タイトル: 21世紀の政治
サブタイトル: リバータリアン自治体連合論リスボン会議でのスピーチ
著者名: Murray Bookchin
発行日: 1998
ソース: https://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/ecology/bookchin28.html(2023年4月21日検索)
備考: この文章の原文は、以前はA Politics for the 21st Centuryで読むことができていたが、現在はアクセスできない状態である。後半部分は掲載されていないが、Institute for Social Ecologyのライブラリーにおいて、一部を読むことができる。(Anarchy In Japan より)

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I

ビデオテープでのご挨拶になってしまいましたが、リバータリアン自治体連合論に関する皆さんの会議で講演させていただく名誉を与えて下さり、感謝いたします。残念ながら、私は体が弱くなり、この年齢のため全般的に疲労しているため、会議に出席することはできません。私は、顔を付き合わせた議論が望ましいことについて電子的手段を使うことは嫌いなのですが、やむを得ず、自分が好ましいと思っているよりも間接的に私の見解を提起させて頂きたいと思います。このようにするからといって、今日非常に流行している概念である「電子的民主主義」を私が正当化している、などと皆さんが思わないで頂ければ幸いです。この陳謝をふまえて、リバータリアン自治体連合論の意味について幾つか所見を述べさせて頂き、それが促している理論と実践に関してなされた批判の幾つかに反論してみたいと思います。

リバータリアン自治体連合論は、1890年代のポール=ブルースによる改良主義的「現実的改革主義(possibilism)」の新しいバージョンではありません。むしろ、伝統的な社会的アナキストの理想であるコミューン連合、「コミューン群からなるコミューン」を更新しようという明確な試みです。はっきり申せば、社会的に重要な資産の集団的管理もしくは集団的「所有」という形式だけでなく、直接民主主義民衆集会の形式をとったリバータリアン共産主義自治体の連邦的連結を求めた試みなのです。リバータリアン自治体連合論が、議会政治制度・資本主義を「改善」しようという改良主義的企図・私有財産の永久化と妥協することなど決してありません。中央政府や超国家政府はいうに及ばず、州政府とも異なるものとして、専ら自治体だけに政治活動の場を限定しているが故に、リバータリアン自治体連合論は徹底的に革命的なのです。それは、自治体と国家との潜在的な緊張、多くの場合、全く現実的な緊張を激化させようとしている、そして、国家主義的諸制度を犠牲にして、今も残っているコミューンの民主的諸制度を拡大しようとしている、という非常に重要な意味で、革命的なのです。連邦を国民国家に対置し、リバータリアン共産主義を既存の私有・国有財産システムに対置しているのです。

過去に、大部分の無政府共産主義者は、コミューン連合を、叛乱の後に確立すべき理想だと見なしていました。私は強く主張しますが、リバータリアン自治体連合論者は、コミューン連合もしくは連邦は、国家との徹底的な革命的対立--私の見解では、避けることのできない対立であり、むしろ、国家と自治体連合との緊張を増大させることで促さねばならない対立です--、この対立以前に、少なくとも部分的には、発展させることのできる政治実践だと見なしています。実際、リバータリアン自治体連合論は、革命文化を創造し、無政府共産主義という目標に完全に一致するように革命的変革をもたらすコミュナリスト実践なのです。

要するに、リバータリアン自治体連合論は、リバータリアン共産主義社会を確立するための戦略とその社会それ自体とを分離させずに、実践と理想とを、リバータリアン共産主義社会を始めるための単一の一貫した目的・手段アプローチへと統一しているのです。また、リバータリアン自治体連合論は、国家とブルジョア階級が、あからさまな闘争なしにそうした社会を実現するための連続体を許してくれる、などという幻想を助長しはしません。いわゆる自治体連邦論者(confederal municipalism)や地方主義政治運動の支持者の中には、こうした幻想を主張してきた人もいましたが。

反国家主義諸実践のレパートリーにおけるそのポジションを理解し、人間諸事一般におけるその革命的性格を理解するためには、なおさら、リバータリアン自治体連合論を幅広い歴史的観点の中に置くことが有益でしょう。コミューン・街・都市、もっと幅広くいえば自治体は、一定密度の人間住居が創り出した単なる「空間」ではありません。人間の発展において文明化する一傾向としての歴史という点では、自治体は、完全に、徹底的プロセスの一部なのであり、そのプロセスによって、人間は、本当の血族関係や架空の血族関係に基づき、「よそ者」に対する原始的敵愾心を伴う生物学的に条件付けられた社会的諸関係を解消し始め、そうした関係を、大部分社会的・理性的な諸制度・諸権利・諸義務に置き換えていきました。これらが、血族関係や生物学的事実とは無関係に、全住民を都会空間に次第に包含するようになったのです。町・都市・自治体・コミューン(コミューンは、ラテン諸国では「自治体」と同義の言葉です)は、住民と社会利益に基づいた新興の市民的代替案だったのであり、共通の祖先という神話に基づいた部族の血族集団に代わるものでした。自治体は、それがどれほどゆっくりと不完全にではあったにせよ、先祖的ルーツや血族とは無関係で、それと対立することの多い理性的対話・物質的利益・世俗的文化に基づいた人間的繋がりの必要条件を形成したのでした。実際、私たちが、様々な民族・言語・国民性といったバックグラウンドにも関わらず、ここリスボンに平和的に集まることができ、敵対行為や疑いなしにお互いの考えのやり取りする中で創造的に議論し、考えを共有することさえできるという事実、これこそが、文明の壮大なる偉業なのです。文明、それは、数世紀にわたる作業なのであり、そこには、先祖に関する原始的諸定義を苦心しながら廃棄し、そして、理性の増大・知識の増大・自分達は共通の人間性の一員だという立場にいるという感覚の増大によって、こうした古代の諸定義を置き換えることが含まれているのです。

この人間化の発展は、大部分、自治体の作業でした。自治体は、生物学的血族・部族的提携・神秘的で伝統を抱え込んだ視野の狭いアイデンティティという時代遅れの諸概念から徐々に解放されながら、民衆が民衆としてお互いを現実的に見始めるようになった、次第に自由になる空間だったのです。文明の--これはラテン語の都市と市民権から派生した言葉です--このプロセスは完全に実現した、などと私は主張しているのではありません。全く逆です。理性的社会の存在がなければ、自治体は容易くメガロポリスになってしまいかねません。そこでは、どれほど世俗的であっても、地域社会は原子化と、その市民の理解を超えた非人間的な社会規模によって置き換えられてしまうのです--実際、階級・人種・宗教などの不合理な葛藤の空間になってしまうのです。

しかし、歴史的に見ても、同時代的に見ても、都市化は、「十全にアクチュアルになっていないとしても」、人間が十全に人間的で理性的で集産主義的になる潜在的可能性を実現する必要条件を形成しています。その結果、当然のことと考えられている血族的提携と差異・愚かな習慣・恐ろしい空想・権利と義務に関する非理性的で直感的なことの多い概念に基づく、分裂した本質的に獣欲主義的な分断を削減しているのです。

つまり、自治体は、偏狭化された人間存在を、真に普遍的な人間存在、原始的世界の陰気な獣欲的特徴を剥ぎ取られた正真正銘のhumanitasへと変換するという偉大なる目標を実現するための潜在的土俵なのです。理性的自治体では、あらゆる人間存在は「その民族的バックグラウンドとイデオロギー的信念とは無関係に」市民になり得ます。理性的自治体はリバータリアン共産主義社会の真の土俵です。比喩的に述べるならば、それは理性的人間にとっての絶対要件であり、それなくして自由社会は不可能だというだけでなく、同時に、それは理性的人間性の未来なのであり、自由と自己意識に向かう人間性の潜在的可能性をアクチュアルにする必要不可欠な空間なのです。

リバータリアン諸自治体の連邦、「コミューン群からなるコミューン」が過去に存在したことがあったなどと、私はおこがましくも主張してはいません。しかし、リバータリアン諸自治体の歴史的「モデル」や「パラダイム」の存在をどれほど頻繁に私が否定しようとも、私を批判する人たちは、なおも、どういうわけだか私の「理想」にとって不可欠な部分だとして、アテネや革命的ニューイングランドの町々などが持つ多くの欠点を私に負わせようとしています。この批判は皮肉なデマゴギーであり、軽蔑にすら値しません。私はいかなる都市にも、都市群にも、リバータリアン自治体連合論ヴィジョンの十全なアクチュアル化だとか、ましてや包括的「モデル」だの「パラダイム」だのといった特権を与えていません--それが、古典的アテネであろうと、中世世界の自由都市群であろうと、米国革命のタウンミーティングであろうと、フランス大革命の諸地区であろうと、スペイン革命時に出現したアナルコサンジカリストのコレクティブであろうとも。

しかし、こうした諸自治体全てとそれらが形成した諸連合には、「多様な、避けられないことの多い歪みにも関わらず」重要な諸特徴が存在しています。私たちにとってそうした自治体の価値は、そうした自治対全てから、自治体を導いていた民主主義的指針をそうした自治体が実践するやり方を学ぶことができる、という事実に存しています。そして、私たちは、自分達の時代と将来の時代にそれらの諸制度が持つ最良の部分を組み込み、その失敗を学び、それらが確かに存在し、成功の度合いは様々ですが、数世紀ではないにせよ数世代にわたり機能していたという事実からインスピレーションを得ることができるのです。

現在、私は次のように考えています。リバータリアン自治体連合論の政治運動を押し進めるときに、公的領域を創造する単なる戦術や戦略を論じているのではない、と認識することが大切です。むしろ、私たちが創造しようとしているのは新しい政治文化なのです。その文化は、無政府共産主義の諸目標と一致しているだけではありません。その諸目標をアクチュアルにする真の活動を含んでいるのです。私たちが直面している困難全てを、そして、そうした困難全てが数年先に私たちに提起する革命的意味全てを、十全に認識した真の活動を含んでいるのです。「町内」とは、単に、人々が家を建て、子供を育て、家財の多くを購入する場所という意味ではないことに注意して下さい。いわばもっと政治的な考え方では、町内は、人々が社会的諸問題だけでなく政治的諸問題を議論するために集まる生き生きとした空間を含むことになるでしょう。実際、重要な政治的空間、権力空間として町内を真に定義するのは、ある都市や町でどの程度まで公的諸問題がオープンに議論されているのか、にかかっているのです。

こう述べたからと言って、市民が議論し、特定の政策を求めて闘争するために身構える場所は集会だけだ、と述べているのではありません。町内ということで、町のセンターをも私は意味しています。そこは、市民が大集団として集まり、自分の見解を分かち合い、自分の政策に公的表現を与えることができる場所です。これこそが、例えばアテネのアゴラや中世の町の広場が持っていた機能でした。政治生活の空間は多重のものになるかも知れませんが、ランダムだったり非定型だったりするのではなく、概ね非常に具体的で定義可能なものです。

そのように本質的に政治的な町内は、騒乱の時代に出現することが多く、そうした時代には、古代ギリシアのアゴラのように、莫大な数の個々人が自発的に議論の空間を占拠するものです。私が若い頃、ニューヨーク市では、ユニオンスクエアやクロトナ公園に、何百、多分何千という男女が毎週集まって、その日の諸問題を打ち解けて論じていたものでした。ロンドンのハイドパークもそうした市民的空間だったのであり、フランス大革命と1830年の革命の培養地だったパリのパレ=ロワイヤルもそうでした。

パリにおける1848年の革命の初頭には、多数の(多分、数百の)町内集会ホールがクラブやフォーラムとして存在し、潜在的に以前の町内地区(1793年)を復元する基盤となっていました。最も優れた推定によれば、約百万人の住民総数に対し、クラブの会員が7万人を越えることはなかったとのことです。しかし、このクラブ運動が能動的で、政治的に一貫した革命組織によって調整されていたなら、パリ市民労働者の6月暴動を導いた危機の週間に、圧倒的な勢力となり得、多分成功することができたでしょう。

そうした空間とその空間を定期的に占有する民衆とが、同時に市民諸集会になり得ない理由など、原理的にはありません。事実、フランス大革命における特定の諸地区がそうだったように、市民諸集会が革命について語り、その論理的帰結へと推進する時の主導的役割を担ったとしても当然のことでしょう。

II.

無政府共産主義理論には一つの問題があります。はっきり申し上げれば、政治領域--国家とは区別でき、その可能性として潜在的にリバータリアンな--は認識されねばならず、真のリバータリアン政治に向かう潜在的可能性が探求されねばならないのです。私たちは、文明を日常生活の平凡な世界へと単純主義的に分断することで満足できるわけがありません。日常生活、それは私に言わせれば正確には社会であり、仕事で・家庭で・友人たちとの間で個人の存在諸条件を再生産している場です。そしてもちろん国家、これは、いくら良く見ても、私たちを、私たちの市民的・国民的事柄を管理する専門家の活動の従順な観察者に貶めています。こうした二つの世界の間に、もう一つの世界が存在します。政治の領域です。この領域で、過去に私たちの先祖は、歴史的に様々な時代・様々な場所で、コミューンとコミューンが属する連邦に対する様々な管理、時として完全な管理もありましたが、それを行使したのです。

政治が国家と融合させられ、その結果、政治領域と国家との大きな違いを忘れ去っている、これが無政府共産主義理論における欠陥です。政治領域では人々が、程度は様々であっても、自分の市民環境に対して、多くの場合は直接集会を通じて、権力を行使していました。国家においては、人々はその環境に対していかなる直接制御力も持っておらず、制御力を全く持っていないことも多いのです。

政治が、国政術と、いわゆる「代表」による民衆の操作程度のことしか意味しないほどに変質させらると、古典的アテネの集会・中世民衆市民集会・タウンミーティング・パリの革命的地区集会で見られた様々な表現形態をもたらした条件が、都合良く消し去られ、自治体を管理するための多くの制度は皮肉屋議会主義者の行動に、もしくはもっと悪いものに、縮小できるようになってしまいます。私が言いたいのは、政治を単なる国政術の実践だと見なすことは、歴史発展と、私たちが生きている世界とを莫大に単純化している、ということです。部族が都市よりも遙か昔に出現していたように、都市は国家よりも遙か昔に出現しました--実際、多くの場合、都市は国家に敵対していたのでした。メソポタミア諸都市は、6000年程前にチグリス川とユーフラテス川の間の土地に出現しました。そして、都市間紛争のために、国家型諸制度を制定し、究極的には専制帝国的諸制度を制定せざるを得なくなるまで、長い間、民衆集会が諸都市を管理していたと考えられています。こうした初期の都市において、政治--つまり、民衆が都市を管理する方法--が生まれ、そしてそこで力強く成長したのはもっともなことだったのです。国家はその後に出現し、制度的に精緻化され、多くの場合、市民的事柄に対する民衆管理を保持しようとする諸傾向に熾烈に敵対したのです。

国家の発展が比較的高いレベルの完成に到達する遙か以前に、同じ紛争が初期のアテネでも、多分他のギリシャ諸ポリスでも、生じていたという事実を無視することはできません。同様の紛争が、エリート主義のSenateに対するGracchi兄弟とローマの民衆集会の闘争で再び生じ、さらに再び、15世紀と16世紀の中世後期の貴族政治とバロック君主制が勃興するだいぶ前に、中世諸都市で生じていたことが分かるでしょう。クロポトキンが、欧州自由都市群が国家の存在にではなく、国家の不在に特徴付けられていた、と指摘したとき、彼はナンセンスを書いていたのではなかったのです。

実際、国家それ自体は発展と分化のプロセスを経験していることを認めねばなりません。緩やかな、殆ど極微の圧制システム程度に発展していた時もあれば、永続的に成長する機構へとさらに発展する時もあり、最終的に、特に今世紀になって、人間存在の全側面に対する全体主義的統制を獲得したのです--これとよく似た機構は、数千年前のアジアとコロンブス以前のインディアン=アメリカにしか見られていません。古典的アテネ国家は、部分的に国家主義的だっただけでした。それは、階級闘争で乱されることが多かったものの、選民の友愛団体であり、奴隷・女性・在留外国人さえをも集団的に抑圧していました。中世国家は、多くの場合、例えばローマ帝国よりも遙かに緩やかな国家構成であり、歴史の様々な時代(16世紀スペインのコムネロス(訳註:コムニダーデス、カルロス1世時代のカスティーリャにおける反王権反乱者たち)や、18世紀フランスの地区を思い出して頂きたい)で、国家はほぼ完全に崩壊し、コミュナリスト政治諸原理に基づいた直接民主主義が社会的事柄について主導的役割を演じていたのです。

リバータリアン自治体連合論は政治領域に関わっており、そこには、経済のような市民にとって基本的な重要性を持つ諸側面が含まれています。政治と経済の二つの間に、互いに深く対立するほどまで厳格で奥深い障壁を描いてはいません。私がそれを信じているという主張は、リバータリアン自治体連合論の反対者が宣伝している虚言です--そうした障壁は確かに可能ではあったのですが。リバータリアン自治体連合論は、経済の自治体化を要求しています。そして、地域社会間の物質的利益がオーバーラップしている場所では、経済の連邦化を要求しているのです。私は、リバータリアン自治体連合論のこうした諸次元は、私がこの短い文章でそうあって欲しいと望む以上に、この会議で話される皆さんが上手く包括的に探求してくれると確信しています。

リバータリアン自治体連合論は、真の市民、実際十全な人間の形成に一役買っている多くの文化的諸要因に対して無頓着ではありません。私は、自分が30年ほど前に「願望と欲望」を書いたと示すことを躊躇しませんし、市民権・パイデイア・自由な公空間における生き生きとした実践について書いたと示すことにも抵抗を感じません。しかし、同時に、あらゆる文化的絶対要件を社会領域に還元しないようにしましょう--これが自治体は家族に還元されうるという神話を創り出しているのです。そして、社会領域が政治領域とオーバーラップしていることを無視しないようにしましょう。あらゆるものをそのようにポスト構造主義的に均一化してしまい、そのユニークな独自性を殆ど完全に無意味にする--実際、潜在的に全体主義なのですが--中では、それらの区別は見失われてしまうだけでしょう。実際、潜在的に全体主義なのです。

従って、リバータリアン自治体連合論の土俵は、自治体の青年と成人市民を教育するための学校になるかもしれません。しかし、特に現代において、リバータリアン自治体連合論を特に重要なものとしているのは、それが、資本主義・市場・生態系を破壊する諸力・国家に対抗して結晶化されねばならない権力諸関係の領域だ、ということなのです。実際、この必要性を完全に念頭に置いた運動がなければ、リバータリアン自治体連合論は、この学者的クレチン病の時代において、学級カリキュラムの新たな科目に容易く堕落してしまいかねません。

最後に、リバータリアン自治体連合論は、今日その政治運動を、国家との関係において都市が持つ歴史的に先制的な役割に依拠しています。結局のところ、どれほど歪められているように見えようとも、どれほど国家に取り込まれていようとも、市民的諸制度は今も存在している、という事実に依拠しているのです。これは、拡大し、急進化し、最終的に国家の排除を目標とすることができる諸制度です。市議会は、その権力がどれほど弱々しくとも、過去に、特にフランス大革命と1871年のパリコミューンで、認められたコミューンの生き残りとして今も存在しています。地区民主主義を再構築する可能性は、合法的形態を前提としようと、超法規的形態を前提としようと、今も残っています。フランス革命の諸地区は、その主張の合法性の基礎となるそれ以前のいかなる伝統も持っていなかった、ということを心に留めねばなりません--実際、三部会へのパリの代理人を選ぶために君主制度が創り出した1789年のエリート主義的諸集会と諸地区から出現しさえしたのです。しかし、諸地区は自分の選挙上の役割を完了した後にも解散することを拒み、ベルサイユの三部会の動きの監視人として存続し続けました。私たちも、どれほどその形態や権力が退化していようとも、市民民主主義諸制度を再編成し、拡張するという課題に直面しています。過去の民衆集会や新しい民衆集会にそれを基づかせようとするという課題に直面しています--そして、非常に断定的に述べれば、市民民主主義の痕跡が存在していない場所で、新しい合法的、いやもっと断固として言えば、超法規的な民衆民主主義諸制度を創り出すという課題に直面しているのです。そのようにする上で、私たちは極度に、教育的資源・動員手段・リバータリアン共産主義と自治主義の目標を達成する生き生きとした思想を提供できる運動--実際、信頼でき、充分な構造を持ち、一貫したプログラムを持った組織--を必要としています。

私たちのプログラムは、柔軟にならねばなりません。私たちが活動する地域社会が政治的に洗練されたなら、即座に私たちが達成しようとする最小限の要求を提起する、という特別な意味においてです。しかし、そうした要求は、それがリバータリアン共産主義社会を求めた最大の要求を究極的に導くことになる一群の伝統的諸要求へとエスカレートしなければ、改良主義に、そして現実的改革主義(possibilism)にさえも容易く堕落してしまうでしょう。

また、巨大都市地域を構造的に分権化できるという一見して空想的に思えるヴィジョンも放棄出来はしません。メキシコシティ・ブエノスアイレス・ボンベイなどは言うまでもなく、ニューヨーク・ロンドン・パリといった規模の諸都市は、究極的には、大規模で不可解な都会地帯ではなく、再び人間的規模の諸地域になるまで、より小さな諸都市へと区分され(be parceled)、分権化されねばなりません。リバータリアン自治体連合論は、都会生活の既存事実を当面の出発点と見なしています。その事実の多くは、そこに住んでいる人々の理解を超えたものです。しかし、大いなる無政府共産主義の目標であり、マルクス主義の目標ですらある、全ての都市を人間的規模に合わせるという目標を達成するまで、リバータリアン自治体連合論は、大都市を、物理的にも政治的にも寸断すべく常に奮闘するのです。

III.

私がここまで要約して提示した思想は、もちろん、その詳細全てについてこの会議で探求されることでしょう。私はこの講演を終えるに当たり、ある種のマルクス主義者やライフスタイル=アナキストがリバータリアン自治体連合論に対して向けている批判の幾つかに論駁しようと思います。

マルクス主義者とアナキストの双方が提起している批判の中でも最も共通しているものは、近代都市はあまりにも大きすぎて、実行可能な民衆集会を中心として組織することはできない、というものです。批判者の中には、私たちが真の民主主義を手にすることになったら、0歳から100歳まで、健康状態・精神状態・気質に関わらず、誰もが民衆集会に参加しなければならなくなる、と仮定している人たちがいます--そして、その集会は、北米のスキンシップ中心のエンカウンターグループ(例えば30人~40人で構成される)や、ある批判者が呼んでいるように「親和グループ」と同じぐらい小規模なものでなければならない、と仮定しているのです。しかし、こうした批判者は次のように述べます。世界の大規模都市、例えば数百万人の住民が住んでいるとしましょう、そこでは、真の民主主義を確立するために数千の集会が必要になる。そうした都市においては、そのように小さな諸集会からなる自治体は、あまりにも厄介で、運営不可能だろう。このように論じるわけです。

しかし、大都会の住民数それ自体はリバータリアン自治体連合論の障害物ではありません。事実、この種の計算--全住民を参加する市民として数える--に基づけば、革命時のパリには総数で50万~60万の人々がいたという事実を考えると、1793年パリの48地区は完全に機能しないことになります。全ての男性・女性・子供、実に、全ての精神病者(pathological lunatic)と完全な機能障害の人たちもが地区集会に参加しており、個々の集会が40人に満たないものだったとするならば、私の計算によれば、一万五千の集会が革命パリの全人民を調整するために必要だったでしょう。そうした情況下で、フランス革命がそもそも生じ得たのかどうかは訝しいものです。

こうした批判者達は、大抵、革命家ではありません。また、フランス革命を押し進めた諸地区が存在しなければ、歴史はなおさら良いものになっていただろう、と信じているのかも知れません。そうした人たちの異議は、最悪の場合には、計算機としての道具的精神を示します。民衆民主主義は、まず第一に、あらゆる人々が民衆集会に参加できる・参加する・参加したいと思っている、といった考えを前提としてはいません。また、アナキストだと公言している人々が、人々を威圧しながら、参加を義務にすべきでもありません。もっと重要なことですが、特定の場所にいる大多数の人々が革命に従事していたことなど、ましてや万人が革命に従事していたことなど、殆ど--実際、革命史に関する私の知識では一度たりとも--ありません。革命的情況での暴動に直面して、かなり少数の支持者に支援された無名の闘士たちが蜂起し、既存秩序を転覆させる一方で、大多数の人々は積極的な観察者だったり、受身的な観察者だったりするものです。

欧米世界の殆ど全ての主要な革命を注意深く検討する中で、私は、多少の知識を持って言うことができるのですが、完全に成功した革命においても、自分達の社会の運命について重大な意志決定を行う集会の会合に参加していたのは、常に少数の人々でした。資本主義社会において大衆の間には非常に分化した政治的社会的意識・関心・教育・バックグラウンドがありますが、こうした分化こそが、革命が次から次へとあったとすれば、民衆が革命に引きずり込まれることを保証しています。一番最初の最も戦闘的な波は、当初、数の上では驚くほど小さい。次に、蜂起が成功できそうに見えると、一見して傍観者に思えた人々が最初の波と合流する。そして、蜂起が成功しそうになって初めて、程度の差こそあれ、政治的にはそれほど発展していない波が続きます。蜂起が成功した後でも、相当量の人々が、通常であればデモの群衆として、希には革命的諸機関への参加者として、革命プロセスに十全に参加するためには時間がかかるのです。

例えば、1640年の英国革命では、最も民主主義的問題を掲げたのは、主として、水平派の支持を受けた清教徒軍でした。水平派は、市民人口の中でも極小規模な派閥を形成していました。米国革命は、植民地住民の三分の一だけに支持されていたことは周知の通りですが、それでも、決して積極的に支持されてはいませんでした。フランス大革命はパリで主として支持を得ており、48地区によって押し進められました。こうした地区の大部分は諸集会に根差していたのですが、集会の参加者は、極めて重大な決定が最も革命的町内を奮起させた時を除いて、少なかったのです。

実際、大部分の革命の運命を決めたのは、その闘士たちが受けた支援の量というよりも、遭遇した抵抗の度合いでした。1789年10月にルイ十六世とその家族をパリからベルサイユに連れ戻したのは、明らかに、パリの全女性ではなく--ベルサイユまでの有名な行進をしたのは、実際、数千人ばかりの人々だったのです--、そうした人々に抵抗するために充分大規模で信頼できる力を王が動員できなかったからなのです。1917年のペトログラードにおけるロシア2月革命は、多くの歴史家が自発的大衆革命の「モデル」だ(そして、殆どの報告が示しているよりも遙かに特別の意味合いを持っていた蜂起だ)と見なしていますが、この革命が成功したのは、それ以前には当てにできていたコザックのような独裁政治支持者は言うまでもなく、ロシア皇帝の個人護衛さえもが、君主政治を防衛する覚悟をしていなかったからなのです。実際、1936年の革命的バルセロナにおいて、フランコ軍に対する抵抗を始めたのは、防護兵(the Assault Guards)の助けを借りた数千人のアナルコサンジカリストだけでした。防護兵の規律・武器・訓練が、正規軍を押さえつけ、最終的に打ち負かす上で不可欠の要因だったのです。

事実、革命が実際にどれほど成功するのかを説明してくれるのは、そうした様々な力なのです。「万人」が、もしくは人口の多数であってもが、抑圧体制を転覆することに積極的に参加しているから勝利するのではなく、旧秩序の軍隊と全体としての民衆が、戦闘的で断固たる少数者に対抗して、体制を防衛しようとしないから勝利するのです。

同様に、どれほど魅力的であろうとも、蜂起が成功した後に、民衆の大多数が、もしくは抑圧された側の大多数が、社会を革命的に変えることに個人的に参画するという見込みも殆どありません。革命が成功した後、大多数の民衆は、自分が住んでいる地元に--その大きさがどれほどであろうとも、そこで日常生活の諸問題が大衆に最も明白な影響を持っている場所に--引きこもるものです。こうした地元地域は大都市の居住地域や職業地域かもしれない。村落と小村の周辺地域かもしれない。あるいは、都市や地域の中心部から少し離れていて、そこで人々が生活し、労働している相当分散した場所かもしれません。

私は、大規模な近代都市が町内集会運動の形成にとって克服できない障害物となっている、などと考えてはいません。町内集会の門戸は、町内に住んでいるあらゆる人々に常に開かれているべきです。政治的意識の薄い人たちは、自分の町内集会に参加しないかも知れませんが、そうした人たちを無理矢理参加させるべきではありません。集会は、規模がどれほどであろうとも、無頓着な傍観者や通りすがりの人たちに対処せずとも、充分問題を抱えることになるでしょう。考慮すべきは、集会の門戸が、出席し参加したいと思っている全ての人々に対して開かれ続けている、ということです。なぜなら、そこにこそ、町内集会の真の民主主義的性質があるからなのです。

IV.

私が耳にしたリバータリアン自治体連合論に反対するもう一つの批判は、集会の会合に出席する多くの市民といったような大群衆は、力強い話者や党派に操作されかねない、ということです。この凡俗な批判は、あらゆる民主主義制度に対して向けられ得るでしょう。大規模集会にせよ、小規模委員会にせよ、臨時の会議や会合にせよ、「親和」(エンカウンターと読む)グループにさえもです。私の観点からすれば、大衆組織を創造しようというあらゆる計画を中傷しようというこのような明白な試みなど、議論に値しません。集団の規模はここでは問題ではありません--非常に小さなグループにおいても非常に薄汚い圧制が出現するのであり、一人か二人の威圧的人物が完全に他の人々全てを支配しかねません。

批判者が問うて当然のこと--しかし、滅多に問われないのですが--は、規模に関わらず、口の達者な人物に民衆集会を統制しようという扇動的試みを行わせないようにするにはどのようにすればよいのか、です。私の観点では、こうした試みに対する唯一の妨げは、革命家の組織的団体--そう、党派さえも--です。真実を求めることにコミットし、理性を行使し、公的責任の倫理を押し進める集団です。私の見解では、そうした党派や組織が必要になるのは、革命以前と革命の最中だけではありません。革命後にも必要となり、そこでは、安定し、持続的で、教育的な民主主義諸機関を創造するという建設的問題が基調となるでしょう。

そうした組織が特に必要になるのは、社会再構築の期間であり、リバータリアン自治体連合論を実践に移そうという試みがなされるときです。町内集会の確立を私たちが企図しているのだから、自分達がその構築を著しく支援してきた正にその機関において、私たちが常に--多分、多くの場合でさえも--大多数となる、などと期待することはできません。現実には、諸状況と社会的不安定が私たちの全般的メッセージを確かなものにし、多くの人々を集会させる時代になるまで、少数派であることを常に覚悟しなければならないのです。

実際、法的正当性があろうとなかろうと、民衆集会が確立されるところであればどこでも、いつかは、競合する階級利益が侵入するでしょう。ここで強調しなければならないのですが、リバータリアン自治体連合論は、階級闘争の実体を無視したり回避したりする試みではありません。逆に、何よりも、階級闘争の市民的次元に正当な認識を与えようとしているのです。階級間の近代的葛藤は、単に工場や仕事にだけ限定されてはいませんでした。「革命的パリ」「赤のペトログラード」「アナルコサンジカリズムのバルセロナ」といったように、明らかに都会的形態を取ってもいたのです。大革命に関する研究が鮮やかに暴露しているように、階級間の闘争は、常に、社会における様々な経済階層間だけでなく、町内や町内間の闘争でもあったのです。

それ以上に、町内・町・村落も、階級の境界を横断する熱い諸問題を生み出しています。労働者(欧州と米国で数が減少しつつある伝統的産業プロレタリア階級で、資本との延命闘争を戦っています)・中産階級諸階層(自分達が労働者だという意識を持っていません)・莫大な数の公務員・自分自身をプロレタリア階級だとは見なさない傾向にある専門家と技術者の莫大な階層・本質的にやる気を失い無気力になっている最下層の間にです。

私たちは、第二次世界大戦の終結以降、資本主義が変化してきたという抵抗しがたい事実を無視できません。資本主義は、西欧と合州国で、大多数の人々という正なる社会的繊維を、個人的な見解においても職業的な見解においても、変換してきました。特に、オートメーションがさらに発展し、新しい資源・技術・産物が現在非常に支配的に思えているものと置き換わるにつれ、驚くほど早く、この先数十年でさらなる変革をもたらすでしょう。

いかなる革命運動も、資本主義がこの先数年間に生み出す諸問題を無視することなどできません。特に、社会と環境双方に対する資本の深刻な効果という点での諸問題をです。今日におけるサンジカリズムの無用性は、それが古い産業革命が生みだした諸問題を、さらには、20世紀前半にそうした問題に意義を与えていた社会的背景の文脈の中で生み出された諸問題を、今だに扱おうとしているという事実にあります。私たちがサンジカリズム的代案を歴史的に使い果たしてしまったとするなら、それは、産業プロレタリア階級が、技術革新のおかげで、いたるところで極少数になるように運命付けられているためです。「プロレタリア階級」を聖職者・サービス・専門家といった「労働者たち」から理論的にでっち上げようとしてはなりません。殆どではないにせよ多くの場合、そうした「労働者たち」が、過去に正真正銘のプロレタリア階級にアイデンティティを与え、歴史的地位を与えていた階級意識を獲得することはないでしょう。

しかし、こうした階層は、最も搾取され抑圧されていることが多いものですが、自分達が生活しているより大きな環境の視点から、そして、急速に制御できなくなりつつある世界の中での自分達の主権というより大きな問題の視点から、無政府共産主義の理想を支持することに積極的に参加するかも知れません。つまり、自分達の町内・都市・町・自分達を単なる選挙時の有権者へと還元している世界における自由市民としてその民主的諸権利の拡充という視点からです。自分自身の生活を管理する自分達の力が、中央集権国家と大企業の力に直面して消え失せてきていると感じているが故に、無政府共産主義の理想を支持すべく集結するかも知れません。言うまでもなく、私は、労働者が、資本に対抗しなければならないほどの恐ろしい経済的諸問題を抱えていることを否定してはいません。そうではなく、経済システムとして資本主義が独占的に持っている病理を理解する能力を衰えさせている疑似中産階級的見解(ステイタスではないにせよ)を否定しているのです。

今日、私たちは永久産業革命の時代に生きています。その中で、民衆は、一つの神秘主義を持って極度に急速で莫大な範囲に及ぶ変化に対応していることが多いものです。一つの神秘主義、それは、民衆の無力さと私事本意主義を表現し、変化と戦うことなどできないということを表明しています。実際、資本主義は「進歩」しているどころか、今だに「消滅」しそうにないのであり、成熟し続け、その範囲を拡大しています。今後半世紀、もしくは一世紀後に資本主義がどのようなものになるのかは、この上なく思い切った推論となるでしょう。

従って、いかなる革命的リバータリアン共産主義運動も、私の観点では、新しい諸問題の座、実際、賃労働と資本との闘争に単純には還元され得ない階級横断型諸問題の座として、自治体の重要性を認識しなければなりません。環境破壊に関する現実諸問題は、地域社会にいる全ての人々に影響を与えます。社会的・経済的不平等に関する現実諸問題は、地域社会にいる万人に影響を与えます。健康・教育・衛生状態・そしてポール=グッドマンが述べている『バカに育つ』(growing up absurd)という悪夢、これらは地域社会にいる全ての人を悩ませています--こうした諸問題は、疎外された1960年代の十年間よりも、今日さらに重大にさえなっています。こうした階級を横断する諸問題は、自己権能を求めた共通の活動の中で、あらゆる種類の労働者と民衆を団結させることができます。これは賃労働と資本の対立のみに帰着させることのできない問題なのです。

また、労働者は、低俗なマルクス主義者(そして、暗黙の内にサンジカリストも)が私たちに信じ込ませようとしているような単なる歴史の「行為者」でもありません。労働者は、都市・町・村落で階級存在としてではなく、市民的存在として生活しています。彼等は父であり母であり、兄であり弟であり姉であり妹であり、友人であり同志であり、プチブルの中にいるエコロジー系の人々同様に、生態系諸問題に関心を持っているのです。両親として、青年として、彼等は教養を身につけ、職業に就くといった問題に関心を持っています。都会のインフラ構造の崩壊・安価な住居の減少・都会の安全性と美しさにに関する諸問題に深く困惑しています。その地平は、工場という領域、そしてオフィスの領域さえをも遙かに越え、労働者とその家族が生活している都会の居住世界へと拡大しているのです。私は数年間工場で働いていましたが、その後、労働者・中産階級の人々・比較的裕福な人々とさえも、気軽に接することができるのは、仕事場に関する問題ではなく、自分達の生活環境--町内と都市--に関連した諸問題を論じることだ、と分かっても驚きはしませんでした。

今日、特に、資本のグローバル化によって、いわゆる「第三世界」や南半球にいる諸国民が必要に応じて自由に技術発展する機会を損なうことなく、地元地域が自分達の制限の範囲で生産資源をどのようにして保持できるのか、という問題が生じています。この難問は法律制定や経済改良では解決できません。資本主義は強迫的に拡大するシステムです。近代市場経済の命令は、企業は成長するか死ぬかであり、資本主義にその覚悟があれば、資本主義がこの惑星の全地表を際限なく産業化する--もっと正確に言えば、全地表に際限なく拡大する--のをくい止めるものなどないでしょう。北半球の労働者を犠牲にすることの多い南半球の一方的経済成長、そして、この惑星の安定性--実際、正にその安全性--を脅かすほどの企業力の強化、こうしたグローバル化が示しているジレンマを終わらせることができるのは、社会と経済の完全な再構築だけなのです。

ここで再度、私は主張したい。リバータリアン自治体連合論のアジェンダと運動に基づいた草の根経済政策だけが、グローバル化の影響を阻むことができる際だったオルタナティブ--多くの人々が探し求めているまさしくそのオルタナティブ--を提供できます。グローバル化の問題について、グローバルな解決策などありません。地球規模の資本は、まさしくその巨大さのために、その根を浸食するしかありません。特に、社会の底辺におけるリバータリアン自治体連合の抵抗という手段によってです。グローバル化の問題は、草の根運動に集結することで、自分達の生活に及ぼす資本の支配権に挑戦し、その生産工程に対する地元地域・地方の経済的代替案を発達させようとしている何百万という人々によって磨滅させられねばならないのです。この抵抗を発展させることには、自治体管理型の産業と小売店を援助すること、利用すれば儲けになると資本が考えていない地方資源を頼りにすることが含まれるでしょう。自治体化された経済は、その進行は遅いかも知れませんが、道徳的経済になるでしょう。企業経済はもっぱら商品の品質よりも利潤をその成功の尺度にしていますが、道徳的経済--上質の産物と、可能な限り最低コストでの生産に主として関与する--は、そうした企業経済を最終的に転覆すると期待できるのです。

私が道徳的経済について述べるときには、コミュニタリアン経済や協同組合型経済を擁護しているのではない、ということを強調させて下さい。そうした経済では、小規模の利潤追求者が、どれほどその意図が善意のものであっても、単に、それ自体で小さな「自主管理型」資本家になってしまいます。私が住んでいる地域でも、ベン=アンド=ジェリーズ=アイスクリームという自称「道徳的」企業があります。この企業は、小規模で「思いやりある」と推定される個人的な企業から、利潤を生むことに熱心で「資本主義は良いものになることができる」という神話を促している地球規模の大企業へと、典型的な資本主義的やり方で成長しました。自分達の意図は道徳的だと公言している協同組合は、今だに、大資本家の事業に取って代わる進歩もせず、方法において資本主義的にならず目標において利潤指向型にもならないようにして生き残るというような進歩すらしていません。

生産者の小規模協会--これは真に社会主義的な試みやリバータリアン共産主義的試みに敵対しているのですが--はゆっくりと資本主義を腐食することができるというプルードン主義の神話は、最終的には追い払われねばなりません。悲しいかな、こうした概ね破綻した幻想は今だに、ハリー=ボイテ(Harry Boyte)のような自由主義者・「アナーキー:武装した欲望誌」のジャーナリスティックな悪漢のような素朴なライフスタイル=アナキストたち・ジョン=クラークとそのお仲間のような純然たる学者たちによって鼓舞されています。市民集会による自治体化された事業が経済を吸収しようとするか、さもなくば、単なるレトリックでは弱めることができないほど力強く、資本主義がこの生の領域に蔓延するか、どちらかでしょう。

資本主義社会は、経済・社会諸関係にだけでなく、思想と知的諸伝統にも、実際、歴史全てにも同様に影響を与えています。それらは寸断され、知識・対話・現実さえもが曖昧になり、いかなる区別・特異性・明瞭さをも剥奪されるまでになっているのです。拡散と寸断とをこのように祝うこと--米国の単科大学や総合大学で流行している文化--は、ポスト構造主義とか、もっと広く言えばポストモダニズムとかいう名前の下で進行しています。その腐食的指針を前提とすれば、ポストモダンの世界観は、唯一無二だったり特殊的だったりする全てのことを、思想の最小公分母へと解消しながら、水平にしたり、均一化したりすることができるのです。

例えば、蒙昧主義の言葉である「地球市民権」を考えてみましょう。「市民権」という概念は、パイデイアという前提--つまり、市民的自主管理の実践のために市民を生涯にわたって教育すること--を伴う非常に複雑なものですが、「地球市民権」は、動物・植物・岩石・山々・地球、実際、正に宇宙それ自体をも含んだ市民権概念へと拡張する(安っぽくする)ことで、この市民権概念を拡散したカテゴリーへと解消しています。あらゆる関係について「地球共同体」なる純粋に隠喩的なラベルを使うことで、都市が持つ歴史的・現代的なユニークさは失われてしまう。このラベルの範囲と大きさが広いために、他の共同体全てに取って代わってしまう。そのような隠喩は、究極的には、あらゆるものを平板化し、結局のところ、普遍的な「単一性」(Oneness)にしてしまいます。これは「エコロジーの知恵」という名の下に、「一」(One)が正にいたるところに存在することで、極めて重要な諸概念と諸現実に定義を与えないようにしているのです。

「市民」という言葉があらゆる実在物に適用されるなら、そして、「共同体」という言葉がこの一見して「グリーンな」世界におけるあらゆる関係を包含するなら、実際には何ものも市民でも共同体でもありません。丁度、「存在」(Being)という論理カテゴリーが単なる実在(existence)として表現されると、存在は「無」と置き換え可能だとしか見なすことができなくなるようなものです。従って、「市民」と「共同体」も、古代・中世・近代世界を通じて数千年にわたって弁証法的に形成・分化してきた独自の市民的諸条件へではなく、空虚への普遍的パスポートになっているのです。こうした市民的諸条件を抽象的「共同体」に還元することは、究極的には、人間的自由が持つ洗練された諸側面としての豊富な進化的諸形態、特にその分化を否定することなのです。

V.

時間の制約もありますし、私の身体的虚弱もありますし、皆さんをずっと我慢させておくわけにもいきませんので、私はこのプレゼンテーションを終えようと思います。ただ、私が論じたいと思っていたその他多くの諸問題に少なくとも簡単に言及せずして、話を終えることはできません。機会があれば、何故、リバータリアン自治体連合論を、プロセスとして・現在は限られた成功しかほぼ手にすることのない辛抱強い実践として・成功したとして最良の場合でも、それが大規模に採用された時に持ちうる様々な可能性の諸事例を提供する程度のことしかできない限定された領域でのみの成功だとして、見なさねばならないのか、を皆さんと共に探求したいと思います。一夜にしてリバータリアン自体連合社会を創造することなどありません。この反動の時代に、私たちは成功よりも多くの失敗に耐え抜く用意をしなければなりません。忍耐とコミットメントは、過去の革命家が熱心に培養していた特徴なのです。悲しいかな、今日の即席消費主義社会で、即時的満足・即席料理・即席生活の要求が、即席政治の要求を繰り返し教え込んでいます。全くの失望を伴う緩やかな成長の必要性を認識したライフスタイルよりも、即席ライフスタイルを採用しがちな人々は、リバータリアン自治体連合論運動に必要な教育的諸責任にコミットするよりも、レンガを投げ・落書きをする芸術を学ぶ方が賢明でしょう。私たちが考慮しなければならないのは、リバータリアン自治体連合論が人間発達の理性的絶頂を達成する理性的手段なのかどうか、なのであって、それが現在の社会的諸問題に対する応急処置として適しているのかどうかではありません。

私たちは、柔軟になることを学ばねばなりません。自分達の基本的諸原理を、場当たりで絶え間なく変わる見解というポストモダニストの泥沼で置き換えずに。例えば、比較的大規模な市民集会において民衆参加を確立するために、電子的手段を使用する以外に選択肢がない、とするならば、そうすべきです。しかし、私は主張したいのですが、そのようにするのは、それが不可避であるときのみ、それが必要だという限りにおいてのみ、に限定するべきです。同様に、ある種の施策がある程度の中央集権を含んでいる際、それを採用しなければならないでしょう--断言させていただきたいのですが、即時のリコール権を犠牲にすることなく、です。しかし、ここでも、そのような組織的施策を認めるのは、それが必要な限りにおいてのみであって、それ以上ではありません。こうした場合に、私たちの基本的諸原理が常に私たちの指針でなければなりません:直接に顔を付き合わせた民主主義と充分調整された連邦的分権型社会にコミットし続ける、ということです。

同様に、私たちは、意志決定プロセスにおいて、民主主義よりもコンセンサスを盲目的に崇拝してはなりません。以前から論じてきたように、コンセンサスは、参加者がお互いを親しく知り合っている非常に小さな集団であれば実行可能です。しかし、それよりも大きな集団では、専制的になってしまいます。なぜなら、小規模の少数派が、大多数の、相当大きな多数さえもの実行がどのようなものになるかを決めることができるようにするからです。そして、思想と政治における均一性と停滞とを促します。少数派とその諸党派は、新しい思想を成熟させるために不可欠な酵母です--そして、殆ど全ての新しい思想は少数派の見解として出現しています。リバータリアン集団において多数派が少数派を「支配」するなど神話です。少数派が人気のない信念を断念したり、その見解を論じる権利を放棄したりすることを期待する人などいません--そうではなく、少数派は忍耐を持ち、多数決による決定が実行されることを許さねばならないのです。この経験、そしてこの経験がもたらす論議こそが、ある集団や集会にその決定を再考するようにさせ、少数派の見解を採用させる上で最も決定的な要素とならねばなりません。そして、他の少数派が出現するに従い、さらなる実践と思想の革新が鼓舞されるのです。コンセンサス型意志決定が、本質的に、少数派を喜ばすために多数派に特定の政策を行わないようにさせるならば、それは知的・実践的停滞を容易く生み出すでしょう。

私は、政治的意志決定と、運営権限を持った人々が行う実際の立法とを区別しているわけですが、ここではそれには立ち入りません。ただ、私の友人であるグレイ=シスコが次のように指摘していたとだけ述べておきます。つまり、米国議会--大抵は弁護士の集まりです--は、米国インフラ構造の再構築・戦争と平和・教育と対外政策などに関して、そうした領域の全側面について十全な知識を持たずに、他者に自分達の決定の執行を委ねながら、基本的な政策決定を行うことができる。ならば、何故、市民集会が、通常はもっと控えめな諸問題について政策決定を行い、周到な監視の下に、関連する分野の専門家にその執行を委ねることができないのでしょうか。私には分かりかねるのです。

リバータリアン自治体連合社会における法律、つまり法(nomos)の場所、という問題を私たちはいつか考えねばなりません。同様に、権利や、正義と自由という大切な諸原理を規定する憲法の場所についても考えねばなりません。私たちの指針となる諸原理の永久化する権限を、単純に盲目の慣習や同胞の善良な性質に--これが莫大な恣意性を許すのです--授与するべきなのでしょうか?数世紀にわたり、抑圧された人々は、貴族の恣意的抑圧から自分達を守るために、文書化された基本憲法条項を要求していました。リバータリアン共産主義社会が出現しても、この問題は消滅しません。私たちにとって、この問題は、法律と憲法が本質的に反アナキズムかどうかなどではあり得ません。法律と憲法が理性的で、変更可能で、非宗教的で、権力の乱用を禁じるという意味でのみ限定的であるかどうか、これが問題だと私は信じています。私たちは、権威主義者との遠く離れた論争(remote polemics)から生まれた盲目的崇拝から自分達を解き放たねばならない、と私は信じています。この盲目的崇拝が、多くの無政府共産主義者を、理性に基づいた理論的思想よりもドグマに近い無分別な一方的立場へと押し込んできたのです。

正直なところ、現代は、反資本主義思想・社会的アナキズム思想と運動を普及するのに有利な時代ではありません。しかし、資本主義という癌が、自然界を世界経済に吸収しさえしながら、地球全体に広がるままにさせておくつもりがないのであれば、無政府共産主義者は、自分達を公的領域に参加させる理論と実践とを--強調しておきますが、理性的リバータリアン共産主義社会という目標と一致した理論と実践とを--発展させなければならないのです。

最後になりますが、私たちは、現在だけでなく過去からも知ることのできる人間存在の真の潜在的可能性を基礎としながら、思弁理性の歴史的権利を主張しなければなりません。そのことで、私たちが住んでいる当座の環境を越えて人間存在を保護する、実際、現在の非理性的社会は人間の条件たるに恥じないほどアクチュアル--もしくは「リアル」--なものではないと主張するのです。非理性的社会が蔓延している--そして、多くの人々にとっては、永続している--にも関わらず、人間の自由と自意識という潜在的可能性を実現させるプロジェクトにとって、それは虚偽なのです。従って、人間性が持つ最高の諸特性である、理性と革新の能力の要求を裏切っているという意味で、非理性的社会はリアルではないのです。

コミューン群からなるコミューンに基づいたリバータリアン共産主義社会について考え、それを求めて戦い、それについて民衆を教育し、それを求めて闘争しようという私たちの努力が、ジョン=クラーク(別名「マクス=カファード」もしくは「C」)の様な現代の神秘主義者が私を批判していたときに述べていたように、「バクーニン主義的願望」の証拠だというのであれば、私に答えることができるのは、私はなおさらバクーニンとのこの関連を喜んでいるのだ、ということだけです。バクーニンは、クラークの受動性と「時勢に従う」という道教の諸概念を、現状への根本的な順応だとして非難したことでしょう。

同様に、「アナキズム」と呼ばれる大まかな思想集団も岐路に直面しています。一方は、社会的アナキスト--ヒエラルキーや階級社会の革命的廃止に活動の焦点を当てようとしている人々--です。他方は、放埒なライフスタイル=アナキストであり、こうした人々が冒険(例えば、警察にレンガを投げるといったような)以上の何かを信じていると仮定するならば、私的自己表現と、神秘的ファンタジーによる真面目な思想の置き換えという点で社会変革を見なしているのです。

私は、個人的に信じているのですが、社会的介入への道を切り開く政治を形成しない限り、実際、成長し・理性的に考え・民衆を動員し・世界を変革しようと積極的に模索できる組織的運動として公的領域にアナキズムを持ち込む政治を形成しない限り、アナキズムが民衆運動になることなどできません。社会民主主義は、実践として議会改革を私たちに示してきました。彼等が生み出した結果はげんなりさせるものでした--最も目立っていることを述べれば、公人としての生活が徹底的に衰退し、消費主義的放埒と私事本意主義が破滅的に増加しています。全体主義国家の設計者としてのスターリン主義者は公的舞台からほぼ消え去っていますが、抑圧された人々の間に急進的運動(いかなるものであれ)が出現すると、その寄生虫として生き残っている人々もいます。また、ファシズムも、その多様な変異物という形で、人間規模の地域社会の欠如・人間規模の政治の欠如・権能剥奪が創り出した空洞を悲劇的結果で満たそうとしています。

無政府共産主義者として、私たちは、公的領域に参入するためのいかなる様式が私たちの権能拡大ヴィジョンと一致するのか、を自問しなければなりません。私たちの理想がコミューン群からなるコミューンだとすれば、唯一の参入手段・社会的実現の手段は政治である、と私は提起したい。つまり、民衆による町内集会や街の集会と自治体化された経済の発展の断固たる主唱者として、最終的には地元地域の選挙の舞台に現れる運動とプログラムである。これ以外に既存社会への降伏に代わる案などありません--警察に石を投げたり、落書きで壁を汚したり、湖に投げた小石のように足跡なく消え失せてしまう場当たり的な「行動」を行いたいと思っている人がこの中にいなければ、の話ですが。

もちろん、リバータリアン自治体連合論がある程度の成功を収めると、多くの障害物に直面し、取り込まれたり、「下水道アナキズム」(sewer anarchism)の一形態へと堕落したりする可能性に直面するでしょう。イデオロギーの不一致という市民領域だけでなく、自身の組織的枠組み内部での内的不一致にも直面するでしょう。リスクと不確実さがありながらも、幅広い政治闘争の領域を開けるでしょう。社会生活が名状しがたいほどに矮小化された時代、資本主義的価値観と生活様式への順応が先例のない程のレベルに達してる時代、アナキズムと社会主義が19世紀と20世紀初頭の「失敗した運動」だと見なされている時代に、そうした不一致こそが本物の公的現実になることを期待できるのです。今日ほど、凡庸さが勝利している時代はありませんでした。今日ほど、社会的・政治的諸問題に対する無知が蔓延している時代はなかったのです。

リスクを冒さず、不確実さを認めず、失敗する可能性を認識しないのであれば、社会変革など達成できません。民衆生活の化石化に対して何らかの効果を持たせよう--本物の民衆生活が、どのような意味であれ、現代を特徴付ける程度まで--とするのならば、歴史も私たちと共に動かねばなりません。この点について、私はあまりにも年を取りすぎて、様々な出来事の進路がどのように展開していくのかについて価値ある予測をすることはできません。ただし、現代は、良かれ悪しかれ、現在から50年先の世代にとって認識できるものではなく、次の世紀には物事が非常に急速に変化するだろう、とだけ述べておきます。

しかし、変化が存在する場所には、可能性も存在しています。時代が、現在のままであり続けることなどできません--現在のままであり得るなど、世界が凍りついて動かなくなるようなものです。私たちが行いたいと思っていること、それは、真の文明を野蛮から区別する理性の糸を保持することなのです--実際、野蛮は、理性的活動や指針のないある種の未来へと転落することを許してしまった世界の結末です。この努力が「バクーニン主義的願望」の証拠だなどというのであれば、有機的思考の名の下に、自分自身を傍観者に還元し、道教の「無為」という教義、つまり、行動しないことの「美徳」や「時勢に順応すること」に指導された行動に還元している人々などよりも、自由と自己意識の世界を望んでいる人々の方が全く持ってましなのです。