければならないと考えている頭のおかしな人々に警察は専念すべきなのに。」こうした人々が基本的権利への関心に目覚められなければ、少なくとも、一つのことが別なことを導き、それが明日にも自分達の権利を危険にさらす可能性があるということ思い出さねせねばならない。破壊行為の受け止め方は人によって異なるが、受け止めるのは支配階級なのだ。

さらに、つい最近、民主主義諸国が政治暴力によって創り出された機会を利用して、左翼全体を崩壊させたり、弾圧したりすることが見られている。民主主義諸国は、自身の行為を正当化するために、テロリズムを教唆したり、企んだりしさえする。ドイツのテロリスト集団の前メンバーで、今は匿名で暮らしている人が、ゲリラ経験を批判的に評価した本を書いている(バウマン著、全てはどのように始まったのか「How It All Began」)。この本の中で、彼は、自分達の最初の爆弾と兵器がどのようにして警察官から提供されたのかを語っている。「そうとは知らずに、我々はポリ公の戦術の明確な一要素だった。」(37ページ)バカげたことだが、彼は、このことがハッキリと何を意味しているのか理解していない。「このゲームで個々人がどのような役割を演じていたのか今でも私には分からない。」(85ページ)

1920年代の有名な米国のサッコ・ヴァンゼッティ事件は、反対者に政治的暴力の罪を着せる覚悟を警察がしていることを示す原型的な事件である。彼等は、盗みと殺人で告発された。こうした嫌疑がでっち上げだったと今では一般に認められている。二人のアナキストが公平な裁判を受けなかったことは公式的に認められている。釈放を求めた数年間にわたる大規模な国際キャンペーンにも関わらず、彼等は1927年に処刑された。これは当時の支配者の決断だった。このような事件やその他数多くの事件は、爆弾事件とそこから生じる裁判沙汰を評価する際に、しっかり心に留めておかねばならない。このように、国家はこうした人々を迫害する上で全く非情になり得る。しかし、左翼のテロリズムが社会で一貫したやり方で実行されていると、個人と左翼一般に対する政治弾圧を行う際に国家に特別な力を与えるのである。

テロリストが自身の行動によってこうした目的を果たす時、テロリストは、政治を破壊しているのであり、思想伝播の多様な選択肢をそれが十全に活用される前に閉鎖してしまっているのだ。

もちろん、国家は、重大な抵抗にあったり、抵抗を創り出している社会的危機を扱わねばならなかったりすると、様々な弾圧方法を即座に行使するだろう。テロリズムとゲリライズムに着手できないのは、単に、それが弾圧を生み出すだけだからである。もっと重要なことだが、テロリズムには何の価値もないという事実である。結局、ゲリラは殲滅させられ、弾圧以外の何も残らない(そして、人々の間に法と秩序のメンタリティが残る)のだ。

増大する大衆運動は弾圧を生み出すが、同時に、明確な目的とそれに到達する組織的手段を持った多くの人々をも生み出す。はるかに長続きする武装防衛手段を構築することもできる。社会危機の中であらゆる建設的発展が始まると、個々のゲリラ集団やテロリスト集団は、究極的には無関係な矛盾を創り出すことに突進し、「労働者はこれらの工場を占拠すべきではないか?」ではなく、余りにも狭い範囲の政治論議--「彼等(政府かゲリラ)は度を超しているのではないか」といった--に集中する。テロリズムとゲリライズムは政治を破壊する。

国家によるテロリズム

もちろん、テロリズムはイタリアとドイツの小集団の専有物ではない。史上最も残忍で非情なテロリストは、今のところ、支配階級である。歴史を読めばよい。あるいは、我らが慈悲深い支配者が、地球上にいる全ての人を24回以上殺す事ができる核兵器を持っていることを思い出せばよい(Ruth Legar Sivard著、「Bulletin of Atomic Scientists」、1975年4月)。もしくは、モノを保存しながら生命を破壊する中性子爆弾が意味することを考えればよい。国家テロリズムは前衛主義者のテロリズムより強力で、広範囲にわたり、はるかに破壊的だ、と強調せねばならない。

国家が憲法や民主的諸原則ではなくテロの行使を決定するのは、国家が挑戦されているとどの程度感じるかの問題である。国家が、本格的に組織された革命運動の脅威にさらされている場合、西洋民主制はあらゆる恐るべき方法を見せてくれる。アルジェリアでのフランスによる大規模な拷問の行使・アデンと北アイルランドでの英国による拷問の行使・イタリアでの警察と軍隊による殺人と陰謀は、様々な状況で冷酷な方法を国家が行う覚悟があるという例の幾つかである。こうした残虐行為を行う覚悟は、フランスのアナキスト、ピエール-ヨセフ=プルードンが1851年に表明していたように、国家本来の性質から出ている。

《統治される》ということ、それは、その資格も、知識も、徳性も・・・・・・持たない連中によって監視され、検査され、スパイされ、指導され、立法され、規制され、囲いに入れられ、思想教育され、説教され、統制され、見積もられ、評価され、非難され、命令されることを意味する。《統治される》ということは、あらゆる活動、あらゆる取引、あらゆる動きにおいて、記録され、登録され、調査され、課税され、印紙を貼られ、測定され、賦課され、免許され、認可され、許可され、注記され、説諭され、差し止められ、強制され、懲戒され、折檻されることなのである。それは、公益という口実のもとに、また一般的利益の名において利用され、訓練され、身代金を強要され、搾取され、独占され、ゆすり取られ、搾り取られ、かつがれ、盗まれることであり、さらに、少しでも抵抗すれば、また不平を訴えるやいなや、抑圧され、改心させられ、けなされ、いじめられ、追跡され、こづきまわされ、棍棒でなぐられ、武器を取り上げられ、首を絞められ、投獄され、銃殺され、霰弾を射たれ、裁かれ、有罪を宣告され、流刑にされ、犠牲に供せられ、売られ、裏切られ、そしてあげくの果ては、物笑いにされ、嘲弄され、陵辱され、名誉を傷つけられることなのである。それが政府であり、政府の正義であり、政府の倫理なのだ!

南米では、国家が覆面警察特殊部隊を資金援助し、組織的な拷問行使が繰り返し行われてきた。グアテマラでは文字通り数千人が毎年死んでいる(1967年~1968年の推計では2000人~6000人)。1964年のクーデター以来ブラジルを支配してきた軍事独裁政権は、警察をベースにした特殊部隊によって悪名をとどろかせている。米国はこうした部隊のメンバーをウルグアイに送り込み、警察に都市ゲリラの拷問訓練を行っていた。アルゼンチンの警察をベースにしたトリプルAは1975年に1000人を殺害した。チリ政権が完全にテロと殺害へと動いたことは、多分、戦後何処の場所よりも最悪のことだったであろう。

もちろん、国家テロリズムは、企業資本主義諸国だけが行っているのではない。ソヴィエト連邦のような国家資本主義諸国に不可欠な実践でもある。

革命に関する都市ゲリラ戦略

世界中で「テロリズム」という言葉は、抵抗の事象に対する敵対心を煽るためやテロリズム行為に対する武装防衛の準備をするために、政治家と警察によって無差別に使われている。テロリズムを特徴付けているのは、政治目的で民衆に対して組織的暴力を行使することである。暗殺・狙撃・誘拐・ハイジャック・一般民衆の中からの人質誘拐・殺人や不具や恐怖を目的とした襲撃と爆破は、非国家テロリズムで特に使われる方法である。このカテゴリーの中で、一般大衆に対する攻撃と権力ある個人に対する攻撃を、どちらの場合も是認せずに、区別することはできる。明らかに、無実の人に対する攻撃は、何らかの罪を犯した人々に対する攻撃よりも悪い。

一般に、テロリズムと脅迫と呼び得ることとを区別することは重要である。国家は、常に、政治的見解の表明を阻止することに関わっており、その手段は中傷・嫌がらせ・混乱の恐れである。国家活動の多くは、脅迫という言葉に該当する。オーストラリア左翼分子の中には、他の左翼に対して様々な脅迫を試みている者もいる。また、テロリズムと器物破損の区別も注意深く行わねばならない。脅迫活動と器物破損はテロリズムほど重大ではない場合が多いことは明らかだが、こうした活動を行う覚悟が悪しき結果を導き易いことを左翼は認識すべきである。だからといって、革命家は私有財産に対して敬虔な態度をとるべきだ、と述べているのではない。単に、例えば、大衆占拠による核施設の破壊と少数の個人による核施設の爆破とには大きな違いがあることを理解すべきなのである。

支配者が「テロリスト」という言葉を好むように、テロリストは「都市ゲリラ」という記述を好む。この描写はテロリストに偽りのロマンティックな雰囲気を添えている。それでもなお、我々は、テロリストと「ゲリライズム」のイデオロギーや実践を採用している革命家との間には違いが存在する、と信じている。「ゲリライズム」は、武装闘争を「唯一の」革命戦略として促そうとする。特に、田舎の戦闘では、こうした人々は非テロリズムの武装行動を行うことができる。これには、警察や軍との武装衝突が含まれることが多い。しかし、以下で論じるように、都市ゲリラ戦では、その状況のために、この方法は自動的にテロリズムとなる。

南米で、都市ゲリラ戦の使用が増加しているが、それは、主として、田舎の戦術が失敗であることが60年代後半に明らかになった結果だった。田舎の戦術は薄っぺらな理論的帰結に基づいており、それはキューバ革命で起こったことを理想化した見解から導き出されていた。だが、都市ゲリラ戦術は、田舎の政治キャンペーン戦術と本質的には変わらなかった。どちらも武装集団という前衛主義概念に基づいていた。支配体制の制圧部隊との具体的軍事対決が小動力(有名な「小規模ゲリラ拠点」)となり、政治革命という大動力を動かし始める、というのである。この戦略では、上手い軍事作戦こそがプロパガンダとなる。

ウルグアイ民族解放運動(トゥパマロスと呼ばれる)は、最も成功した都市ゲリラであり、この戦術を「革命行動それ自体が、武器を取るという行動そのものが、ブルジョア法の根拠に反対する行動を準備し、それに従事することが、革命的意識・組織・諸条件を創り出すという考え」だと表現している。何たる偏執狂!何と極めて単純な論法!1962年~1963年のベネズエラにおいて、田舎で支持され、共産党からさえも支持されていた都市ゲリラは完敗した。彼等は、この戦術が失敗だったことをトゥパマロスに警告すべきだったのだ。

革命の本質を、非合法性や、国家の弾圧装置との武装対決と同じだと考えるなど、支離滅裂である。このことは、完全に、この社会に対する我々の異議が持つ本質を不明瞭にする。我々の異議は、国家暴力--刑務所・残虐行為・拷問・殺人など--に対する単なる嫌悪感ではなく、人々の間にあるヒエラルキー関係に対する、そして、協力関係に代わる競争関係に対する嫌悪感なのだ。「武器を取るという行動そのもの」は法律に反するかも知れないが、何のために闘っているのかを全く語らない。革命の本質は国家との武装対決ではなく、武装対決を支援する運動の性質であり、これは、社会闘争で出現する集団・地域評議会・労働者評議会などで人々がどのような関係と思想を持つのかに依るであろう。

革命家の仕事は、銃を手に取ることではなく、この社会を公表し、理解するという長く厳しい活動に従事することである。我々は、人々が直面している多くの問題や争点を革命的変革の必要性に結びつける運動を構築しなければならない。この運動は現行社会内部で提示される--個人的・社会的な--疑似解決策全てを攻撃する。権威主義左翼が提示しているこうした解決策の神話性を剥ぎ取り、様々な争点を取り上げようという意志を持つ人々の自主活動と自主組織が必要なのだということを全面的に強調しようとする。我々は平等と自由に基づいた社会主義に関わる思想を提示しなければならない。

政治的バカ騒ぎ

企業資本主義世界と第三世界双方で、ゲリラ運動は思想の分野において主張することが非常に下手だった。国家は抑圧的であり、国家と闘うことができるというのは、革命思想の非情に小さな部分に過ぎないが、これが、ゲリラが人々に伝えようとしていることのほぼ全ての内容となっている。これは、革命を起こすことを考えることなどほとんどないという前提に基づいている。必要なことは、自分達が国家を敗北させることができる、と民衆に確信させることだけである。これほど真実からかけ離れていることはない。民衆が、新しい抑圧者集団を権力の座に据えるという旧来の革命パターンが何度も何度も繰り返されるのを見たくないのなら、新社会の責任は自分達にあることを実感しなければならない。この新社会を民主的であり続けるように構築する方法について考えねばならないのだ。

新社会が民衆次第である以上、自分達の態度について考えねばならず、これには自分の私生活における態度も含まれることになる。

第三世界の切迫した基本的ニーズを検討すれば、このような要求はバカげていると論じられることが多い。実のところ、協同組合路線に基づく自主組織は第三世界闘争の特徴になりつつある。第三世界闘争に関する経済主義的論拠は、工業化への西洋型の躍進が解決策だという考えと結びついているようだ。だが、実際には、分権こそが鍵であり、これこそが我々が考えている私的変革を確かにやり易くしてくれる。

行動が行われた場所の周辺にまかれている幾つかのリーフレットは、考え方という点で幾つかの集団が示しているものと同じである。ドイツ赤軍派(バーダー-マインホフ)のコミュニケは「シュプリンガーを奪え、階級正義と戦え、搾取者と人民の敵全てと戦え、ベトコンに勝利を」といったような政治スローガンのレベルを乗り越えることはない。彼等の「都市ゲリラ構想」は、上で引用したのと同じ戦術を西洋資本主義に対して移し替えただけである。同じ事が米国のウェザーマン(後のウェザー=アンダーグラウンド)・英国の「怒りの旅団」・日本赤軍・シンバイオニーズ解放軍(SLA)などにも当てはまる。通常、こうした集団は、ゴマすり第三世界主義を示してきた。帝国主義国家内での活動を第三世界の「本当の革命」を支えるものだと見なしていた。ウェザー=アンダーグラウンド組織(WUO)は、このことを自分達のイデオロギーと戦術全てのレベルまで高めていた。彼等は、自国にいる大多数の人々へ革命思想を伝播するという課題を否定した。逆に、勝利した第三世界の革命家が外部から革命を持ち込めば、米国は動けなくなるというのだった。WUOは、その後、正統派のマルクス-レーニン主義者になってしまった。

先に言及した本の著者バウマンは、6月2日運動にいた。彼はある種の考えをつまびらかにしているが、マルクスレーニン主義の赤軍派とは異なり、「アナキスト」だと自称していた。

帝国主義の分析に依れば、闘争は主としてメトロポリスで始まるのではなく、労働者階級の問題でもない。必要なのは第三世界解放運動との連帯を宣言するメトロポリスの前衛である。怪物の頭に住んでいるが故に、そこで最大のダメージを与えることができるのだ。たとえ、欧州のメトロポリスにいる大衆が革命の側に身をおかないとしても、である--我々の中にいる労働者階級は既に特権を持ち、第三世界の搾取に参加している。ここで前衛を構築する人々・ここで闘争に参加する人々に残された可能性は、帝国主義のインフラを破壊すること・帝国主義の装置を破壊することだけだ。(36ページ)

アナキズム的ではない、リバータリアン的ではない「戦術」を見出すのは難しいかも知れない。レーニンの労働貴族論の孫引き・前衛主義・徹底的にエリート主義の至福千年総破壊ヴィジョンなど、これらは全て、間違いなく独裁的帰結以外の全てを排除するのである。

バウマンは、ヴェトナム以後、どのようにして自分達の方針が「人々はパレスチナに関わるべきだ」(50ページ)になったのかを記している。確かに、ドイツや日本の様々なテロリストがパレスチナの行動に登場している。しかし、これは、彼等が本国での真の闘争から完全に離れていることをなおさらハッキリと示しているだけである。そして、これは、実体ある国際主義概念を示してはいない。自分達が代表しているはずの人々に全く理解できず、そうした人々には完全に制御できない行動をしていたためである。彼等は、様々な支配階級から妥協を引き出そうとする「テロリスト圧力団体」としてしか行動していない様々な集団と共に活動することに甘んじていた。例えば、ブラック=セプテンバーの創設は、1970年にヨルダン人勢力のためにパレスチナ人が敗北した結果であり、様々な組織が民衆を上手く動員できなかった事の結果だった--その代わりに諸組織は国際宣伝に取りかかったのだ。今やPLOがパレスチナ人の政府として上手く組織されているが故に、テロリズムは国家政策の道具として利用されている。PLOが中東の情況を覆すと脅せるのは、この手段のためなのだ。

総合的に見て、文化や民族性故に抑圧されている集団を中心とした闘争では、民衆に対するテロと単なる戦術としてのテロリズムとが頻繁に見られている。保守的・権威主義的・前衛主義的思想の隠れ家として、ナショナリズムはそれらの思想を「進歩主義」だと覆い隠す。テロリズムはこうした思想と対立しない。その目的が、同じ文化や民族性を持つということだけが人々に求める要件となっている新しい集団に権力を置くことにあるとすれば、上手い方法なら何でも両立してしまう。運動を開始し管理する意識的で自発的な民衆によって既存の関係を変えたいと思えば思うほど、テロリズムは非生産的で矛盾したものになる。そこにエリート主義と操作が内在しているからだ。

ナショナリズム思想は、支配階級が良く知っているように、他民族(もしくは他宗教)出身の敵を人間ではないと示すことができるようにする。このことが他者に対する非道な行為を正当化し、本当の団結思想を排除してしまう。南米では、こうした集団は、圧政者と米帝の非難に依拠することが多い。この地域での米帝の役割を軽んじることなどできないが、敵がこうした言葉で簡単に語られ、目標が民族解放だとなると、真の解放思想は排除されてしまう。

既に示したとおり、ゲリラの信条は、軍事作戦の成功こそが唯一の宣伝である、というものである。南米の様々な共産党は、愚かしくも、党が抑えることのできなくなった行動全てに反対しており、ゲリライズムはこうした共産党に対する反動から生まれた。ゲリライズムは、行動の哲学であり、暴力の純粋さと行動に対する非合理的信念である。これは、思想をほとんど提起せず、同種の行動がもっと必要だということに主として捧げられた実行プログラム的声明を発表している。

さらに悪いことにゲリライズムは、闘われるべき受動的民衆という昔ながらの落とし穴を再現する。ゲリラ集団が民衆の身代わりとして戦い、民衆のために苦しむというわけである。同情的な大衆はこのドラマが最後まで演じられるのを見るが、時間は経過し、それと共に、社会危機に対する自分達自身の対応を展開する機会も過ぎ去ってしまう。ドラマが悲劇になり、ゲリラが舞台で死んで横わたる時には、大衆という聴衆は、知らぬ間に有刺鉄線で自分達が取り囲まれているのに気が付く。その時には自分で舞台に立たねばならないと感じても、戦車の一群が邪魔し、弱々しく舞台を出ていき、再び受動的でい続けることになる。継続して異議を申し立て、聴衆に舞台に雪崩れ込むよう呼びかける人々は、もがきながら強制収容所に引きずられていく。ゲリライズムは、革命に対する前衛主義戦術の伝統に属する。大概、それは弾圧を導くだけなのだが、この戦術が成功したとしても、権威主義左翼政権を生み出すに過ぎない。これは、民衆が民主的運動それ自体の構築へと動かなかったからである。中国とキューバの成功(そして、当時のインドシナとアフリカの闘争)は、様々な田舎や都会のゲリラやテロリストを鼓舞する偉大なモデルだった。しかし、こうした実例に目を向ける際、模倣者は、自身の国の一般的諸条件への現実的修正を行わなかった。

こうした人々は、特に、これらの闘争が確立した政府の種類と行使された方法との結び付きを分析しなかった。もちろん、こうした集団のほとんどにとって、中国とキューバで確立した権威主義政府は全く立派なものだった。だが、リバータリアンとアナキストにとってはそうではない。

アナキストだとかリバータリアンだとか自称していたスペインなどにいる武装集団は、スペイン革命と戦争から、そして、第二次世界大戦の終焉後にさえも続く都市戦争から、具体的正当性の多くを引き出していた。ここでの議論にとって、スペイン内戦は教訓となる。「まず戦争に勝つ」というスローガンは政治に反対し、革命を中断し、ひいては、スターリン主義者に支配されてはいたものの意欲的な共和国政府の下に革命を留めるためだったからである。実際、フランコの1936年のクーデターを最初に撃退した人々の熱意と決心とは、それと同時に、自分達で工場・農場を奪取し、集産集団の管理下に置き、協同組合型の手段を通じてそれらを調整していたという事実に基づいていたのだ。

戦争に敗北すると必然的に革命も敗北した。さらに、人民軍は通常の軍隊へと再編成され、元々あった平等主義は典型的な軍国主義規律とヒエラルキーの下で踏みつぶされてしまった。戦後のリバータリアン=ゲリラはこのことに気が付いていたが、この経験を充分に分析しなかった。武装闘争に対する政治の絶対的優位性を認めなかった。指導力を掌握する武装集団が持つ前衛主義的性質を認めなかった。いかなる武装活動であれ既存の民主主義運動から組織され、この運動の管理下にあり続けねばならない、ということを認めなかったのである。

スペインの一つのリバータリアン運動、イベリア解放運動(MIL)は、ゲリライズム理論の基に創設された(ただ、政治活動も含んでいたが)。多くの銀行強盗を行い、逮捕の際に一人の警官が殺された。その結果、MILのメンバーの一人は1974年に絞首刑にされた。ここでMILに言及した理由は、警察に全面敗北した後で組織が解散したからだけでなく、その戦術が間違っていることを実感したためでもある。「政治・軍事組織について語るのは今や無意味であり、そのような組織は政治的バカ騒ぎに過ぎない。」(解散大会)その代わり、彼等は無政府共産主義の社会運動観点を深める活動を行うことに決めた。確かに全ての人にとっての教訓である。

「遊園地の豚のように何も急進化しない」

多数派の運動が構築されたときにしか民主主義は生まれない。ゲリラ戦術は、社会的危機を生み出そうという支配階級の意志が崩壊するかどうかにかかっている。多数派が好もうと好むまいと、社会的危機から革命は生じる。ゲリラ戦術家の文章は、それが焦燥の哲学だということを明らかにしている。支配階級の意志の崩壊はいかなる革命においても確かに不可欠な要素ではあるが、国を運営する民主的構造を持った大衆運動が存在しない限り、エリートが権力を奪うことになろう。常に背景に隠れ、時として断固として表明されるのは、ゲリラ戦争やテロリズムはファシズム反応を生み出すことを目的としており、それが民衆を急進化するだろう、という考えである。臨時アイルランド共和国軍(IRA)は明らかにこの戦術に追従している。しかし、RAFや6月2日のようなグループも第三世界主義にこの考えを切り混ぜている。特に、第三世界が独裁と国家資本主義で安定し、西洋崩壊の見通しが弱まってくるとそうするのである。

国家機構について、ボンミ=バウマンは述べている。「どこかで手出しされれば、ファシストの顔を再び示すことを私たちは知っていた。」西独国家の多くの側面と同じぐらい恐ろしいが、これはファシズムではない。情況を明確に理解すれば、独裁的方法が常に、そして今後も、資本主義代議制民主主義における社会統制の兵器庫の一部であり続ける、という事実のもう一つの例に過ぎないということが分かる。こうした方法は社会危機において思うままに使われるだろう。さらに重要なことだが、こうしたゲリラは、社会的-心理的意味において、抑圧は同意によって維持され、暴力は二次的現象であるということを完全に理解できていないのが実態なのだ。

一般に見て取れるのだが、様々な大事件があらゆる種類の問題について左翼思想をどのように変えてきたのか(もしくはマルクス主義が優位なために抑えられてきたリバータリアン思想を支持してきたのか)を意識しても、こうした集団は当惑しない。例えば、1968年のフランスや1956年のハンガリーの解釈を完全に無視しているように思えるのだ。

1972年3月、トゥパマロスは、自分達は「ウルグアイで、ゲリラと政権との政治を二極化する紛れもない革命戦争状態を創造」したいと述べた。総人口を行動に駆り立ててくれるという信念の下、ブラジルによる侵略を促すよう企図した行動を実行する可能性について論議したということさえ示唆されている。

RAFはこれを次のように述べている。

我々は、テロとファシズムそれ自体の結果としての自発的な反ファシズム動員を当てにしてはいない。(中略)

さらに我々には分かっている。我々が共産主義者であるが故に、自分達の活動はなおさら弾圧の口実を創り出す--そして、共産主義者が組織を作り闘争するかどうか、テロと弾圧が恐怖と服従だけを生み出すかどうか、抵抗・階級憎悪・連帯を生み出すかどうか(中略)これらは弾圧に対する対応次第なのだ。共産主義者がこのような処置を容認するほどバカかどうかは(中略)この対応次第なのだ。

この引用で完全に明らかになっているのは、こうした集団の独断的傲慢さである。「確かに、我々は国家弾圧に対する徹底的対応を望んでいる。この対応を君たちの頭上に振り下ろす。しかし、これが起こらなければ、そう、君たち皆がバカだと証明されるのだ。」既に示したように、自分達の理念は表面的で、重要性がなく、大虐殺のスローガンに過ぎないというのに、彼等は、全てのゲリラと同じように、実勢を無視し、他の人たちは奇跡的に自分の「進歩的」意識を確立せよと要求しているのだ。

この醜悪な戦術が生じる理由は、都市ゲリラ戦争の限界から生じている。自分達の存在のために武装行動に依存しているが故に、全てのゲリラは交戦状態を増大させることでしか闘争を発展させられない。そうでなければ、彼等は忘れ去られてしまう。ダイナミズムが全てなのだ。だが、田舎のゲリラは自分達の行動領域--解放されたゾーン--を確立し、拡大することでこれを行うことができる。自分達の情況に応じて軍の編隊と戦うことを選択できる。しかし、都市ゲリラは領土を持つことができない。何故なら、町内や建物を掌握することは、都市の全武力と戦うことになるからである。いかなる戦闘においても、軍隊の規模を確認することはできない。軍隊は数分の内に到着できるからだ。

都市ゲリラ戦争を展開するためには、テロリズムにならねばならない。闘争を増大させる道は他にはない。それ以上に、戦争は無限に拡大しなければ萎縮してしまう。これが、社会の二極化・軍事化戦術のアピールである。これは誤魔化しの極地である--ゲリラは、一番良く知っているのは自分達で、長い目で見れば人々はいっそう暮らしやすくなる、と仮定し、この目的のために人々に苦難を創り出す意図的計画なのである。もちろん、この戦術は常に弾圧しか生み出さないのだ。

トゥパマロスは1968年に有名になった。1967年、民主主義政府は戦後ウルグアイ初の大規模経済危機に対応すべく、労働者階級を攻撃し、弾圧的法律を導入し始めた。そして、右翼的社会状況に突入した。彼等も60年代全てを通じて準備した。彼等は常に効率よく充分に計画を立てた。労働組合などの合法的運動との繋がりを持ち、それを維持していただけでなく、成長させた。活力・創造力・人間らしさを持っていた。しかし、1971年、選挙の年に、その戦術不足が明らかになり、さらに彼等は優柔不断になった。支持を失いながらさらにもう一段階進むなどどのようにできただろうか?彼等は一時的支援に頼った。それは、見かけは無敵で、暴力を控えめに使うような印象があった。必然的に、彼等は、打ち勝つことができると分かり、必然的に、多くの血が流されることになった。そして、彼等には大衆基盤がないことが明らかになった。選挙の後、軍が好き放題行い、すぐに40人程のトゥパマロスが毎日裁判にかけられた。軍事政権が1973年に権力を持つ前に、彼等は敗北していた。都市ゲリラ戦術の範囲内を非常に忠実に守っていたが故に、その理論の性質が基本的に誤っていると証明したのである。ウルグアイの支配階級が、経済危機に対応しようとして独裁に引き寄せられたことは至極ハッキリしていた。しかし、トゥパマロスが費やしたエネルギーが、民衆に組織を作るよう促す思想の蔓延に注がれていたなら、抵抗はもっと大きくもっと深刻になり、その結果より多くの成功の見込みがあったことだろう。

ヘッドライン=ハンターズ

ゲリライズムのバカさ加減にはもう一つの要素がある。それは、メディアをプロパガンダ媒体として見なしている、ということだ。バウマンを引用しよう。

RAFは述べていた。革命は政治的活動を通じて構築されるのではなく、ヘッドラインを通じて、報道機関への登場を通じて、何度も何度も繰り返しリポートされることで構築される。「ドイツで戦っているゲリラは以下の通りです。」報道機関の過大評価、これがRAFが完全に破綻したところだった。この機構を完全に模倣しなければならないだけでなく、その唯一の正当化はメディアを通じて伝わる。こうした手段によってのみ自分達の地位を確立する。この時点では物事が漂うばかりで、彼等はもはや何にも、自分達がまだ接触している人々にさえも、根差さなくなるのだ。(100ページ)

政治的暴力行為に対する民衆の反応の中で最も不合理な要素を刺激し、維持することが、大部分の大衆ニューズソースの役割なのだが、それを考えればこれは特にバカげている。彼等は、政治問題を削除と委託によって意図的に覆い隠そうとしているのだ。例として中東を取り上げてみよう。シナイ半島上空でイスラエルのジェット戦闘機に民間機が打ち落とされ、106人の乗客乗員が殺されたことを覚えているのは何人いるだろうか?イスラエルの爆弾がナイル川のデルタ地帯にある村の46人の子供達を殺したことを知っているのは何人いるだろうか?1969年から1972年までに、イスラエルがパレスチナの難民キャンプと村落で1500人を殺し、3000人をナパーム弾で攻撃したことを知っているのは何人いるだろうか?

1977年11月、パレスチナゲリラによるイスラエルへのロケット弾攻撃で3人が殺された。報復として、イスラエルの戦闘機が9つの村落と3つの難民キャンプを爆撃した。イスラエルはそれらの場所がゲリラを匿っていると主張していた。100人以上の市民が殺されたと思われる。「ガーディアン」紙の記者は(1977年11月20日)一つの村とキャンプを訪れ、ゲリラの前哨基地ではなかったことを発見した。イスラエル人は延期爆弾も使い、生存者を見つけようとしている人々をも殺した。しかし、パレスチナ人のテロ行為は人々が憎悪するものとなっている。それが大々的に報道された行為だからだ。

イスラエル人がレバノンを侵攻した際に民間人を殺したことなど近い内に忘れ去られてしまうだろう。だが、PLOのテロ部隊が民間人を殺したことは忘れられないと断言できる。実際、イスラエルの計画が持つ偽善と冷笑はこの健忘症のおかげなのだ。

メディアは様々な事件をスペクタクルとして扱うことで、政治をより一層曖昧にしようとする。これは確かにゲリラ戦術が持つ政治的に無関心な性質と合致する。ゲリラ闘争は、支配階級の反応を引き出すためにメディアでさらに大きく取り上げられるはずなのだ。

しかし、民衆に対しては、政治が受動的に見るべき--通常は退屈なルーチンとして、時折スペクタクルとして--遠く離れた領域だという考えを実質的に強める結果になる。民衆がゲリラを「支持」していたとしても、これは民衆自身が政治に関与するという観点からは何の実質的な意味も持っていない。逆に、支配者が自分達の目的のために搾取をするという卑劣な態度に組織的基盤を与えるのが通常の結果なのである。

メディアの偽善を例示しているのが、労働災害や産業病について動揺を惹起することができないのに比べ、政治暴力の重大さを大きく取り上げる傾向を持っていることである。自動車事故は、実際には重大な社会的・政治的問題であるのに、単なる一種の原始的宿命論として扱われたり、センセーショナルに取り上げられさえする。多くの人がそれらの原因で死に、さらに多くの人が手足を失っている。誰が気にするというのだろうか?

しかし、メディア操作が存在するからといって、その実際の基盤を曖昧にしてはならない。左翼主義者は民衆の激怒を「反動」だとして片付けることが多い。しかし、学童を殺すこと・地下鉄の駅に爆弾をおくこと・空港で人々にマシンガンを撃つことは、その文脈がいかなるものであれ看過できはしない。民衆の反応は、全体から見れば、本物の道義的激怒である。これは治安ヒステリーへと操作され、法律の通過を許し、左翼を破壊してしまう。しかし、現実の非道に対する民衆の反応を盛んに軽蔑することこそが、どこか他の場所で誰か他の人が実行しているの能動的な大義になら何でもへつらいながら傾倒する原則的考えを欠いた多くの受動的左翼主義者が持つエリート主義の典型なのだ。

軍事への熱狂

テロリストとゲリラが死と暴力を賛美する傾向を持っていることについては疑いもなく多くの証拠がある。パレスチナ拒否戦線の指導者の一人ジェブリルは、自分の部隊をイスラエルに送り、戻ってこない(つまり死ぬ)よう命じ、「死神万歳!」と叫んだスペインのファランギスタ(ファシスト)と同じ部類に自分を置きながら、「我々は、生と同じぐらい死を求めている。地上のいかなる勢力も我々がパレスチナを復興することを妨げることはできない。」と言ったとされている。死を愛するこの傾向は、様々なテロリストに顕著であると認めねばならない。WUOの指導者ドーンは公然とハッキリ満足げに熱弁をふるい、米国が「豚のアメリカ人種差別国対ウッドストック国」に分断されていると見なしていた「対抗文化ファシズム」分子の殺害を支持した。この対抗文化の一部がマンソン教団を作ったのである。

バウマンは、当時、マンソン教団が「それほど悪い」と自分達は思わなかった、と述べている。実際、彼等はマンソン教団を「とても面白い」と考えていた。

しかし、行為者が気が狂っていると思われるという理由でテロリズムを説明する傾向は避けねばならない。何故なら、テロ行為は弾圧と挑発という具体的情況で生じるからだ--苦々しい弾圧を被った民族がその明らかな例である。

西独では、警察による非常に残虐な行動のような具体的事件があった。一人のデモ参加者が死に、一人の学生指導者は暗殺されかけ、大手のシュプリンゲル新聞は金銭ずくで動き(パッカー紙やマードック紙の数倍悪い)、1972年に社会民主党のブラントはberufsverbot(「憲法に忠誠心を持たない」全ての左翼や改良主義者などの雇用を禁じ、結局社会民主党員自身にもある程度まで粛々と適用された)を導入し、この禁止令で唯一最も良く知られている部分だが、全ての国会外運動・非労組運動を全面的に粉砕しようとしたのである。こうしたこと全てが政治暴力の背景となったのだ。

ナチの全経験は、前ナチ党員・戦犯・右翼党略でいまだに活動しているナチ党員皆が、司法・官僚・ビジネスなどで地位を保持しているという事実によって常に活性化されていた(戦後世界の政治空白において信頼できる治安関係者を求めていた連合国側のご都合主義的政策だった)。これはイタリアでも同様であったため、これら二つの国が欧州でテロリズムが最も顕著な場所になっているのは偶然ではないかもしれない。

これら全てはテロリズムの弁解にはならないが、総合的説明の中にこうした考慮事項がある。ゲリラやテロリストが気が狂っているとされることに集中することは、彼らに対する殺人と全般的弾圧の導入との正当化を与えようとすることである。

こうした人々がテロリズムにかかわるようになったのは、バウマンの本が示しているように、単に、情況と交友関係のためだけである。彼らは、優越感と世界からの孤立という環境の中で巻き添えを食っている。支持者との関係でさえも、広がる関係というよりは一方的なものである。この非現実的情況は、狂気が持つ様々な特徴を生み出す。一連の行為がエスカレートすることが正当化され、合理的なものだと見なされる。しかし、メディア・警察・政治家が血に飢えた凶暴な怪物の戯画を創り出そうとすることには、自分たち自身の野蛮さと腐敗の言い訳を作るという目的のために行われることになる。(ハインリッヒ=ボールによる「カテリーナ=ブラムの失われた栄光」(The Lost Honour of Katerina Blum)という映画を見たり、本を読んだりすればよい)

エーリッヒ=フロムは次のように書いている。

米国とドイツにいる金持ちの息子と娘の中に、自分達の裕福な家庭環境での生活を退屈で無意味だと思うという現象を見ることが出来る。しかし、それ以上に、彼らは、貧者に対する世界の冷淡さと自己本位主義のために核戦争に向かう傾向とを耐えられないと見なしている。つまり、自分の家庭環境から離れ、新しいライフスタイルを探している--そして、依然として不満なのだ。なぜなら、いかなる建設的努力にも好機がないように思われるからである。彼らの中の多くは、元々、若い世代の中でも最も理想主義的で感受性が高かった。しかし、現時点で、伝統も成熟も経験も政治的知恵もなく、絶望的で自分の能力と可能性を自己陶酔的に過大評価し、力を行使して不可能を達成しようとするようになっている。彼らは、いわゆる革命集団を形成し、テロ行為と破壊行為で世界を救うつもりになっている。自分達が暴力と残酷さへの一般的傾向に貢献しているだけだとは見なさない。彼らは愛する能力を失い、自分達の生を犠牲にするという願望で愛を置き換えてきた。(自己犠牲は、熱心に愛したいと望んでいるが、愛する能力を欠き、自分の生を犠牲にすることが最高レベルの愛情経験だと見なしている人々にとっての解決策であることが多い)しかし、こうした自己犠牲の青年達は、生を愛しているがゆえに生きていたいと思い、自分自身を裏切らないためには死なざるを得ない時にだけ死を受け入れる愛情に満ちた殉教者とは全く違う。現代の自己犠牲の青年達は被告人であると同時に告発人でもある。現在の社会制度において、非常に孤立し絶望しているがゆえに破壊と狂信以外に自分の絶望から抜け出る道が残っていないような最良の青年達がいるということを証明しているのだから。

バウマンは、自分がこの教訓をきびしい経験から学んだことを示している(ただ、彼は、「機械」さえをも存続させる人間的価値の伝統があり、この伝統が、例えば1936年のスペイン革命・1956年のハンガリー革命・1968年のフランス革命のような大衆革命活動の多くの出来事の中で主張されていることをなおも見過ごしている)。

テロリズム実行の決定は、既に心理的にプログラム化されている。今日--私としては--絶対的暴力に逃げ込むのは、愛を恐れているだけのことだったと分かる。自分で愛の重要性を前もって見直すことが出来ていたなら、私がテロリズムを行うことなどなかったであろう。(中略)

現在まで、革命的実践と愛とが同時に起こることはないと思われてきた。私はそうは思わない。今もそうは思っていない。そうでなければ私はテロを続けていただろう。だが、私は次のように見なしていた。君は決断をし、立ち止まり、銃を投げ出して言う。「オーケー、終わりだ。」

私にとって、これは、常に、資本主義に・欧州全体に・全ての西洋文化に存在しなかった人間的価値を創り出すという問題だった--機械がこうした価値を一掃してしまったのだ。これが全てである。人間的価値を新たに発見し、新たに展開し、新たに創り出す。このようにして、君が松明を再び運び、新しい社会の担い手となる--もしそれが可能ならば。そして、爆弾を投げ込み、結局は今と同じ硬直した憎しみの図式を創り出すよりも、もっと上手くやることになろう。スターリンは実際に私たちのようなタイプの人物だった。彼はそれを行った。それを行った僅かばかりの人の一人だった。しかし、その後は酷くなったのだ。(バウマンは、ボルシェヴィキのために、スターリンが革命前に銀行強盗などを行っていた事実について述べている。)

シュムエケルの件を見ればそれがどれほど酷かったかが分かる--彼等はシュムエケルを銃殺したのだ(ウルリッヒ=シュムエケルは、6月2日運動の前メンバーであり、グループを密告した後1974年に暗殺された)。彼は単なるちっぽけな害のない学生だった。彼等は、彼が事態を充分上手く扱えるかどうかを検討することなく、彼をこうした情況の一つに追い込んだ。彼はいずれにしてもそれほど多くを話すことはできなかったが、彼等は彼を殺したのだ。これこそ本当の破壊である。他のやり方で破壊を見ることなど出来はしない。シュムエケルの殺害はチャールズ=マンソンの殺害を強く思い起こさせる。本物の殺人はこれなのである。理解しなければならない。(105ページ、106ページ)

政治の強調による暴力の最小化

リバータリアン革命戦術の本質は、行使される手段と企図される目的との間に切り離せない繋がりがある、という考えである。ナショナリストやマルクス-レーニン主義者の腐った権威主義目的と腐ったテロリズム手段との間に繋がりがあるかも知れないが、リバータリアンの目的はテロリズムの手段を許さないはずである。実際、マルクス-レーニン主義集団の大部分がテロリズムに反対だが、レーニンは「左翼共産主義:小児病」の中で「もちろん、個人的テロリズムを我々が拒絶したのは、便宜的な理由からでしかなかった」と述べている。レーニン主義者は非常に優れた前衛主義主唱者である。彼等は、国家によるテロリズムの主唱者でもある--自分達が国家を統制している限りは。

リバータリアンは、歴史を見て、世界の支配階級を見て、リバータリアン運動は国家暴力に立ち向かい、武装闘争は国家暴力に応じて必要となる、と結論付けている。非常に明白なことだが、ある種の条件下では、武器を即座に手に取らなければ政治活動が始まることさえあり得ない。また、ある種の条件下では、農民を基盤とする社会のように、田舎に武装基地を置かねばならない。しかし、ここでの目的は、軍隊との「模範的」衝突を実行することにあるのではなく、思想の蔓延を継続することができるように政治的構造基盤を保護することにある。このことには何らかのゲリラ戦術が関わるかも知れないが、ゲリライズムの戦術を意味するわけではない。別個のヒエラルキー型軍事組織を創るという意味でもない。そんなものは反リバータリアンであるだけでなく、脆弱で非効率的でもある。トゥパマロスはマルクス-レーニン主義者であり、ヒエラルキー型に組織されていた。その敗北要因の一つは、この組織における「連絡監督」アモディオ=ペレスの背信だった。つまり、彼はあまりにも多くのことを知っていたため、たった一人で警察に多くの支部を密告できた制度化された第二指導者だったのだ。

バウマンは著書の中で非常に明確に示している。グループメンバーの逮捕はシンパの裏切りの結果であることが多かった。これは、ヒエラルキー型構造の結果などでは絶対になかった。彼が所属していたグループにはそんなものは存在しなかった。警察はシンパの数名に対して事実上の拷問方法を使っていたが、これも主たる要因ではなかった。むしろ、非合法生活の結果だった。

非合法の三人が一つのアパートに居座り、合法の二~三人が彼等の世話をすることになった。(56ページ)(中略)君は対象として他者と接するしかなく、誰かと会ったときに君が言えるのは、なぁよく聴け、あんたは俺にあれやこれやを持って来なきゃならん、あそこやここに生活の場を借りなきゃならん、3日後にここの角で会おう、だけなのだ。自分を批判されると、君は、そんなのは俺には興味がない、と言う。加わるのも離れるのも簡単明瞭だ。結局、君はその生活にやられ、自分が戦っていた装置のようになってしまう。(99ページ)

同様に以下のように書いている。

君は、非合法であるが故に、底辺にいる人々と接することができない。もはや、情況全体のさらなる発展に直接関与できない。進み続ける生き生きとしたプロセスと一体化してはいない。何処にも出現できないが故に、突然、君は周辺人物になる。(98ページ)

こうした生活が持つこれらの側面がリバータリアンにとって逆効果であることは明らかだ。そして、全体から見れば、こうした組織は国家によって殺されたり拷問されたりする脅威の下にいる人々を生存させる機能しか持ち得ないように思える。ある時点で、トゥパマロスは拷問者を脅迫することで組織的拷問を止めることができた。しかし、一旦国家が攻撃を再開すると、拷問は再開された。処刑と拷問を防ぐために、武装活動は正当化されるかも知れないが、その反政治的特徴は注意深く検討されねばならないだろう。

武装闘争とは、民衆が殺されるかも知れないという意味であり、暴力が人道主義を脅かすという事実から脱してはいない。しかし、リバータリアンは、武装闘争が政治運動の延長に過ぎないよう保証することで人道主義を保持したいと思っている。政治運動の主たる活動は思想の蔓延と代替組織の構築となろう。弾圧勢力(警察や軍隊)と支配者自身はこうした活動から排除されないだろう。実際、多くの活動が暴力の必要性を最小限にするためにこうした勢力を政治と分離することに費やされるだろう。この情況で、誰もが一つの選択肢を持つことになる。リバータリアンは、人々に自分達で変えることができるのだという希望を広めようとする。我々は、自主管理社会の方が万人をもっと満足させてくれるという確信を人々に広げる。ここには現在の支配者達も含まれるが、我々は、人々が自分の生活で、特に、権力の行使に順応してきた生活で、発達させてきた人格が創り出す限界を認識しているのである。

大衆運動の管理外で運営される小集団が、大衆抵抗運動が全く存在しないことも多い中で「階級正義」の決定に責任を持ち、しかも自分達が代表してないにもかかわらず決定に基づく行為にその利害関係が影響される集団の名において、その決定を行うなど、危険以外の何者でもない。地域の連合体が学校に厳格な懲戒処分の導入を妨げることに失敗した後、SLAは一人の教育長を殺した。この失敗は、当該地域の政治レベルを反映したものであり、SLAが教育委員会の単なる一歩兵を殺すことになった誘因とは全く逆だった。「SLAは、自身の意思以外に何の権威も認めない。自分達の意思を民衆の意思と同じだとしており、これは、多くの精神病質殺人者が神に指示されたのだと主張するのとほぼ同じやり方である。SLAは無防備な一個人を殺した。その人の罪は、証明されないだけでなく、主として殺し屋の妄想でしかないのだ。」

上記の「ランパート」誌のコメントは数々の同じような事件に当てはまる。

こうした場合には罪が少なくとも正当な理由として考えられるとしても、一般民衆全体に対する行為(無差別爆撃・誘拐・飛行機ハイジャックなど)については何と言い得るのだろうか?通常、テロリストは上記したように戦術という観点から正当化を試みるだろう。こうした戦術から予測される最終結果が使用した戦術を正当化すると仮定される。こうした戦術については充分語られてきた。しかし、ここで再度強調しなければならない。酷い手段が遥か彼方の目的によって正当化されることなどなく、単に、達成される目的が恐ろしいものになることを保証するだけなのだ。

社会関係を爆破することなど出来ない。この社会が完全に崩壊したからといって、それに何が置き換わるかの保証などしてくれない。大多数の人々が代替社会を創造するために充分な思想と組織を持たない限り、旧世界が再び横行するのを見るだろう。旧世界は、人々が慣れ親しんできたことであり、信じていたことであり、自分の人格の中で問題とされることなく存在してきたことだからだ。

テロリズムとゲリライズムの提唱者には反対しなければならない。その行動が前衛主義で権威主義だからであり、その思想が--重要である限りにおいて--誤っていたりその行動の結果と無関係だったりする(特に、提唱者達がリバータリアンだとかアナキストだとか自称している時に)からであり、その殺人を正当化することなど出来ないからであり、最終的に、その行動が何の見返りもない弾圧を生み出すか権威主義体制を生み出すかしかしないからだ。

政治暴力を熟慮している人々に対して、我々は、自分自身にまず目を向けるよう伝える。破壊は愛の恐怖の表現なのだろうか、と。自分がまだ検証していない政治的伝統と政治的可能性が存在するのだ、と。

政治的暴力という反応を成長せしめる貧困・受動性・利己性・浅はかさ・破壊といった諸条件を生み出す社会に対して、我々は言う。警告を受け入れよ。こうした諸条件は転覆されねばならない。1848年にフランスの社会主義者は述べていた。「人間的結合への意志がなければ、ハッキリ言って、文明を恐ろしい苦痛の中で死ぬ運命にさらしていることになるのだ。」